35.羽継終了のお知らせ
最近ご無沙汰だった「知らない誰かからの奇怪な電話」が、かかってくる夢を見た。
私は当然これを無視するのだけど、どうしてか携帯は勝手に通話モードにしてしまう。…まあ、夢だしな。しょうがないか。悪夢というやつはいつだって主人公の逃げ道を塞ごうとするもんだ。
諦めて耳を澄ます――うーん、前回よりはノイズも収まりつつあるけども、やはりまだ聞こえにくい。
【昨……、あの子、……ほんとに……―――し、…ね】
声を聞くに、相手はたぶんお母さんと同じ歳くらいだろう。
まるで受話器から離れて話しかけるようなそれに耳を澄ませていた私は、「どうせ夢だし」と思って大胆なことをしてみた。
「あなたは誰です?」
―――沈黙。
三十秒ほど黙り込んだ相手は、すぅっと息を吸うと、
【あのね私のこと誰にも言わないでくれる?絶対絶対言わないでお願いもしも知られたら私は私は私は私はああもう消えてしまいたいああぁぁぁぁごめんなさいごめんなさい私がこうする資格なんてないのわかってるそんな資格も身分でもないのにだけどどうしてもしたかったのごめんなさいごめんね許してお願い私はそんなつもりじゃなかったそんなつもりじゃなかったのにどうかしてたのごめんなさい許されなくてもしかたのないことだけど私はずっとずっとずっとずっとあの子があの子をあの子――――】
急に音量が上がってビックリした私は、思わず携帯を握って――その確かな感触と、少しだけ温く感じる温度に固まってしまう。
画面の端を見ると時計はおかしなところもなく時を刻み、通話時間も異常はない。
そのままベッドを囲むカーテンにそっと触れると、サラサラとした感触が指先を通っていった。―――リアルな感覚。……これは、現実?
――――ぺたり。
……電話は切れていないが、相手は急に沈黙を始めた。
―――ぺたり。
その代わりに、保健室の奥から、裸足で歩いているような足音が、聞こえる。
―――ぺたり。
よくよく耳を澄ませば、遠くで生徒たちがはしゃぐ声が聞こえたり、ボールを床にぶつける音が薄らと聞こえてきた―――ここで確信に変わる。
(やばい)
夢ならば、いざとなれば覚めればいい。
しかし現実となると、そうはいかない。
(やばい)
―――怪異に、不用意に接触を持ってはならない。
特に今回のようにただ話しかける「しか出来なかった」可能性の高いモノには絶対だ。
私がさっき返事をしたことは、泥棒の目の前で扉を少し開けたようなもの。基本中の基本の注意事項なのに、夢だからと、埒があかないからと、この電話を侮ってやらかしてしまった…!
(……くっそ!)
ベッドに座り直し、背を壁に向ける。
メリケンサックを付けて身構えると、音の方を睨んだ。
―――ぺたり、
―――ぺたり。
ぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたりぺたり、
「………?」
足音は止まる。
思わず姿勢を崩しそうになったが、堪えて注意深く前方を睨んだ。
―――が、
【あいたい……】
そうはっきりと聞こえた言葉に、「え?」と思わず視線を向けると――通信は途切れて画面も変わっていた。
終始意味不明の電話だったが、しかし危険を冒した甲斐あってちょっとばっかしこの怪異の謎を解くヒントは得られたと思う。ていうか思わないと私、恥ずかしくて死んじゃう―――う?
あれ、今、上から、ぺたり、って。
あれ、あ、今、肌に…………。
「あ゛あ゛ぁぁあ゛ぁあ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁあ゛あ゛ぁあ゛ぁあ゛ぁあ゛あ゛あ゛!!!」
「―――彩羽ー、起きたかー?」
「……彩羽?」
「彩羽っ!」
―――シャッと勢いよくカーテンが開く。
羽継は、目の前の光景に思わず息を飲んで、目を見開いた。
「いろ…は?」
「…ァ、は、はね……つぐ………」
私は胸元のボタン3つか4つ分ほど乱暴に開けていて、カタカタ震える手を胸に添えて、涙目であの子を見上げた。
「お、襲われた……」
―――説明不足すぎる一言から十秒後、羽継は二、三人殺してきた人間みたいな顔をした。
そして近くにあった椅子を引っつかんで引きずりながら保健室を出ようとしたので、吃驚した私は急いであの子を引き止めた。
「え、ちょ、羽継さん!?」
「離せ、逃げられる前に絞め殺す」
「逃げる?別に逃げてな―――っあ、ひ、…やんっ!」
「!?」
自分でも吃驚するくらい変な声を出した私は、羞恥と変な感覚に戸惑って床に座り込んでしまう。
そのままぷるぷる震えていると、羽継は急に椅子を床に落として、膝をついて視線を合わせようとするその顔は真っ赤で混乱極まったものだった。
「ど、ど、ど、」
「れみふぁそ?」
「違う!」
羽継が怒鳴るように言うのと変な感覚が襲うのは同時で、出来るだけ我慢しようと思ったけどやっぱり声が出てしまった。
こんなのをずっと耐えるなんて出来ないから、早くなんとかしたいのに。どうしよう……あっ、
「は、羽継…ぅ、」
「あ、は、はい?」
「わ、私の胸の…た、谷間に、……手、突っ込んで、くれないかな……?」
思わず涙目になりながらお願いした私は、早く何とかして欲しくて羽継に胸の谷間を晒した。
これブラも見えててはしたないけど、でも、緊急事態だししょうがないよね?ね?
「………………は……え…赤……いや、……え、え、えええええ!?な、ちょ、なん、なん、何言って…ムリムリムリムリムリ!!!」
「そ、そんなこと言わないで、早くしてよぉ…!」
「無理だダメだ嫌だ!!」
「お願いぃぃ!なんかぶにょんぶにょんしたのが詰まったままもぞもぞ動くからくすぐったいの!このままだとくすぐったくて死んじゃう!」
「いや………え?…ぶにょんぶにょん?」
羽継が聞き返すのに頷くと、私はさっきまでの経緯を話した。
「あのね、ずっと前から変な電話がかかってきて…そっちに気を取られてたら足音がして……こっちに近づいてきたかと思ったら、まさかの上から……」
「……襲ってきたのか、そいつが?」
「ん……それでほら、私って胸元楽にしないと寝れないから…こう、いい感じにスポって。吃驚して掴もうとしたらネタァァって舐められて、スライムみたいに伸びて胸を包んできて……羽継なら触っただけで消せるでしょ?お願い…」
「……でも、その……下手したらお前の魔力と反発して、……傷をつけてしまうかも」
「かまわないよ―――にぁっ!?」
「!?」
じわじわと動き始めたスライムみたいなアレ。ああもうダメだと変な声をもっと出しそうになった瞬間だった。
「――――っ!!」
目を閉じ顔を逸らしたあの子が、私の谷間に手を突っ込んだのは。
「んっ!」
羽継の熱い手が肌に触れるとすぐ、ずぅるん、と問題のスライムが私の胸から引き離される。
てっきり瞬殺してくれると思ってたんだけど、羽継は私の魔力と喧嘩してしまうのを嫌がって引き抜いてから締めるつもりのようだ―――が、私たちの予想を裏切り、羽継に掴まれたはずのスライムはまたも「ずるんっ」と逃げ出して、床に落ちた。
そしてじゅるじゅると薄っぺらい状態から体を丸めると、まるで水饅頭をもっと透明にしたような色の、垂れきった耳と麦の穂のようなしっぽが付いた生き物に変わる。
ぷにぷにとぅるんとぅるんの生き物の、その顔は (`・ω・´) だ。……やだ、可愛いかも。
―――さっきまでの被害を忘れかけ本日二回目の油断をした時、「ぷにとぅるん」は目を光らせ、ダンっと床を跳ねて私の胸に―――!
「散滅しろ変態がああああああああ!!!」
「あ゛あ゛ぁぁあ゛ぁあ゛あ゛あ゛ぁぁ!?」
羽継の渾身の拳が「ぷにとぅるん」の頬にめりこみ、「ぷにとぅるん」は一瞬顔がすごい汚いものに変わる――が、残念ながら散滅はしなかった。
(`;ω;´) と可愛い顔に戻ってこちら…いや私だな。私を見る「ぷにとぅるん」は、その場でぺったんぺったんと跳ね始めた。
「……あ、もしかしてこの子、本体が違うところにあるのかも…だから消えないんじゃない?」
「ちっ…なら、とことん殴って本体に戻してやる……オラぁ!」
「あ゛あっ!?」
「ちょ、落ち着け落ち着け!クールになるんだ嘉神羽継よ。クールだ」
「……っ」
殴られ、部屋の隅に転がってしくしくと泣き始める「ぷにとぅるん」から顔を背けた羽継は、深呼吸してから私に向き直ると「……もう変じゃないな?」と問いかける。
私はうん、と頷いて、ボタンを留めようと手を伸ばした。
「…迷惑かけて、ごめんね………ん?…あれ、なんか滑って…留められない…」
「……早くしろ、そろそろ誰かが来るかも…」
「でも本当に留められな……うーっ、滑る!」
「ったく……そのままの格好だと困る――から、留めてやる。いいか、困るから留めてやるんであって別に下心とかそういうのは」
「分かってるからはよ!」
「………」
急かすと、羽継はぶつぶつ何か言い訳を言いながら私のシャツに手を伸ばし、まずよれてブラ丸出しの状態になっているシャツを直そうとした。
「へぇーい彩羽ァ!沙世ちゃんたちがアンタのお見舞いに―――……」
「…ちょっと、さっさと中入ってよ暑いんだから。……え?」
「どうしたの二人と…も………」
「えっ、みんな、どうかしたの?彩羽さん…?」
あ、詰んだわ。 羽継が。
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