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75.だいたいわかった




真っ暗闇に背中から落ちていった彩羽の第一声は「ワンダーランドかっ」である。次に派手に本棚にぶつかったことで蛙のような声を出してしまった。


けれど彩羽はめげない。誰も見てないのにファサ…と乱れた髪を払い、ドヤ顔で遅れて転がり込んだ手毬をタンっと片足で受け止める。

羽継が見れば頭が痛いと呆れていただろう登場をした彩羽だが、現状を理解していない訳ではない―――すぐに懐にしまっていた警棒を取り出す。


ジャッと警棒を振り下ろした彩羽は、悲鳴の聞こえる先を睨んだ。












「い、いろは、さん……」


―――文が重たい瞼をこじ開けて見つめる先には、パチパチと静電気のような音を弾けさせる黄金の鱗粉と、この歪んだ世界で眩いほど輝いて見える彩羽。そしてこの場にそぐわない手毬。

一人と一匹の登場に、確かに空気が変わった。


「ごめんね、痛かったね……遅れたけど…助けにきたよ、文ちゃん」


差し伸べられた手を何とか掴む。すると肩に突き刺さっていた髪の毛は金の鱗粉に燃やされ、そのまま炎は文の傷口をも焼く。


(あったかい……)


重石のようなものが取り払われるような感覚。―――炎は文の体内を侵す呪詛を浄化し、傷口を少しずつ癒していく。暗い視界も、やっと通常の状態に戻った。


「いろは、さん……ありがとぉ……信じてたよ…!」


初めて自分から家族と国光以外のひとを抱きしめた文を、彩羽もしっかりと抱きしめる。石鹸の香りとミントの香り、そしてほんのちょっとの甘い香りに心底安心した。



「妹子゛ォォォ―――!妹子゛ォ―――!!」

「……妹子?」

「ああ、たぶん、この子なりに"片割れ"って言いたいんだと思うの」

「片割れ…?」

「そ。片割れ―――この騒動を起こした、魔導書の半分……!!」


言うや否や、彩羽は文を(どういう原理か)お姫様抱っこすると、素早く後方に跳ぶ。

今まで座り込んでいた床の一部と手毬が周囲に飛ぶ様子に目を見開く文に、槍のように襲いくる腕が迫った。


「遅い!」

「ぎぃっ!!」


まるでステップを踏むが如くに優雅に避けていた彩羽の反撃―――というか文を姫抱きした状態での飛び蹴りに、化け物の腕は「ごぎっ」と音を立てて折れる。

その後も「まだまだァ!」とか「甘いわ!」だとか。とにかくあちこちへ逃げながらも蹴り技を駆使して化け物の腕を折る(何本かは赤黒いも見えた…)彩羽の戦いぶりに、文は思わずぎゅっと彼女の制服を握った。


「っとにしぶといなあ!たいていの生徒ならこれで土下座するのに!」

「生徒!?」


彩羽の問題発言に文が声を上げるも、間髪入れずに化け物が襲いかかるせいで彩羽もふざける余裕が無くなっていく。

妖精のように赤い水の上を波紋を残して移動する彩羽は、やっと本棚の林を抜けると文を放し、背中に隠して警棒を迫りくる化け物に向けた。


浮かべる笑みは挑発的で、警棒の先には何重もの魔方陣が開かれて眩く輝き、バチバチと物騒な音を暗闇に響かせる―――!


「スーパーヒーロータイム、はっじまるよ―――!!!」


すーぱーひーろーたいむ?と文が聞き返す前に、文の視界が黄金に染まる。

まるで大砲の一声掃射。耳の機能が殺されそうな轟音―――白煙で見えない先に、景気よく何十何百と魔方陣を展開して撃ち出して高笑いする姿は「ヒーロー」というか「悪役」にしか見えないが……。


(す、すごい……!)


文には平均的な魔術師というものは分からないが、それでも彩羽が規格外だということは分かる。

―――それもそのはず、実は、いつだったか文に「これでも若手では強い方」なんてドヤ顔した彩羽は、呪術などの類や回りくどい搦め手を除けば、火力において魔導書を複数持つ榎耶をも超す若い術者の一人である。

……ただ若さ故に精神的な揺れがあり、性格的に苦手なものが多く、両親にも甘い指導を受けているために宝の持ち腐れなところが多々あるが。


しかし安居院の次期当主に相応しい力を、彼女は確かに秘めているのである。



(……、…こんなにすごいひとよりも、もっと強いひとがいるんだよね…?)


彩羽は言った。あまりにも脅威すぎる異能力者や、問題を起こし過ぎた術者には「霊安室」という怪異専門の機関に所属する者たちに処罰されると。

そしてその手の懲罰部隊は恐ろしいものの集まりで、一部では「人間をやめている」者もいると―――そこまで思い出して、文はぶるりと震えた。


(もし、私も処罰対象になったら……)


怖い、と口にしそうになった文を現実に引き戻すように、化け物が複数の男女の声で心臓を引っ掻くような叫びを上げる。

白煙と埃の向こうで、途中で千切れたり折れ曲がってぶらんぶらん揺れる腕が見えた。



「……最後の一矢、我が人生が如くに絢爛に駆け抜け悪鬼を焼き尽くさん!」



彩羽の歌うような詠唱に、幾十の魔方陣は重なり合って大きな美しい陣となる。

魔方陣から迸る魔力を糧にリースのように連なった黄金の蕾はふっくらと膨らみ、一斉に満開となると細い雷光となって化け物に絡む。

そして化け物の手足が拘束する雷に焦げ落ちる頃、リースの中心から更に複雑かつ華美な陣が描かれて、たっぷり時間をかけて文の肌を焦がすほどの熱源を溜める―――そうして放たれたのは、文の髪どころか体を宙に巻き上げそうな暴風を起こすほどの、極太の光線だ。


光線に撃たれた化け物は力を振り絞って赤黒い盾のようなものを作り出したが、耐えきれるわけもなく遥か後方―――いくつもの教室を吹き飛ばして闇へと消える。


最後に吹き抜けるのは、彩羽のように爽やかな風だった。



「勝ったぜ、文ちゃん」


サムズアップしてニカッと笑う彩羽に、文は安堵のあまりボロボロと涙を零しながら彼女に抱きついた。







「―――落ち着いた?」

「うん…」


ずっとぽんぽんと文の頭を撫でていた彩羽から恥ずかしそうに体を離した文。そんな彼女にぴったりくっついていた手毬はコロコロと転がったが、二人は気にしない。

それが不服の手毬の訴えを聞き流しながら一通り文の怪我の具合を見た彩羽は、申し訳なさそうな顔で言った。


「…ごめんね、私、治療系の魔術は習ってる途中で―――ここから脱出したら、すぐに腕の良い術者ひとに頼もう」

「うん…ありがとう…」

「気にしないで!それより気持ち悪かったりしない?だいたいの呪詛は燃やしたけど、たいていの人はこの怪異に汚染されて体調崩したりやけっぱちになったり、攻撃的になるんだ」

「ん…ちょっと、気持ち悪いかも」

「よしよし、じゃあ―――あー、外に出ようか。ここではちょっとね」

「外…出ても大丈夫?」

「大丈夫だよ。文ちゃん一人だと惑わされたり汚染に対抗する手段がなくて詰むけど。私が付いてるからね!」

「手毬モ!手毬モ付イテルー!ウー!」

「あーはいはい、そうだね」

「ウー!ウー!」

「ウーウー言うのをやめなさい!」

「ウ゛ッ!……イ、ィイィィィイイ痛イ、痛ィヨ゛ォォ…」


彩羽にかまって欲しいらしい手毬のあまりの五月蠅さに、ついに飼い主チョップが入る。

頭部がめり込んだ手毬は大げさに泣くと、すりすりと文にすり寄って「慰めて」と甘え、元々手毬に甘かった文はよしよしとつるつるした頭部を撫でた。


「ウフフィー」と(羽継からしたら気持ち悪いと思う)笑みを浮かべる手毬に少しだけ元気の出た文は、「行くよー」と手を差し出した彩羽と図書室の扉―――だった、「焦げ臭い穴」を通る。

今までいた図書室内は「いかにも」な雰囲気であったが、出てみれば廊下も窓も普段見る光景と変わらない。


「……脱出、した?」

「いいや。しばらくしたらこの光景も歪む。今はただ、あの化け物……いや、三好さんが停止しているから、写しただけのこの光景も手を加えられていないだけ。目覚め次第、私たちを追いこむために色々仕掛けてくる…」


角を曲がり、階を上がり下りしては立ち止まり、宙を睨んだと思いきや歩き出す。

ときどき「いけるかな?」なんて軽いノリで爆発を起こしては壁や扉を吹っ飛ばすが、「ダメかー」とこれまた軽いノリで歩く。やっと落ち着いた先は食堂だった。


「…誰も、いないね…」

「まあ、私たちが普段いる場所と此処はズレたところにあるからね。感じられないだけで、案外、現実世界むこうではここら辺に羽継がいるのかもよ」

「えっ」


適当な物言いをする彩羽の隣に座ると、彼女は手毬に「ぺってしなさいぺって」と言うや手毬はぺっと―――紙袋を口から宙に吐き出した。


「ここに落ちる前にね、手毬が回収してくれたんだ」


紙袋をキャッチした彩羽はよしよしと手毬の頭を撫で、「モットモットー!」と機嫌の良い手毬に紙袋からチョコパンを取り出して口の中に放り込んだ。


「好キ!コレ好キ!!彩羽好キ――!!」

「はいはい、嬉しゅうございますっと……あー、私のご飯だからアレなんだけどさ…カツサンドとカレーパンとスモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチ、他色々あるけどどれ食べたい?」

「……、いや、お腹は―――」


空いてない、と言おうとして、文のお腹は無情にも鳴る。

恥ずかしくて真っ赤になって俯く文に、彩羽は笑顔でカツサンドを差し出した。


「ハハッ、良かった、食欲が戻ったならまだマシだよ。怪異ここの汚染から少し回復したってことだからね!

とりあえずは現実むこうの物を食べて、少しでも力を付けなきゃ」

「……ぅん…」


飲み物は紅茶だけど、許してね―――そう笑う彩羽は美味しそうにサーモンとチーズのサンドイッチを齧り始め、文にはカツサンドの他にカレーパン、ドーナッツまで押し付けた。


(流石にこんなに食べられないよ…)


油っぽい品ぞろえに泣きそうになりながら、とりあえず恐る恐るカツサンドを齧る。―――あ、美味しい。 一瞬固まった文はその後すぐにもごもごとカツサンドを食べ始めた。


「メロンパンもあるよー」

「それは…ちょっと…」

「ウィ――!彩羽ァー!ソレ食ベタイ!食ベタイー!!」

「しょーがないな」

「アリガトー!…ウマウマ!」

「そうだね」


よしよし、と手毬の頭を撫でた彩羽のそばで一心にパンを食べ続けた文だが、やっと落ち着くと、呑気にドーナッツを食べてた彩羽が「そういえば、どうして怪異に巻き込まれてたの?」と尋ねた。


「……あのね、彩羽さん……私、皆の言いつけを破って…怪我をした国光君―――の姿をした化け物の元へ出てしまって……喰われたと思ったら、図書室にいて……その、化け物…というか三好さんの記憶を覗いてしまって……」

「あー、なるほど……記憶ってどんな?」

「……、…国光くんをストーカーしてる時の」

「アッハイ」


ちょっと顔色の悪くなった彩羽は、取り繕った笑顔で更に質問した。


「化け物と、何か話はした?」

「うん。……国光くんにフラれたって…自分じゃダメだから、私の体を寄こせって…」

「流鏑馬にフラれた…なるほど」


彩羽は、スッと紅茶にストローを入れた。


「化け物になっても未練は消えない、か……流鏑馬も厄介なのに好かれたね」

「……」

「……これだから、……の女は怖いよね」

「…彩羽さん…?」


掠れた声、消えた表情を見て心配した文―――に気付くと、彩羽はニカッと笑った。


「―――でも大丈夫!私が来たからには、彼女の執着もこの悪夢も終わらせる。文ちゃんを、あのお家に帰してあげるから!」

「彩羽さん…」

「絶対に私が―――」

「彩羽さん」


くい、と。貼りつけた笑みを浮かべる彩羽の袖を、引いた。


「無理、しないで」


不安、というより心底心配そうに、文は彩羽を見上げる。


「私が巻き込んでおいて、こんなこと言うのもおかしいけど……でも、お願い、無理しないで。彩羽さんに何かあったら、私も嘉神くんも―――悲しくて、死んじゃうよ」

「……ありがと」


そう訴える文に、彩羽はちょっと困ったように、しかし張った糸を緩めるように、ふわっと笑った。

そして、自身の袖を引く文の手をそっと握る。


「……でも、いい加減乗り越えたいんだ―――この手の闇を、ね。

文ちゃんを助けて、魔導書を完成させて……生きて家に帰って、そして私は強くなったと思いたい。もう心配かけなくても大丈夫って、…あの子に、言ってあげたい」

「…本当?」

「うん!大丈夫、勝算はある!思ったより向こうは瀕死状態グロッキーだからね、あと二三回逃げ回りながら戦えば勝てるよ」

「………そのことで、聞きたいのだけど―――彩羽さん……彩羽さん、普段から生徒にもあんな蹴り技を…?」

「え゛っ……いや!あれは!!そりゃ、今回は特に魔術で強化してるからアレだっただけで…そう、対人間の時はもっと加減してるよ!だってあの強さで蹴ったら腹に穴開くし!相手が何かしでかす前に奇襲するのに蹴り技使ってるだけ!……まあ、相手の言い分聞く前に一撃で沈めてるのは駄目かなって思ってるけど……」

「……」

「えっ、ちょ、引いてる?文ちゃん引いてる!?ちょ、違う!違うよ!第一、生徒の時は羽継が抉るような腹パンで仕留めることも多いんだから!」

「………」

「ねえやめてその表情やめてー!」


彩羽は必死に「ちがうよ別に魔術(物理)じゃないんだよ!私の場合魔術(火力)なの!見てたでしょ!?」と文の肩を掴んでぶんぶんと前後に揺らし訴える―――せいで、ちょっと気持ち悪くなる。彩羽さん、さっき私が食べてたもの忘れちゃったのかな―――と文は遠い目をした。


―――瞬間だった。



「文ちゃん伏せて!!」


言うや否や、体勢を低くして文を抱きこんだ彩羽の背後で、扉や壁の一部が吹き飛ぶのが見えた。

轟音に混じって数人の男女の声が奇声のような笑い声を上げており、その中でも一際ぞっとする三好の声が室内に響く。



「アなタノかラだ、チョウダイ?」







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