エピローグー5
1944年9月23日の夕方、アラン・ダヴー少佐は、料亭「北白川」を訪れていた。
土方勇大尉の招きに応じたのだが、表口には「本日、貸し切り」の看板が出ていて戸惑う羽目になった。
それでも、勇を振るって「北白川」の玄関を跨いだところ。
「いらっしゃい。ダヴー少佐ですね、こちらへ」
若女将が、ダヴー少佐を出迎え、その誘いに応じて、奥の座敷にダヴー少佐は入った。
そこでは、既に土方大尉と岸総司大尉が待っていた。
そして、ダヴー少佐の見知らぬ若い女性もいた。
「土方千恵子です。夫がお世話になったそうで」
「いえ。こちらこそ、貴方の夫と義父にはお世話になりました」
千恵子とダヴー少佐は、如才なく会話を交わした。
そこに先程の若女将、村山幸恵が、料理を手ずから持って現れ、口を挟んだ。
「そう堅くならないで、私の弟達がお世話になった、と聞いて、私が半ば招いたのだから」
「えっ、あなたも土方大尉や岸大尉の姉なのですか」
ダヴー少佐は驚く羽目になった。
「まあね。母親が違うけどね。ついでに言うと、私は認知もされてないし」
幸恵が自虐気味にいうと、総司が口を開いた。
「姉さん。幾ら、ダヴー少佐しかいないとはいえ、他人の前で公言していい話じゃないよ」
「いいじゃない。ダヴー少佐も、父のいない身だ、と勇から聞いたわ。同病相憐れむよ。それに軍人なら、口も堅いでしょう」
「そう言われては、フランス軍の軍人として、周囲に黙らざるを得ませんな」
幸恵の言葉に、ダヴー少佐は苦笑いして、話しながら想った。
確かに、この幸恵という女性と、自分は似たような境遇だな。
「ところで、ダヴー少佐の父上の名前とかは分からないのですか」
「ええ。母の口が堅くて、相手の方の家庭を壊したくないから、という理由で、不倫だったそうです。母によると、自分がいわゆる野戦病院の雑役婦で、私の父が戦傷から長期入院している際に、お互いに知り合って、私を身籠ったとのことですが」
幸恵とダヴー少佐のやり取りを聞いて、千恵子が口を挟んだ。
「そう言う経緯で、ご両親は知り合われたのですか。その後、貴方の父上は」
「ヴェルダン要塞攻防戦で戦死しました」
「それは、また。私達の父もヴェルダン要塞攻防戦で戦死しました」
千恵子とダヴー少佐は、そうやり取りをした。
千恵子や岸大尉は、あらためて想った。
ダヴー少佐の実父は、誰なのだろう。
少なくとも自分達の弟では無いな。
自分達の父が、戦死前に長期入院したことは無かったのだから。
一方、幸恵は想った。
このアランの母は、嘘を息子に教えたのだろう。
そうすれば、真実の父を探ることが困難になる。
もっとも、母の方にも隠したい事情が何かあるのかもしれないが。
それよりも、空気を変えた方がいいでしょうね。
「料理が冷めてしまうわ。食べましょう」
幸恵の提案に、その場にいる5人は思い思いに箸を付け出し。
「この肉じゃがの味付けは初めてね。味噌味の肉じゃがは、初めて食べる気がする」
千恵子が口を開いた。
「それにしても、どこか私にも馴染みがある味の気がします」
ダヴー少佐が、次に口を開いた。
「そうでしょうね。バターを使ったから。雪子さんに教えてもらったの。味噌とバター味の肉じゃがは美味しい、って。サンクトペテルブルクで人気だったそうね」
「いつの間に、そこまで仲良くなったの」
幸恵の言葉に、千恵子は呆然とした。
斉藤雪子大尉は、本来から言えば、動員解除に伴い、名古屋帝国大学病院に復職する筈なのだが。
(土方勇志伯爵らの裏工作で)予備役編入後、横須賀海軍病院の小児科医師に採用されたのだ。
そして、合間を見て、あらためて岸忠子や土方千恵子に、雪子は挨拶して回り、先日、岸大尉と婚約したのだが、幸恵はいつの間にか、雪子と仲良くなっていたらしい。
「いえ、私の下の娘が、何度か熱を出してね。雪子さんに診てもらったのよ。それで、親しくなったの。義理の妹になる前から、親しくなれるとは思わなかったわ」
幸恵はしれっと言ったが、千恵子や岸大尉、土方大尉は、サッと目で会話した。
絶対にウソだ、義妹の性格を予め見極めようとして、子どもの病気を理由に会いにいったに決まってる。
幸恵姉さん、畏るべし。
そこに。
「いや、それにしても美味しい。この味噌味も美味しいです」
空気を読めずに、ダヴー少佐が口を開いた。
「でしょう。私の手作りの米味噌よ。私達の父の故郷の自慢の味なの」
その言葉を聞いて、千恵子が心なしか、胸をそらして言った。
「味噌は、色々と土地によって好みが違うし、味も違うの。この味は、豆味噌好きの総司には少し馴染めない味なのよね。ダヴー少佐に美味しいと言ってもらえてよかったわ」
幸恵が口を挟んだ。
「いや、僕にも美味しいから」
岸大尉は、慌てて弁明した。
千恵子が、ちろりと自分を睨んだからだ。
ダヴー少佐は想った。
自分の父の故郷の味噌は、どんな味なのだろう。
実は、この味噌の味が、自分の父の故郷の味噌の味と知らないダヴー少佐は、そう想ったが。
幸恵は想った。
父さん、姉弟4人がここに集って、同じ味の、父さんの故郷の味噌を使った食事を食べています。
この場に父さんがいたら、どう思いますか。
父さん、戦死前に故郷の味を思い出すことはありませんでしたか。
故郷の会津の味噌を使った味噌汁とご飯。
それを生きて還って食べたかったでしょうね。
「ところで、立ち入ったことを聞きますが、ダヴー少佐にお子さんはおられるのですか」
「ええ、先日、娘のサラが生まれたばかりです。早くフランスに還って、娘の顔を見たいですよ」
幸恵の問いかけに、ダヴー少佐は答えた。
「早く見たいですよね。そう言えば、千恵子も3人目を懐妊したのだよな」
「もう、他人に話すことじゃないでしょ。でも、前2人は女の子だったから、今度は男の子がほしい」
「ダヴー少佐以外は、身内ばかりだからいいじゃないか」
土方大尉と千恵子は、ダヴー少佐の言葉を聞いて、そうやり取りをした。
幸恵は想った。
こうして命は紡がれていくのだろう。
名乗ることは無いだろうが、自分の弟や姪がフランスにいるとはね。
本当に不思議な気がする。
その後も5人の会話は弾み。
「いや、美味しかった。ご馳走になりました」
「いえ、お粗末様でした」
5人での食事は終わった。
「それでは、また、何時か」
「ええ、また、お会いしましょう」
そして、ダヴー少佐は、「北白川」を去っていった。
大女将の村山キクは、そっとダヴー少佐の姿を物陰から見送った。
本当にあの人そっくりだ。
髪を黒く染め、眼が黒ければ、生き写しと言って良い。
でも、あの人とダヴー少佐は別人なのだ。
それにしても、姉弟4人が集えてよかった。
ふと、キクは、自分の背中に誰かの気配を感じて振り返ったが、誰もいなかった。
でも、1人、いや2人いる気がしてならない。
林忠崇侯爵とあの人でしょうね。
キクは想った。
あの世で、祖父と孫として名乗りをかわしたのだろう。
今日はお彼岸の中日、身内、子ども達が揃ったのを知って、2人が訪ねて来たのかもしれない。
キクは、あの人の肩に自分の頭を乗せ、寄り添っているような気さえしていた。
土方大尉は妻と、ダヴー少佐を見送りながら想った。
ダヴー少佐はインドシナへ、戦場へと赴くという。
そして、戦禍が未だに終わらない以上、自分達もいつか、また戦場に赴くのではないか。
サムライがいつか完全に武器を置ける時が来てほしいものだな。
そう土方大尉は念じていた。
これで、第14部を完結させます。
また、「サムライー日本海兵隊史」本編も完結させます。
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