61.案外すぐ近くで事件は起こる
※ラストに作者絵がありますので注意!
文ちゃんの家に寄ってみると、彼女はいつものように嬉しそうに出迎えてくれた。
どうやら家に入ろうとしない(私が家に入るまで玄関先で見守っている)羽継にも慣れたのか、それとも「危害を加えない」という刷り込みが完了したのか、今日は羽継にも家に上がってくれと言う。
ちなみに学校をサボった流鏑馬は文ちゃんの部屋で眠ってしまったらしく、「国光くんったら」と困った風に言いながらも文ちゃんは機嫌がいい。普段は流鏑馬のワンコっぷりが目立つが、文ちゃんもなかなかに流鏑馬大好きっ子である。
これならば大丈夫か―――そう一番心配していた文ちゃんの様子に安堵し、息を吐いた瞬間。背後に居た羽継が、私の耳元に口を近づける。
囁いたその声はからかうような柔らかいものではなく―――戸惑うような、わずかな不安が滲むものだった。
「……なんだか、おかしくないか?」
「え……?」
おかしい。
…羽継の言うその意味に、まず文ちゃんを見た。―――が、特におかしい様子もない。
こちらの内緒話に気づくこともなく、文ちゃんは「ちょうど美味しいプリンがね、」と話し続けている。
私は怪しまれないよういつもの調子で返事をすると、一度目を閉じた。
(心を静めて、水に潜るように力を沈めて………)
水が大地に染み込むように、私の魔力がこの家中に広がる。
ゆっくりと広げながら、羽継の気づいた、「おかしい」ことを探す―――おそらく、私が気づかないようなものであり、羽継はどうしても気付いてしまうものを。
だからこそ、私ではなく羽継が、言葉にすることは出来なくとも勘付いたのだろうから。
「…………?」
―――異変の元は文ちゃんではない。彼女の力に異常はないどころか、昨日よりも穏やかな流れを感じる。恐らく今、心が満たされているからだろう。
あの事件の後の、荒んだような―――……荒んだような?はたしてそれは、彼女の力によるものだったか?
「……あ、」
―――分かった。
羽継が感じたもの。その違和感は―――この家。そのものを囲み守っていた大きな力だ。
私も羽継も家の主人に「歓迎」されていたがゆえに問題なくこの家で過ごすことが出来たが、恐らく羽継は少し事情が違っていたであろう。
彼の能力はたとえ歓迎するものであれ、彼自身が慣れ親しんだものでない限りは全て、微弱ながらも「拒絶」される。
そしてそれゆえに、大きな力は羽継を危険視していただろう。以前、羽継たちがポルターガイストに襲われていたのもこの力の持ち主の(悪戯の意味もあっただろうが)確認行為だ。
あの時羽継はあえて無抵抗でいたためにそれ以降は特に害を受けていなかったが、それでも監視するような力の流れは感じていたのだろう。あの子が時々、無言で視線を彷徨わせていたのがその証拠だ。
その、普段感じていたわずかな敵意が、今日は何故か弱まっている―――それも、よくない意味で。
力の主は彼を「絶対に安全」とみて無くしたのではない。「力」自体が弱まっているのだ。
……となると、あの【魔導書】のものと思われる手先がこの家に侵入出来てしまう可能性が高くなる。そうすれば【魔導書】という最悪の危険を前にして、手加減知らずの文ちゃんの能力は最悪、暴発してしまうかもしれない―――。
「………わかった」
思わず羽継を見上げる。
言葉もないそれに、羽継は黙って見つめ返すと意を汲んで頷いた。
そして文ちゃんに、「すまない、家に連絡を入れるのを忘れていた」と断りを入れ、私たちから離れた場所へ一人向かう。
文ちゃんは特に不審がることもなく、「先に部屋で待ってようよ」と笑う私に微笑んで、私の世間話に相槌を打ちながら部屋へと歩いた。
「―――国光くん、彩羽さんたちが来たよ」
品の良い、ホテルみたいな洋室に足を踏み入れれば、流鏑馬はフラフラしながら上体を起こした。
てっきり幸せそうに惰眠でも貪っているのだろうと思っていたのだが、その顔は疲れが滲んでおり、少し青褪めている。
いつもの元気いっぱいワンコな流鏑馬はどこに家出したんだと問いたくなったが、私は「…家で休んでたほうが…」とだけ文ちゃんに言ってみる。
「ん…でもその……国光くんのご両親は、共働きでどちらも遅く帰られるから…」
むしろここの方がお世話してあげられる分、良いと思って……、と文ちゃんはだんだんと声を小さくしながら説明する。なんだかちょっぴり悪いことをして怒られるのを待つ子供みたいだ。
私は「文ちゃんにお世話してもらってるだなんて。羨ましー!」とふざけた空気を出して文ちゃんを安心させつつ、ここで得た流鏑馬情報にちょっとびっくりていた。
なんとなく、流鏑馬のお母さんって専業のイメージがあった。……なるほど、だからこうも長い時間文ちゃんの家に居座っていてもご両親に怒られないのか。
「ん――彩羽か……おはよう…」
「こんにちは、が正しいよ。…ほら、もういいから寝てなって」
「うん……」
ぼふ、とクッションに顔を埋めて寝た流鏑馬のそばには、もたれかかるように猫のぬいぐるみが置かれている。
文ちゃんがとても大事にしているこのぬいぐるみの今日の服装は、魚のポケットが可愛いパーカーである。
「これも文ちゃんの手作り?」
「うん!…似合ってる?」
「とってもね。この魚のポッケが可愛いわあ」
荷物を床に置き、もはや定位置となりつつある場所に座る―――と、その振動(そんなにドカっと座ったつもりじゃなかったんだけどな…)でぬいぐるみがぽすんと私の膝に転がってきた。
私は「ありゃ、ごめんごめん」と言って抱き上げると、そのまま膝の上に乗せて文ちゃんに今日一日のことを面白おかしく話す。
間違っても事件のことなど口にせず、穂乃花と私の漫才のような話だとか沙世ちゃんがバカやった話だとかを喋れば、文ちゃんは楽しそうに相槌を打つ。
―――そんな、のどかな時を突くように、私の視界は一変した。
「………っ!」
洋室に居たはずなのに、どういうわけか私は和室にいた。
それもただの和室ではない。平安時代を思わせる部屋で、上に纏められた御簾から向こうでは桜の花弁がひらひらと舞っている。
―――私はこのとき、一瞬で理解した。これは、私が文ちゃんと出会ってからずっと悩まされている夢の、続き。
私が気になっていた道の先にあるものの中であり、恐らく絶対来てはいけない場所。
急いで逃げ出そうと立ち上がれば、私はやっと自分の背が小さくなっていることに気づいた。
慌てて両の手を見れば、幼児らしく頼りない手がある。服も制服ではない―――。
思わず声を上げたくなったが、案の定声は出ない。じわじわと恐怖が心に迫ってきたが、私は今こそ冷静であろうと深呼吸をした。そんな時だった。
『僕を受け入れてくれたね』
優しい声だった。けれど大人のように落ち着いた感じではなく、どこか子供っぽい。
猫っ毛の長い黒髪を後ろで低く縛り、猫の仮面に狩衣という奇怪な青年は、いつの間にやら私の目の前でしゃがんでいる。
『……ん?』
私の強張った表情を見て、青年は首を傾げる。
彼がどういう理由で「受け入れられた」と思ったのか知らないが、こちらとしては全然受け入れてない。むしろお前は誰だ、と問いたい。
色々言いたいが、身の安全を考えて口を開こうとしない私へ、青年は手を伸ばす。
なんとなく肌が白そうだと思っていたのだが、意外にもその手は火傷痕や古傷の目立つ物騒な腕だった。
痛ましさすら覚えるこの腕に、このまま触れられたら、私は――――
『いけませんよ。あなたはちゃんと、帰らなくては』
思わず固く目を瞑った私は、聞いたことのある女性の声に目を見開く。
あの、怪奇な電話をかけてきた女性。そのひとの声が、すぐそばから聞こえる。お母さんに見つけてもらえた子供のような、そんな安心感が私を包む。
振り向けばきっと、女性の姿を見ることが出来るのだろう。なんとなく彼女が誰なのか気付いている私には彼女の花のような姿が簡単に想像でき、見てみたくもあったが、そしたら庇ってくれた彼女の好意を無下にしてしまう。
私が最後にその世界で見たものは、少し寂しそうに膝を抱えて不貞腐れる青年と、百合の花のように白い細腕。
目を閉じる私の頭を優しく撫で、彼女は小さく謝罪した。
「――――ったんだ」
自分の寝言で起きてしまった時のように、私はお喋りを終えた瞬間、「向こう」の世界から切り離されたのだと実感した。
恐らく、「こちら」では一秒にも満たない間を攫われていたのだろう……―――もし、彼女が助けてくれなかったら、こちらの私はどうなっていたのだろう…。
背筋がゾッとする。思わず両腕を抱きしめそうになっていると、膝の上に乗せていた猫のぬいぐるみが動いた。
「えっ」
下を見れば、カバンの中で眠っていたはずの手鞠が鼻息を荒くして、その長い耳の先を何度も素早く突いてぬいぐるみを落とそうとしている。
慌てて落下する前にぬいぐるみを抱き上げ、文ちゃんに謝罪して渡せば手鞠はやり遂げた顔で私の膝の上を占領した。
「甘えん坊さんなんだね、手鞠ちゃんって。かわいい…」
文ちゃんは手鞠のことをとても気に入ったようで、連れてくるたびにそーっと触ったりそーっと食べ物をあげたりする。
そのせいで手鞠はおおいに文ちゃんを気に入り、最近では「文ミィィ――」と鳴いてかわいこぶってみせる。そしてそれに感動して更に甘やかす文ちゃん……。
そんなものだから、文ちゃんの手が空いているとすぐ「手鞠ダヨ――」と鳴きながら近寄っていくのだが、本日の手鞠はどういうわけか私の膝の上からどかない。
文ちゃんは特に気にすることなく、さっきの私のようにぬいぐるみを膝の上に乗せ、「今度、手鞠ちゃんをスケッチしたいなあ」と微笑んでいる。その少女らしい愛らしさに、私は色んな意味でホッとした。
あの瞬きの合間の異世界体験は、できるならもう二度と味わいたくない―――とりあえずそう神様に祈っておいた。
「―――悪い、遅くなった」
羽継が遅れて戻ってくると、私とのお喋りに夢中だった文ちゃんはハッとした顔で、「あ、そうだった、お茶とお菓子もっと持ってくるね」と羽継に詫びてから部屋を出ていく。
羽継はそれを見送った後、私の隣に座り―――ジッと顔を見て、
「…どうした、顔色悪いぞ」
「ん……ちょっと……意識が拉致られたというか」
「は!?」
「あー…まあ、それは後で、落ち着いて話すよ。―――お父さんはなんて?」
小声でお喋りしていたといっても、ちょっと心配である。チラ、と視線を寝ている流鏑馬に送れば、羽継は追うように流鏑馬を見た。
「おじさんは―――俺と一緒なら泊まってもよしだと。ただし夜間の外出は禁止」
「そっか…」
「……流鏑馬はどうしたんだ?」
「わかんない。でも顔色悪いから寝かせとこ」
言い終えると、クッションにもたれかかって置かれている猫のぬいぐるみと目が合った。
ちょっと背筋が寒くなり、私は無理矢理ぬいぐるみから特に何も思っていなかったテーブルの上に視線を移した。
そこには、飲みきったグラスと、少しお茶が残っているグラスが二つ。―――そして、まだたっぷりとお茶が残っている、グラス。
……毎度ながら、文ちゃんの部屋に遊びに行くと、絶対に人数よりひとつ多く飲み物などが置かれている。下手な地雷を踏みたくないから触れずにいたが―――何か、意味があるのだろうか……。
そう考え込んでいると、羽継が「本当に大丈夫か?」と私の顔に触れて覗き込む。
その近さと相変わらず綺麗な翡翠の瞳にびっくりして変な声を上げると、あの子ときたら一瞬目を見開くとすぐに意地悪な顔に変わった。
「どうした彩羽、そんなに顔を赤くして……熱でもあるのか?」
「ひゃっ……ちょ、ちょっと!顔近づけないでー!」
私がじゃれてくる羽継に負けまいと必死で抵抗する間―――誰も見ていない中で、なみなみと注がれていたお茶は静かにその量を減らした。
.




