63.黄昏の再会。薄闇の胸懐
彼女と初めて出会った日を、今でも鮮やかに思い出せる。
その日はお母さんが私の身支度にとても気合を入れてて、お父さんは「これから大事な人たちに会いに行くから、良い子でね」と頭を撫でてくれた。
向かった先はとても大きなお屋敷で、当時の私にとっては初めての日本家屋だった。
屋敷の中は独特の空気に満ちていて、あっという間に雰囲気に呑まれた私は不安のあまりお父さんの手を強く握る。そんな中、「やあ、レイ!」と元気にお父さんの名を呼ぶおじさんがやって来た。
どう見ても西洋人であるおじさんはこのお屋敷のお婿さん。すごい魔術師なんだよ、と紹介したお父さんは、私にも挨拶をするように背を押した。
おずおずしながら挨拶をすれば、おじさんは「かっわいいなあ!天使みたいだ!」と私を高く抱き上げてくるくる回る。
お父さんよりも背が高いおじさんのそれは新鮮で、心配で顔色が悪いお父さんに気づいていない私はキャッキャとはしゃぐ。―――そんな時に、彼女は現れた。
母親に似て真っ直ぐした癖のない黒髪、それが最も似合う着物姿で、いつの間にかおじさんのそばにいた彼女は私を眩しいもののように見つめ、やがてニコリと笑った。
「"しのさき かや"です。よろしくね」
*
日本の東を守る篠崎家は、陰陽師の家の中でも有名な、今でも力ある名家である。
かの家に妖狐が嫁いでからは特に有能な術者を多く輩出し、宮中でも重用され―――今でも、日本を護る大事な結界の一部の維持・守護や重要な土地の管理などの多くは篠崎家が任されている。
…しかし、そんな代々続く篠崎家の当主(女性)は日本の術者ではなく外国のイケメン魔術師と恋に落ち、ついには結婚する!と宣言してしまう。
これに大反対だった家々を一件ずつ回り、一緒に結婚を承諾させたのが我らが安居院家当主(私のお父さん)なのである。
父曰く、本当はすごくやりたくなかったけれども、父の父、つまり私の祖父から篠崎家とは今までの対立関係から友好関係へ変えようと頑張ってきたし、私のお母さんの友人だし。しかも例のイケメン魔術師が安居院の遠い親戚だったし―――で逃げられず、無駄にテンションの高いイケメンと母に負けず劣らずトラウマメイカーな篠崎家当主と共に説得の旅に出たのであった。
この結婚、そして尽力したお父さんのおかげで、「先住組」の多くいる「東」に住む「移住組」の立場はかなり良くなったそうな。
「……なるほどな。つまり篠崎と安居院は先住と移住の代表ではあるが、その結婚を機に仲が良好になったということか」
「そ。昔はもう目の敵にしあってた仲でね、跡取りやら分家の術者を殺したり殺されたりのブラックな仲だったんだよ」
こんな状況を打破すべく、また他の「移住組」のためにも、私のお祖父ちゃん世代はとても頑張ってくれたのである。その苦労を無駄にしないためにも、篠崎と安居院の両家は(魔術の知識なども含めて)他の家よりも特に交流がある。
「―――でも昔は昔。僕たちは過去の遺恨を全て水に流し、未来のために共に歩んでいる。……まあ、僕が遠路はるばる彩羽のために駆けつけたのは、そんな打算のためじゃないけどね」
そう言って、「彩羽ァーん!」と抱きついてきた榎耶。
―――彼女は文ちゃんとは違う系統の綺麗な少女である。
幼少の頃から子供らしかぬ態度と言動の彼女だが、こうして遊んでいると年相応の少女にしか見えない。
甘えん坊な彼女とは二年前までお泊まりをしあった仲であり、今でも定期的に連絡をとって近況報告をしている。
それぐらい、私としては同じ名家の次期当主で、同い年で同性の榎耶は大切な友人である。
同じ境遇であるし、文ちゃんや穂乃花たちには出来ない怪異退治の相談や弱音などを言える数少ない存在であり、良いライバルでもある。
アレな性格の術者が多く、同い年も少ないこの世界では、気兼ねなく話せる同業者の存在はとにかく貴重で―――彼女の邪魔で怪異を逃がしてしまったとはいえ、ここでひと悶着起こそうとは思わなかった。
なのですぐに攻撃態勢を解き、見事街灯から着地して素早く私に抱きついてきた榎耶を受け止めて「ありがとう?」と彼女の好意にお礼を言ったのだが、羽継は警戒した目のまま、何故か複雑そうな顔で榎耶を睨んでいる。
しかし榎耶は気にせず、機嫌の良い顔で口を開いた。
「実はね、彩羽のお父さんから連絡があってさー…御巫家絡みの面倒事が起きたって言うから、我が家を代表してここまで来たの!……一応、彩羽にも連絡したんだけどなー」
最後にちょっと膨れた榎耶。私は「え、ごめんね」と謝ろうとして―――彼女の言葉に引っかかり、思わず訪ねてしまった。
「我が家を代表して、って……なんで篠崎家が」
「あれ、知らない?御巫は篠崎の分家だよ。元々は東にいたの」
「うそ、ほんと!?」
「ほんとほんと。流石に交流があるとはいえ、勝手に篠崎抜きで篠崎の分家のことは調べさせられないからねえ。…でもおじさんの要請だったから、お父さんたち即OKしたんだ。
『HAHAHA!レイはそんなに僕たちのことが知りたいのかい?好きなだけ教えてあげるさ!一緒にバーベキューするついでに話してあげよう!君の素敵なワイフと天使ちゃんを連れて泊まりにおいで!』……てウザいお父さんにげんなりしてたけどね」
その場面が簡単に想像できて、私は苦笑いした。
羽継のお父さんも熱血というか元気いっぱいな明るいひとだけど、一応お父さんのペースというかお父さんの意思を尊重してくれるひとなのでいい感じに上手くいっているけれど、榎耶のお父さんのようにぐいぐい来てぶんぶん振り回してあんまり意見を聞いてくれないひとはお父さんが最も苦手とするタイプなのである。
だからお父さんとしてはもっと距離が欲しいのに、結婚の件かそれとも親戚だからか、おじさんは非常に我が家のお父さんを気に入り、しょっちゅう「バーベキューしようぜ!」とか「流星見ようぜ!」と誘う。
私やお母さんは篠崎家でのお泊まりを楽しんでいる中、お父さんは常に瀕死の状態なのである…。
「だからさー、本当は彩羽と一緒に居たいんだけど…これからおじさんとこに話しに行かなきゃいけないし。それにお泊まり会するんでしょ?今日はホテルに泊まるよ」
「榎耶…明日には帰っちゃうの?」
「しばらくこっちに居るよ。御巫家の結界とお祖父さんたちへの確認作業と指導もしなくちゃいけないし―――何より……」
ちら、と私を見るも、榎耶は意味深に笑うだけで続きを言わない。
唐突の沈黙を裂くように、羽継は冷たい声を出す。
「……待て。しばらく滞在するって、学校はどうしたんだ」
「ああ、それなら『心のケアのためにお休み』してるんだ」
「は?」
「あ……ほら、前話したでしょ。今回の回収命令を出された魔導書のひとつ―――所有者の男子生徒に襲われるも反撃して……潰した女子生徒は、榎耶なの」
「………!?」
片思いの相手につれない反応をされ続け、しまいには襲ってきた男子生徒に反撃し、骨折+……アレを潰したという…過激な女子生徒。あの時でさえ引いていた羽継の今の顔は、すごいものだった。想像した痛みを堪えるような、バイオレンスな女を目の前にしたような、そんな顔である。
対して榎耶は平然としていて、「ちなみにそいつは転校するわ」と付け加えた。そりゃそうだろうなあ……。
ああちなみに、この過剰防衛とも言える事件はすごい真っ黒な手段で解決されている。
大事な一人娘であり、とある事情から榎耶を過保護に育てているご両親であるから、たぶん追い打ちをするようなすごい報復をしたのだろう…お父さんすごいゲッソリしてお母さんに愚痴ってたし。
榎耶のお父さんは知らないが、榎耶のお母さんは我が母並に黒魔術が得意なドSなのである……。
「……心のケア、必要かお前」
「必要だとも。だから彩羽に会いに来たんじゃない」
何故か分からないが、羽継は無言で私から榎耶をべりっと引き離した。
再度抱きつこうとする榎耶とそれを邪魔する羽継の攻防からしばらくして、あらかじめ榎耶が連絡していたお父さんと警察官(怪異現象事件専門のひと)がやって来て、例の男の襲撃やら私の魔術やらで色々パンクして気絶した山瀬を保護し、渋る榎耶を連れて行った。
―――お父さんに頭を撫でられチョコを貰った私と羽継は急ぎ足で文ちゃんの家に向かうと、文ちゃんはじめお婆さんたちにまで心配された。
何事もなかったよ、と微笑んでやっと安心した文ちゃんは、「たくさん作ったんだよ。国光くんったらつまみ食いして…」と話しながら甲斐甲斐しく私たちの世話を焼いてくれた。
そしてさっさと手洗いうがいを終えた私たちは、荷物を置いてきてくれた文ちゃんと共に居間に向かうと……流鏑馬が唐揚げを頬張ったままテーブルに突っ伏して寝ていた。器用な奴である。
*
―――少女は、怠い体を起こして震える携帯を手に取る。
ただ、それだけの動作でさえ貧血が起きて、とても苦しい……なんだか何か大切なものが、どんどん失われているような気がした。
「………」
深夜だというのに、しかも早退したというのに、遠慮なく愚痴の電話がかかってくる。
吉野さんに注意と反省を促され、吉野さんの信者やら友人たちからも白い目で見られたり陰口を叩かれたりと「思ってもみなかった」事態になった女子生徒は、同じ思いを抱いている(と思っている)自分へ思いの丈を叫ぶことで心を落ち着けたいのだろう。
しかし今の自分に彼女の望むように受け止める余裕はないし、今夜くらいは無視してしまおう。明日になったら少しはマシになるだろうし―――と、夏風邪なのか咳き込んだ彼女は、近くの水筒に手を伸ばすと、乾いた喉を潤した。
「………」
すると妙に目が覚めてきて、彼女はフラフラと危ない足取りで窓辺に近寄った。
そこには望遠鏡があって、天ではなく地上の―――ある一軒家へと向いている。
この時間、いつもなら暗いはずの窓にはカーテン越しに光が漏れていて、時折数人の影が踊る。
彼女はそれを見て、「きっとあの子は幸せなんだろうな」と思った。
音も聞こえない、部屋の中も見えないのに、彼女には綺麗な部屋で、男女四人が楽しくボードゲームをしている姿が想像―――いや、視えた。
ところどころかすれて視えるその光景は、とても温かいのに彼女の心を、体を凍らせていくものだった。
「…………なんで、あんただけ……」
呟けば、心が乾く。
―――自分には、頭の良さも上品な所作も、綺麗な容姿もない。
―――自分には、あんな優しい保護者がいない。
―――自分には、あのひとが惹かれるほどの魅力がない。
―――自分には、……ああも、信頼できる親友なんていない。
この全てが欲しいのに、どれも手に入らない。ひとつくらいあってもいいのに、どれもない。
その事実が苦しい。この現実を見ていたくない。……彼女は、机から飴の袋を取り出した。
大事に飾られている、ガラスの器に鎮座したそれと同じ商品を、あの日から沢山購入した彼女は幾つも口に頬張る。
満たされない思いを満たすように、現実から逃れる薬を噛み締めるように―――真っ暗闇の部屋の中、一人でただ、ガリガリと。
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