第1章ー10
土方千恵子が、そんな想いをしている頃、アラン・ハポン少佐こと、アラン・ダヴー大尉も、スペイン青師団の広報参謀として、サンクトペテルブルクを離れ、スペイン青師団が展開しているクリミア半島に、上司であるグランデス将軍と共に戻ろうとしていた。
もっとも、グランデス将軍と共に、ダヴー大尉がスペイン青師団の下に還った後、スペイン青師団は移動が内定している。
クリミア半島の戦線は、ルーマニア軍に全面的に任せ、スペイン青師団は、スターリングラード方面への攻勢を行う連合国軍の部隊の一員として移動することが、サンクトペテルブルクで開かれた連合国軍の首脳会議において決まったのだ。
クリミア半島における攻勢に際して、スペイン青師団は、ケルチ海峡方面への攻勢を担い、基本的には徒歩歩兵師団の集まりに過ぎない存在でありながら、突撃砲部隊や自動車化部隊を集中運用することで、機甲師団の集まりであるかのような攻勢を成功させている。
更に、ルーマニア軍と半ば心ならずもスペイン青師団は共闘し、優秀な戦果を挙げ続けてきている。
それを知った米軍の多くの高級士官からは、「スペイン青師団は、南北戦争時のストーンウォールジャクソンが率いていた徒歩の騎兵の再来」と称えられ、仏軍首脳部としても、これだけの優秀な部隊と共闘し、スターリングラードを目指したい、と考えられた、という次第から、スペイン青師団の移動が決まったのだ。
グランデス将軍は、口先では、
「そこまで高く評価していただき、恥じ入る想いがします」
と丁寧に他の連合国軍上層部に対応して答えたが。
身内しかいない場では、
「何だか、我々は少し頑張り過ぎた気がしないでもないな。スペインは、お付き合いで我々義勇兵を派遣したのだから」
と少し愚痴るようなことを言っている。
アラン・ダヴー大尉も同感だった。
スペイン青師団の面々は、少し頑張り過ぎてしまったのではないか。
スターリングラードを目指す南方軍集団の一員として、我々スペイン青師団が戦うということは、スペイン青師団の将兵が、激戦に投入されるということだ。
本来から言えば、我々スペイン青師団は義勇兵なのであり、そこまで激戦地に精鋭として投入される程の存在ではない筈なのだ。
それなのに。
もっとも、スペイン軍のアラン・ハポン少佐として考えるならば、スペイン青師団が、ここまでの高評価を受けていることを、素直に喜ぶべきだろう。
実際、そのために思わぬプレゼントまで、フランス軍から、スペイン青師団に対してあったのだ。
特殊砲弾込みで、Ⅲ号戦車約200両を、無償でスペイン青師団にフランスは提供するというのである。
それもⅢ号戦車の50ミリ長砲身型(60口径)を搭載している型だった。
もっとも、裏事情をダヴー大尉が知るために、旧知の仲である石原莞爾提督等、日本海兵隊の面々を介して探りを入れたところ、ぶっちゃけて言うと、工場を休ませて失業者を出させたくない、という観点から行われたⅢ号戦車の製造であり、半ばフランスとしても持て余していた戦車ということが分かってきた。
だからこそ、無償提供という事態になったのだ。
折角、取得した以上、使わないままで壊す訳には行かない、かと言って、退蔵するのも勿体ない、それならば、スペイン青師団に提供した方が、という話である。
ダヴー大尉から、裏事情を知らされたグランデス将軍は、複雑な表情を暫く浮かべて悩んだ後。
「折角、スペインでは製造不可能な強力な戦車を貰えた以上は、有難く受け取るしかないな」
と少しぼやくように言った。
ダヴー大尉も同感だった。
ともかく、そんな戦車を提供されて、スペイン青師団はどんな戦場に赴くのだろうか。
第1章が終わり、次からソ連軍の冬季反攻を描く第2章になります。
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