25.魔のプール
なんか吉野さんに謝罪してからやたらと視線を感じるし、何故だか歩いているだけでもクスクス笑われるし、更衣室に入るときに誰かに足引っ掛けられるし――急に居心地が悪くなってきた。
とりあえず転ばされたから、綺麗に受身をとってゴロゴロ転がり、ファサァ…と乱れた髪を手櫛で梳いて華麗にポーズを決めてドヤアアと穂乃花たちを見てみる。
―――爽やか極まりない私の対処を見て、パチパチと拍手を送ってくれたのは文ちゃんだけで、穂乃花たちときたら「狭いところで何やってんの」だの「御巫さん、あのアホに付き合うとアホになるよ」だのと言うし、周囲も何とも言えない表情で私をチラッチラ見ながら着替えを再開していた。
しょんぼりしながら着替えていると、「安居院さんってアホだよね…」「そうだよね、バカじゃなくてアホなんだよね…」と大人しめの子たちがボソボソ話しているのを聞いてしまった。……くっ、私は馬鹿でもアホでもないッ!
「そうだよね、文ちゃん!」
「…彩羽さん、アホ毛…アホ毛が…」
「!? 文ちゃんまで――あっだ!」
「いつまで蓑虫ごっこしてんの!いい加減腹ァ括りなさい!」
「やだー!プールやだー!」
「やだやだ言わないの!」
………水着に着替えたけど、やっぱり嫌になってバスタオルに包まり(たぶんタオルの隙間から髪の毛がはみ出てる)駄々を捏ねてみる――と、穂乃花にタオルを奪われ腕を引っ張られた。
なんと容赦のない……これが強制連行ってやつですね、やっだー!
「くぅぅ…プールの水よ、枯れ果てろ……」
「しっかり、彩羽さん…」
無慈悲に私を引っ張っていく穂乃花(羽継の次に付き合い長い幼馴染)よりも最近お友達になれた文ちゃんの方がよっぽど優しい。
そっと私の背を擦り、励ましながらプールへと――…あれ、結局連れ出されてる?
えっ、文ちゃんさん嘘だよね!嘘……あれっ、抗ってみたら文ちゃんさんが急に背中を押してきたぞ!?文ちゃんさん!?裏切ったのか!?イヤーッ信じてたのにー!!
「暴れない!…ったく、溺れないように面倒見ろって頼まれてる身にもなってよね」
「知るかー!やだー!私っ股から血が出てるから授業休むー!」
「はいはい出てないから静かにね。そんな怖がらなくてもだいじょうーぶ、流石に今年は溺れないって」
「ふふっ彩羽だもん、絶対溺れるって……そうだなあ、2ポンド賭けてもいいよ」
「ポンド…なの…?」
連行される道中で、おっとりと文ちゃんが首を傾げている――と、先生が遅れてやって来て整列するようにみんなに告げた。
すぐに点呼をとり、ストレッチをしてから水泳一日目ということで「水と触れ合う」という名目のお遊び時間になった。
―――嗚呼、みんながキャッキャと騒ぎ始める姿は、学校に居座る【怪異】に侵されながらも健全で青春の輝きに溢れている。
………その中で、私はおずおずと足先を水に浸したり離したりをしていて。澱んだ空気を纏いながらイジイジしていると、ふと強い視線をいくつか感じた。
誰だろうと見回してみるが、周囲は不自然なまでに私から目をそらしている……むぅ、「プール授業の問題児」である私だから、やっぱりこういう授業では注目を浴びちゃうのかもしれないな。気にするのはやめよう。
不審な動きをするのをやめた私は、今度は近くで水を掛け合っている穂乃花たちをジト目で見つめた。……楽しそうである。
「彩羽さん」
「ん?」
とりあえずゆっくりゆっくりプールに下半身を沈めていると、ぺたぺたと歩み寄る文ちゃんに声をかけられた。
真っ白い肌の文ちゃんとスクール水着はすごく相性が良くて眩しいお姿で、思わず数センチ体を沈めてしまう。
そんな私に、文ちゃんは少し困った顔でしゃがむと、背後に隠し持っていたものを差し出した。
「これ、先生から」
―――受け取ったそれは、 ビート板 であった。
しかも見覚えのある……めりこんだ痕。
なんとなく触れてみると、あの日の光景が蘇る。
『あべばっぶぶぶぶぶぶぶぶっ』
『落ち着け!落ち着け彩羽!ほら、ビート板取ってきたから……』
『ひびびびびびびびっ』
『いだだだだっ、落ち着けってば、海と違って足が着くんだからそんな―――っ!』
みんなが自由に水と戯れる楽しい時間。
そんな中、私だけが修羅場タイム。何度「死ぬ」を心の中で連呼したか分からない。
助かるためにばしゃばしゃともがけばもがくほど自体は悪化し、私の身は慌ただしく飛び跳ねる水飛沫に沈められそうだった。
けれどもうどうしようもない混乱の中、やっと羽継を認識できて。
「助けて」と伸ばした手は、何度も滑ってあの子の肌を引っ掻くばかりで。
やっと掴めたと、思ったら。
…………羽継の水着が、ずり落ちた。
「…えっ、彩羽さん!?どうしたの、急に沈み始めて!」
「ごめん……」
「えっ」
―――思い出すと死にたくなる。あの日の思い出。
ずり落ちたと言っても羽継が際どい所で落下阻止+引き上げることが出来たため、そして私の大騒ぎにより、誰も羽継の緊急事態に気付くひとはいなかった。
私も後から思い出したようなもので、当時ただただ羽継に縋ってやっと落ち着き、プールから脱出させてもらって――はい、とビート板を渡されてから気付いたのだ。
あの時、羽継は何も言わなかったけど、でも黙って差し出されたビート板にものすごい力で「八つ当たり」されたのを見るに、相当お怒りだった。
流石の私も怖くなって、事態を理解できないまま謝罪し、大人しくビート板を返却しに行った。やっと理解できたお昼休みには、そっと羽継の好きな鈴カステラを献上したのだった。
(……でも、思えばあの時あんなことしても、あれから数日後にまた溺死しそうになった時だって駆け寄ってくれたんだよなあ)
あの子って、本当にイケメンであ……――あっ!?
「あべぶっ!?」
「い、彩羽さん!?」
思い出に浸っていた私は、誰かに水着を引っ張られて勢いよく沈んでしまう。
急な事態に慌ててもがき浮上しようとするけど、最悪なことに足を攣った。
(―――!)
死んじゃう、と震えた瞬間、ぼんやりと白いいくつもの腕が私に触れてきた。
私はそれが死神のように思えて、さらに暴れてしまう。暴れて、暴れて――不意に、背後から誰かの腕が私を抱き上げた。
僅かにパニックに陥っていた私は、何故かそれを羽継のそれと思い、暴れていた体を止めた。
その後は簡単に水中から引き上げられて、私は愛しい酸素と再会できたのであった。
「…はっ、はぁ…はあぁぁぁ……」
しばらくしてやっと落ち着いた私が振り返ると、助けてくれた恩人たちは互いに軽く頭を下げている。
穂乃花と私のためにわざわざプールに飛び込んでくれたのに死神と誤解してしまった文ちゃんは、「手伝ってくれてありがとう」と礼を口にしており、礼を言われている相手こと私の命の恩人三人目は………「宮野」という男子生徒だった。
羽継や流鏑馬とはまた違う雰囲気のイケメンに救助された私は、彼らに何か言う前に先生に引き上げられた。
素直に事情を説明した私は、先生に言われて見学することになり、しばらくプールから離れた地点で休憩した後、保健委員に連れられてシャワールームに一足先に入った。
ちなみに保健委員は―――吉野さんである。
「……ほら、タオルと着替え」
―――静かな室内に、そっけない吉野さんの声が響く。
私はそれなりに明るく「どーもー」と軽く頭を下げたが、何故か距離を空けて着替えを差し出してくる吉野さんに近づくことはできなかった。
だって―――私は授業中、"誰かに水着を引っ張られた"のだもの。
(……思えば、今までの周囲の視線も嫌な空気も……吉野さんと口論になってからだ)
そして思い返せば、今までの嫌な思いをさせやがった(疑いのある子も含めた)女生徒たちは、「吉野さん一派」だった。
我がクラスの女子の大半を率いる吉野さんにあの時怪我を負わせたからなのか、それとも現在【怪異】に侵された生徒たちの共通の症状として確認されている、「自分の感情にとっても素直になる」行動から私への嫌悪なんかをおおっぴらに示し始めたのか――まあともかく、団結している様子が伺えるから、この吉野さんが今回の嫌がらせに加わっている可能性は高い。
吉野さん自身が自ら動くかどうかは分からないが、まあ用心するに越したことはない……だから荷物はそこに置いて帰ってください。
「………」
「………」
「………ちょっと、取りに来なさ」
「――へっぶし!」
「………」
しばらくの間の後、耐え切れない様子で吉野さんがなんか言ってたけど、くしゃみしちゃったもんだから聞き取れなかった。
顔を上げたら「イラァ…」という文字が背景に浮かんでいそうな顔をなさっていたので、私は怒られる前にパッと着替えを受け取ると籠に突っ込み「ありがとう」と一応礼を言って、シャワーを浴びに行く。
胸と股まで磨硝子で隠されたシャワールームでさっさと水着を脱いで蛇口を捻ると、一つ挟んだ隣のシャワールームからも音がした。
私のところ以外からも発せられる水音に、思わず「あんたも!?」と言いたくなってしまう――あんまり彼女のことを知らないけれど、まさかサボるの大好きな子だったのか。
「……何よ」
身を乗り出して吉野さんを見ていた私をキッと睨んだ吉野さん――だが、やがてその視線は私の胸元にいった。
そして自分の胸をチラッ…と見て、シャワールームから顔を出すのをやめてしまう。
ということはつまり………ほほぅ、悔しいのかね……くっくっく。
「―――じゃなかった…吉野さん、サボっちゃうの?」
「…そうよ。私もプールは嫌いなの」
「なんで?」
「……男の視線が嫌なのよ」
えっ。
毎日しっかり化粧してるから、「注目浴びるの大好き!」な子だと思ってたんだけど……なんだか吉野さんって……謎だ。
でも特に追求せずに、私はのんびり体を温めながら「先生に叱られちゃうよー?」と言ってみる。――これでも私は学級委員なのだ。
すると、私の忠告に吉野さんは鼻で笑って、
「どうせ、授業は潰れるわよ」
予言のような言葉に思わず目を見開くと、遠くから悲鳴が聞こえてきた。
「誰か」「救急車」と悲鳴の合間に聞こえる声に何もできず、ただ吉野さんを見ると――彼女は、まったく気にした素振りも見せずに優雅にシャワーを浴びていた。
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