6.式の予定はいつです?
その日一日を、文は悲しそうに過ごしていた。
彩羽のように良くも悪くも分かりやすく落ち込む―――というわけではなく、近くに来てやっとその感情が覗けるくらいだが。
昼休みになって、二つ分のお弁当を鞄から取り出して去って行く姿も元気が無かった。
「……粘着質だよねえ、御巫さんって」
「必死なんじゃないの。流鏑馬くんがいなかったらあの子、人生終了でしょ」
「先輩の彼氏寝取ったんじゃあねえ…」
「うっそ、それ本当の話?」
―――こそこそと陰口が始まった。
彩羽がなんとなく振り返ってお喋りしている子たちを見ると、その内の一人の声に聞き覚えがある。
今朝の集団で囲んでいた女子生徒たちの声ではない。ここしばらく親しい友人以外の人間関係はだいぶぼんやりと交わしてきた彩羽の耳に、じっとりと残るこの声は誰に似ているのだろう―――
「彩羽ァ、今日はパン? だったら一緒に買いに行こー」
「え、ああ、…うん」
彩羽の幼馴染にして親友こと穂乃花が誘ってくる。それを区切りに意識を変えると、彩羽は早々に教室を去ることにした。
*
「いただきます」
彼―――流鏑馬 国光が手を合わせる。心底嬉しそうなその顔を、文は彼の正面に座って見つめていた。
「ほら、文も」
「うん……いただきます」
そっと箸を手に取るも、文の心は沈んだまま。
物憂げな表情のまま延々と思うのは、後悔と悲しみと、 だった。
(とても、くるしい…)
―――文は今までたくさんのものを祖父母から与えられて慈しまれてきたけれど、国光からの贈り物は祖父母の与えるそれとは一味違う。
いつだって、彼女の凍えそうな心を温めてくれるものだった。
例えば―――今、文が身に着けているカチューシャも国光が誕生日に贈ってくれたものだが、これを購入する際の手間やどれにするか悩んでくれただろう姿を想像する、ただそれだけで、彼女の胸に甘酸っぱい何かが満たされていく。春の日差しに当たるような心地になる。
だからこそ、彼からの贈り物は特に大事にしておきたいのに。……幼い頃、大事なものは全て燃え尽きてしまったからこそ、彼女は――もう、あの喪失感を味わいたくなかったのに。
誰が、盗んだのだろう。
誰が、あんなことしたのだろう。
誰が、彼の贈り物に触れたのか。
誰が、 誰だ。 誰 ?
「―――文のご飯はいつでも美味いけど、今日は格別だなあ」
「…えっ、あ……ありがとう」
「母さんは仕事が忙しきゅてレンジもにょがおーいから、うれひい」
「…よかった――…でも、もっと噛んで。取らないから」
ハムスターみたいに頬が膨らんだ国光は「うん」と素直に頷くと、ゆっくり噛み始める。幸せそうだ。
(……喜んでくれたみたい)
―――今日は「彼と初めて遊んだ日」の記念日。だから特に気合の入った弁当だ。
こんなに頬張って美味しい美味しいと食べてくれたなら、昨日のうちに仕込んだり早起きして仕上げた甲斐があったというもの。ゆっくりと味わう国光の笑顔を見たくて、文はそのまま何も口にしないで見つめていた。
「文?…どうした、具合でも悪いのか?」
「…ううん。国光くんの食べっぷりを見てたらお腹膨れてきたの」
「無理してでも食べないとダメだろ」
ほら、と。国光は卵焼きを一切れ取って、文の唇に近づける。
文はその卵焼きと卵焼きを摘まみ上げる彼の箸、そしてニコニコ顔の国光を見て、ちょっと照れくさくなりながら口を開けた。
(……味がする)
―――国光と食べていると、いつもそう。味覚が甦るのを感じる。
そして何より、彼と一緒にいれば、世界は鮮やかだった―――。
「……なあ、文」
「なあに?」
「今日、初めてお前と遊んだ日だな」
「………う、ん。…あの、そのこ」
「だからこれ、プレゼント!」
「…―――え?」
国光の手の中に、今朝と違って綺麗なラッピングがされた包みがある。
多少よれてはいるけれど、リボンには控えめな愛らしさのある花飾りが付いていた。
「こっそりどこかに忍び込ませるってサプライズも考えたんだけど、盗まれるとアレだし…たいしたものじゃないんだけど。」
「う――ううん!ありがとう…!」
慌てて受け取る。一瞬触れ合った肌は温かくて心地よい。―――この瞬間、文の中で鎌首を持ち上げそうだった感情は消え失せて、物憂げな表情から少女らしい温かさと柔らかい笑みに変わる。
「開けてもいい?」と聞いてすぐ即答した国光にくすくす笑いながら、そっと包装を取って。
ゆっくりと箱を開けると、
「…猫のストラップ……この子、"あの子"に似てる…」
「ああ、俺も似てると思って」
サイズは小さい、太めの猫のぬいぐるみが付いたストラップ―――それは、文の部屋にあるぬいぐるみにどこか似ていた。
国光からすると「ブサイク」なそれは、文にとっては何よりも「可愛い」のだそうだ。
「うれしい……ありがとう、国光くん」
国光はその言葉よりも表情を見てホッとした顔になると、ニカッと笑って「お揃いなんだ!」と携帯をポケットから出して見せる。
「本当はさ、違うのがいいかもって悩んだんだけど――そういやあ文のストラップ壊れてたなって思い出して…どうせなら使い道があるものにしようと思って。丁度俺のストラップも壊れたから、お揃いの色違いにしたんだ」
「ほら、」とストラップを文の目線まで持ち上げて揺らす、彼のブサ可愛いぬいぐるみは、リボンなどの細かい部分が青だった。
対して文のは、赤みの強いピンクである。
「おそろい…嬉しいな」
「それは良かった!――あ、そうそう、今日の放課後なんだけど……」
―――そんな、ささやかな幸せに包まれた二人以外誰もいない美術室に響く声は、とても穏やかで。
外では急にどしゃぶりの雨が降り出しているのに、まったく気づかないくらい――お互いに夢中で。
じっとそれを扉の隙間から見ていた女生徒になど、当然気づきもせず。
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