第5章ー15
そして、ソ連としては、いわゆる後方でのパルチザン活動によって、この春の連合国軍の攻勢の足を引っ張ろうとしていたのだが。
連合国軍の占領地において、そういった活動が起きていない訳ではないが、それはソ連政府の思惑には程遠いレベルのものに過ぎず、連合国軍の春季攻勢に大きな影響を与えるものにはなっていなかった。
(なお、連合国軍の占領地における後方でのパルチザン活動が、連合国軍のこの春の攻勢準備等において、全く影響が出ていなかった、という訳ではない。
あくまでも、ソ連政府、軍の期待には程遠いレベルの活動だった、ということである)
外国軍の占領統治となると、基本的には住民からの感情的反発が巻き起こり、それがパルチザン活動を行う者の主な供給源になるものだが。
ロシア諸民族解放委員会の正式な設立宣言が為されたこと、更に連合国軍占領地において、主に米国等からの物資供給が為されたこと、また、連合国軍の後方の輸送体制整備と言う目的もあったが、鉄道網や道路網が整備されたことが、副次的に占領地内の物資流通を促進し、経済活動を活性化させたこと等々が、占領地域内での住民の生活満足度や将来への期待を高め、連合国軍の占領地におけるパルチザン活動を低調なものとしていた。
こうしたことから、連合国軍の最終攻勢は、後方をそんなに気にすることなく、攻勢の準備等を展開することができていたのだ。
高木惣吉少将は、これらのことを色々と考え合わせ、この春の攻勢について考えた。
まず、日本軍は、直接、モスクワへの攻勢任務に充てられることになっている。
海兵隊と米第1軍が、最初の戦線突破攻撃に当たり、陸軍と米第3軍が、第二次攻勢を展開し、最終的には日本軍と米第1軍、米第3軍がモスクワへの直接攻撃を行うのだ。
それ以外の米第5軍、米第7軍、米第9軍は、北欧諸国軍と協同して、アルハンゲリスクやヴォロクダ方面への助攻任務を展開する。
とのことだったが、直前になって、スウェーデン義勇兵から成る部隊、通称「カール12世師団」から、モスクワ攻略に是非とも、我々を従軍させられたい、との直訴が、アイゼンハワー将軍にあったことから、北方軍集団内での調整の末に、「カール12世師団」は、結果的に日本海兵第2軍と共同行動を執って、モスクワに赴くことになった。
ナポレオン戦争終結後、基本的に外交においては中立路線を保持していたスウェーデンの出身者が、そこまでモスクワ攻略に従軍したい、と願うとは、と高木少将のみならず、多くの連合国軍の将帥が不思議に最初は思ったが、歴史を知るにつれ、スウェーデン人の想いも最も、と多くの者が思った。
いわゆる大北方戦争において、スウェーデンはロシアと戦い、一時は圧倒する有様だったが、ポーランド方面に戦力を向けたために、その間にロシアは力を蓄えることに成功し、最終的に敗れ去ることになった。
もし、あの時にスウェーデンが、ポーランド方面に戦力を向けず、そのままモスクワへと陸軍を進撃させていたら、歴史は大きく変わっていてだろう。
スウェーデンの義勇兵の多くが、そんな想いからモスクワへの進軍を希望していた。
もっとも、それを言うならば。
モスクワへの進撃の主力となるべき、中央軍集団の一角を占めるポーランド軍の想いの方が遥かに強いものだった。
中央軍集団は、文字通りその全力をもってモスクワを攻めようとしており、最大の戦力は英連邦軍で、次がポーランド軍だった。
そのポーランド軍には、第二次世界大戦勃発以来の戦禍により、国土の復興も中々進んでいない有様だったにも関わらず、その歴史的な経緯から、それこそ世界中から志願兵が集まる有様だったのだ。
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