表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

 仕返し屋と聞いて本人達と祐介以外の者が騒ついた。目の前に居る青年が、この業界で知らぬ者はいないと言い切れる仕返し屋だと。数ヶ月前にふらっと名前がでて、凄まじい速さで存在が広まった。気分次第で、どんな暴力団でも潰し、更に残虐な殺し方をする仕返し屋は、直ぐに危険視されていた。

 しかし危険視されていた割にはどういった姿をしているかは、あまり知られていない。彼の標的になった暴力団の人間は、必ず全員が殺されていたからだ。運良く生き残った者などいない。だから、鮫島達は直ぐに反応ができないでいた。

「ど、どうします鮫島さん…」

 下っぱの一人が、鮫島に耳打ちした。

「狼狽えんなみっともない。何時でもチャカ出せるようにしとけ。あのガキが本物でも偽物でも、何か怪しい動きしたら殺せよ」

 鮫島はできるだけ小さい声で指示をする。勿論珠理亜にもだ。

 魅空はそんなひそびそ話には興味はないようで、いつものようにニヤニヤしている。すると、何かに気付いたように、珠理亜の事をじっと見つめた。見つめられている彼女は嫌な寒気を感じて身構えた。

「……オホッ。もしかしてオメー珠理亜か! なんでぇなんでぇ、数年で大分痩せたじゃねーの。最初分かんなかったわー。そっかそっか、思い出したわ。そーいやオメー武者修行の旅(笑)に行ってて居なかったもんな。生きてるわけだわ」

 急に馴れ馴れしく話しかけてきた魅空に、珠理亜は首を傾げた。自分にこんな有名な殺し屋になりそうな奴はいない筈だ。

「あはっ。わっかんねーか。じゃあこれならどう?」

 相手が自分の事を分かっていないのに気付いた魅空は、祐介と会ってから初めてフードを取った。

 隠されていた素顔。それは珠理亜と引けをとらない綺麗な顔立ちをしているが、どこか直視したくはない独特な雰囲気を発していた。そして一まとめにした長い金髪。色は珠理亜の物より少し薄い。

 キョトンとしていた珠理亜の顔は、魅空の素顔を見た瞬間、憎悪に染まった。

「! 貴様は…!」

「分かっちゃったぁ? だよねー、流石に分かるよねー。忘れるわけないだろうからね俺様の事。ご存知、魅空様だよ」

 挑発するように、親指を立てた右手で二回、自分の胸をつついた。表情も挑発的に右目を見開き、眉を吊り上げていた。

 その挑発に乗ったかどうかは分からないが、珠理亜は下唇を噛んで魅空を睨み付けている。

 この状況に一番驚いているのは鮫島だった。珠理亜がこんなふうに露骨に怒りを露にするのを見たのは、初めてだった。真田組で雇われて出会った珠理亜と鮫島はまだ数ヶ月の付き合いしかない。それでも、二人は妙に惹かれ合い意気投合し、男女の関係すら経験した。今や真田組の中で、珠理亜と鮫島の仲を知らない者はいない。しかし、恋仲の珠理亜の激昂する姿は、鬼気迫るものもあり、思わず後退った。

「どうした。アイツと何があった?」

「アイツは…アイツは…! 皆の仇だ!」

 叫ぶ珠理亜、嗤う魅空。彼女の記憶はフラッシュバックする。

 追憶するのは自分の村。魔導一族の隠れ里だ。そこで珠理亜は他人より、魔力を溜め込める才能を持って産まれた。極めて平凡だった彼女の親は、強い力を持って産まれた彼女に期待し、甘やかして育てた。精神は酷い物にはならなかったが、肉体がだらしなく成長してしまった。肥育った彼女はまだ幼く、己の力を持て余していた時期があり、それが劣等感を生み、妬みも生まれ虐められていた時もあった。珠理亜はそこで腐らず、悔しさをバネに努力を重ねる。頭に数式と術式、薬品の情報をたたき込み、武者修行の旅にも出た。その修行中に力を手にし、痩せて肉体的自身も身に付けた。魔法使いとして認めてもらうため、村に帰った時、珠理亜は惨劇を目撃する。

 血、肉、骨、血管、その他諸々。人間の躰を構成し、目に見える物は全てばらまかれ、村人も全て殺されていた。親も友人も先生も、初恋の相手も。殺されていないのは、魔法使いとして散らばっている戦士と、自分より酷い虐めを受けていた少年をだけだった。魔法使いの先輩から聞いた。犯人は恐らく、その少年だと。

 凄まじい力を持つ魔法使いを両親に持ちながら、彼自身はまったく魔法が使えなかった落ちこぼれの少年は、今や青年となっていた。

 珠理亜は懐から数枚の紙を取り出した。その紙には術式と魔法陣が描かれている。短く呪文を詠唱すると、魔法陣が浮き出し、鮫島と下っぱ達の中に溶け込むように入り込むと、内側から彼らの躰を拘束した。指等は動かせるが、大きな動きはできない。

「…!? おい、なんで…!」

「邪魔してほしくないから。アイツは魔法使いが殺さなくちゃ…やっと見つけた皆の仇だから!」

 加勢するなと。自分だけで一族の仇を討とうとするとは、なんと熱血漢な事か。カプセルを鮫島に預けてから、珠理亜は再び数種類の魔法陣を描かれた紙を取り出して、魅空を見据えながら構えた。

 それたいして魅空は、暑苦しそうに舌を出して苦笑している。

「デブは痩せると中身も変わんのかよ、あっつくるしいなー。別に相手するのはいいんだよー、俺だって魔法使い様と闘って試したい事あるし。でもさぁ、そのガキんちょ、こっちに渡してくんない? 一応依頼人でさぁ、そこの暴力団ぶっ殺して報酬ふんだくんなきゃいかんからよ」

 その提案はふざけた内容だが、珠理亜は受け入れた。祐介がどうなっても構わないが、障害物は少ない方がいい。

 珠理亜が首を縦に振ると、魅空は虎鈴に行ってこいと指示を出す。虎鈴はそれを素直に従い、小走りで祐介の元へ駆け寄った。

「虎鈴さん……」

 虎鈴は何も言わず、返事の変わりに彼の肩へ手を一度置いた。虎鈴の顔を見て肩への温もりを感じた祐介は、少し安心した。

 この時、魅空以外は気付かなかった。虎鈴が珠理亜の隣を通り過ぎた時、珠理亜が鼻をひくつかせ顔を顰めたのを。虎鈴が祐介の手を取り、魅空の元に戻ろうとした。珠理亜の横を通り過ぎると、彼女が手を伸ばし虎鈴のニット帽を取った。

「あっ……!」

 虎鈴が短く声を上げ、露になった頭を隠すように押さえた。明らかに顔色が変わり焦った様子だったが、彼女の両手で頭に生えている物は隠しきれていなかった。

「虎鈴さん…耳が…!」

 ニット帽を取られた時に出た声に反応して、虎鈴の頭を見た祐介がいち早く反応した。

 彼女の頭にはぴんっと立った三角の獣の耳、猫の耳があった。虎鈴にはちゃんと人間の耳がある。見た目も知能、思考も人間と同じだ。しかし、頭にある、時折ピクピクと動くリアリティある獣の耳が彼女を人外だと告げていた。彼女は獣人種だった。猫の耳から判断すると、恐らく猫又族。しかもかなりレアな突然変異した猫又の上位種だ。それは亜種とも言える。そして中途半端な存在とも。元々中途半端な獣人よりも、獣でも人でもない曖昧な存在がそこに居た。

「そいつの名前は虎鈴」

 暴力団と祐介が驚くなか、魅空が言葉を発した。

「俺が捕まえた猫又の上位種、だ。よくわかったじゃねーの」

 魅空は讃えていた。虎鈴を獣人と見破った珠理空の事を。

「匂った」

「ほう。何がだ」

「どんなに人間に近くても、例え香水なんかの香料等で匂いで隠したとしても、獣本来の独特な獣臭は微かに残っているものよ。獣人の匂いなら、違いはあったとしても、ちゃんと記憶しているわ」

「鼻が効くじゃねーの。お見事」

 問題を解いた生徒を誉めるように、拍手をし称賛した。

 その間に、虎鈴は祐介と共に魅空の元に戻っていた。手には取り返したニット帽を持ち、急いで被り直している。先程とは違い、虎鈴の表情は暗い。祐介は不思議でならなかった。獣人とはいえ、彼女は上位種。場所が場所ならば、人間と対等な扱いを受けてもおかしくないだろう。それなのに、何故虎鈴は隠していたのか。今も怯えるように隠しているのか、分からなかった。

「邪魔は退けた。そろそろ、死合うか?」

「勿論。最初からその気よ…!」

 魅空はジャケットの中に隠してあった、ブレードが幅広ろのサバイバルナイフを取り出す。魔法使い相手に刃物一つで挑むとはバカか、と鮫島達は思った。

 空気が徐々にピリピリと張り詰めていく。広い拷問部屋の空間を、闘気を含んだ緊張感が満たしていく。素人の祐介は息苦しさすら感じていた。

 サバイバルナイフの背を指でなぞり、指で弾く。それが合図だった。魅空がコンクリートで造られた冷たい床を駆け、珠理亜へと接近する。速度はさほど速くはない、寧ろ平均並だ。既に戦闘の経験を大量に積んでいる珠理亜にとっては、遅い方である。

 距離が縮まると、珠理亜の右の眼球目がけナイフを突き出した。これも大した速度ではないとふんでいたが、予想が外れた。魅空によって放たれた突きの速度は予想を超え、とても速かった。突きの速度に驚きながらも、冷静に判断し頭を少し傾けて躱す。ナイフは狙う場所さえ分かっていれば、使用者のスキルによるが、案外簡単に躱せる。ナイフが空を斬ると同時に、珠理亜は反撃をしようとしたが、腹部に感じた衝撃に躰をくの字に曲げた。ナイフは誘導であり、メインである掌底を叩き込んだのである。速いだけではない、魅空の体格からは考えられないくらいの重い一撃に、躰が麻痺してしまった。思わず腹部に手を当てて少し蹲ってしまったが故に、生まれた隙。それを見逃さず、魅空は珠理亜の右肩にケンカキックを直撃させた。掌底に比べれば軽い蹴り、それでも衝撃を逃がそうと後方へ飛び退いた。

 また空いた距離。流れは速くも魅空が掴み始めていた。

「身体能力の低さ。それは魔法使いの弱点、いや欠点だ。魔の者から得た力を自分の物のように勘違いし、摂生無く振るい、自分の躰をあまり使わなくなる…んで薬品を色々使用してるから躰が弱くなったりする。だぁがぁ、初撃をよく躱したもんだ。どっかで体術でも学んだか?」

 魅空の見解は合っていた。武者修行の旅の途中で、なんだかそれっぽい感じの老人、というか謎の老師に空手やら柔道の類いを無理矢理教えられた事があった。正直有り難迷惑だったが、魔法使いの欠点である身体能力の低さを克服し、何より痩せる事ができた。何だかんだであの謎の老師には感謝をしている。

 ニヤニヤと笑いながら、ナイフの切っ先をユラユラと珠理亜に向けている。

 余裕たっぷりの魅空とは対照的に、珠理亜は少し焦っていた。魅空の動きがトリッキー過ぎる。まだ三手しか受けていないが、下半身と上半身の動きが違い過ぎていた。下半身、走力は人並み。反対に上半身は素早く切り返しが早い。更に見た目以上の怪力ときた。

 数手で相手の戦闘スタイルを見極めるスキルは、闘いの中で学んだ。だが今回は攻略は簡単にいかないだろう。慣れればそうでもないが、上半身の動きは異常だ。先程もナイフがもう少し大きければ、縦ではなく横に寝かせていれば、少なくともこめかみの肉を削がれていたかもしれない。

 遊ぼうとしている。そう、直感した。

 自分は命懸けで仇を取ろうとしている。産まれ故郷の村には良い思いでばかりではない。寧ろ辛い事ばかりだった。だが、暖かい記憶は確かにある。大切な人も居た。それを奪ったイカレ野郎を今、彼女は打ち倒そうと己を奮い立たせていた。なのに魅空は遊ぼうとしている。またしても、命を弄ぼうとしている。許せない。珠理亜の中に渦巻いていた魅空への感情は交ざり合い、膨れ上がった。

 珠理亜は取り出していた紙を突き出し、長い詠唱を唱え始めた。この詠唱はどんなに速く唱えても八秒掛かる。最高ランクに位置する魔法だ。珠理亜が早口で口を動かしている間、心中で願った。できるだけ遊んでくれ、と。矛盾が生じるが、時間がなければこの魔法は発動しない。

 願いが通じたとは思わないが、魅空は悠々と歩いてきた。どうみても余裕からなる行動だが、今はありがたい。安心しながらも、保険として、二枚の紙を取り出す。これは詠唱のいらない簡単な部類に入る魔法だ。

 紙が焼けると、赤い魔方陣だけが残り、大砲の如く火炎球を打ち出す。足止めとして放たれた火炎球は真っ直ぐ魅空に向かい直撃する。

「あづう゛う゛う゛ぅぅぅ!!」

 2つの火炎が、魅空を焼いた。彼は熱から逃げようと床を転げまわり、炎を消そうとした。

 なんだかわざと躱さなかった気がするが、珠理亜は気にしなかった。

 炎は直ぐに鎮火した。魅空の男にしてはキューティクルがある髪が、焦げて少し毛先が丸くなっている。一瞬炎に包まれたが、火傷はしておらず殆ど無傷だ。

 それで十分だった。元々火炎球は足止めであり、ダメージはさほど期待していない。魅空が転げ回っている間に詠唱は終わっていた。紙がボロボロと崩れ落ちると、三つの魔方陣が浮かび上がる。魔方陣の一つが床に張り付き、魅空の足下まで移動してきた。魔方陣から逃れるように跳んだが、少し遅かったようだ。足下のコンクリートが隆起する。隆起したコンクリートは形を変え、円状のドームとなって魅空を捕えた。

 ドームが完成すると、より強固にしようと更にコンクリートがせり上がり強度を高めていく。ある程度の厚みができれば、魅空の武器のサバイバルナイフだけでは脱出は不可能だ。脱出ができない事を確認すると、珠理亜は控えていた魔方陣を解き放った。二つの魔方陣はドームに溶け込む。すると、ドーム内から微かに音がした。厚みのある壁にせいで音が遮断されているのかもしれない。コンクリートのドーム牢は微かに揺れていた。

「物体操作魔法で拘束牢を作り、ドーム内の大気を圧縮、さらに重力干渉により大気を超振動をさせる合成魔法。密室空間の大気が圧縮されれば呼吸ができないのは勿論、圧力で躰が潰れる。そして圧縮した空気を振動させれば、歪みが発生し、大気は爆発する。これだけで、普通の人間なら骨も残らない。……が、アイツは魔導一族の大半を一人で殺した狂気の怪物。簡単に死なないだろうし、それだけじゃ足りない。一度じゃ足りない。何度も何度も……死ね…!」

 とても冷たい声を発しながら、ドームに魔力を送り続ける。

「やっぱすげぇ…!」

「流石姐御だ! 痺れるぅ!」

 すっかり蚊帳の外に追いやられている暴力団達は、喚声を上げていた。魔法使いの攻撃は、あの仕返し屋を圧倒している。やはり魔法使いは強い。それが実証されただけだ。その程度にしか、暴力団の知恵足らず共にしか思っていなかった。

 なんと浅はかな、と青年と共に在る殺戮兵器の恐ろしさを識る少女は、嘲笑った。

「馬鹿みたい」

 暴言の呟き。それは暴力団と珠理亜に贈られていた。

 冷めた部分があっても、性根は優しいと思っていた虎鈴がこんな呟きを漏らすと思っておらず、不思議そうに見上げた。そして後悔した。虎鈴の信じられないくらい冷たい眼と、眼が合ったからだ。どうしてか視線を反らすことができず、見入ってしまう。

「前にさ、ボクは知識欲でロストアイテムに興味があるって言ったの、覚えてる?」

 突然、脈絡も無く出された質問に、祐介は取り敢えず首を縦に振った。

「あれさぁ、嘘なんだぁ。僕も欲しかったの。ロストアイテム」

「…………」

「ねぇ、なんで獣人それぞれの上位種が、人間から隠れて生活してるか知ってる?」

 噂だったが、上位種が隠れているのは本当だったらしい。虎鈴曰く、上位種は数が少ないわけではなく、そこそこ居るらしいのだが、それぞれが細心の注意をはらって隠れて生活しているのだという。

 しかしその問い掛けが、祐介に分かるわけがない。

「それはボク達が人間と近い肉体を持っているからさ」

「それってどういう…?」

「分からない?」

 子供だもんね、と冷たい瞳のまま微笑んだ。だが急に子供扱いされたのは気に喰わない。なんで小馬鹿にされなければいけないのだ、と頬を膨らませた。

「上の人間は上位種(ボク達)を見付けると、捕まえるんだよ。―――性奴隷や臓器のスペアなんかにする為に」

 識らされた上位種(彼女等)の真実に、祐介は眼を見開いた。

「獣人の性質として、自由に行動はできるけど、人間の命令に逆らえないんだ。あまり知られてないのが救いだけど、上の人間は大抵識っている。〝前の〟ボクなら君が命令すれば、糞でも食べただろうし、自分で目玉をえぐりもしただろうね」

「なんで…そんな…」

「さあ? 生まれ持った性質だから、諦めるしかないって親は言っていた。だけど、ボクには納得できない。なんで人間に見つかれば捕まって、糞みたいな命令に従わなきゃいけないのか。なんで隠れ続けなきゃいけないのか、納得できなかった」

 それは思春期特有の、親や常識に反抗したくなるあの感覚に近い。そんな納得できない日々の、ある日、大事件が起きた。少なくとも彼女の中では。

「ボクには友達が居た。同じ猫又族。他のより頭が少し良いくらいの通常種だったけど。意思の疎通は完璧じゃなかったけど、それでも良好な関係だったよ。正直、楽しかった。親と一緒にいるより断然にね。でも楽しい日々は長く続かなかった。今の時代錯誤の上の人間は狩りをするんだね。野生に生きる獣人を狩る。そして僕の友達は、それの標的になった」

 あの日、遊んでいた時、人間達はやってきた。あの時の虎鈴達は幼かったが、親に言い聞かされていたので人間を見付けた時は直ぐに隠れた。見付かり捕まってしまえば、人間の玩具にされる人生が待っている。獣人達の常識に反抗心を持っていた虎鈴は特に敏感に反応し、息を潜めて隠れた。しかし上位種ではない、知能が足りない通常種の友達は、逆に人間に寄っていった。虎鈴達は山奥に暮らしており、人間が珍しかったからだ。好奇心に導かれた友達はにこやかに挨拶をした。それに対して人間が返したのは、言葉ではなく鉛玉の攻撃であった。

 最初の銃弾は肩に当たった。初めて味わう未知の痛み。火傷と切り傷を一緒にして、何倍も威力を上げた人間の攻撃に、友達は悲鳴を上げてのたうち回った。現代の人間の狩りは、愉しむもの。人間はその後も愉しむ為に、わざと致命傷にならないようにして、痛め付けた。

 その間、助ける事もできず、友達の嬲られる姿をずっと見る事になった虎鈴。武器を持った人間に、どうする事もできなかったといえばそれで終わるが、友達の息の抜を止めた最後の一撃を見た時、虎鈴の中にあった反抗心は、憎しみに変わっていた。

 友達の殺戮された日から数日後、虎鈴は両親の制止を無視して旅に出た。友達を殺した人間に復讐するために。上位種の自分は耳等を隠せば人間に見えるので、注意さえしていればばれる心配はない。復讐の旅は、あの時何も出来なかった自分への戒めでもあった。そして旅で知った、自分達獣人の扱い。自ら人間の下で働いている者はまだいい。自分達はそういった性質であり、人間と共存するにはそれしかないのだから、そう思い、下唇噛んで我慢していた。だが意味も無く虐げられている場面を何度も見た時は、頭に血が昇った。それに、上位種の扱いも酷かった。旅をしている内に出会ったのは数回だけだったが、どの上位種も人間の奴隷と化していた。通常種も奴隷に近いが、上位種はほぼペットだった。変態は性欲を晴らす為に使い、社会的変態は解剖や虐待、拷問をして愉しんだ。

 普通なら、同種がこんな扱いを受けていれば怒り狂い無謀な手段に出るが、虎鈴は賢かった。自分に力が無い事をしっかり理解していた。友達が殺された現場にいて、自分が無力と思い知らされたのが幸いしたのかもしれない。こんな無力な自分が、人間を確実に殺すにはどうしたらいいのか。虎鈴は悩み、考え、調べた。

 刃物、銃火器、毒、爆弾、薬物。様々あったが、虎鈴が満足する殺人の道具はなかなか見つけられなかった。旅に出て一年。目的が友達の仇への復讐が、人間全てへの復讐にすりかわっていた頃。虎鈴はロストアイテムの存在を知った。にわかには信じられない内容だったが、彼女はどんどんのめり込み、心から渇望した。

 そしてある時、虎鈴は幸運と不幸に出会った。ロストアイテムを二つ所持した人間、魅空を発見したのだ。最初は遠目に、徐々に近寄って観察した。魅空はなかなかロストアイテムを使わず、その力を見ることが出来なかったが、虎鈴は体験して力を知った。付きまとう得体の知れない生物を、魅空は力を使って興味本位で捕獲した。

『ほぉ、中々面は好みだわ。だが、胸は引っ込み思案みたいだ――ぶっ』

 旅をしている間に、自分の胸が貧相ということに気付いた。昔は気にならなかったが、意識し始めていた時に魅空に指摘され、無意識に拳を魅空の顔面に沈めていた。無意識とは恐ろしい。死を覚悟した。

 魅空に攻撃した瞬間、彼の周りに漂っていたソレが敵意を殺意に変え、襲い掛かろうとしたが、魅空が止めた。

『この状況で顔面パンチか。面白い。気が強いのか分からんが、色んな事を無理矢理やらせてプライドバッキバキにして虐めてぇわ。だから殺さねぇ。お前を連れ回す。命は奪わないヨ。変わりに――』

「ボクは変わりに、自由を奪われた」

「……?」

「ボクはアイツの命令には絶対服従。発言の自由はあるけど、アイツの許可がなくちゃ遠くには行けない。良い事があったとすれば、魅空以外の命令は受け付けなくなった事かな」

「なんで…?」

「ん?」

「なんで話したんですか。過去の事とか、嘘をついて隠していた事まで。僕に話したんですか…?」

 問いに、虎鈴は笑った。音も出さない、渇いた笑みだった。

「なんでかなぁ? いっつもなんだよね。アイツがアレを使う時、少し一緒に居ただけ人に話しちゃう」

 もう一度、なんでかなぁ、と。考えても分からない、無意識の自分がいつも口を動かす。分からないから、無理矢理理由付けて、自己完結させる。

「多分、これから巻き込まれて、ボクも君も、死んじゃう可能性があるからかな? ホラ、そろそろ、アレが起きる」

 虎鈴は、魅空を閉じ込めるドーム牢を指差す。つられて祐介はドーム牢を見た。巻き込まれて死んでしまうという、言葉の意味を考えながら。珠理亜の攻撃ならまだしも、ナイフしか持っていない魅空が何をするというのか。それは、直ぐに分からされた。

「強欲の王」

 ドーム牢から声が聞こえた。息苦しそうな声だ。音を遮断しているドーム牢から声がするのも、おかしい話だが。

「起動」

 あっという間もなく、祐介は虎鈴に抱き抱えられ、彼女は回避行動をした。そのすぐ後にドーム牢に罅が入り、砕け散る。大小の破片と共に、真っ黒な液体が飛散した。

 襲いくる破片と液体。虎鈴は祐介を抱えて、液体を躱す。大きい破片が頭にぶつかり、血も流れたが、それでも液体を必死に避けていた。珠理亜も直感で液体を危険だと感じ、マントを脱いで振り回し、液体を防いだ。鮫島達も躱そうとしたが、拘束の魔法のせいで動けなかった。幸いにも欠片は小さく、怪我はしなかったが、液体は頭から被ってしまった。ヌメヌメとした感触が気持ち悪い。

 破片によってズタボロになったうえ、謎の液体のせいでびしゃびしゃになったマントを珠理亜は捨てる。放り投げる動作をしながらも、珠理亜は部屋の中心に立つ青年から眼を離さなかった。

 魅空は生きている。五体満足で、あのふてぶてしく憎らしい笑みを張りつけて、生きている。変わった所を挙げるとすれば、漆黒のジャケットは無くなっており、変わりに魅空の周りに黒い液体が漂っていた。黒いそれは先程飛散した物であり、液状生物のように動き回っている。飛散して床や壁に飛び散っていた液状生物は、魅空の元に戻る。得体のしれない液状生物は、魅空の周りから離れないようにしながらも、珠理亜を威嚇していた。

「ふぅ……流石に呼吸できないのは辛いわ。酸の欠状態だわ」

 確かに彼の顔色は好くない。漆黒の液状生物は魅空を気遣うように寄り添っている。

 そんな事よりも、珠理亜は自分の思考が狂わないように押さえ付けるのに必死だった。何故生きている。普通ならば、死んでいる。死んでいなければいけないのだ。あの圧力と解放の繰り返しに耐えれる生物なんていない。存在してはいけないのだ。脱出した事に驚きはしない。爆発を繰り返してもいたから、ドーム牢は脆くなるのは当たり前の事だ。

 しかし分からない。何故生きていられる。何故、何故、何故、何故と幼稚な言葉が浮かび続ける。

「魔法と錬金術の合作で生み出された最初の殺戮兵器。ロストアイテムに護られている俺が、ただの魔法ごときに殺されるわきゃねぇだろーヨ」

 ニタリ、と更に口角を上げて笑う魅空。何をしたのかは検討もつかないが、傷一つ負っていない魅空の躰が照明であり、証拠であった。

「ロストアイテム…? それが…?」

 信じられない、というより拍子抜けした表情を珠理亜はした。

 伝説の殺戮兵器。直ぐに飽きられそうな出来損ないの王道の読み物にでてきそうな、この世のバランスブレイカーとも言える道具。珠理亜はくだらない噂くらいにしか思っておらず、実物があるなら見てみたいくらいにしか認識していなかった。もし実際にみたら、お伽噺が現実になった、という小さい感動を感じるかもしれない。そう思っていたが、実際は違った。

 あれがロストアイテム。ただの魔力が通った液体ではないか。もっとこう、巨大な魔導人形なんかを想像していた分、少しガッカリしてしまった。

「あぁん? んだその不服そうな面は。見た目で判断してんじゃねぇよ、だから人間はちょっぴり知能と欲望、性欲や殺戮欲求しかねぇ頭足らずなんだよ」

 子供を挑発するかの如く、右手の中指を立て舌を出した。珠理亜は勿論カチンとはこない、ただひたすら、得体のしれない魅空とロストアイテムに警戒をしていた。

「いいか。俺の可愛いロストアイテムの名前は、強欲の王。能力は、奪う。強奪だ」

 悠々と歩を進める魅空。魅空は珠理亜の脇を通り過ぎ、下っぱの隣に立った。選んだ理由は特にない。ただ下っぱの中では一番近くに居たからだ。

 下っぱの肩に馴れ馴れしく手を置いた。その表情は、先程よりまがまがしい。なんだか嫌な予感がした珠理亜は魔法を解いて、逃げろと叫んだ。しかし、下っぱは動こうとしない。いや、表情からは必死に動こうとしているのは分かるのだが、指先一つ動いていない。動いているのは、顔の筋肉だけだ。他の者も動けないようだ。

「動けない…! 姐御動けないっす!」

「なんで!? 魔法は解いたのに?」

 ヒハハハハ、と。青年は嗤う。混乱している魔法使いと暴力団達を見下し、嘲笑う。

「コイツはスゲェぜぇ。俺が欲しいと思った物は、強欲の王が触れて、認識できる範囲ならなんでも奪う事ができんだ。そう、なんでもなぁ」

 なんでも奪う事ができる。そして動けなくなった鮫島と下っぱ達。先程、彼らは強欲の王の一部を浴びていた。コレから導きだされる答えはただ一つ。

「まさか〝動く〟という概念を奪った…!?」

「おしい。俺が奪ったのは〝行動の自由〟だ。歩くのは勿論、指先一つ満足に動かせねぇぞ」

「そんなまさか…あり得ない!」

「おいおい、この世にゃあ否定しなきゃあり得ない事なんぞ存在しないんだよ。魔法とてまたしかりってね。つか、お前も一瞬でもあり得るって思ったから、さっきの答えに行き着いたんだろーがヨ」

 強欲の王は、魅空が言った通り認識できればなんでも奪える。例えば指先全てを喪失させたり、ある特定の記憶すら奪う事が可能だ。ただ、彼が望んだモノに限るという弱点があるのだが。強欲の王は、魅空が欲しいと思ったモノしか奪えない。心のそこからいらないと思ってしまえば、奪う事は叶わない。しかし、この弱点を珠理亜に伝える義理はない。

「他人の自由を奪うのは楽しいぜぇ。そこにいる猫又の自由も奪って飼ってんだけどよ。毎日意味もなくエロい格好させて遊んでんの、ヒヒッ」

 青年と少女の関係は、飼い主とペットであった。虎鈴にとって幸福な事は、魅空がペットに性的興奮を覚えない事と、死にたくなるような拷問をしない事だった。したとしても、次の日に少し鬱になる悪戯と、着せ替えごっこに付き合わさせられるだけ。他の上位種よりかなりまともな生活ができている。彼らの関係はそれ以上にもそれ以下にもならないだろう。

 珠理亜は魅空の悪趣味な発言を無視して、少しずつにじみよる。狙いは下っぱの救出と、魅空を殺す事。魅空は強欲の王に魔法は効かないと言った。この発言は、逆に取れるのではないか。つまり、魔法自体は効かなくても、それから発生した物は効く可能性はある。衝撃等は奪われてしまっても、強欲の王は液体。恐らく熱に弱い筈。強欲の王の処理速度がどの程度かは分からない。だがしかし、それを超えて熱を発生し続ければ、蒸発させ破壊できるかもしれない。

 珠理亜の中のお伽噺であったロストアイテムの破壊への巧妙は確かにあったが、捕まっているというより、逃げる事ができない下っぱが居ては攻撃できない。

 だが彼女の優しさは、下っぱに届かずに魅空に摘み取られた。

「いやぁー、ひっさびさに強欲の王を起動させたから気分いいわ。だから特別サービス。強欲の王がモノを奪う瞬間を見せてやんよ。精々オメーにゃできねぇ攻略方法探りやがれ」

 魅空が下っぱの、標準を上回っている顔を指差した。それなりに端整な顔立ちだ。強欲の王の一部が伸び、魅空の指を添いながら下っぱの顔に触れた。

 すると瞬く間に、下っぱの顔が吸い取られたが如く消えた。顔の皮が無くなった。剥き出しの筋肉、浮き出している白い筋、普段お目にかかれない真ん丸の眼球、歯並びのいい歯。見たくない部分が曝け出されている。

 絶句。その早業にも、暴かれた面の皮の下にも、絶句した。見慣れているという反応をするのは、魅空と虎鈴だけだ。

「ア゛アア…!」

 地の底から漏れる亡者の悲鳴を上げる下っぱもまた、状況を理解できず呻き声を上げ、眼球をギョロギョロと動かしている。

 空気が当たるだけで、未知の痛みに襲われる。徐々に頭が理解し始めた時、魅空が手にしていたサバイバルナイフを、下っぱの曝された肉の素顔に突き立てた。

 血飛沫が飛ぶ。

「え」

 鮫島と珠理亜が声を出した。

 サバイバルナイフを抜き、また突き刺す。ブチブチとした感触が伝わってくる。

「知ってるか。人間って意外にしぶとくてよ、上手く刺しゃあこんぐらいのナイフ顔面に刺さっても簡単に死なんのよ」

 いきなり始まった拷問。行動の自由を奪われ、顔の皮を奪われた下っぱは、命も奪われようとしている。

 強欲の王は〝命〟自体も奪える。しかし魅空はあまり命は奪わない。命は、生命は、踏み躙ってぐちゃぐちゃにして奪った方が愉しいから。

 ナイフは深々とゼラチン質の眼球に埋め込まれ、何かを断ち切る為少し捻った。眼球がドロリ流れだし、下っぱは何も言わなくなった。既にピンク色の肉から新鮮な血を垂れ流す、物言わぬ肉の塊となっていた。命が、静かに奪われた。

「と、このように、強欲の王は触れたモノなら躰の一部から実体の無いモノまで奪えるという、復習でしたー」

 生徒に教えるように言った魅空。

 唖然とする佑介。驚いているのはロストアイテムの力だけではない。簡単に且つ残忍に人の命を奪った魅空の満面の笑みにも驚いていた。あんな良い笑顔で人を殺せる者は、そうは居ない。

「鉄……?」

 死んだ下っぱは鉄と言うらしい。距離が少しだけあるため、鮫島は鉄が死んだかは確かな確証を得られないでいた。

「鉄…鉄……おい鉄…!」

 部下であり、弟分であった鉄に呼び掛け続ける鮫島。

 その姿が滑稽過ぎて、魅空は声を上げて笑った。魅空の心情に反応しているのか、強欲の王はグネグネと形を変えている。

「魅空ァァーーッ!」

 不快な笑い声を遮るように、咆哮を上げて珠理亜は魅空に突進する。

 直線的攻撃は、珠理亜が更に激昂している証拠だった。そんな純粋な感情をも、魅空は嘲笑った。

 強欲の王が魅空の右足にまとわりついた。漆黒となった右足で鉄を蹴り飛ばす。死者を愚弄するような行為に珠理亜はカーと頭が熱くなる感覚を覚えたが、直ぐにその感覚を無視しなくてはいけなくなった。先の数手で、魅空の機動力や脚力は高くないと判断していた。が、蹴りだされた鉄はあり得ない速度で飛び、珠理亜に激突した。

「ガァッ!?」

 前に進もうとしていた珠理亜は、死体によって後方は倒れこんだ。直ぐに態勢を立て直す為、鉄の死体をなるべく優しくどかそうとしたが、強欲の王が遅い掛かる。強欲の王が珠理亜の手首足首に巻き付き、動きを封じる。鉄の死体は処理するように、強欲の王が魅空の命令により存在を奪って、消え去った。

「くっ!」

 四肢を拘束され、仰向けに寝かされる。鮫島達と同じように行動の自由を奪わなかったのは、楽しむ為だ。

「強欲の王は、奪う行為以外にも攻撃手段を持っている。見た目液体でも、コイツは殴る、貫く、掴む、包み込む、捻るなんかの物理攻撃も可能。液体ならではの窒息死もさせる事ができる。力も強くてヨ。大抵の金属なら、どうとでもできる。ホラこんな風に」

 強欲の王が更に自身を伸ばす。今度の標的は、標準顔の下っぱ。鉄が殺された事に、怒るでもなく嘆くでもなく、アホ面で惚けていた。

 伸びた強欲の王が更に広がり、下っぱを包み込んだ。漆黒の液体に包み込まれた黒いオブジェとなったと同時に、嫌な音が聞こえてきた。その音は、かなり鈍い。

「松ぅ! 何してんだ…松を放せ…その気持ちわりぃのから放せよ!」

「やーに決まってんだろ。馬鹿が。ちゅーか、強欲の王も悲しんでるよ? 気持ちわりぃって言われて」

 そうだと言わんばかりに、強欲の王がぼこぼことさざ波を立てる。そして鈍い音が激しくなった。

 最後の音は、呆気なくポキッ、だった。オブジェの動きが止まり、強欲の王が松を解放した。再びみなの眼に映った松は、二回り程小さくなっていた。躰中の骨が砕かれ、肉はは余すところなく潰さた。五臓六腑も勿論潰され、松の躰は苦しみにより、生命を放棄したのだ。その姿はとても痛々しく、上手く表現できる者は居ないだろう。

「………っ! あああぁああアア゛アア゛!!」

 絶叫する鮫島は、床に膝をついて泣き崩れたかっただろう。可愛い弟分二人が、目の前でころされてどうする事もできなかった。守る事ができなかった。鮫島の精神を支えるプライドの柱に、大きな罅が入った音が、絶叫であった。

 残った三人の下っぱは、動かない躰を小刻みに震えさせている。明日は我が身か。何時魅空の気まぐれで殺されるのか、恐怖で震えていた。ある者は強いストレスを感じ、胃の中身を床にぶちまけた。

「強欲の王を待機時、ジャケットにしてんのはこの力を利用する為。ジャケットを着ている上半身は怪力になるし、反応も速くなる。インスタントスーパーマンの完成だ! 更によ、待機時もちょっとは奪う事ができる。どうだぁ? 説明聞けば聞くほどすんげぇ道具っしょ。惚れるわぁ」

 先程右足に纏ったのはその為か。珠理亜は冷静に分析する。珠理亜は今、冷静であり激昂していた。戦闘面の精神は冷静に魅空を捕らえ、人間面の精神は魅空の言動全てに怒っていた。

 この拘束は解けそうにはない。腕力では絶対に抜け出せない。藻掻き、四苦八苦する珠理亜の服のポケットを、強欲の王の触手が探る。なんだかその様はいやらしく見えたが、探していたのは魔法陣を描いた紙のストック。発見すると、紙全てを飲み込んだ。これで珠理亜は魔法を〝安全〟に使えなくなった。

「チッ…!」

「いやぁ、ごっめーん。別にちゃっちい魔法なんか平気なんだけどー、ちょぉっちうざったいのよねー。だけどよ、これで全力、出せんだろ」

 拘束されている珠理亜は、薄笑みを浮かべて近づく。

「今やってんのは死合いでも、オメーの仇討ちでもねぇ。俺の実験だ。強欲の王が、どれだけ魔法耐性があるのか調べる実験。前に里潰した時は見習いやら弱くなったジジィなんかの雑魚しかいないくてよ、強欲の王が簡単に捻り潰しちまった。オメーは強ぇんだろ。魔法使い名乗ってんだからよぉ! もっと強ぇ魔法使いやがれ! ああ゛ん!?」

 傍若無人という言葉を体現した青年は、我のままを貫く。その姿を見た少年は生唾を飲み、少女は当たり前の光景につまらなそうに欠伸をした。

「―――なんで」

「……あん?」

「なんで里の皆も、鉄達も簡単に……殺したのよ」

 珠理亜の問いに、魅空はいまさら? と言いたげな表情をする。それでも、暇潰しとして受け答えた。

「俺は、敵に情けを掛ける馬鹿じゃねぇ。血を吸いに来た蚊も、足下を走る鼠も、腹におさめる為の動物も、暇潰しに殺る人間も、俺は平等に殺すヨ。俺ぁ、紳士だからヨ」

「違うでしょ。鉄達はともかく、アンタは昔苛められてた。皆の期待を裏切って、アンタは魔法が使えなかったから、苛められてた。だから復讐したかったんでしょ、皆に。殺したい程に。苛められる事があった奴なら皆思うわ。私だって思った事あるし。だけど、本当に実行する? 普通。里には関係ない人だって居たのに。なんで…」

 なんで全員を殺してしまったのかと。珠理亜が見てしまった壊滅した里は、トラウマになりそうだった。渇いてこびり付いた血や、腐った肉。こんなモノではトラウマにはならない、その死体が知っている者だったからキツかった。親しい者から顔見知り程度の者まで幅広く、みなが殺されていた。苛められるのは辛い、でもここまでするなんて…珠理亜も苛めの経験はあったが、信じられなかった。

 それに大して魅空はため息を吐きながら、

「オメーの物差しで人はかって、知ったかぶってんじゃねーよ」

 不機嫌そうに言った。

「他人はいつも、ソイツの気持ちを知ったかぶって分かった気でいやがる。いいかよ、オメーがどう思って勘違いしても、俺はそんなんじゃないから。つーか人の腹んなか、考えたふりして語んなや。そうやって身勝手に思いを自己解釈して分かったふりして、他人を慰めるジコマン野郎。そーゆー奴が、本当に苦しんでる奴更に苦しめて自殺に追い込んで、苛めを増長させてんだ。それで喜ぶの構ってちゃんだけだぞ」

 魅空は質問に答えない。彼は暇潰しをしているだけで、会話をしようとはしていない。それでも、ちょっとは教えてやる。

「殺した理由は本来の目的のオマケ、俺が復讐したいのは別にいる。皆殺しは実験だって言ったっしょ」

「なにそれ、馬鹿じゃないの。アンタ、命を何だと思ってるの?」

「魔法使いがそれゆーか? それよりも、人間が命の尊さを語る事が間違ってんだよ。そもそもかけがえのない命なんてありゃしねぇ。人間は所詮動物。どんなにちんけな知能でつくろたって、他種を虐げて生きてんだ。考えてみろよ。俺らがこうしてる間にも犬猫豚牛その他諸々は毒ガスなんかで、この世とさよーならしてんだ。人間のエゴでな。家族とほざいてるペットも、何千何万の同種の血が流れて生み出された品種改良品。人間はな、自分の勝手とエゴで他種の命を弄り、貪るんだ。遺伝子すらいじくり回す、動物の中でも最低なクズ野郎ども、それが人間だ! 人間が命の尊さなんて語っても、さして意味はねぇんだよタコ!」

 会話が通じているようで、全く通じていない。そもそも、通常者と頭が狂った者がまともに話ができるわけがないのだ。魅空の言葉を、真に理解できる者はいない。というか、他人の気持ちを表した言葉というピースを理解できるのは本人だけだ。言葉は気持ちのピースの、更にその欠片なのだから。細か過ぎて、伝わらないものだ。

 珠理亜もまた、言葉に込められた意味を理解できない。分かる訳が無いから。他人を理解するすべを、人は手に入れる事はできないであろう。だから無理矢理分かろうとする者もいるし、分かったふりをしてすべを求めるのだろう。そのどちらが正しいのかを、決める必要などない。

 魅空が珠理亜を拘束したのは大して意味はなかった。魔法陣の紙のストックを奪う目的しかなかったが、こういう趣向はただの彼の趣味だった。この時魅空は、拘束プレイもいいなぁと思っていた。彼は余裕を持って、実験を行っている。

 魅空は強欲の王の拘束を解くため、珠理亜を壁に向かって投げつけた。そのまま行けば壁に激突したが、武術の心得がある珠理亜は宙で身を翻し、床に着地をした。

「さあ、もう魔法を安全を使うすべは無い。魔法使いが儀式を経て魔法陣を使い、魔法を使うのは安全のため。魔法陣はゲートだ。魔の者から安全に魔導の力を使うためのな。魔法陣や儀式をしなければ、魔法を使う事に躰は魔の者に蝕まれる、のまれ堕ちる。だが、魔法陣を使っている限り力は抑制されている部分がある。それじゃあ意味がない。俺は魔法使いが禁忌とする全力を知りたい! 魔の者から直結し、蝕まれながらに得た力を知り、更に強欲の王のスペックを識りたい! さあさあさあさあ、ジッケンだ!」

 今魅空を駆り立てているのは底知れぬ知識欲。自分の愛すべき道具を、識りたいがために。それはまるで恋をしているかのようだった。

 珠理亜はそれに応えない。先程の会話を経て怒りが強まった部分もあるし、鉄達を殺したのも許せない。珠理亜にとっても、下っぱ達は出来が悪いが可愛い弟分であった。そして、強い道具に固執し、それしか見ていない魅空に呆れてもいた。それでも禁忌に触れたくなかった。

 本来、魔法使いは魔力を持っているわけではない。魔法陣の向こうの、魔の者に儀式で供物を与えた等価交換として魔力を得て、貯蔵庫のように溜め込む。その溜め込んだ魔力をまた魔の者に還して、魔導の力を与えるのだ。魔力は人と交われば変化が起き、それを回収して魔の者は力を増す。魔法使いと魔の者のこの関係を〝契約〟という。

 魔法を発現する場合、薬品を使う時もあるが、基本は魔法陣。魔法陣はいわば、魔力の行き交いを両者が安全に行うための言わば誓約書。魔法陣の数式は、魔力を与え、還す分量を示した物である。薬品は使いたい現象を求めたメモみたいな物だ。

 魅空が言う禁忌とは、魔法陣を使わずに魔力をやり取りする行為である。魔法陣が無ければ枷が無くなり、強い力を使う事ができる。だが、量が調節できず、許容量を超えた魔力を与えられ、その倍を奪って発現する魔法は身を滅ぼす。麻薬の如く、魔の力に蝕まれ魔法使いは堕ちていく。

 その事を、魔導一族は幼い頃から教えられて成長する。常識として擦り込まれているのだ。常識が破られるのは怖いものだ。今が危機的状況でありながら、珠理亜はやはり、禁忌を犯す事を渋った。擦り込みにより、理性があるうちは禁忌を犯す事はないだろう。が、逆に言えば、理性を飛ばしてしまえば簡単に常識の戒めは破られる。

 渋る珠理亜に、魅空は我儘な子供のように不満気だった。

「チキンが…! そんなんじゃつまんねぇだろぉがよぉ。んがオメーみたいなタイプはこーゆーことすりゃ、プッツンいく」

 強欲の王がまた自身を膨張させる。いままで魅空の頭上や背の辺りで、輪になったり星形になったりなど変形していたが、表面を泡立てながら膨れ上がった。今の見た目を例えるなら、楕円形の水風船。珠理亜は嫌な予感を悪寒と共に感じたが、どうする事もできない。彼女は今、八方塞がりだった。

 膨張を続けていた強欲の王の動きが一旦止まる。そして一気に収縮すると、強欲の王の一部が伸びた。先端を鋭く尖らせて、銃弾のような速度で放たれた強欲の王の一部は高速の槍となり、生き残っていた下っぱの一人の額を穿た。

「ぎゃっ」

 短い悲鳴が上がる。たった三文字の言葉が時世の句となり、彼の人生を締めくくった。貫通した槍が肉をブチブチと切り、骨を砕きながら胸の辺りまで移動すると、内部から躰を引き裂いた。頭のてっぺんから股まで直線に引き裂かれた躰から、内臓が零れ落ちる。びちゃびちゃと汚い音を出しながら、血を滴らせながら二つに分かれた躰が床に突っ伏した。倒れた衝撃に、小腸がうねり、跳ねる。

 男の名は、チョンであった。本名は千代田であり、チョンは愛称だ。鮫島の弟分の中で一番歳が下で、ドジが目立つ奴で、この危ない世界で生きていけるか鮫島は心配していた。せめて生きていける知識を与えてやろうと、鮫島は一番気に掛けている人物だった。教える事はまだ沢山あったのに、だがもうチョンは松と鉄の所へ連れていかれた。

「つぷっ」

 鮫島が唯一残された事である、死んだ者の名を呼ぼうとしたが、となりにいた最後になってしまった直接的な部下の神戸がチョンと似たトーンで出した声に反応し、口を閉じた。頭は動かせないので眼をギリギリまで動かし、となりの神戸の様子を確認する。

 だがそれは叶わなかった。見ようとしたら、神戸が視界から消えた。なんだか、人間が持つ特有の堅さが無くなっていた気がした。

 鮫島がほんの一瞬の出来事で得た情報は正しかった。神戸は強欲の王の餌食となったが、チョンの時とは違い直接殺さず、彼から骨を奪った。骨は人間の筋肉を支え、歩く等の繊細で難しい動きを可能にしている大切な部品だ。それが無ければ筋肉は支えを失い崩れ落ちる事になるのは、誰でも分かる。骨を奪われ、ぐにゃぐにゃの軟体生物となった神戸。この状態では生命の維持ができず、そのうち死んでしまうが、魅空がそれを許さない。何故なら、狙いは死だから。

 骨を失っては喋る事ができない。神戸は訴える事も禁じられていた。何か言いたい事があってもなくても、関係ない。強欲の王の一部がハンマー状に形を変えて、軟体生物を叩き潰す。殺し方としては一番派手で、スプラッター映画さながらの殺害方法だった。ハンマーは床をも砕いており、肉片は判別できないレベルである。

「チョン…神戸…」

 顔面蒼白となる鮫島。この世界ならいつ死んでもおかしくない。しかし、何もこんな惨殺をしなくても。恨み恨まれの暴力団。悲しみにうちひしがれるのは身内を殺された時だけ。

 ハンマー状だった強欲の王はまた触手に戻り、鮫島を掴んだ。抵抗ができないが、鮫島はうわごとのように部下達の名前を呼んでいるだけだ。持ち上げられ、珠理亜の前まで持ってきた。

「こいつホントに暴力団幹部かよ。メンタル弱過ぎ。部下死んだくれぇで何うちひしがれてんの。アホくせぇ」

「……やめろ。お前に何が分かるのよ」

「イヒヒ、分かりたくねぇー。つーかよ、オメー強欲の王が奪ったモンどこさいくかしりてぇか?」

「五月蝿い。鮫島を離せ」

「強欲の王は、俺が欲しいモンならなんでも奪える。だけどよぉ、欲しいモンってのは手に入っちまったら変質しちまう」

「五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い」

 壊れたスピーカーのように呟く珠理亜。彼女もまた、短い間といえど可愛がっていた部下達が酷い殺され方して、ショックを受けていた。静かに、心は壊れて行く。

「強欲の王に奪われたモンは、奪われた瞬間いらないモンに変質しちまう。だから消えちまうのさ。奪ったモンは一時的に強欲の王の中に保管され、消滅する。だから奪ったモンは還す事ができねぇし、俺のモンにし続ける事できんし。だが俺は十分だ。強欲の王はすんげぇ道具、ちょっとばかしの欠点は大目にみなきゃなぁ!」

「五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い! そんなのどうでもいいから高貴を離せ!」

 鮫島高貴。珠理亜の恋人。出会いは真田組に雇われた時。愛おしい人。

 その愛おしい人は、会話の脈絡関係なく、潰された。跳んでも届かない場所に、持ち上げられていた鮫島は強欲の王に締め付けられ、圧力により潰され、圧死した。珠理亜の整った顔に血肉が降り注ぐ。顔の左側が濡れた。珠理亜の脳は鮮明に場面を記録したが、直ぐに曖昧となった。たとえ恋人が死んだ場面というど、ショッキングで嫌な映像を、残していたくなかったのだろうか。

 強欲の王が鮫島を離す。鮫島を殺した時に回収したロストアイテムを、強欲の王は魅空に手渡した。

 捨てられた鮫島の死体、肉が裂けて骨が飛び出ているそれは、どんな死体よりも珠理亜にショックを与えていた。目の前に転がる恋人を直視し、珠理亜は力なく床に座り込んだ。不自然な方向に折れ曲がった手を握ると、あの温もりがちょっとずつ無くなっていくのが分かる。

 最初は自分達がこういう関係になるとは思わなかった。自分は復讐の修羅の道を生きると決め、誰に対しても冷たい態度を取っていた。お高く気取った魔法使いは好かれなかったが、鮫島とその弟分は違った。雇われでも、短い間になるかもしれないけど、仲良く楽しくやろうと。鮫島達は他の者と違っていた。それこそ漫画のような、他人とは違う感性を持つキャラクター。格好つけているくせに、自分の言動で台無しにする。無意識に人を笑わせる才能、鮫島は暴力団のくせにそれを持っていた。鮫島は他人に厳しく、身内に優しかった。そんな鮫島と弟分は珠理亜を巻き込み、コントのような空気を作っていた。血なまぐさい闘いをする時もあったが、この真田組に来て、鮫島達と一緒にいる間はとても楽しい日々であった。心から笑えるのは、彼らと一緒にいる間だけ。だから珠理亜と鮫島の仲が今に至るまでは時間がかからなかった。

 ―――と、鼻で笑えてしまいそうなベタベタな恋愛劇は、魅空によって引き裂かれたのである。呆気なく、彼女を怒らせる導火線として。

 珠理亜の頭の中は空っぽになっていた。白に染まり、思考を鈍らせる。怒りは頂点を貫き、一時的な悟りの境地に達していた。恋人達の喪失による虚無感が常識の鎖を引きちぎり、魔法陣を描く。残った魔力で描いた紅の魔法陣は、禁忌の証であった。残りカスの魔力により、空中に描かれた魔法陣を見て、魅空はニヤリと笑う。

「恋だの愛だの言ってつるむ奴は、やっぱ扱いやすいなぁ」

 しかし、アイツよく気付かないな、と魅空は思う。数回の爆音をだしながら、ドンパチやっているのに他の暴力団の者が誰もこない事を疑問に思わないのか。まあ来るわけが無いが。この真田組は、ここに来る片手間に潰した。取り敢えずこの建物にいた者と、最上階で高いソファーに座っていた組長を抹殺。意外にもやることはキッチリやるのである。今回の目的は対魔法使いなので、時間を掛けずに真田を潰しておいた。

 そんな事はどうでもいいと、魅空は頭を切り替えた。珠理亜の背後に浮かぶ、禁忌の紅の魔法陣。それから吐き出される魔法が楽しみでならない。強欲の王も己を鼓舞しながら、魅空の周りを漂っている。

「許さない」

「何を許さない? ちゃんと言葉にしろ」

 憎しみの矛先を宣言しろ、と。

「大切な人を奪った、殺した」

 俯いて座り込んでいた珠理亜は、ゆっくりと立ち上がる。なんとなく、背後の魔法陣が一回り大きくなった気がする。

「お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、友達も鮫島達もみんな…みんなぁ! お前が! 笑って! 奪ったんだ!」

「否定はしない。寧ろ、肯定する。初めてだったよ、あんな腹の底から笑ったの。直ぐに冷めたが。里の奴ら殺して、あんな笑えるとはなぁ。イヒ、イヒヒヒヒ。イヒヒヒヒヒヒヒャハハハハハハキャハハハハハハハァーハッハァー!」

 狂った笑い声は挑発となる。

 虫酸が走る笑い声に、熱をおび始めていた珠理亜の感情は、燃え上がった。

「殺してやる! 奪ってやる! お前がしたみたいに、私がお前を殺してやる! お前の大切な者と物全部奪ってぶっ殺してやる!」

「してみろよ。俺の大切なモンは、ここにいる」

 指差したのは強欲の王。奪えるものなら奪ってみろと、更に挑発する。大切な者に虎鈴は含まれていない。魅空は暇潰しの愛玩動物に、愛など持たない。虎鈴自身も気にしていない。二人の間には、何もない。

 紅の魔法陣は鮮やかに輝く。輝きが増していくごとに、部屋の気温が上がる。

「痛っ……」

 祐介が痛みを訴えた。虎鈴が反応して見ると、祐介の唇が裂けて血が流れていた。空気中の水分が失せ、乾燥した結果であった。それにより、虎鈴も自分が汗をかいている事に気付く。手の甲で額を拭ってみれば、少量の汗。汗を出し切った時に似ている。

 魔法陣の光りが、眼も眩む程の物になると炎を吐き出し始める。禁忌の炎は漏れるたび、再び魔法陣へと戻るのは、力を溜め込むためだろうか。珠理亜も辛そうだ。禁忌は魔力以外のモノを持っていく。数量を示さず、大量に借り、それ以上を奪っていくのだ。まさしくそれは命をかけた一撃であった。紅の放つ光りは、珠理亜の鼓動と脈動が連動しているかのような動きを見せている。

 力は溜まった。血潮を思わせる魔法陣に力は満々る。

「喰らえぇぇーー!」

 咆哮と共に、魔法陣は前に出て、人間が造り出した火炎放射器なんて比にならない量の炎を射ちだした。それは拷問部屋を満たすような、極太の矢だった。

 逆方向に立つ虎鈴達に直接的な被害はないが、まともに呼吸ができない。普通に呼吸をしたら、肺が燃やされてしまいそうな熱量。ただそこにいるだけで皮膚が爛れ、火傷しそうだった。だが意外にも、虎鈴達を護ったのは強欲の王、魅空だった。炎が出される前に、強欲の王の一部を切り離し、薄い膜となり虎鈴達を包み最低限の熱から護っていた。

 炎の極矢は建物を溶かし、焼きながら魅空を狙う。珠理亜には確信していた。この熱量ならば、強欲の王を退け、魅空を殺せると。珠理亜の精神は変わらず暴走と冷静が同居していた。だからこの後、絶望してしまう。

 珠理亜は気付いていない。自分の後方で、虎鈴達を護っている強欲の王の薄い膜を。今魅空の周りを漂っている強欲の王より、限りなく少ない物で熱を妨害している事実に。

「――――あー、こんなもんか」

 縦に一閃。

 強欲の王の触手が鞭の如くしなり、炎の極矢を切り裂いた。魔法耐性の有る鞭が炎を裂き、奪う能力が炎を形成する原子や条件を全て奪い去った。全てを奪われた炎の極矢は、無かった事にされた。この部屋の床や壁を無惨に真っ黒に焦がした禁忌の炎、命をかけた炎は一瞬にして消された。

「あ」

 最大の攻撃をあっさりと防がれた珠理亜の反応は、とてもガッカリした物であった。そして眼を丸くしている珠理亜の右肩を、強欲の王が触れていた。これが意味するのはただ一つ、では何を奪われたのか。

「〝痛み〟だよ」

 答えを与えられ、ハッと我に返ると目の前に魅空がいて、顔に手を当てられ床に叩きつけられる。後頭部を床にぶつけたが、不思議な事に痛みが無かった。間髪入れずに、右足に強欲の王を纏わせ、珠理亜の左肩の肩口を踏み砕いた。ぐちゃぐちゃと、肉と骨が砕かれ混ざる音がした。

「い゛っ……! たくない? やっぱり痛くない……」

 肩を踏み潰されたというのに痛くない。その感覚が奇妙で、とても気持ち悪かった。

 右足から強欲の王を離し、今度は両手に装備する。更に珠理亜の首と左手首を掴んで持ち上げた。珠理亜より背が高い魅空は、簡単に持ち上げる事ができた。

「くっ……」

 痛みはないが、首を捕まれては流石に苦しい。

「ガッカリだよ、オメーホントにヨ」

 ため息混じりに呟いた魅空に反論したくとも、気道を押さえられて上手く声が出せない。

「オメーごときが禁忌を犯しても強欲の王には傷一つつかねぇ。もういいわ、実験は中止、データも取れねぇ。使えねぇ、もう死ねよ」

 魅空の笑顔は消え失せていた。殆ど笑っている魅空が笑みを消して、あんなガッカリした表情をした場合、相手はまともな殺され方しない。虎鈴は心中で御愁傷様と言った。

 左手首を掴んでいた手に、引っ張る形で力を込める。直ぐに肩口から嫌な音がしてくる。

「や…止めて!」

「やーでーす」

 まず皮膚が悲鳴を上げた。ミチミチと皮が裂け服が赤く染まる。骨が粉砕されている為か脆い感覚がする。もう少しで千切れそうになると、珠理亜は涙目で首をいやいやと横に振った。禁忌の魔法を打ち破られた時に、珠理亜の心は密かに折れていた。

 ニチャアと、腕が千切れた。それでも痛みは無い。魅空は珠理亜を降ろしてやると、千切った腕を目の前に捨ててやる。

 腕を失った肩からは、脈と連動して血が吹き出しているが、そんな事よりも大事な腕を手に取った。二の腕の辺りには、見慣れた肉割れの跡が。太っていた時にできた肉割れが、自分の腕だと証明していた。

「あぁ……あ゛ぁあ…取れちゃった…取れちゃった取れちゃった取れちゃったぁ! 私の腕が取れちゃったぁぁ!」

 他人を殺された時とはまた違う喪失感が珠理亜を襲っていた。やはり他人より、自分の躰の一部が欠如した方がショックらしい。当然だ、人間自分が一番可愛いのだ。それに腕が千切れたというのに痛みが無いのが、これが幻かもしれない、そんな妄想を生み出していた。

 くっついてくれと言いながら、腕を肩口に何度も付ける。ニチャニチャと音がするだけで、勿論元に戻るわけがない。

「くっついてよぉ! お願いだから元に戻って! 痛くないから嘘なんでしょお!?」

 珠理亜の精神は、魅空によってすり減らされていた。鉄達と鮫島の死、禁忌の魔法を破られ心が折れていた珠理亜は、腕を失った事により自分を保てないでいた。

「戻って戻って戻って戻って戻って戻って戻って戻って戻って戻って! 元に戻って! お願いだからぁ……」

 血が抜けて顔色が悪くなって来て座り込んでいるが、珠理亜は無駄な行為を続けていた。その姿は祐介から見ても、哀れだった。

 涙をだーだーと流しながら、もう何度目か分からない挑戦をしようとしたが、強欲の王が腕を奪った。返して、と珠理亜は叫ぶが、無情にも四つにねじりちぎった。もうこれで希望はもてまい。

「な゛ぐな゛ぢゃっだぁ! わ゛だじのう゛でぇ!」

 涙声のため翻訳に苦労しそうな言葉で訴える珠理亜を、魅空は冷ややかな眼で見下ろしていた。

「な゛んで!? なんでごんな゛ごどずるの!?」

 泣きじゃくりながら、珠理亜は吠える。

「な゛んにも゛わ゛る゛いごどじてないのに! わ゛だじた゛ちはあ゛んだに、ぢょくせつじてないの゛に! な゛んでよぉ!」

 この訴えが魅空が届かない事を、もう理解できていない。ただ、彼女の本心が言わせていた。心やさしい人物を気取っている者なら、手を差し出してくれるかもしれない。だが魅空には、どんな言葉も届かないし、響かない。

「自分は悪くない。そう本気で思ってるかぎり、ぜってぇー分かんねぇよ」

 わんわん泣く珠理亜を無視して、途中で床に置いておいたカプセルを拾った。カプセルの上部を外し、小さな収納スペースが現れた。入っていたのは、薬を入れる見慣れたカプセルだった。そのカプセルを、無理矢理珠理亜の口の奥へ突っ込んだ。

「おえ゛ぁ!?」

 急に口の奥、喉にぶつかりそうな程な場所に手を突っ込まれ、薬を吐き出しそうになったが、直ぐに口を堅く塞がれた。嘔吐物が込み上げて来たが、口が閉じられていと吐き出す事ができずカプセルごと飲み込んでしまった。鼻から少し漏れた嘔吐物が気持ち悪い。

「ゲホッ! ガハッ! ハァー…ハァー…」

「今飲ませたのは、俺の研究の成果だ。カプセルの中には卵が入っている」

「だま゛ご…?」

「ああ。こっちのデケェカプセルに入ってんのはロストアイテム〝暴食の王〟。強欲の王と似た能力である喰う司る。こいつを俺なりに研究してある虫を品種改良して生み出した」

 説明を聞く事に、本能がカプセルを吐き出そうとするが、床に胃液が広がるばかりでカプセルは出てこない。

「虫の遺伝子を何度もいじくり、ある行動を実行するように本能に折り込んだ。それは産まれて直ぐに、宿主を喰い殺す事。カプセルが解けて熱を受けた卵からは直ぐに産まれて喰い始める。産まれて宿主を食らって味を覚えた虫は、宿主の肉を一欠片も残さず食らい付くし、虫は死ぬ。それを使命とした。スゲーだろ、これなら拷問にもなるし、飲ませさえすれば確実に殺せ被害は広がらない! まだ量産はできねぇが十分だ。その虫の名は、ゴキブリ」

 地下の地下室にあった、土を入れた水槽はゴキブリの為にあったらしい。

 説明が終わる頃には、珠理亜は何も言わなくなっていた。痛みは感じないが、確かに自分の中に虫が這いずり回っているのを感じていた。今刻々と、自分の内臓は喰われている。口から血が溢れてきた、止められない量だ。

「……ふん。さーて、帰っぞ虎鈴」

「えっ」

 声を上げたのは祐介だった。このままにしていいのか、と。

「別にほっときゃあ勝手に死ぬヨ。お前の依頼も済ましたしな。それに、ここいたら数日飯食えなくなるよ? いいの?」

 そう言われ祐介は珠理亜を見た。隻椀となった魔法使いは、蹲りビクンビクンと痙攣を起こしていた。

 確かにあまり見ていていたくはない事が起きそうだ。祐介は魅空に従い、二人の住み家へと帰った。



 もう何がなんだか分からない。全部失った。まさか腕も千切れるとは思わなかった。


 本当なら、里の皆の仇を討って、鮫島達と打ち上げするつもりだったのに。


 私はもう少しで死ぬ。それは分かる。今私の躰は凄い速度で虫に食べられている。ゴキブリに喰い殺されるなんて最悪。


 死んだら、鮫島達に会えるかな。あっ、肩からゴキブリが出てきた。そうか、もうここまで来たんだ。眼をつぶろう。喰いカスの下半身なんて見たくない。


 お父さんとお母さんにも会いたいな。肩から出てきたゴキブリ達が、千切れた私の腕を食べている。うえ、気持ち悪い。


 今の私は生きてるの? 痛みが無いから分からないや。あー、ぼーってしてきた。もうダメかな。眼からもゴキブリが出てきた。眼球のカスも一緒に出てきた。


 もう諦めよう。鮫島達とお父さん達に早くに会いに行こう。こうやって会いたい人が居るって事は、私の人生、幸せだったんだろうなぁ…。もし会えたら恥ずかしいけど、愛してるっていっちゃおう…。


 ――珠理亜は、歯の浮くようなくだらない事を考えながら逝った。骨から肉をしゃぶり尽くしたゴキブリ達は使命を全うし、珠理亜と共にあの世へと旅立った。



「さて、依頼は達成した。報酬を貰おうか」

 オンボロのテレビをイジリながら、魅空が言った。地下室であるここには電波は来ない筈なのに、何故ここにテレビがあるのだろう。祐介は不思議に思っていたが、魅空がチャネルを合わせると、砂嵐混じりの映像が映し出された。

「たまには現代の科学に触れなきゃな。魔法、錬金術、科学。好き嫌いしてたら、知識なんて深まらない」

 これも勉強だ、と。映像は受信したものではなく、改造して録画機能がなかったテレビで録ったものだそうだ。漆黒のジャケットとなった強欲の王を着込んだ青年は薄笑みを浮かべて、得意げに語った。

「報酬は有り金全部、プリーズ」

 先程大層なことを言ったわりにはもう飽きたのか、テレビを放り投げて手を差し出した。

 有り金。そんなものいったいどこにあるのだろうか、と祐介は内心で自虐的に笑った。その日暮らしが当たり前の底辺の人間である自分が、金と呼べる物を持っていると本当に思っているのだろうか。生ごみや残飯を、時には喜んで食べていた自分の衣服のポケットに入っている金額は、読んで字のごとく雀の涙ほど。想像しやすく言えば駄菓子屋でお菓子が三つ、しかも格安のを買えればいいくらいの額だ。こんなもので納得する筈がないだろう。このシチュエーションは容易に想像できたが、実際に直面すると酷く焦った。そもそもちゃんと契約を結んでいないのに報酬とは筋にあうのだろうかと、思ったりしても場は変わらない。何か言おうとすると、魅空が手を戻した。

「と、思ったがは金はいーや。どうせオメー金なんか持ってねぇだろ。見え見え、つーかありえねぇ。ぶっちゃけ、金はもう手に入れたんだわ。さっきの暴力団……えーと、真田組だったか? あそこ潰したついでに金パクってきてたの。結構有ってよ、懐ウハウハってレベルじゃねーぞ」

 祐介は、人生最高の奇跡をもぎ取ったのかもしれない。魅空の言葉半分に聞いて、無意識に拳を握った。報酬を払える目途がなく、ダメ元で依頼をして、一度は断られた。だが奇跡は連続で起きた。単身で暴力団に乗り込んだら魅空達が来てくれ敵の組織を潰してくれた。さらに報酬はいらないと来た。これほどの奇跡、そう起こるものではない。

 祐介は奇跡に感謝しながら、その胸の内に今は亡き姉の顔を思い浮かべた。

「あー、喜んでるっぽいとこ悪いんだけど、金はいらないって言っただけで、報酬はいらないとはいってないからね。勘違いすんなヨ」

 そういわれ、祐介の顔から表情は失せ、どっと嫌な汗が流れた。

 天国から地獄とはまさにこの事。祐介は再び窮地に立たされていた。先の戦闘で見せ付けられた魅空の戦闘スタイルは、残虐で暴虐。そんな生粋の悪役といえる男が求める報酬とは、喜んで想像したいものではない。それこそ死を求められるかもしれない。

 頼むから、叶えられる範囲にしてくれと願うが、魅空は無情にも言葉を吐き出す。

「昔見た拷問書に、タイヤに人入れて火ぃ付けるってのがあってさ。やってみたかったのヨ。今ならやろうと思ったら直ぐ出来たが、他にやることあったから出来なかったんだわ。んでさ、今オメーちょーどよく居っから、火だるまなってくれヨ。それ、報酬ね。俺を、愉しませろ」

 金品ではなく、己が暇を潰す為に拷問させる事を求めるとは、なんとも彼らしい。が、祐介にとってそれは死を意味する。祐介という、姉の仇を討ってもらった少年は、死ぬ事を求められていた。

 祐介は仇を討つまでは、死ぬのは怖くないと思っていた。いつ死んでもおかしくない生活をしていたのもある。それに姉の仇を討てるなら、自分の命をかけるつもりだった。だが、祐介は今日その死の恐怖へ打ち勝つ支えを失った。姉の仇を晴らし、三日間という短いながら安全な生活をした祐介は、既に死への耐性を失っていたのだ。人の気持ちの切り替えは、悪い意味でも良い意味でも早い。直ぐに増長したり、簡単に堕落するのは人間の専売特許だ。

 更に足されるのは、目の前で平然と拷問させろと言った青年の存在。彼の狂気にあてられた祐介は、胸の奥を不規則に強く握られるのに近い不快感を感じていた。救いであった愛しき殺し屋魅空は、祐介の中ではただの狂った快楽殺人のジャンキーへと落ちた。祐介の不運は、気付けなかった事、覚悟を持って近づいてしまった事の二点だ。

 後退りをする少年。それは久しぶりに感じる生への渇望からなる、本能が命令した行動だった。しかし、上半身の動きに引っ張られた魅空が、祐介の頭を掴み押さえ付ける。

「人の命を奪う事を望んだんだ。ならばお前も命を奪われる事を望まれるのが道理。因果応報ってゆーのさ、こーゆーのはヨ。勿論俺も対象だぜ。俺だってひっでー殺され方しても文句は言えねぇ。いやゆーけどさ。んだが、俺は強い。いや、強欲の王が強くしてくれた。俺を殺せる奴はそーそーいねぇ。でもさぁ、悲しい事に祐介君はさぁ、果てしなく弱いのよねぇ。だから、因果応報は君に引き受けて貰っちゃおう! 弱者が押し付けられるのは、世の常だからさっ」

 下手くそなウィンクをかました魅空は、ゆっくりと口角を吊り上げる。常時のにやけ面ではない、あの虐殺をしていた時の笑顔だ。

 祐介は求めた。仕返し屋の最後の良心に、助けを。

「た…助けて! 助けて虎鈴さんっ!」

「無理」

「そんな…なんで!?」

「だってボク、魅空に逆らえないし。だから魅空がしたがっている事をダメだとも言えないし、止める事もできない。ボクに〝自由〟は無いんだよ。それに、ぶっちゃけ、獣人のボクが人間を助ける義理ないし」

「そんな…そんな…」

 単純な言葉を繰り返す祐介は思う。あんなに優しくしてくれたのに、と。姉を亡くしてから、優しくしてくれたのは虎鈴だけだった。だから、味方だと思っていたのに。裏切られた。怒りであり、悲しみでもある感情がのた打ちまわり、祐介に涙を流させた。

「優しくしてたのは、君を始めて見た時魅空に殺されるなと思ったから。最期くらい、良い思いしたいでしょ?」

「うっわ〜虎鈴げっどぉ〜」

「有り難う、貴方程ではないですよ」

「フハハハハハ。オメーのそーゆーとこマジ大好きだわ。ちゅーわけで祐介君。君に優しくしてくれる味方は居ないので、大人しく丸焼きにされましょー♪」

 祐介を掴んだまま、問答無用に引き摺り処刑場へと連れていく。暴れても、体格差やその他諸々で無意味である。

「うわぁぁああああ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤダイヤダいやだぁあああ!」

「ハッハッハァー。オメーどこさそんな元気あったの? ボソボソとしか喋んねぇし、あんま話しなかったのに。カチコミした時腹くくってた感あったのに、どこに消えたん?」

「助けて助けて助けて助けて助けて助けて!」

「同じ言葉繰り返すだけなら旧式のテープレコーダーでいいヨー。俺高音質とかあんま気にしないし」

 あまり通じているとは思えない会話をしながら、魅空は準備を進めた。

 虎鈴にタイヤを用意させている間に、騒いでいる祐介の手足を縛る。魅空自身もうろ覚えの知識を頼りながらやっているので、これであってるか分からないが、それらしい雰囲気さえ出せればいいのだ。どうせ暇潰しだし、と祐介に言い聞かせるように何度も呟いた。これは祐介に納得させる為に言っているのではない、寧ろ逆に暴れさせるスパイスだ。すんなり拷問を受けられては、本末転倒だ。はて、本末転倒の使い方はコレであっていたかと、魅空は考えたが直ぐにどうでも良くなった。

 うろ覚え知識で作った物だが、様になっている物が出来た。場所は外。流石にあの部屋で人間を焼いたらこっちまで死んでしまう。魅空の手には火を点けた松明、正面には掻っ払ってきた灯油をぶっかけたタイヤと、タイヤの穴に入れられた祐介。タイヤは鎖で繋がれている。

「うーん、はたしてこれであってんかね?」

「いやボクに聞かないでよ。君と違って拷問専門じゃないんだよ」

「いやいやいや、俺も趣味として嗜んでいる程度で、専門じゃないから」

「怖いよ。拷問趣味なのも、専門じゃないのに拷問したがるのも、どっちも怖いよ」

 二人が会話している間にも祐介は絶叫している。しかし二人はどこ吹く風といったようす、かなりこの状況に慣れていた。

「まっ、いーや。ほい点火ー」

「――――――ッ!」

 灯油が染みたタイヤは直ぐに燃え上がり、少年を包み込んだ。その炎はとても鮮やかであったが、焼かれる少年の断末魔によって汚されていた。躰に悪そうな灰色の煙は天に昇り、辺りにゴムが焼ける異臭を撒き散らしている。

「おー。よーく燃えるねー」

「うっわ悲鳴すご。耳痛い…」

 最期の言葉すら言わせて貰えなかった祐介を見ての感想がこれである。虎鈴のはまだしも、魅空のはキャンプファイヤーしている感覚だった。

「つーか思いの外地味だね」

「君は慣れてるからでしょ。地味なのは何か足りないからじゃない?」

 今彼らの目の前で、少年が火刑に処せられている。熱に皮膚は炙られ、溶けたタイヤが躰に張り付きより隅々を焼いた。悲鳴も人間の物とは思えないレベルであった。それを眼にしながら二人は動じず、世間話のように喋っている。その光景はまさに、異様であった。

「そろそろ次の国行こうかな、と思うんだけど」

 魅空が脈絡無しに出した会話のネタに、虎鈴は首をかしげた。

「この国飽きた?」

「飽きたも糞もねぇだろ。どこの国も似たようなモン。底辺の人間が奴隷に変わったりする程度で、上の人間は変わんねぇよ。ただ、そろそろ進展が欲しいんだわ」

「進展って?」

「フラグが立たない。最初のフラグは強欲の王との出逢い。その出逢いは新たなフラグとして隠れ里の壊滅に導いた。次は暴食の王の使用者との闘い。それが終わればオメーと出会った。今回の魔法使いはフラグになんねぇべ、なんも得なかったし。俺は次のフラグを立てて、目標を達成させたい」

 魅空の目標。それは今の魅空の性格を形成させた原因である、二人の人間の抹殺であった。

 落ちこぼれで、魔法使いに成れなかった少年は全てを憎んだ。憎しみを肥大させながら少年は青年となった。青年は憎くてたまらない二人を殺す為に力を、強欲の王を手に入れ隠れ里を壊滅させたが、その二人は逃げ去っていた。それ以来魅空はその二人を殺す為、旅をし、実験等をして力を付けていた。いつか人生の目標を達成させる為に。

「あの糞ジジィ糞ババァはぜってぇぶっ殺す。あいつら裏世界でバカみてぇに有名だから、情報がある筈だ。情報とフラグを得る為に、別の国に行くぞ」

 魅空の目標は、自分を裏切った両親を殺す事であった。

 魅空の宣言に同意した事を、虎鈴は首を縦に振る事で示した。その時、顔も判別できない程焼け焦げた子供の死体が、溶けたタイヤと燃えカスと共に地面に落ちた。

 後編までお付き合いいただき有り難うございました。ご縁がありましたら、またお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ