そうなるとは夢にも思っていなかった
彼女は透き通った双眸をこちらに向けていた。
ジト目で。
「……お邪魔でしたか?」
俺と横峯を見ながらそう聞いてきた。
「…いや、全然大丈夫ですよ。なんの御用ですか?」
俺は内心、先程の叫びを聞かれていた恥ずかしさでいっぱいだったが声を震わせながらも言葉を発することができた。
「文学部、というのはこちらで間違いないですか?」
「…!えっはい!ここが文学部です!」
彼女の口から文学部という言葉が出てくるとは思わなかったので一瞬驚いてしまった。もしかしたら入部してくれるのだろうか。
……いや待て。俺の童貞丸だしの叫びを聞いて入部するだろうか…?
やっぱりやめます。的なことになるのでは…?
あっ詰んだわこれ。
「文学部に入部したいのですが、顧問の先生はどなたですか?」
「えっあっ村上先生ですよ。……え!?入部するんですか!?」
「勧誘したのは貴方ではないですか。それともあれは嘘だったんですか?」
「違います違います!!嘘だなんてそんな…。本当に入部してくれるとは思わなくて…。」
「……そうですか。私は村上先生に入部届をお渡ししてきます。」
彼女はそう言って部屋から出ていってしまった。
「…今のが黒川文乃なのか?」
黒川さんが来てから一言も喋らなかった横峯がそう聞いてくる。
「あ、あぁ。本当に入ってくれるなんてな…。」
「お前が一番驚いてどうするんだよ」
呆れている横峯だったが、俺は内心疑問で満ちていた。
何故入部してくれる気になったのだろう。
どう考えても入るのやめるだろ。あんなの目の当たりにしたら。
まあ、入部してくれるのならばこちらとしてはとても、とてもありがたい。だって可愛い黒髪ロングの女の子といられるのだから。
「うわお前顔めっちゃニヤけてるぞキモいぞ。」
「うるせえニヤけるのはどうしようもねえよキモいは泣くぞ。」
しばらくしたら黒川さんが戻ってきたので、自己紹介をすることになった。ちなみに黒川さんは俺と横峯とは少し離れているところに座っている。
「二年一組の黒川文乃です。読書が好きなので入部させていただきました。よろしくお願いします。」
この子隣のクラスだったのか!?俺の交友関係狭すぎ…!?
「二年二組の結城隆治です、って昨日言いましたっけ。」
「同じく二年二組、横峯蒼汰です。」
「文学部の活動内容としては、基本的に自由で読書とかしてればいいです。」
「……?それだけなのですか?」
彼女の疑問は最もだ。読書だけすればいいなら、部活に入る意味はない。
「一応もう一つあって、文化祭の出し物として何か作品を作るんですよ。小説だとか、そういうのです。」
「なるほど。わかりました。…後思ったのですが、別に敬語を使わなくても大丈夫ですよ。」
「えっ、でも黒川さんは敬語ですし…。」
「私の敬語は癖なので。タメ口で構いませんよ。」
「わかりま…わかった、黒川さん。」
「…俺もタメ口でいいのか?」
傍観していた横峯が黒川さんに質問する。
「もちろん、構いませんよ。」
どこかしら心の中で、黒川さんに敬語を使わないといけないイメージがあったが、そんなことはないようだ。
軽い自己紹介と部活説明を終えると、黒川さんと横峯はすぐに読書を始めてしまった。正直もっと会話していたかったが、邪魔するのはまずいので、黒川さんを観察、もといガン見することにした。
初めて彼女を見たときはかなりドキドキしていてあまり顔を見れていなかったが、今よく見るとやはりその顔立ちは整っていて、切れ長でくっきりとした二重、鼻は高く、ぷっくりとした唇はどこか妖艶さを伺わせていた。
そしてその女神のような顔をさらに際立たせているのは、やはり長い黒髪だろう。艶のある黒髪は清楚さと色っぽさを兼ね備えていた。あーかわいい。
しばらく黒川さんの美しさを堪能していると、視線を感じたのか顔を上げこちらを見てくる。バッチリと目があった。
彼女は目をパチパチとさせると読書を再開させてしまった。
正直めちゃくちゃドキドキしたが、お咎め無しならセーフ、セーフ。
何気なく横峯を見てみると、変態を見るかのような呆れた目で俺を見ていた。失礼なやつだな。目の保養をしていただけだからな。別に髪の匂い嗅ぎたいとか思ってないから。ほんとほんと。
黒川さんの髪の匂いを想像していた俺だったが、気がついたら時計の針は18時を過ぎていることを示していた。
「そろそろ終わりにしようか。時間も遅いし。」
俺がそう言うと、横峯と黒川さんは読書をやめて、帰り支度を始めた。
教室の鍵を締め、職員室に返却した後解散する。
「じゃあ俺こっちだから。」
校門を出て左側に向かっていく横峯。
「おう、また明日なー。」
そう言いつつ右側に行こうとすると黒川さんの姿が目に映った。
「黒川さんはどっち?」
「……結城くんと同じ方向です。」
「マジで!?途中まで一緒に帰らない?」
「…構いませんよ。」
心の中でガッツポーズを決め込んでおいた。
周りから聞いていた黒川さんの印象ではそういうことはしないと思っていたがやはり優しい子なのだろう。
そんなことを思いながら我が家を目指し、歩き出した。
一緒に帰っている最中のこと。何か話そうと思っていたが黒川さんが若干俯いていて、話しかけていいのか分からず互いに無言のまま今に至る。
「…………………。」
「…………………。」
とても気まずい。どうしようこれ。
「……あの、結城くん…。」
「えっ、はい!」
突然だったので大きい声で返事をしてしまった。黒川さんから話しかけてもらえるとは思っていなかった。
俺が何も話さなかったので気を遣っているのだろうか。だとすると申し訳ない。
己のコミュ力の無さに咽び泣いていると、彼女の話が続く。
「…結城くんは幼い頃どう過ごしていましたか?」
「俺の幼い頃?うーんそうだな…。」
俺の幼少期など聞いてどうするのだろうか。
この質問には何か意図があるのだろうか。
そんなことを考えてしまった。
「小さい頃は何か特別なことは無かったかな。普通の子供だったよ。」
「……そう…ですか…。」
歯切れの悪い返事だった。内容が無さすぎて困らせてしまったか。
「そういう黒川さんは?小さい頃何かあったの?」
「…ええ。……黒川家は代々から続いている名家だということは知っていますか?」
「まあ…耳にしたことはあるよ。」
「でしたら良かったです。私は黒川の本家の娘なのです。」
本家の娘。とんでもなく高貴な言葉だ。そんな子が目の前にいることがあまり信じられなかった。
「私が幼少の頃、黒川家の親族を集めたパーティーが催されたのです。」
「へー…。パーティー。」
「そのパーティーで私は男の子に恋をしたのです。」
「えっ恋!?」
黒川さんが恋。その男の子はどれだけイケメンなのか。いや、黒川さんが顔で選ぶとは限らないから、多分。
しかし黒川さんに惚れられるとはその男の子はパーティーで何をしたのだろう。
「黒川さんは、今でもその男の子が好きなの?」
「……ええ。想っています。しかし、彼がどこにいるのか分からないのです。」
「分かんない?その男の子は親族なんだよね?そこから調べたりしたの?」
「ええ。調べました。しかし、分家の家系図を見てもその男の子の名前が記述されていなかったのです。」
「その男の子の名前は?」
「……名前は…」
彼女が想い人の名を口にしようとした時、一台の黒いバンが目の前に止まった。
ドアが開き、中から出てきた人物を見て黒川さんの端整な顔が歪んだ。
「……お兄さん。」
「こんばんは、文乃。」
「……何をなさりにいらっしゃったのですか。」
「父さんが迎えにいけってさ。まあ僕が運転するわけじゃないんだけどね。」
運転手さんがいるのか…。上流階級であることをアピールされている気分だ。
「あれ、そこの君は?もしかして、彼氏だったりするの?」
「違います。」
俺が否定する前に黒川さんに否定されてしまった。当たり前だが、なんだか悲しい。
「黒川さんとはただの部活仲間ですよ。」
「へー…部活に入ったんだ文乃。あれだけ入らないって言ってたのにね。何部なの?」
「文学部です。」
「ふーん。君、名前は?」
「結城隆治といいます。」
「……なるほど。僕は黒川文弘、妹共々仲良くしてね。」
「あっこちらこそよろしくお願いします。」
「ほら行くよ文乃、外食の約束だろう?」
「……結城くん、また明日。」
そう言って黒川さんはバンに乗り込んでしまった。
遠ざかっていくバンを見ながら、先程について考えていた。
文弘さんに名乗ったとき、怪訝そうな顔をしていたのを俺は見逃さなかった。黒川家に何かした覚えは一切ないので、何故かはわからなかった。
妹につく悪い虫とでも思われているのだろうか。
虫は変態するし、あながち間違ってはいないな。
「なんとまあ、タイミングのいいことで。」
結局、黒川さんの想い人の名前を知ることが出来なかった。
「明日聞けばいいか。また明日って言ってたし、部活に来てくれるでしょ、多分。」
楽観的な思考をしつつ帰路についた。
翌日学校で俺を待っていたのは、黒髪ロングの女の子ではなく、数多の視線だった。
1年以上死んでました。
再開します。