26.魔の図書室
―――水泳の授業は中止になった。
その理由は、男子と女子二名の怪我による。
我が校では水泳の授業は2クラス同時に行うため、男子は別クラスの生徒だ――そんな男子が髪の乱れを直そうと群れから離れた女子生徒にセクハラ行為をし、女子生徒の友人に責められ、それを我がクラスの女子が言いがかりだ自意識過剰だと彼を庇い、口喧嘩になったのである。
すると喧嘩の途中で男子生徒は手と足を「何か」で切られ、女子生徒は私と同じく溺れかけた。
急いで二人をプールから引き上げると、女子生徒の足には数本の長い黒髪が巻きついており、くっきりと何十にも巻き付かれたおぞましい「痕」が残っていたのだとか。
その「怪奇現象」に女子は悲鳴、男子はドン引き、先生たちはプール内にもどこにも刃物らしい危険物も溺れかけた原因も見つからず、とりあえず二人を保健室に連れて行き、他の生徒たちには着替えて教室で待機しているようにと言い残した。
「―――ふんっ、いい気味よ!」
「まったくね」
シャワールームはお喋りでいっぱいで、私はその隅に設置された椅子に座りながら友人に囲まれ、今回の騒動の話と愚痴を聞かされている。
「なあにが、『御巫さんみたいなちんちくりんがー』よ!あんたの方がよっぽどちんちくりんだわ!」
「胸でかいだけのくせに、人の顔を批評できる顔かお前は! って私も言いたかった!」
キーっと怒っているのは穂乃花と叶乃ちゃんである。
実は今回被害にあった男子生徒にセクハラを受けたのは文ちゃんで、それに気づいて怒ったのは穂乃花たちであった。
その事を知った私は文ちゃんが心配でしょうがなかったのだけど、何故か文ちゃんは頬を染めてプルプルしていた。
どうやら文ちゃん、まさか穂乃花が自分のために加害者を叱り自分を庇ってくれるとは思わなかったようで、穂乃花たちに声をかけられる度に嬉しそうだ。
「文ちゃん、今度またやられたら蹴り飛ばしちゃいな!上品さをかなぐり捨てて殺るんだよ!」
「う、ん…」
お互いを名前で呼び合うくらいになった彼女たち。
いつも文ちゃんは穂乃花たちとの交流にオドオドしていたから、今回の変化は嬉しい。
文ちゃんはじっと黙っているのも人形みたいで綺麗だけれど、こうして照れ照れしている姿の方が私は好きだ。
けれどなんだか寂しいから、髪を整えてカチューシャを付ける文ちゃんに抱きついて、ニコっと笑った。
鏡の向こうの私たちはカチューシャを付けていて、なんだか姉妹みたいに見える。
「どうどう、似合う?似合うっしょ。似合うー?」
「……彩羽、アホの子に見えるからもうちょっと落ち着きなさい」
「ファ!?」
いくつか決めポーズをしながら問いかけると、穂乃花は冷たく注意してきた。
それに叶乃ちゃんたちはくすくす笑って、文ちゃんまで視線を落として肩を震わせていた。
次の授業は現代文だったけど、例の怪我をしたセクハラ男子生徒の担任が現代文の先生だったもんだから、自習となった。
自習場所は教室ではなく図書室で、学年の中ではわりと落ち着いている方である我がクラスの皆さんは馬鹿騒ぎをすることもなく、小声でお喋りしたりのんびり本を読んでいる。
お喋りの内容はやっぱりさっきのプール事件で、夏にピッタリのホラーだと笑う者もいれば学校の七不思議を口にして場を賑わすのまでいる。
私と穂乃花たちはキノコや植物なんかの事典が置かれている図書室の隅を占領しており、沙世ちゃんは「中世から現代までのファッション史」というのを読み、叶乃ちゃんは「はだしのゲン」、穂乃花は「屍鬼」を読んでいる。
文ちゃんは沙世ちゃんの隣で世界中の美しい教会の写真集をうっとりと見ており、私は「ローランの歌」を読んでいた。
(………うーむ)
本はフェイク。読んでるふりして現在「術式」起動中である。
あの日文ちゃんが「臭う」と行った周辺に蜘蛛のように糸を張り巡らせて「異常」を粗探ししてみるが、汚染されているものの特に今回の【怪異】にに連動した様子もない。
異変はない、が―――、
(………何か、おかしい)
あのプール事件から、ドロドロとしたモノが近くで渦巻いているような気がする。
威圧するようなそれのおかげで、事件後のプール散策は意味がなかった。プール自体がかなり汚染されていて、「何か」の激しい怒りを薄らと感じた。本能的にその場を離れた私は「協力者」である教頭の計らいで被害者の生徒たちに少しの間だけ会わせてもらったが――アレは、呪われていた。
彼らはしばらくの間、不幸に遭い続けるだろう。幾重もの呪術がかかっていたそれは「穢れ」に満ちていて、未熟者の私には無理な案件であった。
きっと、【霊安室】から誰かが派遣されるのだろうけど……。
「………うーん、」
それより――吉野さんのあの予言じみたセリフは何だったのだろう。
彼女からは【異能力者】特有の気配を感じないし、もし上手く気配を隠しているのだとしても、今回の事件を起こす理由が分からない。彼女はあの時シャワールームに居たわけだし、個人を狙った攻撃を、時限爆弾を設置するように仕掛けることなんて可能なのだろうか。
それとも、彼女は今回の事件を起こした犯人と通じていて、あのセリフは監視役の注意を自分に引きつけておくため……?本来の目的はまた別のところにあって……。
―――いや、それだとあのプール内に満ちた「怒り」の気は何なのか。この事件には何か深い意味があるんじゃないか。あの事件、加害者に怒りを持つのは―――
「……文ちゃん?」
御巫 文。
神職の家の娘にして後継候補――…確かに「素質」はあるようだが、それだけの人間が【怪異】を成せるのか?
しかも現代において限定的な時間・場所ならばともかく、神の力をなんの下準備もなく顕現させることなんて可能か?
それにあの加害者にして被害者の生徒たちにかけられた「呪い」は、若いのには無理だ。経験と知識のある一流の術者でなければ――完成されない。
そうなると、プールの件は現在学校に居座る【怪異】が原因で、文ちゃんがその【怪異】を利用している……?
だけどその場合は文ちゃんの「気」が穢れているはずで……今目の前にいる文ちゃんはむしろ「清い」のだけど。
「………はあ…わからん…」
「…本が?」
「ん……うん、」
誰にも聞かれなかろうと思っていたら、隣の穂乃花に聞かれてしまった。
正直この本は二度読んだから、分からないということはないんだけど――パタンと本を閉じて気分転換に違う本を探しに行くと、何故か後から穂乃花が付いてきた。
一人の女子生徒が目当ての本を抱えて席に戻るのを見てから小説コーナーに入ると、穂乃花は小声で尋ねてきた。
「―――今回のプールの件、…犯人、見つからなさそう?」
「……うん」
穂乃花は、私と長く付き合っているが「一般人」である――けれど、私の「秘密」を知っている。
一度【怪異】に巻き込まれて怖い目に遭った穂乃花は私の「仕事」に深く入れ込むことはしないが、私のためによく頼まれごとをしてくれる。
頼みの内容は主に「情報」で、家族構成や性格、趣味に好物、交友関係の隅々まで洗い出してくれたり……まあたくさんの個人情報を引っこ抜いてきてくれるのだ。
時々「どうやってそんな情報手に入れたんだ」と聞きたくなるようなものまで教えてくれるから、彼女は将来探偵になったらどうかと思う。でも穂乃花の将来の夢は警察官らしい。
「……ね、吉野さんについて、知ってることを教えてくれる?」
「吉野さん?」
もし吉野さんが「無登録」異能力者――突然「異能」に目覚めてそれを【霊安室】に隠して生活している能力者のこと――だった場合、私は管理者として【霊安室】に報告しなければならない。
能力の有無は次回、機会があればちゃんと確認するけれど……まずは下調べをしておかないと。
「吉野さんね…流鏑馬くんのファンよ。放課後によく剣道場へ顔を出すとか…ああ、あと剣道部三年のイケメン先輩と仲が良くてファンの子たちに嫉妬されてるんだけど、あの先輩は吉野さんの従兄弟なの。その関係で剣道部のスケジュールとか流鏑馬くんのことを教えてもらってるみたい」
「ほー」
「それで剣道部に顔が利くもんだから、吉野さんに媚を売ってる子もいるんだとか。
あと吉野さんのお父さんはホテルの社長さんで、お母さんはモデル…だったかな。家はけっこう裕福よ。休日とかもブランド物身につけてたし。でもスマートに着こなしてて流石だったわ」
チッ、と舌打ちする穂乃花さん……そんな嫉妬しなくても、君も十分愛らしいよ。
「―――あ、そうそう…吉野さんは剣道部の部活が終わるまで図書室にいるそうよ。宮野くんと逢引してらっしゃるんですって」
「…逢引? 流鏑馬が好きなんじゃないの?」
「二股かけてんじゃないの」
「んなテキトーな…」
「だって、詳細はわからないけど、事実よ?」
なんか穂乃花の中での吉野さんの評価がよくわかるな……まあいいけど。
しかし吉野さん、「あの」宮野と付き合いがあったとは――これは何かあるな。
というのも――本日プールで溺れかけた私を助けてくれたイケメン男子、「宮野 弓季」は【異能力者】なのだ。
しかもかつてその【異能】を使って人に危害を加えたため、一度私にシメられた経験のある――それなのに私を助けてくれた理由はなんだろう……恩を売りたかったのかな。
後でちゃんとお礼しにいかないとなあ……。同じクラスならすぐさま会えるのに。
「それからね、吉野さんって"占い"が得意なんだって」
「へ?」
「これが結構当たるというか…例えば、ある子たちに『事故に巻き込まれるからいつもとは違う道で帰りなさい』って忠告したんだけどね、忠告された一人は気にしないでいつもの道で帰って、もう一人は忠告を聞いて違う道を通ったの」
「それで?」
「忠告を聞いた方は特に何事もなく家に帰れてね、すぐに忠告を聞かなかった方を心配して電話をかけたら――その子、事故に巻き込まれて怪我をしちゃったの」
「へ!?」
「いや、怪我といってもそんな酷いものじゃなかったんだけど……それ以来、お金払ってでも吉野さんに占ってもらいたい子とか出てきてね。占いは当たるし相談事もちゃんと聞いてくれて一緒に悩んでくれるし、口も硬いから――吉野さんを信頼してる子もけっこう多いのよ」
「へえ……」
う、占い……私も齧ってみたけれど、飽きちゃったんだよね…。
それで羽継と七並べとかスピードを始めちゃって、二人で白熱しすぎて手を紙で切ってたわ。
だけど吉野さんは本気で「占い」というジャンルに取り組んだのか、それとも「才能」があったのか――もしそうなら、あの時の予言は、彼女にとって特に意味はない……。
「―――ありがとう穂乃花。すっごく価値のある情報だった」
「ほんと?」
微笑むと、穂乃花は嬉しそうだった。
ちょっと得意げな穂乃花は、チラッと文ちゃんたちが座っている方向を見ると、
「さっさとこんな事件片付けてさ、皆で遊びに行こうよ。ちょうど文ちゃんが好きそうなイベントもあるんだよ」
「おー、いいねえ」
文ちゃん、喜んでくれるかな。
―――カタン
「………ん?」
唐突に、背後から音がした。
私と穂乃花は同時に振り向くと、音のした辺りを探して―――ゾッとした。
「なにこれ……!?」
―――私たちの、背後。
そこには、長い、どこまでも長い――たくさんの艶々とした黒髪が、本棚の下段から穂乃花の足元にまで伸びている。
それはなんだかいくつもの手のように、穂乃花の足を捕まえようとしているようで、艶やかな黒髪だからこそおぞましい触手に、穂乃花は思わず倒れそうになる。
私は慌てて彼女を支え、例の触手から庇うために私の背後へ隠した。
(……プールの気配と似てる……?)
膝をつく。
息を吐き、自らの魔力の乱れを治す。
それからじっと【怪異】を見つめて分析してみるが―――呪いの類は見つけられない。
ただ…"封じている"陣が薄ら見えた。……これは…東洋魔術か。
「彩羽!?ちょ…触らないほうがいいって!」
穂乃花の悲鳴のような声を背に、私は構わず「髪の毛」をかき分けた。
どうやら髪の毛の一部は巻き付いているようだ―――ある一冊の本を、戒めるように。
「……これ―――魔道書!?」
大人の魔術師でも「これ」を手に入れるのに無傷で済まない。捕獲するためには大怪我覚悟、数人の魔術師で連携して挑むのが定石という、【怪異】の中でも危険度の高い禁書。
それが、今この場で。私の目の前で。
「極めて安全」な状態で、見つけてしまった…だと……!?
「ひゃっは――――!!」
「!?」
湧き上がる歓喜を抑えきれず、私は誰にも盗られないうちにたくさんの髪が巻き付いた本を我が子のように抱きしめる。それに穂乃花は引いていた。
気にせず私は呪いのように髪が巻きつく魔道書に幸せそうな顔で頬ずりする。その様に穂乃花はドン引いていた。
「うえっへへへへ…ふぇっへへへへ……やった…やった……」
「……ちょ、彩羽…」
「私の手柄だ…えっへへ…やった……やった―――ああんッ神様ありがとー!愛してるぅ――!!」
図書室の真ん中で急に愛を叫び始めた私は、早くお父さんに会いたくて急いで立ち上がった。
誰もが呼び止めるのを聞かず、勝手に図書室の扉を開けて飛び出した私――それに遅れて、「カタン」ともう一度"音"がしたのに、気づくことは出来なかった。
―――ほくほくした顔で学校をサボった私にクラスの皆がざわめき、穂乃花が上手く誤魔化そうと先生に事情を説明している頃、影のように誰の目にも止まることなく移動した女子生徒がいた。
女子生徒は恋愛小説をそっと本棚に返すと、ふと長い髪の毛が垂れていることに気づいて後ずさった。
けれど、髪の毛が巻き付いている本の背表紙を見て――まるで憑かれたように禁断の書物に手を伸ばした。
―――その本の題名は 「私は/貴方を/肯定します」
現在、この学校にて「異常」を撒き散らしていたものの正体である。




