7.知り合う
※いじめ描写があるためご注意ください。
翌日の二限目のことである。
「ない……」
「ない、ねえ」
「うわああ……」
―――体育の授業後、固まっている文を見かけて覗き込んだ彩羽はしかめっ面でロッカーの中を睨む。彩羽と一緒に戻ってきた幼馴染たちも不思議そうに覗き込んではこの事態に眉を潜めた。―――綺麗に折りたたまれた文の制服、それも彼女のスカートが、無くなっていたのである。
女子用の更衣室の中を学級委員である彩羽と物探しに付き合うと申し出た穂乃花、(申し訳なさそうに身を竦めていた)文で可能性は低いが念のため間違えて他人のロッカーに入ってないか確認したものの、その可能性はすぐに潰れてしまった。
そのうえ被害に遭ったのは文だけで、彩羽を始めとした容姿の良い生徒や他の女子にはまったく被害が無いところを見ると、「彼女狙い」なのが分かる。
(………きもちわるいなあ)
思わず呟きそうになって、彩羽は慌てて口に手を当てた。お口チャックである。
ここで下手に発言したら落ち込んでいるだろう文に誤解されて更に傷つくかもしれないし、何よりその悪態をついていいのは文だけだ。
「……んと…御巫さん、わたし保健室に行って替えのスカート取って来るよ!」
「でも……」
「いや、穂乃花、私が行くから文ちゃんと待ってて」
「…気にしないで、二人の迷惑になってしまうし、」
「ううん、私は学級委員だし。二人よりも足が速いからね」
それにここで無視したら私が怒られちゃう、と笑って付け足せば、文は心底申し訳なさそうに「ごめんなさい…」と頷いてくれた。
「職員室行ってくる。そこで今回のこと報告すれば生徒指導の先生にも話が行くし。早く替えのスカート貰えるだろうしね」
そう言うと、文は小さく頷いた。
スカートを奪われるよりも自分自身の世話を焼いてもらうことの方が辛いように見えるほど、恐縮しきった態度である。
その姿はちらちらと彩羽の忘れられない記憶を思い出させて辛いが、それよりもこんな怯えた態度になってしまう今までの学生生活を察してしまって苦しい。
彩羽は振り払うように背を向けた。
「じゃ、ちょっと待っててねー」
更衣室の扉を開け、スタスタと角を曲がって誰もいないのを確認すると―――場合が場合なので魔術を行使する。身体能力の補助にかけた魔術により、彩羽は「とても足が速い子」くらいにギリギリ見える速度で職員室に向かった。
それは彩羽としては善意の行動であったが、もし魔術に頼らずにいれば、気付けたのかもしれない。
―――文のスカートは、男子トイレの中で、「汚された状態で」放置されていた。
その上に貼られた紙には「■■■の御巫文です!私だと思ってたくさん■していってね!」の一文(流石に伏字にした)の下に「今回は無料でえす♥」と書かれてた――と野次馬のクズ(と大半の真っ当な生徒は思った)が触れ回っていた。
しかも「汚す」作業にまで関わっていたと暗に仄めかしたクズだが―――天罰は下った。
そのクズは剣道部員だったらしいが、同じく剣道部員だった――文と仲の良い(で収まるか分からないほど好意を寄せている)流鏑馬国光 《くにみつ》が、練習中に成敗したらしい。
と言っても剣道に詳しくない生徒から聞いた、さらには伝言ゲームのように伝え聞いた話なので詳しいとこはあやふやなのだが。
まあ大雑把に言うと、剣道部でかなり強かった国光は、そのクズを骨折させたらしい。
彩羽はそれを聞いて「柔道でもないのに剣道って防具付けても骨折とかするの?」と思わずズレたことを思ったが、それは置いておいて。
悪鬼羅刹のような国光を前に、クズは諸々を自白。それによって何人かの男子生徒も汚して破損して中傷文も書いたこの最低な遊びに「参加」したのがバレたのだった。
「―――それ、御巫さんの?」
「そ」
ぱちん、とホチキスでまとめたのは今日の授業内容を写したルーズリーフだ。
当然ながらあの日から文は学校を休んでいるので、隣席の彩羽は一応作った写しと担任から先程頼まれた手紙も写しと一緒に手に取った。
「そうだ、文ちゃんの家ってどこだか知ってる?」
「大雑把には――ああでも、流鏑馬くんに頼めば確実だよ」
「やぶさめ…?あ、もしかして藪川くんのことか」
「まだ藪川って間違えてるの?」
呆れた声に「だって覚える気にならないんだもん」と言うと、溜息を吐いた穂乃花は「……嘉神くんと同じクラスだよ」とだけ教えて部活に行ってしまった。
「なんだよー」と拗ねつつ、彩羽も鞄と授業ノートを持って羽継のクラス――「一組」に向かった。
が、三組辺りまで来たところで、ばったりと羽継に会えたのだった。
「あ、羽継。」
「彩羽か。どうした?」
滅多にこっち方面に来ない彩羽の行動に首を傾げた羽継だったが、ホチキスで留めただけのノート紛い数冊を見て、
「御巫とかいう女生徒にか」
彩羽ほどではないものの、女子の顔と名前が一致しないどころか知ってる女生徒も少ない彼に「知ってたの?」と言いかけて、やめた。そりゃあ、今回のことで名前だけは知っただろう。
ノートの表紙には「頑張ったぜイェーイ」という励ましの言葉も語彙力も皆無な彩羽の字があって、それを見て羽継は笑った。
「仲良くなったんだな。…お前、『もう他人の世話は焼かない』んじゃなかったのか?」
「これは後味悪いからやってるだけで羽継が考えているようなのじゃないですー」
「嘘つけ。………でも何で、それ持ってこっちに?」
「私、文ちゃんの家知らないから。あんたんとこの……や、やぶ、やぶか、」
「流鏑馬か」
「あ、それ」
「ちょっと待ってろ」
呼びに行こうとしてくれたのだろう、羽継が背を向けて教室に戻ろうと三歩歩く。
けれどタイミングよく国光本人が出て来て、教室にまだ残っているのだろう友人にさよならを言っているのが見えた。
「流鏑馬、ちょっと来てくれ」
普段から付き合いのないせいか、それともパッと見怖い羽継の手招きにビビったのか、彼は二秒くらい固まると、走って近づいてくる。
「……なんだ?」
そう羽継に穏やかに尋ねる彼だが、彩羽を見る目は冷たい。思わず「なんて失礼な子なのかしら。ぺっ!」と心の中で唾を吐き捨てた彩羽である。
「こいつは安居院ってヤツで、御巫と同じクラスなんだが、今日までの授業をまとめたノートを手渡したいらしい」
「…――!」
内心唾を吐き捨てた彩羽を見る目がどんどん変わると、彼はパッと彩羽の手を取り、
「そうか!お前が安居院か!文から聞いたよ、ありがとうな!」
「ああいえどうも」
「安居院が早く文を帰宅させてくれたから、あれ以上傷つかずに済んだんだ――本当にありがとうな?」
「…どーもっ」
ここまで感謝され尽くされると照れる。
ニコッと笑う彩羽と同様にニコニコしている国光……を見て、羽継は少しだけ眉を顰めた。
「……それで、御巫の家の件なんだが、」
「ん、ああ!文の家か……えーっと、」
「いや、やぶ……君が渡してくれれば!」
「安居院が持って来てくれた方が喜ぶと思うけど?」
わざわざ他人の家にまで出向くのは、正直に言うとまだ怖い。
今回行こうと思えたのだって、羽継を誘って玄関で渡すだけと計画していたわけで―――頼めるのなら、国光に渡して貰いたいのが………そんな心中を知らない国光は彩羽が遠慮しているだけと思ったのか「ちょうど俺も行く予定だから、案内するよ」と先を歩き始めてしまった。
「えぇー……」
「…落ち込むな、俺も付いて行くから」
「でもさあ…」
「―――おーい、置いてくぞー?」
やたら元気な国光の背中を、羽継と追うことになってしまったのだった。
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