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翌々日の祝日の水曜日。僕は、緊張した面持ちで、和臣との待ち合わせ場所である場所に出かけた。
今回の待ち合わせ場所は、渋谷ではなく、なぜか彼女の学校の裏手だった。もしかしたら他人のデートに同行させられるかもしれないと気を回した僕は、お邪魔虫なりに服装にも気を使ってみた。
「樋口は樋口なりに、精一杯のおしゃれをしようとした……という気持ちは、僕には伝わったけれどね」
いつもの学生服でもヨレヨレのTシャツにジーパンでもなく、綿のシャツにチノパン姿の僕を見て、和臣が同情を込めた眼差しを向けた。そういう和臣は、細身のズボンにTシャツと麻のジャケットという格好だった。凝った服装でもなさそうなのに、とても様になっているのが、僕としては、実に腹立たしい。だが、和臣以上に腹が立つのは、徹だった。徹が着ているものは、僕が普段着ているようなTシャツにジーンズだ。それなのに、彼が非常に格好良く見えるのは何故なのだろう。
「なんで、徹まで来るんだよ!」
僕は、行き場のない怒りを徹にぶつけた。
「興味があるから」
徹がさらりと答えた。
「確かに六条は女の子にもてる。だが、いくら六条が女性に人気があったとしても、ここらで評判の美人が、よりによって同じ日に彼に手紙を寄こすなんて、樋口は不自然だと思わないのか?」
「あ、そういえば」
確かにおかしな話である。
「徹は、最初から気が付いていたんだね」
「六条もな。ところで、彼女がきたぞ」
徹がため息をつきながら、通りの角を曲がってこちらに歩いてくるC子に顔を向けた。僕は、慌てて和臣に確認する。
「ねえ、僕たちは向こうに隠れていたほうがいいかな?」
C子にどんな思惑があるかは知らないが、僕たちがふたりのデートに不必要であることに間違いはないだろう。
「すぐに済むから、此処にいても構わないよ」
和臣は、僕にそう答えると、急に爽やかな笑顔になって、「やあ!」と、C子に手を振った。
「ごめんなさ~い。遅れちゃった。待った?」
C子は、和臣に駆け寄ると、祈るように両手を合わせ、少し舌足らずな可愛らしい声で謝った。そのあまりの可愛らしさに僕はボーっとなったが、隣に立つ不感症男の徹は、「いわゆる流行りの顔ってやつだな」と、冷淡な声で彼女を評した。
「ああ、もう来てくれないんじゃないかと思った。君が恋しくて、1分が100年みたいに感じられたよ」
歯の浮くような台詞を言いながら、和臣がC子を包むように腰に腕を回し、彼女の瞳を覗き込んだ。
「まあ、お上手ね」
「本当だよ。君に手紙をもらったとき、夢なんじゃないかと思った。想いって通じるものなんだね」
「……。あいつは、誰だ?」
豹変した級友に唖然としながら、僕は呟いた。顔は同じでも、僕は、今目の前にいる和臣が僕の知っている和臣と同一人物だとは、信じられなかった。
「きっと、奴の父親がとりついてるんだろうよ」
そっくりだと言いながら、徹が笑顔らしきものを見せた。
和臣の色男振りは、僕にとっては気持ちが悪いだけだったが、C子は大変お気に召したようだった。和臣が彼女に何かを言うたびに、彼女は、鈴を転がすような声を上げながら嬉しそうに笑った。
「なあ、あいつの父親って、結婚詐欺師か何かなのか?」
「違う。けど、かなり近い」
笹倉が僕に答えた。
その後、たった5分ばかりうちに、和臣は、少しばかり仰々しすぎる言葉と態度で、急速にC子の心を取り込んでいった。その間中、僕は、馬鹿みたいに口を開けて、この出来立てホヤホヤでアツアツのカップルに見入っていた。しかしながら、C子にしてみれば、僕たちは、かなり迷惑な野次馬でしかない。
「ねえ、和臣さん。どこか別の場所に行きましょうよ。ふ、た、り、で」
僕と徹に刺々しい視線を向けながら、C子が、甘えるように和臣の腕に自分の腕を絡めて引っ張った。だが、和臣はピクリとも動かない。C子の意志に逆らうかのように、その場に突っ立ったままである。
「和臣さん?」
不審に思ったC子が、顔を上げて和臣を見た。そして、驚いたように息を呑んだ。ほんの数秒前までC子の虜みたいな顔をしていた和臣が、今は、蔑むような冷ややかな眼差しを彼女に向けていた。
「な……、なに?」
「賭けは、あなたの勝ち。そう思いましたか?」
怯えた表情を見せるC子に、和臣が冷ややかにたずねた。
「賭けだって?!」
「そうだよ」
和臣が僕にうなずいてみせた。
「樋口は、ギリシャ神話の中にある、トロイ戦争のキッカケになる金のリンゴの話って知っている?」
「あ、うん」
あやふやな記憶をたどりながら僕はうなずいた。
「『一番美しい女神へ』と書かれた金のリンゴを、3人の女神が取り合うんだろう?」
このプライドをかけたささやかな奪い合いが、やがて大きな戦争に発展することになる。
「つまり、六条は、そのリンゴだというわけだな?」
「どうやら、そうらしい」
和臣が徹にうなずいてみせる。
「どういうキッカケから、こんなゲームを始めたのかは知らないけれど、美人で評判のお嬢さんたち3人は、僕が彼女たち3人の中から誰を選ぶかで、このあたり一番の美人の栄光を手に入れようとしたんだよ。C子さん、そうだよね?」
和臣が、先刻の結婚詐欺師風の笑みをC子に向けた。
「計画がばれてしまったことを、他の2人は、君に教えてくれなかったんだね。自分がされたのと同じように、君も僕に恥をかかされればいいと思ったんだろう。可愛い顔して、やることが怖いよね」
だが、和臣にそんな顔をされても、C子は、もう喜ばなかった。計画がばれていることを知った彼女は、一目散に僕たちから逃げようとした。そのC子の二の腕を、和臣が素早く掴んだ。
「離してよ、馬鹿!!」
振り向きざまに、C子が、憎しみをこめた目で、和臣を睨みつけた。だが、和臣は怯まない。彼は、掴んでいないほうの彼女の手首も掴むと、彼女を格子網のフェンスに押し付けた。
「離しなさいよ。いい加減にしないと、人を呼ぶわよ!!」
和臣の手を振り払おうともがきながら、C子が喚く。
「呼べば?」
和臣が朗らかな声でC子に勧めた。
「僕が、君たちが僕に仕掛けたゲームのことを誰彼構わず話してもいいというのならね。そうなると、困ったことになるんじゃないかな? 特に君はね」
「え?」
「君の手紙は、君が書いたものじゃない。僕を好きでもないのに、ただゲームに勝ちたいがために、字が綺麗で文章を書くのが上手な別の誰かに書かせた偽物だ」
「……どうして、それを」
驚いたようにC子が目を見開いた。
「やっぱり、そうだったんだ」
和臣が笑った。どうやら、彼は彼女にカマをかけたらしかった。
「ひどいわ。だましたのね!」
「手紙の内容が、アイドル志願で学校一の美女だと自惚れている女性が書くものにしては、ずいぶんしおらしかったから、そうじゃないかなと思っただけだよ。ああいう文章はね、もっと引っ込み思案で夢見がちな女の子が書くものだと思うよ。それから、便箋に書かれた文字と宛名の筆跡も違った。ついでに言えば、封筒と便箋の雰囲気も、別々のレターセットからもってきたみたいにちぐはぐだった」
「……」
「清純派のアイドルとして、芸能界デビューが決まっているんだってね。そんなときに、たとえ噂に過ぎなくても、こんな噂はまずいんじゃないかな。地元の美人比べに勝ちたいがために、誰かが書いた僕宛てのラブレターをネコババしたなんて……」
「もう、わかったわよ。謝るわ。ごめんなさい」
C子が、観念したように頭を振った。
「そんなに怒らないでよ。それに、あなたにしても、いい目を見られて良かったじゃない。私たちみたいな美人に3人いっぺんに言い寄られて、悪い気はしなかったはずよ。それに、あなたって、とっても素敵ね。みんなが騒ぐだけのことはあるわ。あなたさえ良ければ、私、これからだって、あなたと……」
デビューを目前にして、変な噂を流されてはまずいと思っているのだろう。C子が和臣を懐柔するような笑みを浮かべた。あまりにも浅ましくてわかりやすい彼女の行動に、僕でさえ、げんなりした。
「『わたしたちみたいな美人』ねえ……」
和臣が、失笑を漏らした。
「思い違いも甚だしいな。君みたいに醜い女は、なかなかいないよ。それに、君以上の器量良しなら、うちに大勢いるのでね。見飽きているぐらいだから、特にありがたいとも思えない」
徹が、「六条の母親たちや妹たちと比べるのは、いくらなんでも可哀想なんじゃないか?」と、同情したように呟いた。彼の声は小さかったが、今回は無視されることなくC子の耳にもちゃんと届いた。それだけではなく、容姿自慢の彼女のプライドをズタズタに切り裂いたようだった。
「あたしが醜いですって?」
C子は和臣に食って掛かった。そして、悔し紛れに、こう言った。
「この変態のシスコン男! あんたの妹たちだって、きっとあんたに似て、変態の性格ブスの陰湿な女ばかりなんでしょうよ!」
「性格ブスは、どっちだよ」
C子の醜態を見つめながら、僕は吐き捨て入るように呟いた。天使みたいな顔をしているから天使みたいな綺麗な心の持ち主だと思い込んでいた。彼女たちの上っ面に騙されたと思った。勝手に思い違いをして、騙されていた自分自身が情けなかった。
「失礼な人だな。でも、まあ、これ以上言い争っていても仕方がないか……」
和臣が肩をすくめた。僕の気のせいかもしれないが、和臣の口調は、さっきまでよりもずっとサバサバしていた。僕には、それが、かえって怖く思えた。徹も僕と同じように感じたようだ。「あ~あ、完全に六条を怒らせたな」と低い声で呟いた。
しかしながら、彼は、彼女にそれ以上何をするでもなく、掴んでいた彼女の両手を解放した。C子は、自分を取り繕うように、シワになった服や乱れた髪をすばやく整えた。それから、ちょっと弱気な表情を見せて、伺うように彼を見る。
「噂にするようなことはしないよ」
彼はC子を安心させるように微笑んだ。
「ただし、僕の質問に正直に答えてくれたらね」




