34.ヒーローは過保護
※後書きにて作者による野郎二人のホワイトデーイラストを載せています。
やる気が死んだ絵なのでご注意ください。粗を探さないでください。
―――気がつくと私は、食事もお風呂も済ませてベッドの上にいた。
なんだか心がふわふわしてて、羽継とどんな会話をして帰宅したのか、思い出せない…。
「……あ、」
寝返りを打つと、すぐ近くにあった携帯が光っているのに気づいた。
恐る恐る見てみれば、文ちゃんからの初メールだった。写メに今日貰ったテディベアのストラップとケーキが写っていて、端に男の手が写っている。……流鏑馬のものだろう。
【とても楽しかったです。 ありがとう】
添えられた言葉は短い。
けれど余計な言葉がないからこそ、文ちゃんの気持ちがよく伝わる。
私はすぐに羽継ベアのストラップを写メると、同意の言葉と「今度はクレープ屋さんに行こうね!」と誘う文を打った。
送信して五分後に返ってきたメールには「私、美味しいところ知ってます。」―――ふむ…文ちゃん、敬語はやめないんだね……。
私は苦笑すると、文ちゃんをからかったり「あそこにも行こう」とか色んな店の名前を上げたり――そう何度もメールを送受信して、寝落ちした。
*
―――今日はちょっぴり、寝坊した。
なんだか疲れが取れた気がしない……でも、二度寝は出来ない時間だ。
渋々ベッドから降りた私は、お父さん(お母さんは昨日から出張していていない)に怒られない程度に身なりを整えてから部屋を出る。
昼と夕方はたくさん食べる私でも朝はあんまり食べたくない方だから、出される量はお父さんより少なめ。
リビングに入ってお父さんに挨拶してから席に着くと、出来たてのフレンチトーストが置かれた。
「疲れた顔をしているね」
「うん…眠りが浅くて…」
「いただきます」と手を合わせると、お父さんも遅れて自分の席に座り「いただきます」と言って野菜ジュースに手を伸ばした。
「集中できない日は無理をしないように」
無理、というのは「お仕事」のことだ。
「お仕事」であった"学校の七不思議検査"を昨日はサボって遊び歩いていたため、まだ一つの怪異しか確認していない。
でもお父さんはそのことを怒らなかった。昨日のケーキの残りで御機嫌伺いしたのが効いたのかもしれない。
ぼんやりした記憶の中で、遅くに帰ってきたお父さんがすっごく嬉しそうにケーキを完食していたのを思い出す――というか、お父さんって甘いものが好きなのによく太らないよな……。
(……もしかして、私が太りにくかったりよく食べるのって、お父さんのせい?)
いや、「お父さんのおかげ」なのかな――そう考えながら、朝からしっかり食べてるお父さんを見る。
余所のお父さんたちと違って、私のお父さんは体型どころか容姿もきっちり若かりし頃のように維持している。
お父さん曰く、安居院の秘術を継承しているためにちょっぴり「身体の時間」に影響が出てるそうなのだ。
ちなみにこれは「時間」に類する魔術、もしくは黒魔術の分野で活動する術者にも言えることらしく、黒魔術の世界ではマジキチと讃えられる我が母も余所のお母さんたちと違ってとても若々しい。
そんな二人だから、参観日などのイベント時はすっごく目立ちます。―――っと。話が脱線したな…。
やっぱり頭の中がふわふわしてる気がする。……学校は休めないし…保健室で仮眠しようかな。そしたらマシな思考ができるだろう。
―――そう大雑把に予定を立てながらトーストを食べる私の目の前で、お父さんは三枚目のトーストを齧っていた。もちろん、ジャムたっぷりである。
……いい歳したおっさんが、なんて幸せそうな顔してるのかしら…。
「おはよう」
あれから急いで支度をした私が家を出ると、すでに羽継が待っていて近くの雀の数を数えているところだった。
「……お前、顔色悪いぞ?」
振り返った羽継は眉を寄せ私に近づいて顔を覗き込み、私のおでこに手の甲を当てる。
じんわりと熱くなるその温もりが懐かしい。羽継は私の体温と様子をみて大丈夫だと考えたのか、そっとおでこから手を離した。
「具合悪くなったら言えよ。俺が背負って帰ってやるから」
「…うん」
羽継は、優しい顔で私を見つめる。
そして私の手を引き歩き出した。―――気づけば羽継は車道側を歩いてくれていて、いつもより歩調も遅い。
―――…いや、これは「いつものこと」だ。
今まで羽継と歩くときは決まってこの子とお喋りしてたり他のこと考えていたりしたから、気付かなかっただけ。
思い出せば羽継と歩いていて私が車道側を歩いたことはない。
………だけど、昨日の女生徒は話が終わるまで、騒々しい車道側に立たされていたっけ。
「……羽継。………ありがとう」
―――いつの間にか離されていた手で、あの子の袖を引く。
「昨日も、今日も…ううん、ずっと前から。こうして、庇ってくれて……」
「―――、」
「なんていうか…えっと……そういうの、嬉しいというか…えっと……ありがとう、ね?」
上手く言えなかった感謝の言葉。もじもじしながら羽継の反応を待っていた――んだけど、羽継はずっと黙っている。
どうしてだろうと羽継の隣に立って少し俯いた顔を覗き込むと、その表情はなんかすごく怖かった。
普段からちょっと怖い雰囲気のあるイケメンのせいかもしれないけど、眉を寄せ唇をぐっと閉じ、固く握り締めた拳が僅かに震えてるのが怖い。俯いてるからしょうがないんだろうけど、顔に影がかかってるのが怖い。
さ、最近の若い男の子の間では、感謝されたらそんな怖い顔をして黙り込むのが流行りなのかしら―――そう思い込もうかと考え始めていると、羽継は勢いよく私に向き直った。
そして唇を僅かに震わせ、また口を噤み――はぁ、と息を吐くと。
「……よかった」
微笑もうとして失敗したような、少し泣きそうな。だけどとても嬉しそうで、優しい瞳だった。
その表情がとても切なげで、大人びていて。なんだか私の知っている羽継じゃないみたい。私の知らない、男の子みたい。
―――その、大きな衝撃に固まってしまった私を見た羽継は、そっと手を伸ばして、ぐしゃぐしゃと私の髪を撫でる。
大きくて、あんまり柔らかさのない手。今まで、この手で私のご飯を作ってくれたり、迷う私を導いてくれたり、私を助けようとしてくれた。……その手は、こんなにも熱かっただろうか?
羽継の指先が不意に私の耳をかすると、火傷したような感覚が残る。
(どうしよう)
どうすればいいんだろう。いつもみたいにスパッと空気を変えることができない。呼吸すら上手くできない。
早く手を退けて欲しいと思う反面で、初めてこんなに長く髪を撫でてくれるのが嬉しくて、ずっと撫でてくれればいいのにと願う自分がいる―――混乱が極まった私は、撫で続ける羽継の手を押さえ込むように触れた。
「………」
「………」
そこで、羽継の手は動きを止める。
もっというと、私の手も、除けることも強請ることもできずに動きを停止していた。
けれど停止した体は羽継に触れる手を通してどんどん熱くなっていって、離せばいいのに離せなくて。混乱した私の体はぷるぷると震えていた。
「は、羽継…」
「な…んだ、よ?」
どうしよう。
―――頭が、ガンガンする。
どうしよう。
―――息が、苦しい。
「あの、あのね、……ほ、保健室…行きたい……」
なんとかそう伝えると、羽継は急いで駆け寄ってちょっと前の宣言通り私を背負うと、学校まで走ってくれた。
そして保健室に着いてやっと、あの時の位置から学校と家の距離を考えたら家に帰ればよかったな、と落ち着いて考えることができたが、その頃には羽継は教室に駆け込んでいった。
ちなみに、羽継のクラスは一時間目から体育である。……ごめん。
*
◆◇Das Herz von Alice◆◇
―――今日、校門でも玄関でも廊下でも彩羽に会えなかった彼女は、教室の閉められた扉の前でそっと耳を澄ましました。
(……声、しないな…)
遅刻だろうか、それとも休みだろうか――会いたかったのに。
「……文?どうした?」
「あっ…ううん、なんでもない」
動きの止まった彼女を心配した彼に微笑むと、ぐ、と扉の取っ手に力を入れます。
扉を引けば引くほど、生徒たちの中に眩い髪色のひとがいないのが分かって。だんだんと生徒の目が自分に集まるのを感じて――彼女は無意識に、唾を飲み込んでしまいました。
(……いない)
このサァッと冷める感覚は久しく彼女の身を襲い、耳は聞きたくない言葉だけを上手に拾います―――。
「ねえ、今日も来たよ。死神女」
「―――祟り女が。最近調子に乗ってさぁ……」
「カマトトぶって安居院さんに取り入ってちゃって」
「この前の事故のやつだって、絶対あの女が……」
「……じゃあね、国光くん」
無理に笑うと、彼女は一歩、教室内に入りました。
そのまま、そっと大事な「おそろい」に触れると、心なしか嫌な声たちが小さくなる気がします。
(挨拶、しよう)
教室の窓側で、日直の穂乃花が汚れた黒板消しを掃除し、叶乃は眠そうに欠伸をし、沙世はなんとか宿題を終わらせようと叶乃のノートを写している――その一角に、行こう。
(……彩羽さんがいないけど、……大丈夫だよね)
もし―――もし、昨日までの優しさも楽しさも、「彩羽がいたから」得られたものであったら……そう思うと、ゾッとします。
彩羽たちと知り合う以前は、勇気を出して挨拶をしても、無視されたり素っ気なくされてばかりで、和やかに会話を続けられた経験がない彼女としては、今この瞬間、心臓が痛みを生むくらい緊張していたのです。
そんな張り詰めた心のどこかで「さっさと自分の席に座って、自習でも何でもしていよう」と逃げたがる自分が叫んでいるけれど、ここでその言葉に従ったら、もっと自分が嫌いになる気がする。昨日の楽しい思い出たちを、踏み躙ってしまうような気が、する―――。
「お、お……おはよっ、ございます。―――みんな」
言い切って、思わず貧血を起こしそうになった彼女。
それでもなんとか踏ん張って、顔を上げていると、
「おっ、グッドモーニング文ちゃん」
「おはよー、今日も暑いねえ」
「…あ…!」
宿題から顔を上げた沙世、下敷きで自分を扇いでいた叶乃の二人に、昨日とまったく変わらぬ笑顔を向けられた彼女は、思わずピーンと固まってしまいます。
文のその状態を不思議そうに見た叶乃は、黒板消しの掃除機を使用しているために周囲の音が満足に聞けない穂乃花の耳に届く程の声を出すと、穂乃花は機械を止めて振り返りました。
「―――あ、おはよう文ちゃん。あの後お腹壊さなかった?」
「う、うん……うん」
―――嘘じゃなかった。
昨日の煌くような時間も、心を満たした暖かさも。ちゃんとあった。
―――そのことに心底安心した彼女は、「昨日はとても楽しかったね」と、かつて言ってみたいと思った言葉を、"友人たち"に言いました。
すると各々が「文ちゃんマジ男前だったわ」「絶対無理だと思って賭けてたのになあ」「お前ほんとクズだな」と会話を続けてくれたのに微笑んで、先生が来るまでその場でお喋りを続けていました。
「……よかった」
その姿を見守っていた国光は安心して息を吐くと、自分のクラスへと歩き出しました。
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