第2話 入学編Ⅱ
扉が閉まる音が、背後で静かに響いた。
セダンは一度だけ振り返り、もう一つの通路へ消えていくマナの背を目で追う。
その姿が角を曲がって見えなくなってから、ゆっくりと前を向いた。
(……一人)
不思議と、不安はなかった。
胸の奥にあるのは、いつもと同じ静けさだ。
試験場と書かれた札に従い、木造の廊下を進む。
天井は高く、壁には古い傷が無数に残っていた。
ここがただの学校ではないことを、嫌というほど語っている。
やがて、大きな扉の前で足を止めた。
中に入ると、すでに数十人の受験生が並んでいる。
正面には、透明な水晶が一つ。
台座に固定され、淡く光を放っていた。
第一試験――神素量測定。
女性試験官が淡々と説明を始める。
「水晶に手を触れてください」
「表示された数値が、そのまま現在の神素量となります」
判定基準が告げられる。
S:999〜800
A:799〜500
B:499〜200
C:199〜0
ざわ、と小さなざわめきが起こる。
前の受験生が次々と測定を終えていく。
300を少し超えた数値が多い。
時折、500台が出ると小さなどよめきが走る。
列が進むにつれ、空気が張りつめていった。
やがて、十人ほど前。
場の空気が、はっきりと変わった。
測定台に立った緑髪の少年が、水晶に手を置く。
一瞬の静寂。
「……880」
試験官の声が、わずかに低くなった。
周囲がどよめく。
誰かが小さく息を呑んだ。
王族の紋章。
噂に違わぬ数値。
緑髪の少年は誇るでもなく、水晶から手を離し、その場を去った。
その後ろ。
赤髪の少年が、軽く肩を回しながら前に出る。
ロウリー・カナッツ。
水晶に手を置き、にやりと笑う。
「出ろよ……!」
数字が浮かび上がる。
「507」
A判定。
ロウリーは満足そうに鼻を鳴らし、ちらりと後ろを見た。
視線の先にいるのは、セダンだ。
「……ま、こんなもんだな」
わざとらしく言い残し、測定台を離れる。
次だ。
セダンは一歩前に出た。
水晶に、そっと手を触れる。
ひんやりとした感触。
同時に、内側から何かが引きずり出されるような感覚が走った。
水晶が、強く光る。
一瞬――
数字が浮かび上がる。
999
試験官が、思わず息を止めた。
だが、次の瞬間。
光が掻き消え、表示が書き換わる。
10
沈黙。
「……再測定してみましょう」
指示に従い、もう一度手を置く。
結果は同じだった。
10
ざわ、と笑い声が起こる。
「なんだそれ」
「神素、ほとんどないじゃん」
ロウリーの肩が揺れた。
声を上げてはいないが、笑っているのが分かる。
騒ぎが大きくなる前に、試験官が声を張った。
「私語を慎んで下さい。次の試験場へ向かって下さい」
セダンは何も言わず、水晶から手を離した。
(......?)
驚きはなかった。
ただ、胸の奥に、説明のつかない引っかかりが残る。
こうして、第一試験は終わった。
*
扉の向こうで、空気が変わった。
木造の廊下が途切れ、石造りの通路を抜けた先に広がっていたのは、円形の広間だった。
天井は高く、壁沿いには幾つもの傷が刻まれている。床は土と石材が混じった特殊な構造で、戦闘用に強化されているのが一目で分かった。
「第二試験会場だ」
試験官の声が、反響して響く。
中央には、等間隔で立つ木造の人形が並んでいた。
関節部には金属が仕込まれ、目にあたる部分は空洞となっている。
自動戦闘人形。
守衛士候補の実力を測るために作られた、疑似敵兵だ。
「試験内容を説明する」
四人の試験官が、観覧席のように設けられた高台に立っている。
その視線は鋭いが、向いている先はそれぞれ微妙に違っていた。
「制限時間は五分です」
「合図と同時に人形が起動する」
「攻撃を凌ぐもよし、迎撃するもよしや!」
「破壊した場合は、新たな人形が補充されます」
「一分ごとに、人形の数は増加していきます」
一拍置いて、最後の試験官が付け加えた。
「ただし――」
「やられそうになったら、こちらで止めるからね。無理は禁物だよ?」
「……それでは、最初の受験者。準備を」
ざわり、と受験生たちが息を飲む。
第一試験を終え、ある程度の実力差はすでに見えていた。
中でも、視線を集めていたのは一人――
王族の少年だった。
合図と同時に、人形が一斉に動き出す。
王子は、一歩も動かなかった。
衣服がふわりと浮き上がる。
次の瞬間、空間そのものが揺れた。
衝撃波。
いや、風圧に近い。
最初の人形が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
再起動。
再突進。
再度、殲滅。
それを、ただ淡々と繰り返す。
広範囲。
高出力。
無駄がない。
「……化け物か」
誰かが呟いた。
王子は表情一つ変えず、ただ前を向いていた。
人形が起動するたびに消え、起動するたびに壊れる。
五分間。
彼は、文字通り一歩も動かなかった。
「終了」
合図と同時に、場内がどよめく。
試験官の一人が無言で記録を付け、
もう一人は思わず息を吐いた。
「……凄すぎる」
次に注目を集めたのは、ロウリーだった。
「……はっ」
自信に満ちた笑み。
剣を抜き、前へ出る。
被弾はある。
避けきれない攻撃もある。
だが、それでも前へ出る。
力押し。
勢い任せ。
だが、純粋な戦闘力は高い。
「くっ……!」
肩をかすめた攻撃に顔を歪めながらも、倒す。
壊す。
叩き伏せる。
数は、確かに多かった。
終了の合図が鳴った瞬間、ロウリーは大きく息を吐き、周囲を見回す。
「……どうだ」
誰にともなく言い放つ。
だが、試験官の全員は無反応だった。
そして――
最後に呼ばれた番号が、場内に響く。
「80番」
一瞬、空気が止まる。
第一試験での数値。
笑い。
嘲り。
それらが、まだこの場に残っていた。
セダンは、静かに中央へ進んだ。
構えない。
人形が起動する。
踏み込まない。
迎撃しない。
ただ、避ける。
一歩。
半歩。
身体を捻り、距離を保つ。
攻撃が掠めるたび、空気が切れる。
だが、当たらない。
人形が増える。
囲まれる。
それでも、動きは変わらない。
「なんだあいつ?」
「……逃げてるだけ?」
観覧席から、小さな声。
確かに、派手さはなかった。
壊れた人形も、存在しない。
ただ、五分間。
一度も、攻撃を受けない。
呼吸も乱れない。
時間が、過ぎていく。
「……残り、十秒」
その声と同時に、セダンの視線が変わった。
足が止まる。
初期位置。
次の瞬間、
拳に力が収束する。
「――っ」
衝撃。
一体の人形の頭部が、原型を留めずに吹き飛んだ。
終了の合図。
場内が、静まり返る。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
「……終了だ」
試験官の声で、ようやく空気が動く。
セダンは、何も告げられないまま退場を促された。
評価は、伝えられない。
良かったのか。
悪かったのか。
分からない。
その曖昧さを抱えたまま、
セダンは次の試験場へと足を運んだ。
*
学科試験は、淡々と進んだ。
並べられた問題用紙に、余計な感情を挟む余地はない。
歴史に算数。
見覚えのある設問もあれば、首を傾げたくなるものもある。
だが、立ち止まって考え込む余裕はなかった。
第二試験の光景が、何度も脳裏をよぎる。
――あれで、良かったのか。
ペンを走らせながら、答えにならない問いが浮かんでは消える。
分からない問題には、勘で印をつけた。
迷い続けるより、進むしかなかった。
最後の合図が鳴り、紙が回収される。
試験官の足音だけが、静かな室内に響いた。
すべてが終わった時、外はすでに夕暮れに近づいていた。
校舎の影が長く伸び、昼の熱を失った風が肌を撫でる。
門の前に出ると、一人の少女が立っていた。
見慣れた姿。
見慣れた立ち方。
マナだった。
こちらに気づくと、ぱっと表情が明るくなる。
駆け寄ってくることはしない。
ただ、そこにいてくれる。
「おかえり」
たった一言。
それだけで、張りつめていたものが静かに解けた。
「……ただいま」
短く返すと、マナは満足そうに笑った。
言葉はいらなかった。
結果は、後日家に届くらしい。
良いのか、悪いのか。
今は、まだ分からない。
二人は自然に手を繋ぎ、学園を後にする。
夕焼けに染まる道を、並んで歩く。
試験は終わった。
*
五日後。
午後の陽が傾き始めた頃、家の前に一台の馬車が止まった。
質素な造りだが、側面には見覚えのある紋章が刻まれている。
「……来た」
セダンが呟くより早く、扉が叩かれた。
「よう、失礼するぞ」
入ってきたのは、あの学園長だった。
相変わらずのサングラスに、肩肘張らない豪快な笑顔。
だが今日は、その手に一通の封筒を携えている。
「結果だ。お前たちには、直接渡したくてな」
「贔屓しないんじゃなかったのか? 学園長」
リザルドが、半ば呆れたように言う。
「そんなこと言ったかのぅ?」
学園長は高笑いしながら、居間の中央に立った。
自然と全員が集まる。
マナとセダン。
リザルドにヘルス。
そして、レイとクリス。
全員の視線が、一斉に封筒へ向いた。
学園長は一枚目の紙を取り出し、淡々と読み上げる。
「マナ・ロード。
第一試験、78点。
第二試験、40点。
学科試験、45点。
総合順位――8位」
一瞬の静寂。
次の瞬間、空気がぱっと明るくなった。
「すごいじゃん!」
「さすがだな、マナ!」
マナは目を丸くし、それから信じられないというように学園長を見る。
「……本当? 8位?」
「文句なしだ」
「よく頑張ったわね、マナ。おめでとう」
「うん、うん! ありがとう、ママ!」
照れたように笑うマナを一瞥し、学園長は次の紙を取る。
「では――セダン・ロード」
その名が告げられただけで、室内の空気が変わった。
「第一試験、1点。
第二試験、25点。
学科試験、25点。
総合順位――98位」
……沈黙。
最初に反応しなかったのは、セダン本人だった。
驚きも、落胆もない。
ただ、何かを考えるように、ぼんやりと前を見つめている。
だが、周囲は違った。
「……え?」
「98……?」
レイとクリスが、思わず顔を見合わせる。
「待ってくれ」
リザルドが、低い声で言った。
「その順位は……」
「信じられない、って顔だな」
学園長は小さく肩をすくめる。
「無理もない。
俺も、数字だけ見た時は首を傾げた」
全員の視線が、自然とセダンに集まる。
「……試験、どんな感じだった?」
マナが、恐る恐る尋ねた。
セダンは少し間を置いてから、淡々と答える。
「第一試験。
神素量測定は……10だった」
「10!?」
ざわり、と空気が揺れる。
だがリザルドは、ただ眉をひそめただけだった。
「……やはりな」
「第二試験は?」
「人形の攻撃、全部避けた。最後に、一発だけ入れた」
「全部……避けた?」
「うん」
セダンは視線を落とす。
「派手じゃなかった。一体しか倒してない」
「学科は?」
「……分からないところは、勘で」
沈黙。
リザルドは大きく息を吐き、静かに口を開いた。
「……セダン」
「?」
「“アピール”って言ったのはな」
低く、落ち着いた声。
「避け続けることだけじゃない。
倒していくことも、立派なアピールだ」
セダンは、はっとしたように顔を上げる。
「……」
「少し前に見た漫画でね」
ぽつり、と続ける。
「全部避けて、最後に一発で決める主人公がいた。
……それ見て僕、一番かっこいいと思った」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
「……でも」
セダンの声が、わずかに震える。
「思ってたより、全然ダメだったみたいだね。
ちゃんとやったつもりだったのに……」
言葉が途切れ、俯いたまま動かなくなる。
「セダン!」
真っ先にマナが抱きついた。
「そんなことない!」
「見てた俺たちが言う!」
「修行、誰よりもやってたじゃん!」
レイとクリスも駆け寄り、口々に声をかける。
レイは反対側から、勢いよく抱きついていた。
それでもセダンは、ただ小さく首を振るだけだった。
その様子を黙って見ていた学園長が、ふっと息を吐く。
「……問題ない」
全員が顔を上げる。
「うちの学園の制度ならな。
その順位は、“終わり”じゃない」
サングラスの奥で、視線が細くなる。
「むしろ――
ここから巻き返せるように、できている」
「……どういうこと?」
マナが尋ねる。
「詳しい話は、入学式でな」
学園長は封筒をテーブルに置き、立ち上がった。
「覚えておきなさい。数字は、あくまで入口だ」
そう言い残し、学園長は家を後にする。
――二日後。
守衛士養成学園。
入学式が、始まる。
*
家を出た学園長の背を、リザルドが追った。
「学園長……いや、師匠」
その呼び方に、学園長が足を止める。
「ほう」
振り向き、サングラス越しに視線を向けた。
「久しぶりだな、その呼び方」
「……少し、話しておきたいことがある」
リザルドは声を落とす。
「どこかで、時間を取れないか。これは――極秘事項だ」
学園長は一瞬だけ周囲に目を走らせ、やがて短く頷いた。
「明日は空いている。学園長室に来なさい」
「そこなら、盗聴の心配はない」
それだけ告げると、踵を返す。
リザルドは、その背中に深く頭を下げた。




