【飯テロ】梅茶漬けが食いたい【企画】
「…それじゃあ、今から行くわ。よろしく頼むな」
『…ちっ』
いつものごとく、柄の悪い舌打ちで切れる電話。だが、友人のそんな態度はいつものことなので別に気にならない。
手に持っていた携帯電話をポケットに入れて溜息を吐く。
「…あー。疲れた」
社畜歴4年の俺が勤めているのは、労働基準法?何それ美味しいの?ってな感じのどブラック企業。残業代は出ないのに、退社が終電終わりだなんてことも日常茶飯事だ。
その度タクシー代を払って帰宅できるほど裕福でない俺は、会社近くになる腐れ縁の友人の元にいつも泊らせてもらっている。友人は目つきと口は悪い奴くて、まともに社会人生活が送れていることがにわかに信じられない、所謂DQNな感じな奴だが、根はいい奴だ。いつも悪態をつきながらも、泊まることを拒まれたことは一度もない。…恐らくあいつは、世に言うツンデレという奴なのだろう。きっとそうに違いない。
「…腹、減ったなあ」
不意にきゅるきゅると悲しげな音を立てて胃が鳴った。…昼にあんパンを食ったきり、今まで仕事に追われて何も口にしていない。そりゃあ、腹も減る筈だ。
手に持っているコンビニ袋の中を見て、しょんぼりとした気持ちになる。泊まらせて貰う身分の分際で、飯までごちそうになるわけにはいかないから、お礼も兼ねて二人分買ったコンビニ弁当だが、いかにも味が濃そうなハンバーグの見かけは、疲れ切った俺の胃にはあまり受け付けない。だが、仕方ない。これしかなかったんだ。
だけど、本当言うと、もっとさっぱりした物が食いたい。疲れた胃にでも優しい食べ物。さらさらと簡単に喉を通る…
「――茶漬けが、食いてぇな」
ふと思いついたら、猛烈に食いたくなってきた。茶漬けが、食いたい。猛烈に食いたい。
元々、茶漬けは好きだ。市販されているお茶漬けの素も好きだし、刺身のヅケやほぐした焼き魚にお茶とわさびをかけた茶漬けも贅沢で美味しい。
だけど、違う。どっちも美味しいけど俺の今の気分じゃない。
――俺が今、猛烈に食いたいのは、醤油だしをかけた梅茶漬けだ。
梅茶漬けと言えば、質素なイメージがあるかもしれない。だけど、本当に美味しい梅茶漬けというのは早々食えるもんじゃないと思う。
ピンと一粒一粒たって丁寧に炊かれたご飯。しっかりとカツオの風味よく、取られた出汁。ツンと鼻に通るような、揮発性が高いわさび。…そんな大層なもんは別に要らない。ふつーに炊いたご飯と、適当に作った醤油出汁、チューブのわさびでも十分美味しい。
だけど、大事なのは、梅干しだ。
梅干しは、スーパーに行けば簡単に手に入る。だけどどれも不自然な甘味料の甘みがあって、酸味もどこか鈍い。あんな梅干しじゃ、俺の理想とする梅茶漬けは作れない。
思い出すのは、昔ばあちゃんがつけていた、自家製の梅干し。酸味が強くて、塩っぽく、見た目も綺麗に赤くなくて鈍い色をしていたが、一口食べれば梅特有の良い香りが口の中に広がった。ひどく酸っぱくて、子どもの頃の俺は、そのままではあまり食えなかったが、ご飯と合せた瞬間、それは大好物に変わった。
そんな梅干しをばあちゃんは俺が大学生で一人暮らしをしていた頃、定期的に送ってくれた。二日酔いあけ、あるいは酒の締めに、俺はあの梅干しをほぐして、歯で割った種の中にある「天神様」と呼ばれる中身を刻んだものと一緒に(これは某グルメ漫画の影響だ)ご飯に乗せて、わさびを多めに添え、鰹節で適当にとった特製だし汁をぶっかけて食った。
醤油出汁をかけられたことで、酸味が穏やかになり一層その梅の香りが鮮やかになった梅干しの味が、ご飯の甘みと共に口の中に広がる。ぼやけそうになる味を引き締めるのは、ツンと辛いわさびの風味。ナッツのような触感の、僅かに渋みを持った天神様の味(食べすぎると体に悪いらしいが、んなことは知らねぇ。美味さが大事だ)丼を持って、無我夢中で口の中に書き込んだ。
ばあちゃんは梅干し以外にも漬物もつけてて、大抵荷物の中に入っていたから、それも茶漬けのお供にしていた。良く入っていたのは野沢菜づけ。箸休めに口に放ると、しゃきしゃきした気持ちいい触感と、冷蔵庫で冷やされて冷たい漬物の清涼感が、口の中を新たにしてくれた。
汁一滴、米一粒残さず、いつも夢中で食べていた。梅干しが無くなりそうになると、電話でばあちゃんに強請った。ばあちゃんは、嬉しそうに声を弾ませて、すぐに梅干しを郵送してくれた。
…だけど、そんなばあちゃんも、俺が大学を卒業する前に、ぽっくり病気で死んじまった。
社会人になったら、給料で思いっきり恩返ししてやろうと思ってたのに。苦い後悔が、胸に残る。
ばあちゃんが、死んじまって以来、あんな手作りの梅干し、食う機会がない。…あの味が今、妙に恋しい。
「…ないもの強請りをしても仕方無いけどだ」
思い出した懐かしい味に、きゅうきゅうと胃が悲しげに締め付けられる。…ごめんよ、俺の胃。あの味を思い出させちまったが、お前にあの味を届けることは出来ないんだよ。高カロリーで、化学調味料がたっぷり入ったハンバーグ弁当で我慢してくれ。
なんだか、あの味を思い出したら妙にもの悲しい気持ちになった。…ああ、自家製梅干し漬けてくれて、遅い亭主の帰りを梅茶漬け作って待っていてくれるような嫁さん欲しいな。そんな嫁さんいたらタクシー代も厭わないぜ。…って、今時そんな昭和な良妻いないか。
気が付けば、友人のアパートについていた。とぼとぼとと重い足取りで階段を上がり、かって知ったる部屋のチャイムを鳴らす。
チャイムを鳴らした瞬間、扉があいた。
「…ったく、いつもいつも急に押しかけてきやがって」
顔を合せるなり、友人が不機嫌そうに悪態を吐くのもいつものことだ。思わず口持ちが緩む。
「悪い、悪い。いつもありがとうな」
「急に来ても、俺んちには碌なもんねぇぞ。買い出ししてねぇから」
「いや、食いもんはさっきコンビニでお前の分も…」
友人の後ろから、不意にかつおだしのいい香りが漂ってきて、言葉を呑んだ。
「…あ、やべえ。煮えたぎってる。…おい、んなこと突っ立てねぇで、さっさとテーブルにつけ。どうせ碌なもん食ってねぇんだろ」
早口でそういって、台所へと駆け込む友人に促されるままにテーブルへと向かい、唖然とする。
並べられた二つの丼にこんもり盛られた白いご飯。その上にまぶされた、赤い梅干しと天神様。
小鉢に盛られた野沢菜漬け。
無造作に置かれた、使いさしのわさびのチューブ。
「…これは」
「――実家から、送られてきたんだよ」
唖然とする俺の後ろから、だし汁が入った鍋を持った友人が、ぶっきらぼうに言い放った。
「おふくろが、自分で作った梅干しだの、漬物だの定期的に送ってくんだよ。貰いもんの鰹節とかといっしょに」
そう言って、友人はだし汁を丼に掛けた。
懐かしい香りが、部屋中に広がり、胸がいっぱいになる
「どうせなら肉とか送ってくれればいーのによ…まあ、そんなわけでお前これらの消費に付き合え」
箸を手渡されて、お茶漬けを口に運ぶ。
口内に広がるのは、まさに恋い焦がれたあの味。
思わず、じわりと、目が潤んだ。
「――おい」
「…煮立たせちまったからちょっと鰹節の酸味が出ちまったな…なんだ?」
「結婚してくれ」
「頭湧いてんのか、てめぇ」
――このツンデレな友人がいる限り、今暫くは嫁さんいらないなーと思いました。まる




