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44.げえっ、嘉神!





◆◇Das Herz von Alice◆◇





助けに来たのは、彼女に最近よく話しかけてくる――佐嶋、でありました。


急いで駆けつけたのか、息も荒く、汗だくで、怒りか恐怖からか体が震えています―――。



「お、お前ら、こんなことしてただで済むと思ってんのか!とっととその手を放せ!!」


その脅しは、例えるならば、威嚇して毛を逆立てて大きく見せようとする子猫。

必死に強がろうとする姿が余計に弱く見えて、加害者である彼らは思わず笑ってしまいます。……そして、安堵しました。



―――なんだ、流鏑馬じゃあないのか。


一瞬、もしこの現場を知ったら修羅となって全員を撲殺しかねない男かと思って体が竦みましたが、現れたのは文化部で普段大人しく目立たないように生きている、すぐに倒されるだろうひょろい男。

彼らは無謀な佐嶋を笑うと、見せつけるように一人が彼女の下着をブチッと脱がせました。


「これから楽しいことするっていうのに、邪魔すんなよ!」

「そうそう、どうせならお前も混ざる?イイ子ちゃんぶっても良い事なんてねーよ?」


ケラケラ笑いながら、一人が彼女の胸を鷲掴みにします。

それを見て一気に血の気が上がった佐嶋は、拳を固く握って殴りかかろうとしました。


「やめろっつってんだろ!!」




―――その結果、佐島はすぐに殴り返され数人から暴行を受けました。


その様を見せつけられた彼女は恐怖で体どころか声も出なくて、――部屋に満ちる、黒い瘴気に慄きました。

男子生徒たちにまとわりつき、彼らの燃えるような野蛮な行為に油を注いでいるようなそれは、彼女を見て嘲笑い――剥き出しの歯を薄らと開きました。


(やだ)


何もできない彼女のせいで、佐嶋は床に蹲って頭を踏まれています。

それでも立ち上がろうとしては失敗する姿を笑いながら撮っていた男子が「もう"お楽しみ"に入ろうぜー」と周囲を促すと、――急に隣で囃し立てていた生徒が転んだのに驚いて最新型の携帯電話を落としてしまいました。

そして倒れた男子生徒にガッと腕を掴まれ――どうしたと倒れた生徒を見つめ、ふと同じところを見た二人は、同時に悲鳴をあげました。



「ひぃぃぃッ、化け物だ!化物が!!」

「助けて、化物がッ!!」


騒ぎ立てる二人に他の生徒がぶつかって体勢が崩れ、その衝撃で棚のものが落ちて――何が何だか分からないままに部屋に悲鳴と落下音が溢れる頃、獣のような顔で暴力に酔っていた彼らは混乱の中に居ました。


「あそこに化け物がッ!」と誰かが指をさすのと同時に「助けてくれっ」ともつれ合う二人、それに巻き込まれる他の人間――やがて彼女を捕らえる人間も無事では済まなくなって、解放された彼女は硬直していた体を引きずって、混乱の中で蹲って呻いている佐嶋に触れます。


「さ、さじま、くん。佐嶋くん…!」

「っ、う……みかなぎさん…?」

「今のうちに逃げないと――きゃっ!?」


背中に誰かが落ちてきて、彼女は床に顔をぶつけてしまい口を切ってしまいました。

痛みに震えていると誰かに肩を乱暴に掴まれ、「おい!」と耳元で怒鳴られます。


「おまえ、お前だな、お前の祟りだな!?」

「いっ…!」

「さっさとあの化物を消せよ!消せよこの祟り女!!早くッ!」

「し、…知らない!化け物なんていないじゃない!」

「惚けてんじゃねえぞこの魔女がぁ!!」


ガッ、と。顔を殴られた彼女は、次にお腹を殴られました。

むせていると今度は両頬を掴んで「消せっ!」と血走った目で命令するも、彼女は痛みでそれどころではありません。

それに苛立った男子がもう一度拳を握ると、佐嶋が体当たりをして押さえ込みます。




―――そんな、混沌と恐怖に終止符を打った人間は、静かに部屋に入ってきました。




「なん……げえっ、嘉神ッ!?」



誰かが悲鳴のように彼の名を呼ぶのと同時に、彼は近くで彼女の下着を掴んだまま転んでいた一人を掴み、背負い上げて最初に気づいた生徒目掛けてぶん投げました。


逃げようと這い蹲っていた数人が立ち上がって駆け出そうとすれば裏拳、それに巻き込まれて数人がまた転び、後退る主犯の生徒の顔を掴むと、本棚にその後頭部を激しくぶつけました。


その無表情で相手を潰していく姿に誰もが悲鳴を上げる中、静かな足音が聞こえたかと思うと、綺麗な蜂蜜色の髪の少女がダメ押しのように現れまして。


行かせない、と腕を広げ、伸ばした指先がトン、と壁に触れただけのはずなのに、壁一面に蜘蛛の巣状の罅が広がり、パラッと欠片が落ちたのを見ると、全員が黙り込みました。



―――こうして、放課後に起きた最悪の事件は、一旦幕を下ろしたのです。












―――私と羽継が残りの怪異の状況の確認と封印の強化をしていると、鬼気迫る顔でこっちへ走ってくる吉野さんと出会った。



「早く来て!!あなたたちじゃなきゃ収まらない!」

「は?――ってちょ、ちょっと!?」


ガシっと私の腕を掴む吉野さんは矢のように階段を駆け上がり、息も荒く言うのだった。


「物置部屋で御巫さんが相模たちに襲われてるの!!足止めはしてるけどそんなに持たない!だから早くッ!!」


物置部屋、というのはあだ名で、教科書やプリント、辞書にテキスト集なんかがたくさん積まれている埃っぽい部屋のことだ。

普段は鍵がかけられているのだけれど、実は手癖の悪い生徒がヘアピンを使って開けられるようなもの。…そんなところに、どうして文ちゃんが……もしや美術室から無理やり拉致されたのか?


とりあえずこんな通常通りのスピードで行っては間に合わないかもしれないので、私はひとまず吉野さんの腕を外した。

あんた何してんのよ、と言わんばかりの目をした彼女に、「後で説明するから黙っててね」と早口に言って羽継に目配せをする。

意図が分かったらしい羽継は自らの異能力を封じると、私の手を握った。……少しだけピリッとする。


やがて黄金の粉が二人を囲うと、次の瞬間にはもう吉野さんの視界から消えてしまう。

魔術によってかなりの速さで走り抜けると―――目当ての部屋が見えてきた。


「――――!」


酷い音と、男子たちの叫び声。

想像していたのとは違う展開が訪れているらしい部屋に驚いていると、いつの間にか背後にくっついていたらしい手鞠が「あ゛―――!」と鳴いた。


「妹子゛ォ――!妹子゛―――!」


うるさい隋に派遣するぞ、と叱ろうとして、あの部屋から薄らと黒い瘴気が漏れているのに気づいた。

もしかして、あれは―――


「ま、どう…しょ…!?」


もしかして、あの男子生徒たちの誰かが魔導書を所有していて、暴走状態のそれとリンクしてこんな滅茶苦茶な事件を起こしたのか?

だとすると、文ちゃんは―――!?


「…彩羽、俺が先に入るから、お前は待ってろ」


羽継は「いいな?」と有無を言わせない目で私を見つめる。

そして走り出し、あと少しで、という所まで近づくと――男子の、ヒステリックな怒声が聞こえた。


「―――さっさとあの化物を消せよ!消せよこの祟り女!!早くッ!」


次いで、殴るような音とくぐもった声まで聞こえて、一瞬で私の感情は冷静さをぶち破って怒りが頂点にまで達した。

視界が一瞬真っ赤になり、拳を強く握る――そんな私の肩を掴んで扉から引き離した羽継は、一人で原始的な世界に足を踏み入れた。


そして―――「げえっ、嘉神ッ!?」と叫んだ生徒から続々と加害者生徒を仕留めていく羽継。

流石は一時喧嘩に明け暮れた男だけはある。力強いその背に心を落ち着かせた私は部屋に足を踏み入れた。


ただでさえ魔力の高い私が感情をそのまま表に出すとそのまま世界に被害を出してしまう――だから冷静に、冷静に、と心の中で何度も繰り返していたが、文ちゃんのあまりの惨状と何故か居るさっくんの怪我の酷さを見て、一気に頭に血が上がった。


私は逃げようと腰を上げたまま固まっていた連中が羽継の攻撃を避けて逃げ出さないよう、出口を塞ぐと壁に手を触れた。


そうして一瞬で壁を破壊してしまうと、背後の手鞠が「良い子゛ニスルガラ―――!」と泣き叫んだ。





―――そして、羽継が彼らのネクタイできつく男子たちの手首を絞めて捕縛していく中、私は急いで文ちゃんを物陰に隠して、幸いにも何個か無事だったボタンを閉じ、怪我の具合を診た。


さっくんほどではないけれど、無理やり髪を引っ張られたようで床には数本もの髪の毛が落ちていたし、顔や肩、お腹や膝だとかはひどい痣になっている。太ももなどは唾液の跡があって、私はそっとハンカチを差し出した。


「……ぁ、り、がと…」


泣きそうな顔で体を拭く文ちゃんからそっと目をそらし、私は部屋の中を見渡す。

……先ほど感じた、「魔導書」の気配が薄い。―――逃げたか。


「妹子゛ォ――!妹子゛ォ――!」


舌打ちしそうになった私に、手鞠はぴょんぴょん跳ねながら耳をビィンっとある方向に折り曲げて何かを訴えている――もしやそいつが魔導書に関係しているのか?


「……うっ、……っく、」


腰を浮きかけるも、文ちゃんが体を震わせ静かに泣き始め――ひとまずこちらが先、と文ちゃんの背を優しく撫でると、ボロボロと涙を零す文ちゃんは私を見て声にならぬ声を上げ、倒れこむように私の胸の中で泣いた。


(……文ちゃん…)


今着ているものが冬服なら、ジャケットを掛けてあげることが出来たのに。

私は文ちゃんの体が冷めないようにしっかり抱きしめると、近くで項垂れているさっくんを見た。


彼の隣には全員捕縛したらしい羽継が付き添っていて、怪我と意識の確認をしていた。


「…頭やられたな。救急車を呼んだ方がいいかも…」

「うん…」


羽継がポケットから携帯電話を取り出すと、ちょうど先生方が青褪めた顔で部屋に駆けつけてきた。

どうやらあの後、吉野さんは教務室に駆け込んだよう。……ていうか、最初からそっちに駆け込めばいいんじゃ……。


そう吉野さんの行動を疑問に思っていると、教頭先生が今にも倒れそうな顔で叫んだ。


「―――こ、これは……我が校始まって以来の最低最悪の事件だ――なんてことをしてくれたのだね!」


ほら立て! と怒鳴り生徒の一人の腕を掴むと、他の男の先生方も鬼の形相で彼らをしょっ引いて行く。


内二人は近くに設置されていた担架を持ってきてさっくんを乗せると、「ちょっと我慢しててな」と呼びかけながら部屋を出て行った。


最後に残ったのは私と羽継、文ちゃんと保健室の先生だ。


「……御巫さん、ちょっとこれ、羽織っててね」


物陰に隠していた文ちゃんに優しく声をかけると、先生は白衣を脱いで文ちゃんの肩にかける。

そして怖かったね、ごめんね、と謝りながら、怪我の状態と体調を聞き、……躊躇して黙り込んだのを見て、私が代わりに口パクで「大丈夫です」と告げた。


しかし文ちゃんは幸運にも未遂で済んだとはいえ、ブラは剥ぎ取られているし舐められているし、手の跡まで残っていたりする。他にも暴行の跡が残っているから、急いでこの場から離れて病院に行くべきだろう。


―――でも、さっきの加害者御一行が恐らく生徒指導室にぶち込められてるのは他の生徒何人かに見られて騒ぎになっているだろうし、そもそもこんな惨状の子を歩かせて見世物にしてしまうなんてことは避けたい。………。


「……先生、私が文ちゃんを()()()。だから先生の車で病院にまで運んであげてくれませんか?」

「…そうね、そうしましょう」


今日は魔術大盤振る舞いだな―――しょうがないけども。


私は失敗しないよう、心を落ち着けてから文ちゃんに向き直る。

不安そうに私を見上げる文ちゃんに安心させるように微笑むと、「姿隠し」の魔術をかけようと体を近づけた。



「――――文ッッ!!」



すると荒々しく駆けつけた流鏑馬が――…え、なんで拳から血が滴り落ちてるの?

も、もしかしてやっちゃったの?殺っちゃったの!?

よく見ると頬にも赤いのが飛んでる……思わず腰が引けた、そんな私の腕から離れた文ちゃんは、フラフラと立ち上がり、



「くに、くにみつくん――!!」


文ちゃんは落ち着きかけた涙をまたボロボロと流しながら駆け出し、部活を抜け出してきたのか道着のままの汗だくの流鏑馬に抱きつくとわんわん泣き始めた。


怖いよう、怖いようと泣き縋る姿はとても痛々しくて、私は思わず目をそらしてしまった。



………なんだか、昔の私を見ているような、気分だ。






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