第1話 入学編Ⅰ
エアロス王国中心、首都ランガ。
この地の春は、空気が柔らかい。冷たさをわずかに残した風の中に、土と若葉の匂いが混じっていた。人々の行き交う石畳の街路を抜け、東へ進んだ先、小高い丘の上に目的の場所はある。
首都ランガの東に建つ、守衛士養成学園。
木造の校舎はどれも年季が入っており、柱には無数の傷跡が残っている。それでも歪みはなく、床も壁も丁寧に整えられていた。派手さはないが、ここが「国境を守る者」を育てる場であることは、佇まいだけで十分に伝わってくる。
「……ここが、守衛士の学校」
マナが小さく息を吐いた。
期待と覚悟が入り混じった声だった。
隣を歩くセダンは、校舎を見上げたまま短く頷く。視線は逸らさないが、口数は少ない。
二人は手を繋いでいた。
無意識のうちに、当たり前のように。人混みの中でも、こうして静かな場所に立っていても、それだけは変わらない。
その少し後ろを、一人の男が歩いている。
無骨な体格。背筋は真っ直ぐだが、歩みにはどこか重さがあった。まだ若さを残しながらも、戦いの年月が刻まれた顔つき。年齢以上の疲れを、その眼だけが隠しきれていない。
リザルド・ロード。
二人の父であり、かつて守衛士として最前線に立ち続けた男だ。
「早く出たが……正解だったな」
門の前には、まだ誰もいない。朝の風に揺れる木々の音が、妙に大きく響いていた。
「人、少ない方が楽」
セダンがぼそりと呟く。
「だよね。あたしも」
マナはいつも通りだ。
緊張していないわけではない。ただ、それを表に出さない術を知っているだけだ。
「先に挨拶を済ませる。二人とも来い」
三人は、そのまま学園長室へ向かった。
扉をノックする前から、中からやけに楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「入るぞ」
「おお! 来たか!」
学園長室にいたのは、白髪の男だった。頭頂部は見事に禿げ上がり、左右だけが不自然なほど長い。なぜかサングラスをかけている。
「相変わらずだな、その格好」
「威厳だと言っているだろう! これがないと落ち着かんのだ!」
机を叩いて豪快に笑う姿に、マナは一瞬面食らった。
身長は高くなく、少しふくよかな体型だが、声と態度は妙に若々しい。
「この子たちが?」
サングラスの奥から視線が向けられる。
「君の子か。なるほどなあ……」
マナは一礼し、セダンも少し遅れて頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「よし! いい返事だ!」
それから、ほんの少しだけ声の調子を変える。
「ただしだ、リザルド」
「分かっている」
「君の子であろうと、判定は他の受験生と同じだ。特別扱いはしない」
「それでいい」
短い会話だったが、二人の関係が対等であることは、マナにもはっきりと伝わった。
*
外へ出る頃には、受験生が集まり始めていた。
全員が15歳。同じ年齢、同じ立場。
視線が交錯し、自然と空気が張りつめていく。
その中で、赤髪の少年が一人、二人を見て鼻で笑った。
「へえ……」
ロウリー・カナッツ。
名門貴族カナッツ家の次男。鍛えられた体躯と、自己評価だけは一人前の目。
「手ぇ繋いで受験? ……おいおい、ここってさ」
肩をすくめ、周囲にも聞こえる声で言う。
「お遊びの学校じゃないんだけど?」
ざわ、と周囲が騒めく。
視線が集まったのを感じたのか、ロウリーは口角を上げた。
「ま、田舎出身だと分かんねえか」
「雰囲気で来ちゃった系?」
セダンは反応しなかった。
視線も向けない。ただ、マナの手を離さない。
その沈黙が、逆にロウリーの神経を逆撫でした。
「……なあ?」
一歩近づく。
「聞こえてる? 無視ってのは感じ悪いぞ」
返事はない。
周囲の視線が、次第にロウリーへ向き始める。
それに気づいた瞬間、彼の表情が僅かに歪んだ。
代わりに、マナが前へ出る。
セダンを背に庇うように。
「……で?」
「は?」
「それで、何?」
にこっと笑うが、目は笑っていない。
「手ぇ繋いでるのが気になるなら、ごめんね」
「でも試験前にそれ見て絡んでくるって」
首を傾げる。
「そんなに暇?」
周囲から、くすっと小さな笑いが漏れる。
「ち、違っ……!」
ロウリーは声を荒げた。
「忠告してやってるだけだ!」
「忠告?」
マナは一歩だけ近づく。
「へえ。じゃあ、試験の内容も知ってるんだ」
言葉に詰まる。
「……っ」
ロウリーは舌打ちし、無理やり声を張り上げた。
「ま、せいぜい頑張れよ! すぐ消えるだろうけどな!」
完全に負け惜しみだった。
「……怖いわけじゃないから」
セダンが、小さく呟く。
「知ってる」
マナは即答する。
「ただ、声大きい人って自信ない時うるさいだけだから」
周囲がざわつく中、
ロウリーは顔を赤くしながら背を向けた。
「覚えとけよ……!」
だがその声に、さっきまでの勢いはなかった。
やがて、試験の受付が始まる。
二人は書類を提出し、それぞれ紙を受け取って試験場へ向かった。
試験官が三人、前に立つ。
「――これは、落とすための試験ではありません」
「諸君らの実力を測るための試験です」
説明が続く。
受験者は100名。
試験は実技150点、学科50点。
合計点で入学後の待遇が変わる。
結果は五日後通知。
入学式は七日後。
セダンは深く息を吸った。
マナは、その手をぎゅっと握る。
「大丈夫」
「……あたしがついてる」
「今までの修行、思い出せばいい」
セダンは、静かに頷いた。
「この紙に書かれた試験場へ向かってください」
確認すると、二人の会場は別々だった。
「一人でも大丈夫?」
「……うん。いつまでもマナちゃんに頼ってばかりじゃダメだから」
少しだけ、強がりの混じった声。
「一人でも大丈夫……!」
「また後でね」
それぞれの扉が開く。
一歩踏み出した先に待つのは、未知の試練。
こうして、入学判定試験は始まった。




