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49.わたしの初めての友だち



「ねえ、羽継は女の子と遊ぶ予定の入った日に私が風邪で寝込んだら、女の子の付き合いをとる?私をとる?」

「……なんだ、それ」


―――穂乃花たちから午後の授業分のノートを受け取った私は、羽継から奢ってもらった林檎ジュースをちびちび飲みながら文ちゃんの家に向かっていた。

道中、美味しい和菓子屋さんで黒糖饅頭などを買い、出来るだけ涼しい道を二人でのんびり歩く。


「いやね、ちょっとクズな男の話を聞いちゃって…羽継はそんな子じゃないよねって不安になっちゃった」

「はあ」


車道側を歩いているせいか、羽継の肌に汗がじわりと浮かんでいる。

そのまま見つめていたら、中学生らしかぬ大人びた横顔に胸が……えっと、い、痛くなりそうなのでサッと目をそらし―――気まずさが消えず、誤魔化すように(奢ってもらったものだけれど)水分補給をしろと私のジュースを押し付けてチラリと見上げれば、羽継は数秒じっとジュースと睨めっこしてから恐る恐る飲んだ。

……なんでだ。


ちなみに手鞠は私のカバンの中で、耳と顔をちょっとだけ出して風を求めている。


「……というか、俺がそうまでして会いたいと思う相手はいない」

「ああ、そういえば羽継って女の子の友達いないもんね」

「えっ」

「え?」


二人立ち止まって顔を見合わせると、手鞠が「あづいよォォォ―――」という新しい鳴き声をあげた。どうやら生徒たちが暑い暑いと何度も愚痴を零しているのを聞いて、覚えたらしい。


羽継はその鳴き声にハッとした後、俯いて――スっと顔を上げると、「…早く行こう」と私の手を引いた。

汗ばんだ大きな手だけれど、嫌悪よりも懐かしさと、照れくさいような感情が胸を占めた。

それが表情に出ていたようで、不思議そうな顔をする羽継の手を握ると、この子もゆっくりと握り返してくれた。


「彩羽」

「なあに?」

「……なんでもない」













ピンポーン、とチャイム音が鳴る。


立派なお家はあの日と同じように綺麗で、羽継は興味深そうに辺りを見渡していた――けれど、家の中からドタバタと騒がしくやって来る足音に私よりも早く反応し、まるで護衛のようにサッと私の前に立つ。


「―――あ、お前ら」


出てきたのはクズ。…じゃなかった、流鏑馬だった。

その姿は制服ではなく、私服を着ている彼の……半袖Tシャツは……………黒かった。

色が、じゃなくて―――…鳥が焼き鳥食べている絵がプリントされているのだ……。


(うわあ……)


…私、今まで男の服はみんな似たようなものだと思ってた。女の子ほどオシャレの楽しみがないとかつまらんなあとか、いやでも考えなくていいから楽そうだなあとか、思っていた。

―――でも、違ったんだね。

私の周囲にいた男は羽継とお父さんくらいなもので、しかもファッションの好みが似ていたから、はっきりとした違いが分からなかったのだ。

そして私服も格好良い羽継ばかりを見てきた私には、羽継と同年齢の流鏑馬のこの残念な服は衝撃だった。

これはない。これはないよぉ…。



「おま…シャツ…――いや、…なんでプリン握ってるんだ」

「あ、ちょうど冷蔵庫にしまおうと思って」


羽継も私と同じことを思ったようだけど、指摘せずに流鏑馬が握っているプリンを指さした。

容器越しに見えるプリンはとても美味しそうだ。


「それよりどうした?」

「……今日の授業分のノートを渡しに」

「えっ、ああ、ありがとうな」


ニカッと笑った流鏑馬――どこまでも爽やかなのに、紗季ちゃんの話を聞いた後だとすんなりとはその爽やかさを感じることはできない。


「……文ちゃん、は?大丈夫…?」

「…………」


俯く流鏑馬に、私は今日はここまでにしようかと考えた。

本当はあの件で私が使用した魔術のこととかについて説明と黙秘を頼みたかったのだけど…まあ、文ちゃんはお喋りなひとではないから、しばらく言えずとも大丈夫だろう。


「―――じゃあ、これも文ちゃんに渡しておいてくれる?これね、穂乃花たちと割り勘で買ったお見舞い。…って言ってもしょぼいけど…でも美味しいのよここ。高いだけあるんだから」


饅頭以外にも季節限定のものとかも入った紙袋を手渡すと、流鏑馬は「悪いな」と頭を軽く下げて受け取った。

「明日も来るから」と言って去ろうとしたら小さな物音が聞こえて、玄関に背を向けていた私と羽継は振り向いた。


そこには――やつれていても美しい、儚げな――ワンピース姿の文ちゃんが、恐る恐るこちらに近づいて来ていて。

今にも消えそうな声で「待って」と言うから慌てて玄関の中に入ると、文ちゃんは「来てくれてありがとう」と弱々しく微笑んだ。


「せっかく暑い中来てくれたのだもの…せめて、涼んでいって」


掠れた声の文ちゃんの目元は赤い。そしてあの日殴られた痕や床に体を打ちつけた痕を隠すように貼られた湿布などを見ると胸が痛んだ。

痛々しい姿の彼女はいつものように振舞ってはいるが、ある程度――いざとなったら走って逃げれそうな――そんな距離をとり、注意深くこちらを見ている様子からして全然大丈夫ではないと思う……が、それでもここまで出てきて「涼んでいって」とわざわざ声をかけてきた彼女の気持ちを思うと、断り辛い……誘いを受けていいのかな。


「…じゃあ、お言葉に甘えよう」


どうしようもなくなって羽継を見上げると、あの子は一つ頷いてから文ちゃんに返事を返し、さっさと靴を脱ぎ始めた。

私も急いで靴を脱ぐと、「お邪魔します…」と呟いて床に爪先を乗せた。




文ちゃんを気遣って私の数歩後ろをゆっくりと歩く羽継、そして私の前で文ちゃんを庇うように歩く流鏑馬の四人分の足音と床の軋む音――それしか響かない廊下は、綺麗に掃除されているのにどこか薄暗く思えた。


気不味い雰囲気を引きずって文ちゃんの部屋に入った私たちは、ぎこちない動きであの日のようにテーブルを囲み始めた。

そこで文ちゃんが「飲み物を取ってくるね」と腰を上げようとしたのを流鏑馬が止め、「俺が取ってくるよ」と部屋を出る。「一人じゃあ持てないだろう」と羽継までついていくと、部屋には私と文ちゃん。…と、手鞠(爆睡中)しかいなくなった。


「………」

「………」


死んだ魚のような目ではないものの、普段よりも濁っている瞳を見続けるのが辛くて、私はそっと部屋の中を見渡した。


文ちゃんの部屋は何度見ても綺麗で、家具も女の子に相応しく、そして品の良さを無くさない程度に可愛らしい。―――これだけの質の良い物を惜しみなく与えられるほど、文ちゃんは大事に育てられてきたのだろうに。


「……文ちゃん、あのね」

「………う、うん」

「とりあえず…あれだ、うん……お見舞いのお菓子」

「あ、はい…」

「私たちからね」

「―――わたしたち?」

「私と穂乃花とー、沙世ちゃん叶乃ちゃん。計四人」

「えっ…!」


目を見開く文ちゃんに、私はにこりと微笑んだ。


「本当はね、みんなで文ちゃんに会いに行こうと思ったんだけど、流石に迷惑だろうってなって――それで、穂乃花がお見舞いにお金出し合おうって言ってさぁ、本当はもっと豪華にしたかったんだけど、沙世ちゃんがお小遣い前でねえ……これ、この街でも結構美味しい和菓子屋さんでね、雑誌にも載ってたんだよ」

「………」

「食べやすいように羊羹と、あと試食して気に入った饅頭とか――まあ、気が向いたら食べてくれると嬉しいな」

「……。……………あり、がとう…」


文ちゃんは、泣きそうな顔で紙袋を抱きしめた。

そして小さな声で「…初めてだなあ」と呟くと、そっと顔を上げて、微笑みを見せた。


「ありがとう…大事に食べるね……ありがとう」


お礼を言うと、文ちゃんは一度紙袋を見てから――少しの沈黙の後、小さく、硬い声で私に尋ねてきた。

今日、学校はどうだったのかな、…と。



「―――朝から全校集会とかあってね、まあ…うん、暴力事件ってことで話してた。だけどその…クラスの皆もね、ほとんどが文ちゃんのことを心配してる。本当だよ。みんな君のことを気にして授業もままならないくらい」


目を見開く文ちゃんに、私は「そうそう」と言って携帯の画面を見せた。


「ほら、このピースしてるの。……ええっと、そう、佐嶋。あんな怪我したけど案外元気だよ。だから気にしないでくれって。メールが来たよ」


ちなみに差出人は不明。……佐嶋がこんなことをするとは思えないので、彼の友人であるタカ君の仕業だろう……そんな怖いメールを映す携帯を文ちゃんに渡すと、彼女はじっと写真の佐嶋を見て、じわっと溢れた涙を零した。


「いきてる……」


思わず漏らした言葉は、今までの彼女の不安を感じさせるほどに揺れていた。

もう一度だけ小さく「いきてる…」と呟いた彼女は神に感謝するように瞳を強く閉じて俯くと、ゆっくりと伏せた瞼を上げた。


「……彼は、私に呪われなかったんだね……ちゃんと、生きてる…ちゃんと……。そのことが何よりも嬉しい」

「…文ちゃんは、心配性だね。そして冗談も好きなのかな?」

「冗談?――いいえ、私は何一つ冗談など言っていない」

「……君は誰かを祟ると、本当に思ってる?」

「思ってる……―――そうだね、うん。…彩羽さん、ここからはお互い、探り合いをするのはよそう」


踏み込む勇気が出ないでいた私に、文ちゃんは顔を上げた。

少し、諦めたような表情を浮かべた彼女は、寂しげに微笑む。



「私はね、昔から不思議なものが見えたし、不思議なものと触れ合ってきた。それだけじゃなく、忌まわしいものも持っていたの。……私はね、私に怖いことをする――私が嫌うひとを祟るの。だから今まで、私に物をぶつけたり物を隠していじめた男の子を祟って、彼のお母さまが階段から落ちて大怪我させたり…私をみんなの前で蔑んだり意地悪をしてきた女の子の指を事故でダメにして、彼女が得意だったピアノを出来ないようにしてしまったり……。

私がただ……嫌で嫌でしょうがなくて、でも言えなくて…こんな風になればいいのにって、そう思ったらその通りになったの。何度も何度も……いつしか私がそう思う前に、勝手に私の嫌いな人に禍が下るようになった。その度にお祖母さまは悲しそうな顔で、私に怒りも憎しみも捨てるように言った……その感情は、私を幸せにしないのだと。巡り巡って私を傷つけてしまうから、どうか強く美しい心を持ってくれと。

そしたら…きっとお母さまが褒めてくれる、お父さまが抱きしめてくれるから、強くなりなさいと―――お母さまたちがいつか││っ《・》│て《・》│く《・》│る《・》と信じていた幼い私に、何度も何度も戒めるように言った。……だから私は、一生懸命それを守りたくて……」


文ちゃんは零れる涙を指で拭おうとしたので、私は無言でハンカチを差し出した。


「ありがとう…。……それで私――私は、頑張ったのだけど、どうにも疲れてしまって。どうしようもなく、もう限界で……そんな時に国光くんと出会ったの。国光くんは私と違って感情を隠さないひとで、最初は戸惑ったし、困ることも多かった……あのひとは、お祖母さまたちとは正反対のことを言うから。

けれど私に私らしくあってほしいと願ってくれるから、国光くんと一緒にいると心が軽くなるの。ずっと手を握っていてくれるから、寂しくも寒くもない。―――だからかな、私は自分を甘やかしてしまったのだと思う」

「…誰だって、自分のことを甘やかしたいと思うものじゃないかな」

「うん…でも、私には許されないよ。だって罰せられて当然の身なのだもの」

「罰せられて当然…?」

「……私は……人殺しだから……それも………それでも…」


文ちゃんは私を見つめては揺れる瞳をそらし、ぎゅうっとハンカチを握ると、何度か何かを言おうとしては口を閉ざすことを繰り返した。


「……国光くんといると、私は罪を忘れそうになる…もっともっと幸せになりたいと思ってしまう…。国光くんのそばにいたい―――そんな身の程知らずだから、私はみんなに嫌われるし、酷い目にあうのだと思う」

「―――違うよ」


これ以上聞いていたら胸の苦しさから耐えられなくなりそうで、私は文ちゃんの肩を掴み、目を合わせようとした。

文ちゃんは最初、私の瞳に浮かぶ感情を知るのを恐れて目を合わせようとしなかったけれど、次第に諦めたのか、恐る恐る私を見つめた。



「文ちゃん、君が大変な目に遭うのはね、文ちゃんが持ってしまった力のせいなの。

普通の人はその力に恐怖を抱いてしまうから、みんな避けようとするし身を守るために排除しようとしてしまう。

―――だから、君は何も悪くない。むしろ異端の力によって人生を歪められた被害者だよ」

「でも……それでも、私は……たくさんの人に恐ろしい思いを味合わせてしまった。取り返しのつかないことにだって…」

「文ちゃんは、自分を攻撃したひとに反撃しただけ。それって普通の子だってするよ。私だって何度も喧嘩売ってきた相手に手を上げたことがあるし、あの優等生な羽継だって昔は喧嘩に明け暮れてたからね。

そもそも、文ちゃんの場合は相手の因果応報!…あ、神道のひとに因果応報って言っちゃダメだったかな……まあいいわ。――つまりね、ひとをいじめるってことは、本人が分かってなくてもでかいリスク背負ってんの。当然のことなんだから気にしちゃだめ。相手が幾ら文ちゃんが悪いって喚いても絶対に文ちゃんのせいじゃないから!もし文ちゃんが悪いって言うひとがいたら私に言って。そいつぶち…説教してやるわ。

…だからね文ちゃん、何度も言うけど、そんなに自分を責めたり貶したりしないで―――君が自分を痛めつけるたびに、君と同じく傷つくひとがいるんだよ」


そ、と。彼女の白い手を握った。


「君自身が君を好きになれなくても、私たちは君が好きなんだもの」



文ちゃんの心に真っ直ぐ届くようにと目と目を合わせる。

すると目を見開いていた文ちゃんは、小さな声で「うん」と頷いた。


そして私の大好きなあの微笑みを浮かべると、私の手に両手を重ねた。



「ありがとう。……わたし、ずっと、……そう言われたかった……」






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