前編
どうも、お馴染みの方はお久しぶり、初めての方は初めまして、仮面3であります。
この作品は外道と言えるキャラクターが主人公をしています。見る方によっては気分が悪くなるかもしれませんのでご注意ください。そして前編後編の二話構成となっています。短い間ですが、お付き合い頂けると幸いです。
では、どうぞ。
むせかえるような血の匂いが、鼻孔を擽る。
土色の地面も、緑色の若草も、血色の良い肌色をしていた人間さえも、紅く、黒く染まっていた。
長い金髪を一まとめにした青年が一歩を踏み出すと、大きい水溜まりのように溜まっていた血液が足下で跳ね、衣服を汚す。そんな事を気にしない青年は歩み続け、地面に転がっていた肉塊の生ゴミを蹴り飛ばした。吹っ飛んだ肉塊は建物の壁にぶつかり、血飛沫が派手に広がる。
そこには村があった。
そこには沢山の人が居た。
だがもうそこには人が居ない。人がいなければ村は村に非ず。人は今、足下で、普段は皮膚の下に隠している肉を晒しながら死んでいる。否、殺されたのだ。子供も、大人も、女も、老人も。ある者は腕を失い、ある者は下半身を失い、ある者は目玉と歯を失い、ある者は皮膚そのもを失っている。罪在る者も、罪無き者も皆平等に命を奪われていた。
すべてはこの青年と、青年の周りをまとわりつくように回りながら、形を変え続けている液体状の物質が行った悲劇。液体は時に二本の円状、時には無限の八の字など自由気ままに動き回っているが、青年の周りから離れようとしない。
突然、青年は大声を上げて笑い始めた。近くにあった、手頃な千切れた生首を踏み潰しながら、腹のそこから笑い声を上げている。
おかしくてたまらない。青年にはこの喜劇が、笑いのツボにはまったのだ。グロテスクな背景にはまっている死体共を見下しながら、殺戮の喜劇を楽しんでいる。
常人が聞いたら、嫌悪するだろう笑い声が、いつまでもいつまでも響き、彼以外居なくなった村にこだました。
恍惚とした表情をしていた彼だが、ふと、顔に暗い影が差す。これだけ殺しても、百七十二人の人を殺しても満足できていないからだ。一番殺したかった二人を、殺せていない。そんな不完全燃焼に、青年の喜劇は急に萎えた。先程とは違い、地面に散乱している肉や骨、引っ張りだした血管や内臓を見ても、何とも思えない。楽しかったものが、いきなりつまらない物に変質してしまった。
青年は夢遊病患者のように、フラフラと何処かへ消え去った。
*
石畳の地面を、俯きながら暗い表情で人々が歩く。
ここは日ノ国。地位や権力で人間が差別化されていて、上下関係がはっきりとしている国だ。天は人の上人を創り、人の下に人を創られた。チカラの有る者は裕福を貪り、無き者は底辺で人権など無い生活を強いられている。生まれたお家柄のランクで、一生の運命が決まってしまうのが日ノ国。這い上がれたとしても、ロクな生き方ができない。
だから、治安はとても悪い。一日で人が死ぬ数は、全世界でも五本の指に入る程だ。毎日暴力団が抗争をしていて、被害に合うのはいつも底辺の人間。その日暮らしの上、命の保証なんて一ミリもない。連日昼夜、死が首筋に手を当てている。しかし権力者や裕福な者は現実を気にせず、仮初めの平和を啜っていた。派手な色に包まれた上の人間は、灰色に塗れた愚民をいちいち気にしていられないのだ。
そんな希望がない無法地帯に生きる人間達の間に、ある噂が流れていた。殺したい程憎い者を、変わりに殺してくれる殺人代行〝仕返し屋〟の存在である。なんでも仕返し屋の人間に気に入られれば、どんなに強い人間も殺してくれる。噂だが、実際に暴力団と繋がっていた組織がいくつか潰されていた。本当にあるかは謎だが、恨み憎しみが絶えない無法地帯の人間には希望ともいえる存在だった。
無法地帯に、スラム街とも言える場所で生きるとある少年も、仕返し屋に頼ろうとする者であった。
情報は有る。たまたま仕入れた情報だが、ある場所に見慣れない者が住んでいるらしい。嘘かもしれないが少年は、田中佑介はわらにも縋る思いで、ガリガリに痩せた躰で前に進んでいた。仕返し屋を求めているのであれば、殺したい程憎い者が居るのは当然だ。殺してやりたいが、自分ではどうする事もできない。だがどうしても殺してやりたいので、仕返し屋を探していた。他力本願。これもまた、底辺の人間に強いられているモノの一つであった。
佑介は目的地の廃ビルに辿り着く。今にも崩れそうな廃ビルはコンクリートが剥がれ、鉄筋が露出している。どことなくおどろおどろしさを感じた。夜にここに訪れたら、それなりの雰囲気で肝試しが楽しめそうだ。
少々気圧されながらも、少年は勇気を出して廃ビルに足を踏み入れた。埃っぽい空気を感じながら、奥に入り込んだ。空気は埃っぽいが、床に埃があまり溜まっていない。人がここを頻繁に歩いている証拠だ。まだ不確定だが、現実味を帯びてきた。
それから一時間かけて、地下室へ降りれる扉を見つけた。錆びてるのか、立て付けが悪いのか分からないが、少し重い扉を開ける。すると茶色に変色した階段が現れ、恐る恐るといった様子で降りた。一番下に着くと布で区切られた空間を発見し、灯りと人の気配に気付いた。
息を潜め、布のスキマから中の様子を伺う。
中に居たのは、真っ黒なジャケットを着てフードを被った青年と、猫耳を連想させるニット帽を被った少女の二人。青年はボロボロのソファーにふんぞり返って座り、少女はフリルの沢山付いたエプロンドレスと、派手なメイド服を着ていて、それについて青年に怒鳴っていた。
「なんでボクがこんなの着なきゃいけないの!」
顔を真っ赤にして怒る彼女のメイド服をよく見ると、背中が大きく露出している。どうやら彼女の顔は、羞恥によって紅く染まっていたようだ。確かに見ているこちらも恥ずかしくなってくる。
しかし、嫌なら着なければいいではないか。無理矢理着せられたのだろうか。
「なーに嫌がってんの。似合ってんじゃん、フヒヒ、こ〜りん」
眼深かに被ったフードのせいで表情は口元でしか分からないが、張り付いた笑みと口調でからかっているのが分かる。いや、小馬鹿にしているのか。どちらにせよ、彼女の反応を見て楽しんでいるのが確かだった。
「もっと馬鹿みてぇに露出した服でも良かったんだが、さすがにお前、可哀想だと思ってよ」
「思ってないよねそんなこと。これっぽっちも可哀想とか浮かんでないよね。頭に! これで十分過ぎるわ!」
「そか。気に入ったんなら良かった良かった」
「そういう意味で十分って言ったんじゃねぇよ! 露出が十分過ぎるって言ったの! ふざけた事抜かしてると鼻骨折るぞ!?」
「フハハハハ。今日も冴え渡るな、お前のツンデレ」
「今なにがどうなってツンデレを感じた!?」
少女が掴み掛かって吠えるが、青年はまったく気にしていない。どうやらコレが二人の日常のようだ。
「あぁもう……頼むから、いつの服着させてよ。背中がスースーするんだよ…スカートも短いし…」
青年の視線がが、面倒そうに動き、背中同様大胆に露出している太ももを見る。滑らかな肌の健康的な太ももをじっくり見た後、青年は右手の親指をグッと立てた。
「だからいいんじゃないかッ!」
「ホンッットにいい性格してよね君は…!」
憎々しげに皮肉を言った彼女に、青年は高らかな笑い声で返事を返した。ハハハハ、と笑い声が地下室に響くたび、少女の顔は引きつる。話が通じないと苛立っているのだろう。
徐々に笑い声が小さくなっていく。声が途切れると、先程まで賑やかだった室内が急にシーンとした。なんだか気まずさを感じた祐介は視線を泳がすと、はっと息を呑む。
二人が此方を見ていた。祐介の存在に気付いているかは分からないが、じっと区切っている布に隠れている場所を見ている。冷たい視線に圧迫され、一瞬下を見た。再び顔を上げ、隙間から伺うと、青年が居ない事に気付く。顔を下げた一瞬の間に、どこに消えたのか。
「何してんの。その歳で覗きとか、早熟すぎんぞ」
いきなり後ろから声を掛けられ、声を上げて驚きながら振り返った。そのまま後退ると、両肩に手を置かれた。あのニット帽メイドの少女だ。
捕まった、見つかった。直ぐに浮かんだ思考はとても単純で、切羽詰まった二つのそれだった。
青年がジャケットのポケットに手を入れ、肩を大きく揺らしながら祐介の正面まで近づくと、顔を覗き込んだ。その時、フードに隠れた青年の顔がちらりと見えたが、珍しい金髪の方に眼が行き、顔自体の印象が弱かった。
「なーにしに来たのよ。まっ、狙ってきたなら、噂を信じたクチか? えぇ、おい?」
チンピラのような雰囲気だが、脅すような声色ではない。しかし、なんだか気を抜いたら一瞬で、否、わざと時間をかけて全てを飲み込まれてしまいそうな威圧をかけてきている。
顎を目一杯広げている蛇の如く、隠れた迫力を出す青年に飲まれそうになりながらも、祐介は問いの返事として小さく震える頭を縦に振った。青年の口元が三日月状に歪む。
「ウェルカム。狂言妄言を信じた弱者よ。俺が巷でユーメイな〝仕返し屋〟様ヨ」
青年は仕返し屋で明かすと、魅空と名乗った。少女は虎鈴という。最近の日ノ国には光宙やら羽衣路、騎士等のおかしな名前が増えているらしいが、この二人の名前もたいがい珍しい物だ。
子供故に無邪気に変な名前、と言ってしまったら、果たして自分は明日の太陽を拝めるだろうか。
再び青年はボロボロのソファーに踏ん反り返った。虎鈴が祐介に椅子を出してくれたので、好意に甘えて腰掛ける。
「あー…で、何? どったのよお前。つか名前なんつーの?」
「…祐介です。田中祐介」
「あそ。見るからに汚ねぇし、貧困民を体言したみてぇな体系、お前底辺の人間だろ」
「……はい」
祐介のような貧しい人間は、簡単に底辺の人間と呼ばれていた。それらしい呼び名を考えられる程の価値は、底辺の人間には無い。
「あの…魅空さんは仕返し屋…人を変わりに殺してくれる代理人なんですよね」
「そーだヨ。ちゃんと報酬よこして、尚且つ俺の気分がノれば殺ってやる。どんな奴だって、な」
ヒヒッ、と含み笑いをする。例え殺し殺されが日常茶飯事のこの国とはいえ、殺しを楽しそうに言ってのける彼は、暴力団と変わらないのかもしれない。でなければ、仕返し屋なんて危険かつ血なまぐさい仕事を、好き好んでしているわけないか。
「んで? お前、何があったん。どーせ、毎日飽きもせずチャカ撃ちまくってドンパチやってるあのクルクルパー共に、ダチか仲間か、家族殺されたとかかヨ」
魅空の言葉に、祐介がピクリと反応した。
確かにそうだった。祐介が仕返し屋に頼るのは、唯一の家族であった姉を殺されたからだ。声に出そうとしたが、嫌な記憶と姉の血の臭いを思い出すのが辛く、言葉ではなく涙が出そうになる。頑張って口を開くも、嗚咽しかでない。
虎鈴が祐介の心中を察したのか肩に手を置くが、魅空は中々喋らない少年に苛々し始めたようだ。
「んだよ…喋んだったらさっさと喋ろよ…! 苛々すんなぁ!」
「ちょっと…分かってあげなよ」
「あぁん? 何を?」
「辛い事があったんだろうから…ほら」
「んなこた知らねぇよ! オメーだって知ってんだろ俺様のセ・イ・カ・ク!」
そうだった、と言わんばかりに虎鈴は諦めため息を吐いた。相手の事を考えるつもりはこれっぽっちもない発言を聞いて、まだたった数分しか会話してないが彼の性格は大体把握出来た。
慰めるように虎鈴は祐介の頭を撫でるが、当の本人は少し恥ずかしい。それに魅空の視線が痛い。祐介は彼女に大丈夫と言ってから手を離してもらい、ぽつりぽつりと語りはじめた。
祐介には姉が居た。親は居ない。田中家は二人だけで構成されていた。二人は生まれながらの底辺の人間で、生活はやはり貧しく、いつ死んでもおかしくない日々だった。それでも姉は祐介を励まし、いつも笑顔で毎日を生きていた。ある意味、読み物の世界だはよく使われるような、この世界ではスタンダードな家族構成である。そういう貧しいながら、一生懸命生きている者が不幸は大好物なのだ。幸福も不幸も平等ではなく、どちらかに目を付けられるのは大抵は運の問題だ。今回この姉弟は運悪く不幸に見舞われた。ある日二人が住んでいた、家とはお世辞にも言えない場所の近くで、暴力団達は抗争を始めた。子供の喧嘩のように飽きもせず銃火器の引き金を引く暴力団達に、二人は怯えながら、近く暴れられているため逃げることも出来ず、早く終わるか何処かに行ってくれる事を祈ったが、不幸は目ざとく姉弟を見つける。暴力団は離れるどころか、闘いながら二人の住処に接近してきた。危険な目に合うのも覚悟して行動を起こしたが、時すでに遅し。とても逃げられない状況になっていた。あちこちで乱舞する火花や爆音を放心状態で眺めていた祐介に、突然姉が覆いかぶさった。次の瞬間、銃弾が着弾する音が、とても近くで聞こえた。コンクリート等に当たるではなく、柔らかく弾力のある物に当たったかのよな音に感じた。そして熱を帯びた痛み感じると姉が倒れる。覆いかぶさられていた祐介も共に冷たい地面に倒れた。熱、冷たさの次は生暖かいぬるっとした感触を掌が感じ取った。そこまで丁寧にヒントを与えられれば、嫌な現実が直ぐに理解できる。姉が祐介を庇って撃たれたのだ。熱は銃弾が姉の躰を貫通して祐介にあたったのだろう。姉の躰によって威力が弱められたのか、致命傷にはならなかった。祐介は痛みと恐怖で姉の下で隠れ続けた。すると気が付いたら暴力団達は何処かに消え去っていた。その場には鼻につく火薬の臭いと薬莢と、祐介と、既にこと切れていた姉の死体が残されているだけだった。
後に分かった事だが、あの時の抗争は真田組と村上組という暴力団が起こしたものであった。村上組は真田組に潰され、祐介にとって仇は真田組という事になる。
弾痕を見せながら語った祐介は、服を戻しながら再び俯いた。
「で、姉貴殺したその暴力団に、仕返ししたいと。殺すレベルの仕返しを、変わりにして欲しいと。そーゆーこと?」
祐介は頷く。すると魅空は、様々な方向を見ながら、あーやらうーやら唸り始めた。
「あー…うー……なんつーか、あれだな。つまんねーな、動機が。もっかい練り直してきなさい動機を。そしたら依頼受けてやるかーもー?」
「え!?」
「え!? って言われてもなー。つまんねーんだもん。ありきたり、マジテンプレ乙。ここに来る奴ってよー、皆似たよーな不幸自慢してくっからてーへんなんだよ。お前で八人目だけど飽きるわー」
確かに、この国ではありきたりな出来事だが、こうもすばっと言われるとぐうの音もでない。
魅空はさっさと帰れと言わんばかりに手を振ってくる。祐介への興味は完全に無くなっているようだ。もう無理なのか、復讐はかなわないのか。あきらめかけたその時、予想をしていなかった救い船が出た。
「別に飽きてもいいから、復讐くらいしてあげてもいいじゃん。君のチカラなら、そこらへんの暴力団くらい楽勝なんだから。君は仕返し屋でしょ?」
「あ゛ーあ゛ー、つってもなぁ。テンション上がんねーよ。俺ァ殺る気が上がるエピソード欲しいの。テンションアッゲアゲェ、ってなる面白ろ不幸エピソードあれば殺る気でんだけどなぁー。もしくは――」
言葉を一度切ると、ソファーから立ち上がり、魅空は祐介の正面に立って指を差した。
「お前が俺をその気にさせろや」
「え…?」
「何番目に来た奴かは忘れたが、めちゃんこしつこい奴が居てなぁ。そいつが昔の熱血漫画みてぇによ、仕返ししてくれるまでここを離れません、とかほざいてんの。うざってぇから、目の前で奴の左手の指全部もぎ取って、磨り潰して飲ましてやってもまだ消えねぇの。だから爪全部剥がして、指先を潰してやっても消えねぇし。そしたらよ、だんだん面白れぇ奴と思えてきて、仕返し、やってやったの。オメェも、そんくれぇのおもしぇえ根性みしたら、やってやっかもよ? ハハハハ!」
二回程、拷問を実行したような事を言っていた気がするが、一応はチャンスがやってきたと思っていいのだろうか。ハイリスクハイリターン。少しくらい危険を負わなければ、復讐なんて成功しない。
祐介は恐る恐る首を縦に振った。
「おほ。なに? オメェみてぇなガリガリひょろっこもやしが根性見せる、ってかぁ? おもしれぇじゃねーの! ……じゃあ、三日だ。三日ここに居てもいい。その間に、俺をどーにかこーしかして、殺る気にさせろや。おい虎鈴! お前、こいつの世話係な!」
「いやいや、勝手に決めないでよ」
「あ゛あ? いやだってか。だったらこのガキ、目の前で練り殺すぞ。つーかよ虎鈴、お前は俺に逆らえねぇ」
普段なら冗談に聞こえるが、この男が言う事は全て実行されそうで怖い。魅空はそんな雰囲気を常に醸し出している。
「……分かったよ。汚い上、いろいろと危ない奴居るけど、ゆっくりしていくといいよ、祐介君」
良心とも言える人物が居るのは嬉しいが、魅空のような者も居ると思うと胃が痛くなる。だが、この期限内にどうにかできれば、復讐を果たす事になる。脳裏には姉の姿を、胸には姉との思い出を抱きながら、祐介は仕返し屋二人との生活に身を投じた。
一日目。
一日目と言っても、印象に残った事は数年ぶりにまともな食事に有り付け、まともな寝床で眠れた事、虎鈴との会話くらいだろうか。魅空が何かしてくるかと思っていたが、一日の殆どを更に地下の部屋に籠もっていた。祐介はチャンスを逃した事を後悔し、危険な男と顔を合わせなくてよかった事に胸を撫で下ろすという、矛盾な感情に苛まれた。
虎鈴は魅空と共に居るのだから、性格に一癖も二癖もあると思ったが、割りと普通な方だった。稀にどこか冷ややかな物言いをする時があるが、それ以外は祐介に良くしてくれた。
しかし気になるのは、虎鈴は何故魅空と行動を共にしているかだ。気が合う仲という風ではないし、特別な感情を持っているとは思えない。メイド服を無理矢理着せるような男と、何故一緒に居るのだろうか。打ち解け始めた頃、食事時に思い切って聞いてみた。因みに虎鈴の服装はまともな物になっている。
「ボクがアイツと一緒に居る理由…ねぇ。まあ、若気のいたりかな」
「……?」
「アイツが持っているある道具に、ボクは興味があってね。最初は無視されてたから調子に乗ったら、離れられなくなったのさ」
なんだかよく分からない。正直な感想がこれだった。大切な部分を隠し、話が飛んでいる感じがして、余計に気になる。
「まあ、なんというか、ボクもあんまり話したくないんだよね。ある意味黒歴史だし。でも、思わせ振りに言っちゃったから気になるか。君、ロストアイテムって知ってる?」
「いえ、全然」
「だよねー。逆に君みたいな子供が知ってれば驚きだし。魔法や錬金術に精通してれば話は別だけど」
魔法と錬金術。それは科学の勢いに負け、廃れた技術。魔法とは名のとおり、魔の道から力を得て自然の物理法則をねじ曲げる力。錬金術は、代表的な物として物質を金に変える等の物質変換の技術である。数十年前までは魔法を基盤に、錬金術で生み出した物によって生活を支えられていた。しかし、魔法も錬金術も、簡単に使える物ではなかった。才能や素質、努力は勿論、危険な薬品等を扱う知識や技量を必要とするのだ。これでは使う技術者を育てるのに時間が掛かりすぎる。ようは魔法も錬金術は人を選ぶのだ。だが科学は違う。一見難しいが、理解してしまえば扱いやすい。更に科学の進化速度は異常で、魔法と錬金術を直ぐに追い越した。今や魔法と錬金術を扱える者は世界的に見てもごく僅か。科学は一般人に使いやすい道具を生み出して、人々に浸透していった。
彼女はそんな魔法と錬金術に、興味があると言った。
「ロストアイテムは、魔法と錬金術が合わさって作られた最初の殺戮兵器。7つあって、それぞれ単純な事象を実行する能力がある。単純故に強く、原点故に最強の兵器さ。今まで何処にあるかは不明だったけど、数年前、というか最近発見されたって情報が流れた」
「最強の兵器…それを魅空さんが?」
「そっ。しかも、二個も」
「…ッ!」
「魔法とか錬金術のマニアは勿論、ロストアイテムの事を知っている奴は、目が回るくらいの大枚はたいても欲しいだろうね。ボクはただの知識欲で興味があったんだけど、まさかそれのせいで――」
自分の好きな事だと饒舌になるタイプなのだろうか。あまり話たくないと言っていたのに、今は気持ち良さそうに語っている。
だが、祐介はもう虎鈴の話を聞いていなかった。祐介は実際に魔法を見た事はない。錬金術も、それで生み出されて役目を終えたガラクタくらいしか知らない。それでも、今の話は魅力的だ。最強の殺戮兵器。成る程、彼の特異的な雰囲気はその兵器から来ているのかもしれない。一体どんな力があるかは分からないが、魅空から運良く二つあるどちらかを盗めたら。それこそ復讐を自分の手で果たす事が出来るかもしれない。そうすれば、あの男の機嫌を取らずして、姉の仇を討てる。そう思っていたら、虎鈴が自分を見つめているのに気付いた。まるで祐介の考えを射ぬくような眼だ。
「止めときなよ」
「えっ…」
声をかけられ、思わずびくりと肩を震わせた。
「アイツに連れ回されて、ロストアイテムについて分かった事が一つある。アレは人を選ぶ」
「人を選ぶって…魔法や錬金術みたいに?」
「あー…ちょっと違うね。意味が違う。魔法と錬金術が組み合わさって作られたアレは、使用者を好き嫌いで決める。現にあの男だって、一個しか使えてないし」
「好き嫌いって…まるで人間みたい…ですね」
「ボクも原理は詳しく知らないから、そうとも言えるね。もともと、魔法と錬金術の根本は理解出来てない部分がある。いや、理解しちゃいけない部分か。ロストアイテムにそういった摩訶不思議な人間性の様な部分があるのも、不思議と思っちゃいけないんだよ」
分からないのが当たり前だから、と。世の中で不思議と思われている事は、説き明かさないのが一番良いのだと彼女は言った。秘密が有った方が夢が有るし、知ってしまったら取り返しのつかない事になる。魔法等も同じで、愛人が居る恋人の様なの距離感が一番良いのだ。近過ぎず、ちょっと遠い今の距離感が。
「というか使える使えない云々よりも、アイツを出し抜くの無理っしょ。もし奇跡的に盗めても、ガチで痛い目見るだけだから、止めときな」
実際は、復讐さえ遂げればその後はどうなっても良いと思っていた。だから、魅空の仕返しはある意味怖くはないのだが、自分がロストアイテムを使える可能性も、盗みだせる可能性は低い。リスクばかりのこの生活はまだ二日ある。命を賭けてロストアイテムを盗むのは、最終日の最後の手段としておこう。今命を縮めて死んでは意味が無いと、祐介は冷静になった。
しかし、魅空はどうすればやる気になってくれるのか。全く検討がつかない。
「魅空さんって、どうすればやる気になるんですか?」
「うーん…分かんない」
「まったく?」
「まったく」
「虎鈴さん、魅空さんとどれくらい一緒にいるんですか?」
「もう一年と八ヶ月くらい? 結構たつけど、アイツのやる気スイッチが入る条件とかまったく分からないね。前の奴は奇跡だね。熱血とか根性、汗臭いのが嫌いなアイツがアレで殺る気になったのは、ホントに奇跡だよ。難しいけど、君は復讐したい暴力団の何か面白いネタ持ってこなきゃ無理じゃないかな?」
早速、最終手段に移らなければいけない気がしてきた。初日から憂鬱になってくる。
頭を抱えた祐介は、ふと、虎鈴にある違和感を覚えた。大抵の大人は、復讐なんて止めろと言う。家族が殺されるなんて日常茶飯事の底辺の人間は大抵、諦めの感情捕らわれ復讐はしない。無駄な事と言ってお終いだ。稀に祐介のように復讐しようとするものも居るが、周りに止められる。飛び火を止めるためだ。復讐者が変に仕返しすれば、暴力団は嫌がらせをしてくる。周りはそれを恐れているのだ。
魅空はともかく、虎鈴は止めようとしない。少し不思議に思い何故かと問うた。
「別に恨み変われるのは怖くないしねぇ…魅空と一緒に居れば身内的に危ないけど、外敵驚異は殆ど無いって言ってもいいし。というか、復讐止めろと言っても無駄でしょ? 魅空の所に来たって事は覚悟があり、もうそれしかないって事だろうから。ボクは止めろなんて無責任な事、言わないよ」
それはありがたい事だ。口だけで何もしない大人よりは好感が持てる。
話と食事が終わる頃に、魅空が地下室から出てきた。どこか疲れた雰囲気で、躰からは少し薬品の匂いがした。何をしていたのか気になったが、どことなく機嫌も悪そうだったので止めておいた。定位置のソファーに座り、そのまま眠ってしまった魅空。チャンスとばかりに虎鈴に聞いたが、この情報はマイナスにしかならないと言って、教えてくれなかった。
二日目。
「ねぇ、食品切れそうだから買い出し行っていい?」
「いいぜ。あと俺も出掛けるから。多分今日帰んねーからヨロ」
「珍しいね。君が仕事以外で出歩くなんて」
「んあー……なんかよ。面白いネタが拾えそうな気がしてよ。ヒヒッ」
虎鈴が行こうとしている買い出しに、祐介もついていく事になった。住み家に一人で居ても暇だろう、と。虎鈴と共にが住み家を出ようとした時、魅空が下の部屋に通じる扉に、絶対に入るなと書かれた紙を張っていた。絶対にというわりには、どうも制止の念が感じられない物だが。それを見て、虎鈴は呆れたようにため息を吐いていた。
*
買い出しの場は、普通の人間が住む様な所だった。普通の人間と言っても、祐介達底辺の人間より少し良いぐらいだが。上の人間は時代錯誤な生活し、普通の人間はたまにある幸せを掴めるレベル、底辺は不幸と二人三脚の日々。三段階のランク分けは小学校低学年でも一目で分かる。
普通の生活の場では、底辺の祐介は場違いにも思えたが、どうする事もできないので虎鈴に隠れ気味に歩いた。それに、かなり久しぶりに活気のある場所に来て居づらいというのもある。
道を歩いていると襤褸を纏ったずんぐりむっくりな体型の者が、遅い速度で物を運んでいるのに気付いた。身長はさほど高くはない。恐らく獣人だろう。獣人とは、名の通り人間のように言葉を発し、知性を持つ獣である。といっても、知能はお粗末、かなり舌足らずに喋り、見た目は出来損ないの獣なのだが。祐介が今見たのは旧鼠族と名乗る、鼠型の獣人だった。元は魔法と錬金術によって創られた人工生命体という噂があるが、さだかではない。知能が低い者は奴隷のように扱われ、そこそこ頭の良い個体は自ら人間のもとに仕事を求めてやってくるという。単に食料に困っているのだろうが、中には人間の役にたちたくて現れるという狂言を吐く奴もいた。どちらにせよ人間からしてみれば安い賃金で雇える、都合の良い道具として見られている。祐介の居た底辺にも、獣人は居た。仕事にあり付けなければゴミ同然に見られ、底辺にへと捨てられる、これもまたこの世界の常識なのだ。更に噂では獣人にも上位種と呼ばれる突然変異がおり、知能も見た目も人間に近い存在が居るらしいが、目撃例はとても少ない。知能が高いだけあって、上手く隠れているのかもしれない。
ふと、虎鈴が祐介の手を引いて歩く速度を上げた。何事かと彼女の顔を覗き込むと、険しい表情をしていた。眉間に皺を寄せ、獣人を見ないようにしている。獣人を嫌っているのだろうか。
「獣人、苦手なんですか?」
「苦手って言うより、あんまり見たくはないなぁ。特にあのタイプは」
それだけを言うと、虎鈴は更に歩みを速めた。引っ張られる祐介は転ばないようになんとか付いていく。その後買い出しは滞りなく終わった。
問題があったとすれば、魅空が本当に帰って来なかった事だろう。期限が近いのに居てもらわねば、やる気も殺る気も出させる事ができいではないか。その日祐介は、何かネタは無いかと模索し、期限が迫っている現実に苛々しながら過ごしていた。
*
――数時間前。
「へぇ、この街に魔法使い、ねぇ…」
とあるバーに、魅空は居た。街の片隅に存在するここに、魅空はたまに来ていた。昔からこういう所には様々な噂が転がり込んでくるもの。魅空も、ちょっととした情報集めを目的に立ち寄っていた。ただ、情報と共に〝いきがってる奴等〟、暴力団に成り切れない中途半端なチンピラの溜り場にもなっているのだが。
「そーよ兄ちゃん。あの伝説の傭兵、魔法使いがだよ。もう廃れた魔法を操る魔導一族の兵士。その戦闘力は一つの軍隊をも凌ぐ、ってね。数年前に物騒な噂を聞いたから、一族は絶滅したって思ってたけどねぇ…」
バーのマスターが熱弁を振るって語る魔法使い。
魔法は素質と時間を必要とする。その魔法を生まれた時から教え込まれる集団を、魔導一族と呼んでいた。しかし数年前、魔導一族の村を何者かが襲撃し、皆殺ししたという話が風と共に流れた。
マスターも魔法か何かのマニアなのか、熱く語っている。その話を聞き流しながら、魅空は喉の奥に水を流し込んだ。ここには勿論酒等もあるが、昼間にアルコールを摂取する程落ちぶれてはいない。酒は飲めるが、今は気分ではない。クソ不味い水でも、まだまともに思える気分だ。
「熱くなってるとこ悪いがぁ、魔法使いはそこまで強くないぜ」
「……何?」
「確かに、魔法なら広範囲且つ高威力の攻撃を出せるが…利点と弱点は比例すんの。下準備にゃあ時間掛かるし、前もって儀式をしなきゃあいかん物もある。魔法を実行すんのも、口による呪文詠唱が必要な物は最低でも約三秒掛かるし…紙に術式を書き写したり、魔具の使用、地面や床や壁等に魔法陣を書いたトラップ型には、あらかじめ一定の魔力を溜め込んでおく必要がある。魔法は強力な分色々と時間や労力を使うんだよ。それよりだったら、戦闘向けに鍛えた躰と、鉛玉吐き出す銃火器とか兵器の扱い長けている軍隊の方が総合的な利点は多いから、魔法使いよりつぇよ。そりゃあ魔法使い百人と軍隊一個なら、魔法使いの方がいいだろうが、コスパが悪いし魔法使いはそんないねぇ。俺なら軍隊押しだね。統率力もたけぇし」
「…………なんというか、兄ちゃん凄いね。詳しいけど、勉強とかしてんの?」
「別に。知り合いにオタクがいんのよ」
素っ気なく返事をし、コップの中の氷の欠片を口に含み、噛み砕いた。味からして安物。水だからなのか、それとも氷は共通なのかは分からない。
「んで? その魔法使いはどこさいんのか分かんの?」
「なんでも最近名を上げてきた暴力団が雇ったらしいよ。そのうちデカいドンパチでもやるのかね。怖い怖い。確かな、名前は……真田組とかなんとか」
「…………へぇ。なるほど」
真田組といえば、祐介が仇としている暴力団だ。
魅空は思った。テンプレ展開過ぎて逆に面白い、と。それに魔法使いの存在が、魅空の殺る気とやる気を、どちらも刺激した。含み笑いが堪えられない。魅空が無意識に零した笑みに、店長は思わず引いた。引いてしまう程、気分が悪くなる笑みだった。
すると魅空が座っているカウンターの隣に、格闘ゲームに出ていそうな筋骨隆々の大男が近付いてきた。ニヤニヤと大物感を出し、余裕ぶっている大物は、臭い程小物臭を漂わせている。故に魅空はフードの下で露骨に嫌な顔をした。こういう類いの輩は嫌いだ。ウザさの塊と言ってもいい。
「まったく真田組も馬鹿だぜ。魔法使いなんて時代遅れの雇われ傭兵より、俺様の方がよっぽど役にたつってのによ!」
ほら、早速ウザい。いきなり現れて、話に首をつっこんできた上、話の主導権を奪いやがった。
話によるとこの男、真田組からクビを切られたらしい。魔法使いは金で雇える、雇われ傭兵。真田組が最近魔法使いを雇ったため今まで雇われていた大男がクビにされたようだ。まあ、どうみても接近メインの脳筋よりは、多種多様の攻撃が繰り出せる魔法使いの方がいいだろう。それに自分の実力より上の者に仕事を奪われ、文句を垂れながらこんは場所にいるようでは、遅かれ早かれこうなっていただろうに。
「俺様のこの腕力や筋肉に何度助けられたっていうのに……恩を返さず後ろ足で砂かかけるような真似しやがって。おう兄ちゃん! もしテメェが真田組になんかしてぇなら、手を貸すぜ。俺の腕力で目にもの見せてやんよ!」
何故自分は見知らぬ男の愚痴を聞かされ、仲間意識を持たれなければいけないのか。げんなりしながら、魅空は本心を呟いた。
「脳筋、Iラブ筋肉、筋肉腕力馬鹿の能無しなら、俺もいらねー」
「…………あ゛? 今なんつった? 言葉次第じゃあ、そのひょろっこい躰、圧し折ってやっから」
「俺はひょろっこいんじゃねーの。女子にモテる細マッチョ、分かる? オメーさんのキモイゴリマッチョとちゃうの。分かったらどっか行けよ。もしくはキャワイイ女の子連れてこいよ。お呼びじゃねーんだよオメーは」
シッシッと、手を振ってどこかにいけて示した。
大男はというと、分かりやすく顔を真っ赤にして、ご自慢の筋肉の血管を膨らませている。今の言葉でここまでキレるとは、肩から上に付いている物は飾り、もしくは熔鉱炉のようだ。子供だってこうまではならない。
周りのチンピラ達は、あいつ死んだな、等をほざいている。彼らにとってはなんでも楽しめる遊びになるようで。ある意味幸せな人種だ。マスターも止める気はなく、寧ろ勝手にやってくれと言わんばかりに、魅空達から離れていった。チンピラが溜まる場所だ。こういう状況には慣れているのだろう。懸命な判断だ。
大男は何も言わず背を向けた。このまま何もせずに帰るというわけではないだろう。魅空は心中を予想するも、特に身構えるわけではなくコップの中に残った氷を弄っていた。
足音がした。一回、二回。二度だけで足音が止まり、床を踏みつける音が聞こえた。恐らく大男が振り返り、堅く握り締めた拳を構え、踏み込んだ筈だ。狙いは魅空の後頭部。あと一秒もしない間に、力任せのマッチョパンチが直撃するだろう。突きを放った大男は、きっと笑っている。大抵そうだ。自分の力を過信し過大評価している者は、他人を傷付ける時に笑うのだ。〝魅空〟もまた、例外ではないのだが。
大男の突きが、魅空の頭を捕えた。チンピラ達がわざとらしい悲鳴を上げる。だが、直ぐに皆が首を傾げた。大男の体格や力の突きを喰らえばそれなりに鈍い音がするものだが、全くの無音だった。それに大男の自身も手応えを感じなかったし、魅空も何もされていないかのように微動だにしなかった。魅空は防御をするような素振りは無かったが、ダメージが通ってはいない。
一体どうなったのか困惑している大男の、未だ自分の後頭部の頭に当てられていた手を掴む。
「しょーじきめんどっちぃの極みだが、これ正当防衛ね。正当防衛正当防衛、だから死ぬや。な? オメーみてぇな奴死んだって、誰も悲しまないだろーし」
過度な正当防衛は認められず犯罪になるのだが、魅空はそんな事知ったこっちゃない。
相手の手を掴んだ状態で立ち上がる。大男は振り払おうとするが、信じられない事に自称細マッチョの力に押さえ込まれてどうする事もできない。更に魅空は足払いをして大男を転ばせた。手を掴まれているのもあり、抵抗ができなかった。転ばせた大男が逃げる前に、太い足首を掴んでバーの開けた場所まで引き摺って行く。
「は、離せこの野郎!」
「モチ却下デース☆ 人殺したり、俺殺ろうとしたんだ。諦めなサーイ」
藻掻いたり、床に爪を立ててあらがったが、それも虚しく無駄に終わった。体格も体重もまるで違うというのに、何故こうも易々と引っ張って移動させる事ができるのだろうか。
邪魔なテーブルや椅子を蹴り飛ばしてどかしスペースを作ると、ジャイアントスイングをするように回転を始めた。
「な、何しやがる!」
徐々に遠心力がつき、回すのが楽になると自身は回転を止め、片腕だけで大男で円を描いた。大男の躰は宙に浮き、魅空の頭より高い位置でぐるぐると回されている。
一体こいつは何をしたいのか、大男は考えた。確かに今は動きを封じられており、目が回り気分が悪くなっている。だが、魅空はこの後に攻撃を繋げようとしてこない。この後は床や壁に叩きつけたりするなに、色々できる筈だが、魅空はただひたすら回すだけだった。しかし、その数十秒後、とある変化が襲う事になる。
「……? …ひゅ…ぎゅび……!?」
気分が悪いだけだったのに、急に表現ができない程の苦しみを味わった。呼吸もしにくく、頭の頂点からカーと熱くなる感覚がするのは分かるが、どこからこの苦しみが来ているのは分からなかった。
「苦しいかぁ? だよなぁ。でもなんでか分かんねーか? 分かんねーよなぁ脳筋野郎には。今オメーは回されている。しかも、頭は円の外、遠心力の外側にあり最も影響を受けている。ある程度の強い力、速度で回されりゃ頭に血が昇る。頭下にして逆さにした時とは比べ物にならないぜぇ。回され続けられりゃあ、血は昇り溜まりまくる。そうすりゃあ、ヒヒッ。そのうち血を溜め込んでパンッパンに膨れた血管が限界を迎え……ボンッ! だ」
大男がこの説明を聞き取り、理解できたかは分からないが、呻き声を上げている。
魅空が展開している少々地味な拷問を見ていた観客がどよめいた。執行人が言っていたように血がかなり溜め込まれてきた為か、顔が先程とは違う意味真っ赤になり、血管が膨れ上がって眼も押し出されかけている。頭も膨張し、一回り大きくなった。彼が言った通り、頭が爆発してしまうのか。この治安が悪い国でも、頭が爆発して死んだ人間は何人居るだろうか。
大男の頭は考えている事を止めていた。膨れた血管が脳を圧迫し、思考を絶っていた。故に、過去の記憶は蘇ってはおらず、走馬灯も見えていない。ただただ、死を迎えるのを待っていた。
最後はとても呆気なく、とても派手だった。頭が何ともいえない音だしながら破裂、辺りを血肉の渋きが汚した。目玉は勢い良く飛び出し、床を跳ねた。運悪く糸状の物がまとわりついた眼球が足下に転がってきた客は、直ぐに顔色を悪くし、口から胃の中の物を吐き出し蹲っていた。魅空は頭の弾けた大男を、チンピラが固まって座っていたテーブルに投げ飛ばす。大男は放物線を描いてからテーブルに直撃し破壊。床に伏した。チンピラ共は見てはいけないと分かっていても、大男の死体をじっと見つめてしまった。
切れ込みを入れ茹でたトマトの皮のようにめくれあがった頭の中身。頭蓋骨らしき白い物も上部は砕け散っており、普段一般人は拝めない頭部の中身がよく見える。脳ミソも破裂時に吹っ飛んでしまったのか、どこにもない。空っぽの頭の中は、とてもグロテスクで、有るべき物がない虚無感を溢れだしていた。
飛び散った血、肉、脳ミソと骨の破片を浴びた者は、ワンテンポの間をおいてから、絶叫した。中にはバーから逃げ出す者も居た。死体なんて、探そうと思えば見つかるこの街では珍しくもない。だが、猟奇的かつグロテスクに殺す殺人方法を自分の眼で、こんな近くで見るのが初めての者も多かった。そして、笑いながら簡単にやってのける魅空も、恐かった。安全な場所で猟奇殺人方法を動画で見るのとは、まったく違うのだ。
情報も手に入り、少々楽しめた。ここにはもう用はないので、ご満悦の魅空は逃げる者に紛れ、バーから消えた。殺した相手に何の感情も持たず、ここは出入り禁止だな、と考えながら。
どんな者にせよ人が間近で死に、何かしらの感情やリアクションを取れれば正常。無感情、またはノーリアクションの者はどこかがおかしくなっている。死で楽しめるのならば、狂っている。
青年は狂っていた。誰よりも、狂気を求めていた。
*
三日目。
とても早く感じた最終日。今日こそはと意気込んで見たものの、仕返し屋の住み家は、祐介以外の誰も居なかった。魅空はともかく、朝起きて虎鈴すら居ないのは初めてだった。
魅空も虎鈴も居ない。これでどうすればいいのだろうか。この日を最終日にしたのなら、ちゃんと居てくれなければ困る。
「どうしよう…」
消え入りそうな呟きを漏らすも、状況はまったく変わらない。
ふと、視界の隅に地下部屋に通じる扉が映った。扉には未だ入るなと警告されている紙が貼ってあった。思えばあの部屋には何があるのだろう。ここにきて、祐介の子供らしい好奇心が顔を出した。あの部屋に、何か手掛かりがあるかも知れないと、祐介の心が囁いた。魅空の帰還を待っている手もあったが、それでは何時になるか分からないし、自分から動かないと事態は好転などしない。それに今は己以外誰も居ないので、ちゃんとしていれば入ってもばれない。
好奇心に唆された祐介は歩を進め、扉の正面に立った。何か考える前に手はドアノブへと伸びて、それを掴んだ。
「ッ!?」
すると一瞬、背中を撫で回すような悪寒が走り、ドアノブから手を離した。なんだか気持ち悪い感覚、だというのに祐介の手は、自然に動きまたドアノブを掴んでいた。
ひんやりとしたドアノブは簡単に回った。意外にも鍵はかかっていなかった。重量のある扉を開けるのには苦労したが、無事地下部屋への道を開く事ができた。 黴臭い空気が頬を撫でたかと思うと、前に魅空からしたものと似た薬品の匂いが混じっている事に気付く。やはり何かある。祐介は下の部屋を目指した。
地下部屋へは思ったよりも距離があり、着いた時にはちょっとした疲労感を感じていた。祐介は先程よりは質素な扉を開いて、地下部屋に足を踏み入れた。
入った瞬間、少し驚いた。部屋の壁一面は物を収納出来るようになっており、隙間なく厳重に蓋をされたビンやビーカーが保管されていた。中身の液体は無色だったり、色が付いていたり様々だった。これが匂いの元である薬品のようだ。部屋の中央には作業机らしき物が置いてあり、資料や試験官が無造作に散乱している。他にも土等を入れた大きな水槽があった。見たていでは、弄っても一番ばれなさそうだ。
ターゲットを絞った祐介は、机の捜索に移った。理解できない文字や数式、よく分からない陣が描かれた紙を寄せていると、他の試験官よりかなり大きいカプセルを発見した。
中身は、ただひたすらに真っ黒な液体だった。ここまで黒いと、光沢があってもいいと思うが黒い色しかない。まるで光を吸収し、絶対に逃さないブラックホールだ。
真っ黒な液体が入ったカプセルを上下に振ってみると、チャプチャプと音がした。一見ただの液体だが、他と違いカプセルに入れているのだから、何かしら価値のある物なのだろう。すると、直ぐ近くにカプセルの絵が描かれた数十枚のメモ用紙が、クリップでまとめられて置かれている事に気付いた。メモ用紙は普通の言語で書かれていたが、学校で勉強なんてした事のない祐介は殆どが読めなかった。
『×食の王。ロストアイテム。××××××。人××××の×××が×いが、××の王と×じく×××は××××なのかもしれない。××は×う。相手の×の××から××、××した×ならどんなモノでも×う×ができる。××の王の×うと×じる××があるが、×った××を××××して××の王にできる××がある。しかし、××に×う×に××した××の王の方が、×うスピードは×く―――(以下略)―――』
「ロストアイテム!? これが…?」
これが、最強の殺戮兵器の一つ。見た目はただの液体。俄かには信じられないが、メモ用紙の絵はこのカプセルに入っている液体を示している。様々な情報がメモ用紙には書かれていたが、祐介には殆ど解読が出来なかった。
魅空は二つのロストアイテムを所持している。その内の一つが、自分の手に。ロストアイテムを盗むという手は初日に虎鈴に止められたが、今は何も進展無しの最終日。それに虎鈴と魅空は居ない。今なら殺戮兵器を盗む事ができる。少々都合がよすぎるが、これを使えば復讐を果たす事が可能だ。
祐介は数分考えた後、名も知らない殺戮兵器を手に住み家を出た。殺戮兵器を持ち出す事や、今から暴力団に殴り込みに行き仇討ちを実行する事に葛藤なんてものは無い。祐介にとって一人で生きるこの世界に意味はないのだ。姉が死んだ時に、死んでも良かった。だが、ただ死ぬのも悔しかった。どうせなら一矢報いたかったかのだ。死ぬとしても、暴力団に復讐を。祐介はこれを目標に生き、今暴力団を目指していた。
この時の祐介は浅はかな行動をした。一つは自分がロストアイテムを使えるか確かめなかった事、もう一つは、都合がよすぎるこの展開をあまり疑わなかった事だ。何故ロストアイテムのような危険且つ重要な道具をここに放置していたか。この部屋に置いておきながら、何故鍵をかけていなかったか。目先の事を見すぎ先走り、思慮が足りなかった。
魅空が昨日の朝起きて、なんとなく仕掛けた罠に、まんまと祐介ははまってしまっていた。
*
祐介はロストアイテムを手に入れた。が、何かしらが特別になった訳ではなかった。いくら最強の殺戮兵器を得たとしても、カプセルに詰められたままでは意味が無い。
ロストアイテムを起動しないまま、暴力団に乗り込んだ。乗り込んだと言っても、こっそりと裏口からだが。組織というのは、頭をやってしまえば下の者は混乱し、一気に崩れる。祐介はそれを、ぼんやりと理解しており狙っていた。しかしそう上手くは行かず、数人の下っぱに見付かってしまい捕まった。
抵抗しようにも、子供と大人の体格や力の差で意味が無く、無駄に終わった。ロストアイテムを使いたくとも、使い方が分からなかった。下っぱに捕まった祐介は拷問部屋と殴り書きで掛かれた紙が貼られた部屋に連れていかれた。この時祐介は拷問部屋の字が読めなかったため、自分はただ殺されてしまうのかと絶望にうちひしがれていた。部屋の中は、広いホールのようになっており、とても拷問をする場所には見えない。
下っぱは祐介からロストアイテムを奪った。カプセルが何なのかは理解していないだろう。ただの興味本位による没収だ。返せと言ってもはいそうですかとはならないだろうから、苦い表情で奪われたカプセルを見つめる。下っぱの一人はカプセルを手の中でキャッチボールしながら、他の者にある指示を出した。指示を受けた下っぱは小走りで部屋を出ていった。これを気に逃げられかと思ったが、部屋に残っている三人の下っぱに見張られていて無理だった。
数分後、先程出ていった者と一緒に、他の者より上等なスーツを来た男が部屋に来た。四十代くらいに見えるが、スーツの上から見ても分かるガッチリとした体格をしている。
「そいつか? 一人でカチコミに来たガキってのは」
「そうです、鮫島さん」
下っぱ達の態度から、鮫島と呼ばれた男は上司のようだ。
鮫島は面倒そうに後頭部をガリガリ掻いた。
「今月何回目だよったく…。おい坊主、お前何しに来た」
「…………お前達が姉さんを殺したんだ…!」
「……ハッ。またか。お前等そればっかりだよな、底辺の人間わよ。日々に絶望してるくせに、肉親にはうるせぇ」
それはそうだ。数少ない寄り添え、慰め合える相手を奪われれば、復讐したくもなる。愛がどうとかなどは、たった数十年生きただけの祐介には分からない。語れる力もない。だが、姉を殺された時のあのなんとも表現し難い喪失感。恐らく躰の一部を失うよりも痛みを感じた。胸の奥で。その痛みが祐介を駆り立てた。
が、感情論だけではどうにもならなかった。現状、大人四人に囲まれて、噛み付く事もできていない。底辺の人間としての本能か。あらがい、闘う事を躰が拒否している。飛び付いてやろうにも脚は地面に吸い付き、殴りたくも肩から下が脱力していた。何もせず、憎悪の念を込めて睨み付けるだけの祐介に顔へ、鮫島は唾を吐きかけた。
「お前等底辺の人間は、皆同じだ。いっちょまえに仕返ししに来るくせして、いざとなったら何もできねぇ腰抜けで。処理する側の身になってくれよ。もういいだろ。どうせ何もできねぇんだ。時間掛けさせないで、死んでくれや」
鮫島は理解していた。底辺の人間が乗り込んでくるのは日常茶飯事。大人だろうと子供だろうと、どんなに憎しみに汚れていようと、底辺の人間は何も出来ない。本当の度胸を持っていない輩を構っている程、暴力団幹部は暇じゃない。
スーツの中に隠しているホルスターから拳銃、所謂チャカを取り出した。黒光りする銃口を額に突き付けられた祐介は、目を見開いた。
「…っと、その前に。こりゃ何だ?」
突き付けていた拳銃を一度離し、いつの間にか部下から受け取っていたカプセルを指差した。
「教えるわけないだろ」
「ふん。どうせヤベェ薬物か、液状爆発物かのどっちかだろ? いったいどっから仕入れてくんだか。まあ、薬物系はアイツに聞けば一発―――おっ」
鮫島の言葉を遮ったのは、扉を開ける音だった。
入ってきたのは、背が高く若い女性であった。黒いマントを羽織り、黒いトンガリ帽子、魔女が被っていそうな帽子と奇抜な格好だが、祐介は彼女に目を奪われた。マント羽織っていても分かるグラマラスな躰、豊満な胸もさることながら、ミニスカートからのぞくすらりとした健康的な脚。顔も整っており、美しいロングヘアーの金髪も目を引く。そういえば最近、どこかで珍しい筈の金髪を見た様な気がした。
女性は祐介を一瞥してから、鮫島を見た。
「誰よこの子」
「カチコミに来た坊主。おい、坊主。こいつは珠理亜、あの伝説の魔法使いの一人なんだぜ。すげーだろ。生まれ持ったこの美しい金色の髪がその証拠だ」
伝説と言われても、祐介にはいまいちピンと来なかった。魔法使いの存在をあまり知らなかったのもあるが、先日虎鈴に教えてもらったロストアイテムの方が強い衝撃だった。
「鮫島ぁ、アンタ何回言ったら覚えるの? これは地の色じゃないの。色々な薬品を扱っているうちに、少しづつ躰に蓄積されて、髪が変色したのよ。金髪が多いだけで、赤とか白とかも居るわ」
「別にいいだろ、そんな細かいこたぁよ。それよりも、お前これなにか分かるか」
そう言って、珠理亜に向かってカプセルを放った。彼女は、なによこれ、と言って両手でキャッチした。その瞬間。
「ッ!?」
弾かれたように手を離し、カプセルを床に落とした。額には汗をかき、両手をワナワナと震わせている。
「お、おい。どうした?」
「…………吸われた…いや、喰われた…? 魔力を? 違う…生命力とか全部根こそぎ喰われそうになった感じ…?」
鮫島の問いに、珠理亜は答えずに思考を巡らせていた。
カプセルに手を触れた瞬間感じた、吸われる感覚。ちょうど掃除機を強にして、ノズルを腕に当てて吸わせた感じに近い。それを珠理亜は喰われるという言葉を使った。その言葉から祐介は、メモ帳に食という文字があるのを思い出した。あのロストアイテムは、喰う能力だとでも言うのか。
珠理亜は恐る恐る床のカプセルに手を触れた。またあの感覚に襲われるかと思ったが、もうあれはないようだ。二三度指でつついてから、両手で持ち上げ、中の液体を見据えた。
「なんなんだ、それ…さっきはどうしたんだ」
「分からない。分からない事だらけだわ。でも、もしかしたらこれ、とんでもない物かもしれない…。これ、私が貰っていい?」
「あ、あぁ――」
「ちょーーとまったぁァァーーー!!」
拷問部屋の中に、ある男の声が響いた。鮫島や珠理亜達は顔を顰めていたが、祐介には聞き覚えのある声だった。
アイツだ。あの男がやってきたのだ。
「ババーバンバーバーバッバーバーーーン♪」
なんとも気の抜けるリズムを口ずさみながら、祐介達とは反対方向扉を蹴り破って、あの男が現れた。黒いジャケットのフードを目深に被った魅空、更につれ回されているある意味不幸な少女、虎鈴も一緒だ。
「弱きを挫き、強きを血反吐吐き散らすまでボコる。報酬と気分次第で復讐したい奴に生き地獄を見せる仕返し屋様が依頼達成のために、愛玩ペットと共にさーんじょーー!」
「誰が愛玩ペットだ!?」
くだらない夫婦漫才のようなやり取りで現れた二人。その二人が通ってきた廊下や部屋が、死屍累々で血肉に染まり、汚れていることを、魔法使い達は知らない。