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守衛士戦線―守衛士となり家族と国を守る少年―  作者: 銀河猿


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第10話 入学編Ⅹ

教室の扉を開けた瞬間、昨日とは明らかに質の違うざわめきが、波のように空間を満たしていることにセダンは気づいた。

単なる雑談ではない。

どこか熱を帯び、興奮と緊張が入り混じった声が、教室のあちこちから断片的に聞こえてくる。

セダンとマナが席へ向かう途中、昨日ともに訓練を受けた女子生徒が、周囲を気にするように声を潜めて話しかけてきた。

「ねえ、聞いた? 昨日さ……5位のヤンが、1位のリュウノに挑んだんだって」

「挑んだ……?」

セダンが問い返すと、彼女は小さく頷き、さらに身を寄せる。

「セダン君たちが帰ったあと、ヤンが一方的に喧嘩を売ったらしいの。順位を狙ったのかは分からないけど……結果は、かなり一方的だったって」

目撃していた生徒の話では、勝負と呼ぶにはあまりにも差があったらしい。

ヤンは、手も足も出なかったようだ。

(5位が、1位に……)

もしそれが事実なら、この学園の順位は、単なる飾りではないということになる。

実力は、明確に段階化されている。

そのとき、教室の扉が静かに開いた。

自然と視線が集まる。

ヤンだった。

敗者として入ってきたはずのその姿を、セダンは無意識に観察する。

――傷がない。

昨日、一方的にやられたと聞いた人物とは思えないほど、顔にも身体にも目立った損傷は見当たらない。

何人かのクラスメイトが駆け寄り、何かを囁き、慰めるように肩へ触れる。だがヤンの表情は崩れず、むしろ淡々と受け流しているように見えた。

やがてスンズが現れ、少し遅れてサスカ教官が教室に入ってきた。

「あ〜おはようさん。どうやら昨日のうちに、他のクラスでも乱闘があったらしいな〜」

眠たげな声でそう言いながら、教壇に寄りかかる。

「いいぞ〜。どんどんやれ。乱闘して、自分の順位を見つめ直せ」

軽薄にも聞こえる口調。

だが、教室全体を一瞥したその目は、決して眠っていなかった。

「じゃあ今日もやるぞ〜」

昨日の真相は、結局分からないままだった。

授業が一段落し、教室の空気が緩み始めた休憩時間。

ざわつきの中、セダンが席を立ち教室を出ようとしたところで、背後から落ち着いた声がかかった。

「ちょっといいかな、セダン・ロード君」

振り返ると、そこに立っていたのはビューラ・レンドウ。

今期58位。

神素量も安定しており、実技でも悪くない成績、いわゆる“中堅上位層”の一人だ。ロウリーの隣にいることが多い男でもある。

「さっきサスカ教官が呼んでたぞ。三つ横の教室で待ってるってな」

柔らかい口調。

だが、その目は笑っていない。

「……そうなんだ。ありがとう」

疑う理由もなく、セダンは廊下へ出る。

その背中を、教室の奥からロウリーが静かに見つめていた。

そして、その隣でエルドが小さく息を吐く。

ロウリーの口元が、ゆっくりと歪む。

その視線は、友好的とは程遠い、獲物を見送る捕食者のそれだった。

指定された教室の扉を開けた瞬間、空気がわずかに重く淀んでいることに気づき、そこが授業に使われていない空き教室であるにもかかわらず妙に整いすぎている違和感が、背筋を薄く撫でた。

中に立っていたのは、見覚えのない三人の生徒だった。

制服は同じだが、纏う空気が違う。視線が、最初から獲物を測るそれだ。

「あの、サスカ教官は……?」

問いかけた瞬間、三人のうち一人が喉の奥でくぐもった笑いを漏らし、その笑いは狭い室内で妙に反響して耳に残った。

「ここには来ない。悪いな」

その言葉が落ちたのと同時に、背後で扉が閉まる鈍い音が響く。

振り向いた先には、鉄棒を握った男が立っていた。先ほどセダンをここへ誘導した張本人だ。もう作り笑いは消え、目には剥き出しの敵意だけが宿っている。

「お前は少し目立ちすぎた。だから、ここで潰れてもらう」

前に三人、後ろに一人。窓はあるが、即座に飛び出せる位置ではない。逃げ道は、実質ない。

だが、心拍は乱れない。

(複数に囲まれたときは――)

父であり、師でもあるリザルドの声が、遠い記憶の底から静かに浮かび上がる。

囲まれたら、目を離すな。

視線を切るな。睨むだけでいい。

それだけで相手は簡単には踏み込めなくなる。

だが、それでも来る奴はいる。

そのときは突破口を作れ。最初に突っ込んできた奴を、利用するんだ。

視線を巡らせる。四人のうち、焦りが強いのは誰か。功を焦っているのは誰か。

鉄棒を握る男だ。

唇の端がわずかに引きつっている。自分が主導だと示したい、その衝動が隠しきれていない。

来る。

予測通り、鉄棒が頭上から振り下ろされる。躊躇のない一撃だが、軌道は直線的で粗い。

セダンは大きく動かない。ただ半歩、身体の軸を外側へずらし、最小限の動きで致命点から外れる。

鉄が空を裂く鋭い音が耳元をかすめ、床に叩きつけられる寸前で、セダンの手が相手の前腕を掴む。

力任せではない。関節の向きと重心の崩れを利用し、引くのではなく、落とす。

体勢を失った男の身体は前方へ泳ぎ、そのまま背後の二人へと叩きつけられ、三人分の重みがもつれ合って床を滑る。

一瞬の混乱。

それが、突破口。

だが――終わらない。

巻き込まれた一人が、即座に床を蹴って跳ね起きる。

体勢を崩しながらも、反射的に拳を振り抜く。狙いは喉元。速い。

セダンはそれを肘で内側へ逸らすと、相手の腕を絡め取るように引き込み、体を密着させたまま膝を鳩尾へ突き上げる。

鈍い衝撃が伝わり、男の視界が揺らぐ。

その隙を狙って、もう一人が横から踏み込む。

低い姿勢。狙いは脚。倒して拘束するつもりだ。

だが踏み込みが浅い。

セダンは踏み出しかけたその足首を踏み抜き、重心を崩させると同時に肩口へ掌底を打ち込む。

衝撃が背骨を震わせ、男の身体が横に弾け飛ぶ。

息が乱れる音が、三方向から重なる。

それでも、まだ完全には沈まない。

セダンは迷わず左側にいた男の懐へ再度踏み込み、呼吸が整うより早く腹部へ拳を沈める。打撃は深く、短い。内臓を揺らす感触が手に返る。

空気を吐き出す鈍い声とともに男の身体が折れ、その膝が落ちる瞬間を逃さず足を払う。

叩きつけられる衝撃音が教室に重く響く。

残るは、鉄棒の男ひとり。

体勢を立て直しながら後ずさるその目に、先ほどまでの余裕はない。

「……なんなんだ、お前は」

「98位のくせに……!」

順位という言葉に滲むのは、怒りよりも恐怖に近いものだった。

セダンは静かに息を整えながら、感情を交えずに答える。

「試験は、ダメだったよ」

それは事実だ。否定しない。

一歩、踏み出す。

床板がわずかに軋む。

セダンは一瞬だけ、視線を落とす。

父の背中が脳裏をよぎる。

血の滲むような鍛錬の日々。

そして顔を上げる。

「でも、修行してきた時間は――無駄じゃない!」

怒号とともに鉄棒が横薙ぎに振られる。今度は力任せだ。焦りが動きを荒くする。

セダンは左手でそれを受け止める。衝撃が腕を通して骨に響くが、握りを逸らし、軌道を殺す。

完全に砕けはしないが、金属が嫌な軋みを上げる。

男の目が揺れる。その一瞬の動揺。

そこへ踏み込みと同時に、腹部へ深く拳を沈め、その打撃が肉を通して内側へと突き刺さる感触を確かに捉えたまま、衝撃を逃がさぬよう腰をわずかに押し込むと、男の身体は芯を撃ち抜かれたようにくの字に折れ、そのまま踵が浮き上がるほど宙へと持ち上がった。

潰れた息が喉奥で詰まる音が聞こえた、その刹那、セダンは一歩踏み替え、流れるように軸足を回転させながら上半身を沈め、遠心力を余すことなく乗せた左足を大きく振り抜き、その踵で無防備になった側頭部を正確に捉える。

鈍く、しかし重い衝撃が空間を震わせ、男の身体は横へと弾かれ、床に触れる暇もなく一直線に背後の窓へ叩きつけられ、その勢いのまま内側からガラスを粉砕し、無数の破片を撒き散らしながら中庭へと放り出された。

砕けたガラスが遅れて床へと降り注ぎ、風が割れた窓から吹き込み、教室には唐突な静寂だけが残る。

四人とも、立ち上がらない。

一度だけ視線を巡らせ、全員の意識が落ちていることを確認する。

呼吸は乱れていない。

鼓動も静かだ。

制服には皺ひとつない。

ほんの僅かに肩を回し、緊張を解くだけで、それ以上の動きは必要なかった。

「……終わり」

淡々と告げると、踵を返す。

何事もなかったかのように教室を後にした。

ガラスの割れる音を聞いたロウリーは、椅子からゆっくりと立ち上がる。

(派手にやったな)

そう思いながら歩き出す。誘導役はビューラ・レンドウ、今期58位。腕も悪くない。三人も実力者を選んだはずだ。数で潰す、単純で確実なやり方。

だが、教室に辿り着いた瞬間、その想定は崩れる。

倒れ伏す三人と、割れた窓から冷たい風が吹き込んでいる。

床には無数のガラス片が散乱し、その破壊の軌道は一直線に外へと続いていた。

ロウリーはゆっくりと窓際へ歩み寄り、視線を落とす。

中庭の石畳の上に、男が倒れている。

ビューラ・レンドウだ。

腹部を押さえたまま、ぴくりとも動かない。

窓枠ごと突き破られた痕跡が、そのまま彼の飛ばされた軌道を物語っていた。

そして――

そこにいるはずの98位はいない。

(レンドウが……あれほどあっさりと?)

(……4人だぞ)

しかも、ほとんど一方的だ。

それを、ほぼ無傷で突破した?

順位は絶対の指標だ。そう教えられてきた。努力の積み重ねが数値になる世界だ。

だが、目の前の現実は、その前提を静かに踏み越えている。

ロウリーの視線が細くなる。

廊下の奥へと消えていった背中を思い浮かべる。

(数が足りないなら、増やせばいい)

(潰せないなら、削ればいい)

(大会までに、必ず引きずり下ろす)

その決意は声にならない。

ただ、静かで、冷たく、確実に形を持ち始めていた。

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