74.おのれ彩羽!
今年はバレンタイン祝えなかったな…と思いつつ描いた作者絵が後書きにありますのでご注意。
恐怖から早く強く鼓動を刻む心臓も少しずつ落ち着き、ひとつ大きく深呼吸をした文はそろそろと立ち上がる。
外の音はもう聞こえなかった。
「…か、鍵を探さなきゃ…」
図書室の鍵とはどこにあるのだろう?―――文はぐるっと室内を見渡し、とりあえず近くにあった机から探し始めた。
机の上には図書委員の過去の日誌や、折れた鉛筆、紙くずなどが整理もされずにある。
文は手がかりを求めて日誌をめくると、「図書室利用の心得」なる項目があり、鍵の行方も書いてある。
「準備室の奥にあるロッカー」にあると書かれているのにホッとした文は、そのまま次のページを開いた。
[ に げ ら れ る と お も う な ]
「……」
文字は茶色で、端が滲んでいる。文字に触れた指を近づけると、鉄臭さが目立った。
無言で日誌を閉じた文は、今度は机の引き出しを探し始める。
意外と綺麗に整理されている引き出しの中に、見慣れた文字―――どういうわけか、彩羽の字で「非常事態用」と書かれたノートがある。
思わずひったくるようにノートを引っ張り出した文は、縋る思いでノートを開いた。
そこには、こう書かれている―――。
[ 運良くこのノートを発見したあなたへ。
このノートを発見出来たということは、今なんらかの、異常事態に巻き込まれたのでしょう。
すぐに助けは来ます。だからどうか、自棄にならずに以下の通りに従ってください。
一、例え外から知人の声がしても、決して開けてはいけません。
二、図書室の鍵を見つけても使ってはいけません。
三、二番目の引き出しにある茶封筒に四枚の札があります。扉の四隅に貼ってください。
四、余裕がある際は、ロッカーの中にある人形に血(もしくは長く身につけているもの)を入れて「おまえはわたし」と声をかけ、扉の前に置いてください。
以上終わり次第、ロッカーの中に隠れてください。救助が来るまで決して出てはいけません。声を出してもいけません。
救助者は全員黒い腕章を付けています。
救助者が到着次第、室内に花火が上がり「霊安室所属…」と紹介を始めますので、その紹介が終わり次第ロッカーから出て指示に従ってください。
人形が無事の場合、人形も連れて来てください。
あなたがこのノートを信じてくれることを願っています。 ]
ノートの端に、いまいち可愛くない熊の絵がある。
息を止めて彩羽の指示を呼んでいたが、絵を見てやっと息を吐いた。少しだけ―――少しだけ、体が軽い。
(信じよう)
おっちょこちょいで、綺麗なのにやることが妙に抜けている彩羽。魔術師という冗談のような世界で生きている彼女―――ずっと親身になってくれた、文の初めての親友。
『夏休みになったら、花火とショッピング、あとどこに行こうか』
―――眩しいその笑みを思い出した文は、魔導書と共に彩羽のノートを抱えると、引き出しを探る。茶封筒はすぐに見つかった。
四枚あることを確認すると、文は足音を殺して扉の前に立つ。……試しに一枚、背伸びをして貼ってみた。
「きゃあっ!?」
貼った瞬間、「ごぉん!」と衝撃と轟音が扉の向こうから響く。
まるで屈強な男の体当たりでも受けたかのように扉をへこませてきたことに震えた文は、慌てて二枚目を貼る。今度は拳で扉を叩くような音が響いた。
それにビクつきつつも三枚目を探った文の爪先まで、扉の下の隙間から赤黒い液体が流れ出してきたせいで探り出した三枚目を落として汚してしまう―――慌てて拾い上げると、指で何度も拭ってから扉の端に貼った。
四枚目は叩きつけるように貼って急いで扉から距離をとった文は、だんだんと扉を破壊しようとする音が汚れた札の方へと下って行くのに気付いて、すぐにロッカーに走った。
身代わり人形―――これを今すぐに作らなくては。
「人形…人形……ひゃあ!?」
ぽとん、と首の後ろに何か落ちる。
思わずロッカーに派手に頭をぶつけた文だが、落ちて来たものの正体を知ると溜息よりも深く息を吐いた―――落ちてきたのは、図書室の鍵だった。
(……一応…持っておこう……)
鍵は、ひんやりとしている。
それが不快だったが、文の意識はやっと発見できた人形に向けられる。人形は―――
「……これ……呪いの人形みたいなのだけど……」
何を表現したかったのだろう。
てるてる坊主に毛糸の髪、目は接着剤で色んなビーズやらスパンコールが散りばめられ、口は赤のマジックペンでニッコリと半月を描いているが端が滲んでて怖い。毛糸の髪に付けられた造花の花飾りが、ついにぼろっと落ちた。
人形のすぐそばに落ちていたメモ用紙には、彩羽の字で「一週間かけて作りました」とだけ書かれているが、正直これは十分で出来る作りだと思う。
(……夏休み…彩羽さんに裁縫を教えるべきかな……)
国光も裁縫が恐ろしくダメだから、せめて釦ぐらいは付けられるように教えるべきだろう……まあ、繕ってあげた後、心底嬉しそうに感謝してくれるのを見るとついついその決意も延期してしまうのだが。
「やること、いっぱいあるな…」
ふ、と笑った文は、そのまま躊躇いなく親指を噛んで血を滲ませると、人形に擦り付ける。
「―――"おまえは、わたし"」
告げると、「ぱち」と金の光が鳴る。
ぐぐぐ、と頭が伸びたり首を振ったりと奇怪な行動し始めた人形だが、急にくたっと動かなくなった。その事に不安を覚えつつ、そっと扉の前に置いた。
そしてすぐにロッカーの中に隠れた文は、ぎゅっと本を抱きしめる。……やれることは、全てやった。
あとは、信じて待つだけ。信じて助けを―――
「文!無事か!?」
切羽詰まった声。毎日毎日、隣で聞き続けた声。
一番聞きたい声だった。とても、聞くだけで救いになる声―――そして、同時に今この場で聞いたことに怒りを感じるもの。
(ゆるさない)
文が一番大切なひと。安全な場所から死の待つ場所へと身を投げ出せるくらいに慕うひと。そのひとを真似ることが許せない。化け物の口で彼の声を汚すことが許せない―――思わず衝動的に握り締めた拳から、血が滲んだ。
(だめだ、出てはだめ。出た瞬間、喰われてしまう)
ぎゅっと両腕を抱きしめ、文は目を固く瞑った。
「文」
「文」
「なあ、返事をしてくれ。……怪我をしてるのか?」
「文、文、文ちゃん、大丈夫?私だよ、助けに来たよ」
「ねえ聞こえてる?文ちゃん……みんな待ってる。ここを出てくれるのを待ってるよ」
「御巫、早く出てこい。そこは危険だ」
「開けられないんだ。彩羽が間違った霊符を貼らせたから。開けてくれ。なあ、文」
「文」
「文ちゃん」
「御巫」
「開けてくれ開けてよ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろあけろあけろあケろアケろアケロよ!!!」
バァン、と文の体を震わせる轟音と、強い衝撃がロッカーを揺らす。
「ひっ」と思わず声を洩らした文は慌てて口を押えるも、ギギギと内開きに少しずつ開いたロッカーの扉に挟まったものを見て悲鳴を上げた。
「きゃああああああああああああああああああ!!!」
挟まっていたのは―――あの、「身代わり人形」で。
綿が詰まっていたはずなのに、布の破れた所から零れているのは脳と臓物で。輝かしいビーズの目玉は針のような髪が突き刺さってまるでピンクッションのようだ。どくどくと血が飛び出して、文の白いワンピースと肌を汚していく。
『…ィ…タ…イ…イタ…イ………』
すすり泣くような声の後に、人形は「にげて」と囁き、首がぐるんと曲がる。ぶつ、と千切れた音と同時に床に落ちて―――扉の隙間から、外の様子がよく見えた。
「い、い、いたァ……み、みみみみみみみみみつケタァ……み、みカ、なぎィ…フみ……」
文が汚してしまった一枚の札は、扉ごと吹き飛んでいる。
不手際から守りの弱かった部分から力押しで侵入した三好―――だったもの、は、異常に長い手足を駆使して残りの札を引っ掻くと、「べきん」と扉を破壊する。
腐った息の臭いが文にまで届き、吐き気に顔を歪ませる文の目の前に、三好だったものは息荒く室内に入った。
その姿は大きな蜘蛛のようで、六本の手足の指が芋虫のように蠢いている。
目玉は空洞の片方に子鬼が棲み、もう片方はトンボのような複眼だった。口は頬に複数あり、そこから文の親しいひとたちの声が聞こえる。髪は闇から蠢く炎のようだった。
「か、かかかかか、カラダ、カラダ、チョウダイ……キレイな、カラダ……」
「ぁ…ゃ……やだぁ……!」
逃げたいのに、ロッカーから出ることが出来ない。足が震えて力も出ない。
なのに、無情にも化け物は文に顔を近づける。複眼に怯える文の顔が映り、歯がガチガチと鳴る音が他人事のように聞こえた。
「カラダ…カラ――――あアぁぁぁァァぁああああああぁァァ!!」
一斉に口が開く、そこから覗く凶器のような歯に耐え切れず、文はなけなしの勇気を振り絞って図書室の鍵を複眼に突き刺す。
突然の反撃に叫び暴れる化け物によって文はロッカーごと吹き飛び、ごろん、と床に転がった。
(に、げなきゃ……!)
ひしゃげたロッカーを見る。―――あんな風にはなりたくない!
暴れる化け物を見る。―――あんなものに喰われたくない!
まだやりたいことがたくさんある。まだ知りたいことがたくさんある。まだ、まだ―――死にたくない!!
「待テェ!」
扉からは遠い。図書館の鍵もない。脱出は不可能だ。……そう分かっていても、文は駆け出す。
あと少しで出る、という所で、文の肩を幾本の髪が貫いた。
「あああああああああああ!!!」
痛い、熱い、気持ち悪い―――床に縫いとめられて、ただ叫ぶことしか出来ない文の背後で化け物が複数の声で笑っている。勝利を確信して、「ワタシの!わタしノカラダ!!」と喜びの声を上げた。
文は刺された箇所から悪意が、呪いが流れ込むのを感じて何度も咽ながら、歪んでいく視界に感覚を失って倒れる。はくはくと、口が動いた。
(しに、たく、ない……しにたくない………おかあさま……おとうさま……)
ぽた、と涙が落ちる。
在りし日の温かい手を求めて、文は手を伸ばした。
けれど何度伸ばしても、誰も握り返してくれない。誰も―――世界が真っ黒に、なった。
「愛と正義の!通りすがりの可憐な魔女っ娘―――彩羽ちゃん推参!!」
「……えっ」
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