9.変化
「まったく、最っ悪!」
「悪かったって……」
「まあまあ、安居院ももう許してやれよ……」
―――僅かに開いた窓から、三人の賑やかな声が届く。
その窓辺から外を見下ろしていた文は、玄関に背を向けて歩く三人を静かに見守っていた。
「…あっ、」
不意に振り返った彼―――国光が窓から見送る文に気付いて大きく手を振ると、視線だけ向けた羽継の隣に居た彩羽も元気よく文に手を振る。
「……また、明日」
微笑み、文もまた手を振ると、国光は嬉しそうに更に大きく手を振った。
そして名残惜しそうに門を出ると、三人の声は聞こえなくなっていった―――。
………。
(―――初めてだった)
四人なんて大人数で、お菓子を食べたのは。
知らないひとも居たのに、楽しいと思えたのは。
蔑みや憐れみの言葉もなく、態度にも出さずに遊んでくれたのは。―――国光以外で、初めて……。
「…楽しかったなあ…『毛玉』もそう思う?」
お揃いの服を着たぬいぐるみを拾い上げて問うてみても、返事はない。
ないのに―――その顔はいつもより、優しく見えた。
「私、彩羽さん好きだな……なんだか同じ感じがする―――同じ…ヒトを怖いと思ってるような……」
ベッドにすとんと座ると、まるで幼い子の人形遊びのように「毛玉」と名付けたぬいぐるみをあやす。
「もっと早く友達になりたかったな…でも、お互い一年生の頃は大変だったものね…」
文はぬいぐるみの首を傾げさせ、まるで会話でもしてるような雰囲気で、
「私は……あんなことがあったし……―――彩羽さんのクラスも確か、警察沙汰になったのだっけ…」
(―――確か、「監禁」がどうのって、聞いた気がするのだけれど……)
*
―――翌日の朝。登校しようと玄関の扉を開けると、すでに門の前で羽継が待っていた。
「……おはよ」
「………まだ拗ねてんのか」
「あったりまえでしょ、熱かったのよ!?」とネチネチ言わないだけありがたいと思いやがれ―――表情にも態度にもそんな怒りを隠さない彩羽は、プイッと顔をそむけた。
「悪かったって。…ほら、これ、詫びの品」
「ふん、こんなもので懐柔……されようではないか!」
「そりゃあよかった」
羽継が渡してきたのはお菓子の入った小さな袋だ。
たぶん、羽継の母親が作ってくれたのだろう―――羽継の母は、お菓子作りの得意なドイツ生まれの美女で、その美しさを継ぐように息子の羽継の目はとても綺麗なのだ。
そう、彩羽が稀に「私のと取り換えたいな」と真顔で言ったせいで、深読みした羽継を怖がらせるくらいには。
「小母さんのお菓子だなんてサイッコーだよ。ふへへへへへ…」
「笑い方どうにかしろよ」
そう冷たく言いつつも、さっさと機嫌を直しお菓子の袋を優しく鞄に詰める彩羽を見る目は穏やかである。
「……、…なあ、御巫のことなんだけど」
「文ちゃんが何よ?」
「あいつのこと…知ってるか?」
「え゛?…えっと……美術部で……頭の良い……女子力最高……としか」
「…………そっか」
「なによー?」
上機嫌で学校へ向かう彩羽に急に変な質問をした羽継は、振り返った彩羽から顔を背ける。
彩羽が眉を寄せて問い質しても適当に流すものだから、朝の登校時間が少しだけ気まずくなる。
―――それでもお互い一緒に学校の門を通ると、
「………彩羽、さん」
「ん?」
背後からの声に振り向くと、ちょっと眠そうな流鏑馬 国光の隣を歩く―――文が、いた。
お互いのポケットからは、色違いのストラップが顔を出している。
「…、おっはよーぅ。どこのご夫婦かと思いましてよっ」
「彩羽さんこそ」
「来れたの?」とか「もう大丈夫?」とは聞かずに冗談を口にして手を振れば、文は少し安心したような顔で冗談に乗り、改めて「おはよう」と首を傾げて彩羽に微笑んだ。控えめに例えても天使だった。
「あ、あにゅい…はよ……」
「あにゅい、じゃなくて安居院なんだけど藪川くん」
「…"流鏑馬"も、他人の名字間違えてる奴に言われたくないだろうよ」
わざわざ彼の名を強調して嫌味を言う羽継の鳩尾に軽く拳を入れると、「おまえら仲良いなー」と間延びした国光の声が。
文は呑気に「そうだね」と頷くと、羽継の方を向いて、
「嘉神くん、おはようございます」
―――と、思えば挨拶してなかった羽継にぺこりと頭を下げた。
「………おう、おはよ………」
「なにモゴモゴ挨拶返してんのよ、シャキッと言いんさい」
「お前に言われたくねーな」
あまりに冷たく返されて、彩羽のアホ毛がしゅんと項垂れた。
――
――――
――――――
―――――――――
「―――あれ、御巫のやつ、登校してきたぜ」
「え?マジ?よく来たな」
「案外アレ嬉しかったんじゃねーの?いいなー相川の奴。俺も御巫のスカートで遊びたかったわ」
「………その結果骨折だけど?」
「そりゃ、アイツが馬鹿だったんだよ。昔っから頭のどっかのネジ飛んでるようなヤツだったし。お前だって可愛い子のスカートの匂いとか嗅いだりなんだりしたいっしょ?」
「俺もしたいわー」
「御巫ってぜってー肌触りいいよな。太腿とか横腹とか舐めまくりたいんだけど」
「ちょ、変態じゃん」
「でも御巫みたいなタイプって変態プレイでもオッケーしてくれそうじゃん」
「いや、あいつは初心そうだから無理だって!ないない」
「いーや、ぜってーアイツ処女じゃねーよ。流鏑馬とあんなに仲良くして弁当まで作ったりなんだりして甲斐甲斐しいんだぜ?そりゃベッドでも甲斐甲斐しくヤってんだろ」
「おまっ、それ流鏑馬に聞かれたら竹刀でぶっ殺されんぞー」
「聞かれなきゃいーんだって!―――そだ、今度あいつ試合に出るらしいじゃん。ってことは部活が忙しいわけだ?」
「お?」
「これって寝取っちゃうチャンスじゃね?女子とかに頼めばセッティング手伝ってくれるっしょ!」
「なにそれレ……あれ、宮野ぉー、どこ行くのー?」
「……付き合ってられない」
「は?」
「なに、宮野、良い子ぶっちゃうわけ?」
「良い子ぶってないし。むしろ普通だろ」
「なになに?どうしたんだよ、クールで大人な俺カッコイイってやつ?」
「格好付けんなってー」
「……これが格好付けて見えるってことは、お前らが人間以下ってことだよ―――じゃ」
「………」
「…――あ、おい宮野ぉ!え、マジで行っちゃうの?」
「…ほっとけよ、あんな良い子ちゃん童貞。あんなんだからガキの頃いじめられんだよ……せっかく仲間に入れてやったのに」
「え、あ――…」
「しかもあいつ、俺と一緒にいじめしてた時もあったんだぜ。今更だよなーっ。絶対アイツ御巫好きなんだ。なあ、お前もそう思うだろ、佐藤」
「あー、うん、ん………」
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