15.恋する少年
「ぽそ……ぽそ…」と食事をし続けること十五分。
羽継のお腹は満たされてきたようだけども私はまだまだ――あっ、いや、まだ手が痛くてだね、ちょっと食べ辛くて時間かかってるだけだからね!違うんだからね!
「……彩羽、」
「ちがいます!」
「!?」
私を嘲笑う幻聴への言葉を思わず口に出してしまい、意を決して何か言おうとした(らしい)羽継はまったく噛み合わない私に吃驚して「ピーン」とした後、少しの間を空けて脱力し、「…彩羽、」と何事も無かったように会話を再開した。
「お前、御巫から…なんか話聞いてない?」
「は?」
「いや…こう、こそっと、お願いとか…相談とか…」
「されてな――いや、されたな。」
「ほんとか!?」
「"メアド教えてください"って奥ゆかしいお願いを、さっき―――…ごめん」
「ハハッ」と笑いながら言ってみれば、羽継は「ぬっ殺すぞアアン?」と言わんばかりのお顔をしてらっしゃったので、私は珍しく素直に謝った。……いいじゃないのよ、じ、自慢したかったのよ!
「……特にないです……何かあったんですか……」
「ぽそ…ぽそ…」と食事を再開しながら尋ねると、羽継はちょっと困った顔をした。
言っていいものか悩んでいるのか――何せこの子は口が堅い。たぶん尋ねて来たからには相手に口止めされていないんだろうが、躊躇うとなると良い話じゃないのかも。
そういえば穂乃花のメールに文ちゃんが足を怪我してたって書かれてたし、そこら辺の話か?また虐められたのか?
「…………お前、流鏑馬の噂…とか、知ってる?」
「知らない。…あ、この前、竹刀でクズの骨を折った――くらいは知ってる」
「そうか」
羽継はここでお茶を飲む。そして息を吐いた。
「――実は、―御巫が、今日……"流鏑馬を監視して欲しい"と頼んできたんだ」
「ハァ?何で?ついにうざくなったか?」
「おいウザイとか言ってやるな。…どうにも、そういう訳じゃなく……危ないことをしそうになったら止めて欲しいんだと」
「危ないこと、って……」
「たぶん、お前も言ってた竹刀で骨折った――御巫の加害者に対する報復について、止めてくれって言ってるんだろうが……」
ふむ、と私は煮物を一口。
―――やぶ…やぶさか…あ、藪川。…の監視、ねえ………。
文ちゃんと藪川はクラスも性別も違うから、登下校休み時間とほとんど一緒に過ごしてても、藪川が"隠そう"と思えば確かに彼の行動は把握できない。
……あの文ちゃんが知り合って間もない羽継にそんなこと頼むってことは、もしかして「敵は徹底的に潰す」派なのか藪川よ…。
「…私から見てあの藪川は、良い人そうなタイプに見えたけどね。まあ、カーッと頭に血が上るかもしんないけど、そこら辺は年相応にさ」
「ああ、俺もそれは思った。藪川は基本的に"みんなと仲良く"するタイプだし、誰にでも愛想が良い。気遣いも出来るし明るい……確かに竹刀で報復はしてしまったが、御巫が俺にわざわざ監視を頼むほどの要注意人物には思えない性格なんだよ」
羽継がそう言うなら、そうなのだろう。
この子は上にも同世代にも絡まれて揉まれて殴り合いをしての時代を過ごしたことがあるから、基本的に相手を「疑ってみる」子なのだ。
恐らく「どっからどう見ても良い人」な藪川のことも、裏表があるかもとか計算高いとか色々考えて見定めようとしたはずだ。
しかし、ああしかし。―――あの日から、
文ちゃんの家に行ったときは文ちゃんを笑わせようと頑張っていたり、校内で文ちゃんと一緒に歩きながらも周囲を警戒している藪川の頑張りを見てきたが―――それを思うと、彼はただ、文ちゃんを「好きだから」頑張っている――よくある甘酸っぺー恋する少年にしか思えないのである。
それに、私や羽継が落ち着き過ぎているだけで、藪川の「報復事件」も、ずっと前に見た文ちゃんに「犯人」の名前を言わせようとする彼の姿も、年相応の若い行動だと思う。
若いから、大切にしたくて、守ってやりたくて――そんな感情に振り回されて、後先考えられずに加害者に暴力を振るってしまったなんてよくあることだろう。…たぶん。
それだけ彼が文ちゃんに対して純粋に想っているということでもあると思うし……。
―――だから、藪川は基本的に「地雷」を踏まなければどこまでも穏やかな人だと思う。
まあ、たぶん、たぶんね、…の、私的な意見である。そこまで彼と付き合いあるわけでもないし。それにその道の経験豊かな人が見たら「危険人物」とか判断するかもしれない。
「……まあ、確かに問題行動起こすのは不味いね。無茶苦茶な事しでかしやすい歳でもあるし、"注意"するのは大切かも。アンタは体格も藪川より良いし、強そうだし。…うん、藪川が何かやらかしそうになったら職員室に全力ダッシュな」
「そこは"止める"じゃないのか……」
バカめ、あんたに「止めろ」って言ったらマジで体を張ってやりかねないだろうが。
「下手に怪我人増える方が不味いっしょ。…まあ、あんたが激おこな藪川を口だけで宥めることが出来れば違うけど」
「………。無理だな」
―――それに、羽継たちの担任の先生はすごく良い人で、生徒に真剣に向き合ってくれるが真剣過ぎて胃がやられて痩せすぎの男性教諭である。話によっては軽い注意で済ませてくれるかもしれない。
ここは問題が起こる前に教師を呼ぶ、の選択が正しいはずだよね、たぶん。
「―――だからさ、今ん所は様子見にしとけばいいよ。藪川に変な噂が無いかは私が調べてみるから。あんたは……うん、どうせなら親睦でも深めたら?もし説得しなくちゃいけないような時が来たら、親しくないあんたよりも親しみを感じるあんたの方が話を聴いてくれるかもしれないし」
「…………そうだな、考えとく」
そう言うと、羽継は少し肩の荷が下りたような顔をした。
*
◆◇Das Herz von Alice◆◇
―――去って行く羽継の背を見守っていた彼女は、そっと隣の国光の横顔を見上げました。
(怒ってるかな……)
今回も彼は彼女に「犯人」を問いました。しかし彼女は口を割らず、「自分で転んだ」とだけ言いました。
その結果、彼は怒ってしまった――しかし彼女に八つ当たりするわけにはいかないので、むっつりと黙っていたのですが。
(嘉神くんにも怒られたし……やっぱり何かするべきなのかな。…でも、お祖父さまやお祖母さまに迷惑かけたくないし……それに、)
「―――まだ、全然。苦しくないもの。」
小さく呟くと、彼女は自分の足下を見つめました。
彼女が自らのいじめに対してまったく動かない、いや、動けない理由――その一つは、養ってくれている祖父母を困らせたくないため。
もう一つは、これが自分の罪に対する罰だと思っているため。
―――そして、"おまじない"のために、動かないでいる。
(第一、お祖母さまに、「あなたは誰かを憎んではならない」と言われているもの)
ずっとずっと、優しい手に抱かれながら、「ひとを憎んではいけない」と彼女に教えてきた祖母。
亡き両親に報いたければ、「優しい良い子になりなさい」と言った祖父。
―――それらを守ったら、両親は怒らないという。
―――それらを守ったら、両親にもう一度会えるという。
―――それらを守ったら、もうお母さんは、兄だけじゃなくて、私を見てくれるって。
―――私を。もう、仲間外れにしないって。いつかきっと「分かる」って。良い子にしてたら、優しい子になれたら、お母さん、お父さん、私、私を。
「――――なあ、」
「…え?」
無音の世界から、急に全ての音が甦ったよう。
彼女は彼の声を認識した途端、瞳を揺らし、恐る恐る顔を見上げました。
「…なあに、国光くん……?」
首を傾げると、彼はまず無言で彼女の手を引き、家路を歩きます。
元々少なかった人影が更に減る頃になってやっと口を開いた彼は、ぎゅ、と彼女の手を握り直しました。
「―――もう少し…頑張ったら、夏休み、だな……」
「…?…うん、」
「その。……夏休み、暇?」
「ん……うん、習い事とか、少しあるけど…」
「そっか」
ぱたぱたと犬の尻尾が横に揺れる幻を見た気がする彼女は、彼が急にキッと顔を引き締めたのを見て、びくぅっと小さく肩が跳ねてしまいました。
「―――文!夏休みは遊んで遊んで遊びまくろう!!」
「………え?」
真剣な表情に似合わない、不真面目な発言。
今までの彼の急な言動を知っている彼女は慣れからか静かに「どういうこと?」とまた首を傾げ、彼の言葉を待ちました。
「そ、その、…最近嫌な事ばかりあって、だいぶストレス溜まってると思うんだ。だから――さ、金と時間が許す限り、夏休み満喫しないか、って……言いたかったんです……」
じっと彼女に見つめられて恥ずかしくなってきたのか、だんだんと彼の声は萎んでいきました。
が、対する彼女はパァァァっと表情が――彼にだけ分かる程度に明るくなって、さっきの暗い表情から穏やかな表情へと変えたのです。
「本当…?一緒に遊んでくれるの?いいの?」
「も、もち!……ろん!」
元気よく何度も頷く彼は気づかなかったけれど。
―――その時、彼女は昔のように微笑んでいました。
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