65.御巫
学校と両親に休むことを伝えた私は、文ちゃんと羽継に流鏑馬のことを託して待ち合わせ場所へ向かった。
指定された場所は隣街の、一番大きな神社―――そう聞いて、羽継は「今日は行くな」と渋い顔で言ったが、私は「大丈夫」と強引にあの家を出た。
慣れない道を歩き、待ち合わせに遅れることなく辿り着いた先にある、始めて訪れたこの神社は、鳥居の前にいるだけでも神気を感じる。
神秘が薄まり社の主の不在が目立つ現代だというのに―――此処には、確かにいるのだ。
「………」
入るのが怖い。
ここまで強烈な気配のある存在のお膝元に行くのが、とても―――けれど、
「…………よしっ」
頬を叩く。―――西の守、由緒正しい安居院家の次期当主が、こんな門前でうだうだやっているわけにはいかないのだ。
私は躊躇いを踏み潰すように、力強く一歩踏み出した。
「―――やっほー、彩羽!」
ハンカチで濡らした手を拭いていると、奥から楽しげに笑む美少女がやって来る。
黄昏色の瞳に雪国育ちらしい白い肌、それらを引き立たせる艶やかな黒髪―――着物を着せてそこらに立たせたら、絶対絵になるだろう姿。
私は昨夜ぶりの友人に「おはよう」と微笑んで、ハンカチを折り畳んでしまった。
「今日も可愛いねえ彩羽は。その服、とても似合ってるよ」
「相変わらず口がうまいなあ榎耶は。でも君の方が可愛いよ」
腕に抱きついてくる―――それはいつもの、この子の癖。
だけど一瞬ビクッと震えてしまったのを見て、榎耶はハッとした顔になり「……ごめんね?」と一歩離れた。
それがまたあまりにも悲しそうな表情だったものだから、私は苦笑いで「ううん、気にしないで」と言ってその手をとった。
じんわりと熱が私の手のひらに広がるのを感じながら、「それじゃあ、お話しようか」と榎耶に微笑みかける。
一瞬動きが止まった榎耶はすぐに「えへへ」と笑うと、手をつないだまま軽やかに私の前に出た。
「―――すごい神気でしょう?有名どころの神様ではないのに、ここまで確かな神域はそうそうないよ」
「それに、建物もとても立派だね」
「お金持ちの顧客が多いからねえ」
燃えるように朱い社から榎耶へと視線を移し、私は「この家の始まりについて、聞かせて欲しいの」と直球に頼む。
榎耶はとても楽しそうな顔をして了承すると、繋いでいた私の手を離して道の真ん中に躍り出た。
「長くなるけど、聞いてね」と言った彼女は、気まぐれに、ステップを踏むように奥へと進んでいく。
「―――昔々、我が篠崎の祖先はとある妖狐と恋に落ち、妻として迎え入れました。
するとその子孫は皆、"不思議な力"を持って生まれました。
ですが当時、正しくその力を制御できる者は少なく、特に分家筋のほとんどは能力の制御不能ゆえに術者として名乗ることも出来ないほど―――【異能の力】に苦しむことになりました。」
―――あまりの惨状に、篠崎家当主は特にひどい状態にある異能力者を、ある屋敷の中に封じることにしました。
軟禁することによって、力を欲する妖魔や彼ら自身の力からその身を守るために。少しでも苦痛を和らげるために。
……彼女がその屋敷に連れてこられたのは、まだ十の頃でした。
不自由な暮らしの中、すくすくと美しく育った彼女は、ある日、"化け物"に出会いました。
その姿ときたら、引きずるほどに長くぼさぼさの髪に薄汚れ破れた衣服の、物乞いよりもひどく。
疫病神を思わせる化け物は、突然屋敷に侵入すると空っぽの桶の前でずっと蹲っていました。
三日ほど岩のように桶の前から動かずにいた化け物でしたが、雨が降り桶に水が溜まると嬉しそうに手を入れます。
けれど―――化け物が触れれば、その水はすぐに枯れ果てます。
それでも化け物は、また桶に水が溜まるのをジッと待っていました。
でも、何日待っても、水は溜まらない。触れられない―――諦めて立ち去ろうとした化け物でしたが、突然その手に形容することのできないものが触れ、驚いて立ち止まりました。
それはまるで久しぶりのような、初めてのような―――不思議な感覚に、ゆっくりと自分の手へと視線を向ければ、土と血に汚れた化け物の手を、濡れた布巾で拭う娘がいました。
『どちらから、来られましたの?』
この数日感、病床から化け物のことを聞いていた娘は、おぞましい姿の化け物を労わるように、汚れた背中を撫でます。
化け物の顔を、熱く濡れたものが伝って落ちました。
「―――その化け物が、ここに祀られている神様……?」
「そ。……化け物は神代の頃、自分たちの村を虐げてきた隣村の村民を祟り殺すために、ある術者の協力のもと生贄とされ、祀られたもの。
―――でも結局、流行病だか何だかで祀っていた村が滅び、行き場所がなく救われることもなく彷徨い続けた悪霊……とも言える」
「そんなものがどうして屋敷に?」
「そりゃ、水を求めにさ。人だった頃の死因が焼死だったせいか、化け物は水が欲しかったんだろうねえ。…でも、得ることが出来なかった。
その身に宿る燃えるような憎悪が、水を蒸発させてしまう……かと言って腕の確かな術者に頼めば、話を聞いてもらう前に封じを受けてしまう」
「辛いね……。でも、それが分かっているのなら普通は術のかかった屋敷になんか近寄らないでしょ?」
尋ねてからお賽銭を投げ入れる。
何を祈るべきか悩んだ私は、とりあえず「流鏑馬が元気になりますように」と祟るために生み出された神に祈った。
「化け物には、自分に危害を加えられるほどの術者があの屋敷にはいないことを知っていたんだ。
そのくせ"特別"な人間が沢山いる不思議な屋敷なものだから、……きっと、ここなら奇跡が起こると信じたかったんだよ」
「………」
榎耶も賽銭を入れ、作法を守って静かに何かを祈る。
しばらくして目を開けた彼女は、「それで話の続きだけど、」と私に向き直った。
「泣くだけの化け物の姿に、怯えていた他の住人たちは衣服や食べ物を差し出した。
……彼らもまた、迫害された過去を持っているからね、少しだけ化け物の気持ちが分かったんだろう。―――でも、化け物は誰に差し出されても、その優しさを受け取ることが出来ない……その身に背負った、呪いに焼かれてしまって」
―――けれど一人だけ、化け物に与えることのできる人間がいた。……そう、濡らした布巾で手を拭ってあげた娘さ。
娘は、良くも悪くも【与える】力を持った異能力者だった。
化け物は娘の力によって水を得ることができ、身を清めることも食べることもできるようになった。
連絡を聞いて篠崎家の当主が屋敷にやって来た頃には、化け物は言葉が不便なだけの青年のようになっていて、屋敷の住人たちと穏やかに暮らしていた。
…とはいえ、当時の当主としては困ったものだっただろうけど―――でも、化け物を恐れて妖魔は近寄らなくなったし、結界を複雑なものに変えれば問題ないとして当主は化け物が屋敷に住むことを許可した。
そして数年経ち、互いに恋した二人はめでたく結ばれましたとさ。
「―――それが御巫家の始まり。この神社はね、娘の死後、その子孫が建てて祀ったんだってさ」
「……それが本当なら―――…」
文ちゃんは、曲がりなりにも神の子孫……ということに?
「まあ、その後の御巫家については彼女が教えてくれるよ」
「えっ……、……!」
振り返る。
するとそこには、顔色の悪い文ちゃんのお祖母さんが、静かに立っていた。
「篠崎様、安居院様―――ようこそ、我らが社へ」
す、と頭を下げたお祖母さんは、「こちらへ」と私たちを社務所へと招く。
一見古く見えるが、内装はなかなか綺麗な社務所を案内された私たちは、「どうぞ」と差し出されたお茶を少し口にした。
からん、と氷が舞うのを見つめてから―――意を決して文ちゃんのお祖母さんを見れば、お祖母さんは静かに、深々と頭を下げた。
「篠崎様、安居院様、此度のことは誠に申し訳ございません―――!」
声も体も震わせ、お祖母さんは顔を上げようとせずに許しを乞う。
そんな突然の土下座に固まっていると、隣で座っていた榎耶が淡々と教えてくれた。
「どうやらお祖母さん、彼女が異能力……それもとても危険な能力者だと知っていながら、我が家にも隠してたんだよねえ。で、今回の事件が起きても知らんぷりしてたと」
「…」
榎耶の説明に、お祖母さんはびくりと大きく揺れた。……その姿に、怖がっているときの文ちゃんの姿が重なって見えた。
「―――彩羽?」
立ち上がり、お祖母さんの肩に手を伸ばす。
そっと触れても怖がるお祖母さんに、私は「顔を上げてください」と可能な限り優しい声で伝えた。
「確かにこのことは問題ですが、あなたにも、文ちゃんにも危害は加えません」
「………」
恐る恐る顔を上げるお祖母さん―――そう、この人が、この人たちが"隠している"可能性を、私は前から気づいていた。
「今ここに私たちがいるのは、文ちゃんを守るためです。そのために、どうか教えて欲しい―――」
私の頼みに、お祖母さんは少しの間黙り込んでしまったが、やがて諦めたような顔で「分かりました…」と居住まいを正した。
「お話します……あの子のこと、私たちのことを」
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※御巫家メモ ①
・元々は篠崎家の分家。
で、篠崎家は気まぐれ妖狐ちゃんが嫁いできてからかなりすごい術者を代々輩出するようになったものの、分家(妖狐の血を引いている親戚)がえらいやばい能力を持ってるうえに制御不能の人間が多くパニック状態になったため、特にひどい(危険な)状態にある者をある屋敷でまとめて管理することに。
その一人が今の御巫家の始祖(当時は篠崎家当主の従兄妹だった)。
*御巫家の始祖
⇒「良くも悪くも与える」能力で実は制御不能状態。そのため体が弱い。
なお、生まれた時から妖魔が見えていたために「化け物」のことをまったく怖がってなかった。むしろ明らかにヤバめの彼に自分から触りに行った、屋敷の中で誰よりも肝の据わった方。
*御巫家が祀る神様 (榎耶曰く「化け物」)
⇒神代の頃、祟り神を創るために捧げられた生贄。三日間に及ぶ暴行の末、生きたまま火の中に投げ入れられた。
しばらくは理性のない呪いの塊のような状態になっていたが、術者も祀っていた村人も流行病で死んでしまい、やっと理性を取り戻すも居場所も何もない状態でずっと日本中を彷徨っていた。
なお、長い間「体が痛くて熱い」ことに悩まされ、どんなに水を欲しても自らの憎悪やかけられた呪いで触れることも飲むこともできない。そのまま数百年くらい経ってやっと御巫家の始祖(後の嫁)に出会えた。
彼女の手で青年らしく着替えさせられるもしばらく言葉が喋れなかった。あと火傷の痕が酷いため、前髪長くしたり包帯で隠したりしてるので「普通の」青年とは形容できない。




