第6.5話 守る者、潰す者
サスカ教官が教室を出ていった瞬間、空気が弾けた。
ざわめきが一斉に広がる。
順位、神素量、将来性――言葉が飛び交い、教室は一気に熱を帯びた。
マナは無意識のうちに、右隣を見た。
セダン。
視線を落とし、机を見つめたまま、微動だにしない。
その横顔は、さっきまでよりも少しだけ硬い。思い詰めたような、何かを飲み込んでいる顔だった。
(……慰めないと)
そう思って立ち上がろうとした瞬間。
「ねえねえ、マナちゃんは神素量どれくらいだったの?」
「ね〜。それアタシも気になってた!」
「ああ、教えてくれよ」
一気に人だかりができた。
マナは足を止める。
セダンとの距離が、物理的にも、心理的にも遠のく。
「えーっと……780くらいだったかな〜」
「780⁉︎」
「やっば!」
「レベルが違う……」
教室の空気がさらに色を変える。羨望と興奮。
マナは曖昧に笑った。
「ねね、今度ショッピング行かない?」
「どんな訓練してたの? 家系? 特別な指導者?」
質問が止まらない。
前からも横からも、声が重なる。
(今は……違うのに)
視線だけでセダンを探す。
その時だった。
「えっ……すごいね! 本当にすごい!」
突然、少し高めの声が教室に響いた。
驚いて振り向く。
セダンだった。
目を輝かせ、身を乗り出し、誰かの結果を本気で称賛している。
その笑顔は――
家族に向ける時と同じだった。
少しだけ目が細くなる。
嬉しいとき、隠せない癖。
(あの人見知りで引っ込み思案のセダンが……)
家族以外に、あんな顔を。
胸の奥がじわりと温かくなる。
セダンと話していた男子が慌てて人差し指を口元に立てる。
セダンははっとした顔になり、ようやく自分の声の大きさに気づいたらしい。
耳まで赤くして、小さく謝っている。
そのとき、視線が合った。
一瞬だけ。
セダンは少し照れたように笑い、すぐ横を向いた。
(……よかった)
ただそれだけで、さっきまでの硬い横顔が嘘みたいに思えた。
いいものを見た。
そう思って、少しだけ感傷に浸った――その時。
「なあ、あいつさ」
机のすぐ横から、男子の声。
「あんな変な声出してさ。空気読めないやつだな」
「ほんと98位ってのは状況判断も98位だな」
マナの思考が止まった。
「……今、何て言った?」
自分でも驚くほど静かな声だった。
男子は気にした様子もなく笑う。
「いや、本当に98位のやつは空気読めない野郎だなって」
胸の奥に、何かが込み上げる。
熱い。
冷たい。
ぐちゃぐちゃに混ざった感情。
そのとき、別の女子が言った。
「でもちょっと可愛くない? あの中性っぽい顔。結構好みかも」
一瞬、呼吸が戻る。
しかしすぐに別の男子が鼻で笑った。
「いや弱かったらダメじゃね? 俺なら自分より強いやつの方がいいぜ」
「でも私なら守っちゃいたくなるかも〜」
「いやいやあり得んだろ〜」
笑い声。
そして。
「なあ? マナちゃん。君も嫌だったんじゃないの? 出来損ないの弟がいて」
空気が、止まった。
「は?」
反射的に声が出る。
「自分は8位なのにさ。弟のせいで人間関係とか大変そうだよな〜。一生あの弟と生きていくわけだし」
「で? 結局どう思ってるの?」
ぷつり、と。
何かが切れた。
マナは、ゆっくり前屈みになる。
セダンたちに聞こえない距離。
けれど、目の前の連中には逃げ場のない距離。
笑顔のまま、声を落とす。
「これ以上、私の弟のことを悪く言ったら……」
机に指先をとん、と置いた。
音は小さいのに、やけに響く。
「殺すよ?」
静寂。
数人が息を呑む。
目が、完全に笑っていないことに気づいたのだろう。
「で? 何の話だっけ?」
首を傾げる。
「あ、私の弟が可愛いって話だったよね?」
さらに一歩、前に。
「そうでしょ?」
「は、はいっ」
「そ、そうですね……」
震えた声。
マナはにっこり笑う。
「でね、あの子ね、緊張すると声ちょっと高くなるの。あとね、嬉しいときは目が細くなるんだよ?」
誰も逆らわない。
マナは淡々と、セダンの“可愛いところ”を語り続けた。
そして。
「マナちゃん」
横から声。
振り向くと、セダンが立っていた。
「そろそろホールに行ってくる」
さっきより少し落ち着いた顔。
「うん、私も行く」
自然な流れで立ち上がる。
周囲の視線が刺さるが、気にしない。
(セダンのことは、私が守る)
今度は、絶対に。
並んで歩き出す。
その背中を、何人かが怯えた目で見送っていた。
*
医務室。
漂う薬品の匂いが、やけに鼻につく。
白い天井を見つめながら、ロウリー・カナッツは奥歯を強く噛み締めていた。
(なぜ俺が、こんな場所で寝ている?)
指先が軋むほど拳を握る。
シーツが皺になる。
(俺はトップになるために生まれてきた)
幼い頃から言われ続けてきた。
才覚。血統。将来性。
神素量も申し分ない。努力も怠らなかった。
(才能も、血も、努力も、すべて揃っている)
負ける理由など、存在しない。
あの瞬間を思い出す。
セダンをねじ伏せようとした、その刹那。
確実に勝てる距離だった。
圧倒的な力で叩き潰せるはずだった。
だが。
横から衝撃。
視界が歪み、意識が飛んだ。
(……あれは何だ)
セダンの加護か?
あり得ない。
あの神素量で、あの威力は出ない。
ではマナか?
いや、召喚以外は不可能なはずだ。
しかもあの位置から干渉するなど――理屈が合わない。
分からない。
だが。
分からないままにしておくつもりもない。
ゆっくりと上体を起こす。
胸の奥で燃えているのは怒りではない。
否定だ。
(俺が力で負けるはずがない)
あれは事故だ。
偶然だ。
想定外の外乱。
俺自身の力が劣っていたわけではない。
唇が歪む。
(次は、真正面から叩き潰す)
小細工など必要ない。
噂も、孤立も、評価操作も――
そんなものは弱者の手段だ。
(俺は、力で勝つ)
圧倒的な力でねじ伏せる。
逃げ場を与えず、言い訳も残さず。
「……はは」
喉の奥で乾いた笑いが漏れる。
恥をかかされた?
違う。
試されたのだ。
この俺が、本当に頂点に立つ器かどうか。
(ならば証明してやる)
セダン。
次は逃がさない。
真正面から、徹底的に。
骨の軋む音を聞くまで。
力の差を、絶望とともに理解するまで。
必ず。
目を閉じる。
まぶたの裏に浮かぶのは、あの瞬間の衝撃。
そして、その先。
叩き潰された後の、セダンの顔。
(楽しみだ)
今度は、純粋な力で。
この俺に恥をかかせたことを――
後悔させてやる。
医務室の静寂の中で、ロウリーの闘志だけが、ゆっくりと燃え続けていた。




