第7話 入学編Ⅶ
ホールへ向かう廊下は、まだ朝の冷たい空気を残していた。
窓から差し込む光は高く、影は短い。
座学を終え、次は実技。
教室を出た生徒たちは、ゆるやかな列になって歩いている。
その中で、セダン、マナ、スンズの三人も並んでいた。
セダンの足取りは、どこか軽い。
新しい友達ができたことも、無関係ではないのかもしれない。
隣で、マナは無言のままセダンの左腕をぎゅっと掴んでいた。
細い指が布越しに食い込み、離す気配はない。
不安なのか、それともただの癖なのか。
セダンは特に気にした様子もなく歩き続ける。
スンズは一度だけその様子を横目で見たが、何も言わなかった。
足音が三つ。
静かな廊下に、規則正しく響いていく。
ホールの扉を押し開けると、広い空間に金属音が反響した。
まだ誰も来ていない。
中央付近で、複数の人形を並べて整備している人物がいた。胸部を開き、内部機構を調整している。
背中に流れる紫のポニーテールが、規則正しく揺れる。
眼鏡の奥の瞳は理知的で、感情を簡単には読ませない。
アリア・オーストラ。
第一試験を担当していた試験官だ。
もっとも、セダンは覚えていない。
「こんにちは」
マナが先に声をかける。
アリアが顔を上げ、穏やかに微笑む。
「はじめましてこんにちは。アリア・オーストラです。セダン君、君とは2回目ですね」
「え……?」
セダンは素で困惑した顔になる。
本気で覚えていない。
その様子を見て、マナの胸に小さな棘が刺さる。
――また知らない女性。
「今回はこの人形を使った訓練を行なってもらうと思います。詳しいことはサスカ教官から説明があると思います。それでは、面白い結果を期待しています」
それだけ言うと、アリアは再び整備へ戻った。
やがてクラスメイトが集まり始める。
医務室から戻ったロウリーの姿もあった。今日は珍しく絡んでこない。ただ無言で人形を見つめている。
少し遅れてサスカ教官が入ってきた。
「今回の訓練の内容はこいつを使う」
先ほどアリアが整備していた人形を指差す。
「コイツは見たことあるよな?第二試験の時に使っていた人形だ。今日はこいつを使って訓練を行うぞ〜」
生徒たちの間にざわめきが広がる。
「コイツには実は試験に使ってなかった能力があってな〜。ちょっと見ててくれよ〜」
アリアに合図。
彼女は掌ほどの青白い石を取り出し、人形の胸部内部へ差し込む。
カチリ。
次の瞬間、人形の全身を青い光が覆った。
空気が、重くなる。
人形が右腕を胸の高さに上げ、手の平を前に突き出す。
一瞬の静止。
青い光の玉が放たれた。
轟音。
衝撃波が床を震わせ、壁に亀裂が走る。粉塵が舞う。
誰もが息を呑む。
サスカがゆるく口を開いた。
「見たか〜? 実はこの人形な、この神素石を入れると神素が使える」
石を指で軽く弾く。
「これはな、保管石に神素を流し込んで一定時間保存できる代物だ。神力に昇華していなくても扱える。まあ、できるのは基礎だけだな。今みたいな神素の弾や身体強化、その程度だ。第二試験のときは入れてなかったけどな〜」
続けてアリアが淡々と告げる。
「しかし、神素があるのとないのでは大きな差があります。身体強化があるだけで戦闘の幅が広がります。なので第二試験と同じ気持ちで挑むと大怪我をしますよ?」
軽い警告。
「じゃ、早速始めちゃうか〜一人1体渡すから、適当な場所作ってやってくれ〜。とりあえず昼までやるぞ〜。昼までは神素石なしでやるから軽く体動かす気持ちでやれ〜」
訓練開始。
生徒たちは散らばる。
セダン達は三人でやろうとしたが、マナは女子数人に呼び止められた。
「マナちゃん、お手本見せてほしくて……」
「え、でも――」
マナは一度、セダンの方を見る。
本当は断ろうとしたのだろう。まだ訓練も始まったばかりだ。
そのとき、後方から間延びした声が飛んできた。
「おー、ちょうどいいな〜。マナ、悪いけどちょっと頼めるか〜?」
サスカ教官だった。
「基礎が綺麗なやつの動きは、参考になるからな。軽くでいい」
マナは小さく息を飲む。
断る理由が、なくなった。
「……わかりました」
一瞬だけ、セダンを見る。
何も言わない。ただ、ほんの少しだけ名残惜しそうに視線を置いてから、女子たちの方へ歩いていった。
視線を向けられたセダンは、反射的に背筋を伸ばす。
何か言うべきだったのかもしれない。
「頑張れ」とか、「終わったら一緒にやろう」とか。
けれど、周囲には見知らぬ女子たちが数人。
その視線が一斉にこちらへ向いた瞬間、喉がきゅっと締まる。
言葉が、出ない。
結局、ぎこちなく小さく手を振るだけで終わった。
それに気づいたのかどうか分からないまま、マナは女子たちの輪の中へ消えていく。
セダンは、取り残されたようにその場に立ち尽くした。
「……お前、そういうとこだぞ」
後ろからスンズの声が飛んできた。
*
鈍い打撃音。
ロウリーが人形に拳を叩き込んでいた。反撃させない連打。明らかに気合いが違う。
周囲もざわつく。
「あいつなんか気合い入ってるな〜。朝の一件は中々答えたみたいだな。とりあえず気にせずこっちはこっちでやろうぜ」
スンズが人形を起動させる。
「とりあえず、俺が試験の時にやったやり方を見てみる?」
セダンは頷く。
スンズは小型の銃を取り出した。
「いつもはこの銃じゃないけど、近接はこれでいいな」
人形が起動音とともに踏み込んだ。
床を踏み砕くような重い一歩。間合いを詰める速度は速い。
次の瞬間、右腕が振りかぶられる。
無駄のない直線軌道。顔面を正確に狙った拳。
だが、スンズは慌てない。
足を大きく動かすこともなく、わずかに重心をずらす。
最小限のステップ。身体一枚分、軌道から外れる。
拳が頬のすぐ横を風圧だけ残して通り過ぎた。
そのすれ違いざま、スンズの腕が上がる。
銃口が、迷いなく人形の顳顬へ向けられる。
距離はほぼゼロ。
引き金が引かれた。
パンッ。
乾いた破裂音。
至近距離から撃ち込まれた一発が、衝撃とともに人形の頭部を弾き飛ばす。
金属と樹脂が砕け、身体がわずかに浮いた。
次の瞬間には、力を失った人形が床へと崩れ落ちる。
一連の動きは、数秒にも満たない。
「まあ、こんな感じだな」
スンズは何事もなかったかのように銃を下ろした。
「わあ、すごい!一発で仕留めるなんて!」
「戦場では、時間をかけないことも大事だからな。あとは相手の懐に入り心臓を狙うとか、足の関節を打って相手を転ばせた後に頭か、心臓を撃つていう手もあるな」
無駄がない。
回避に使った動きは最小限。
踏み込みも、射撃も、すべてが最短距離で構成されている。
力を誇示するでもなく、派手さを求めるでもない。
ただ“倒す”という結果に最も近い手順を選んでいる。
合理的だった。
「じゃあ、人形の修復が終わるまでセダンの方もやってみるか」
「とりあえず、試験の時と同じ感じでやってみてくれ。人形への攻撃は無しでな」
「うん、やってみる」
人形と向き合う。
起動音と同時に、人形は迷いなく一直線に踏み込んできた。床を踏み抜くような重い足音。右腕を振り上げ、そのままセダンの顔面を狙って拳を叩き込む。
普通なら身を引くか、腕で受ける。
だがセダンは動かない。
拳が頬に触れる直前――わずかに首を傾けただけだった。
風圧が髪を揺らす。
紙一重。
続けざまに人形は体をひねり、左足で鋭いミドルキックを放つ。軌道は正確、速度も十分。
セダンはその瞬間、地面を軽く蹴った。
必要最小限の跳躍。
蹴りは空を切り、セダンの体はそのまま人形の背後へ滑り込む。
着地の音はほとんどない。
呼吸も乱れていない。
まるで、人形の攻撃速度を最初から知っているかのような動きだった。
「そろそろ攻撃してみて第二試験と同じやり方で」
右拳に力を込める。
青い光が拳だけを包む。
空気が圧縮される感覚。
――静止。
拳が振り抜かれる。
バァァンッ!!
衝撃波。
床に細い亀裂。
人形の頭部が粉砕され、破片が宙に舞う。
セダンが顔を上げる。
視線が集まっている。
「少し暴れすぎた?」
「いや、スッゲェ威力だなって思ってな」
「え、そうかな?あんまり本気では打ってないけど......?」
スンズは笑う。
「いや〜やっぱお前の実力は本物だ」
肩を組まれる。
「えへへぇ〜」
「確かに今の感じだったら、第二試験の点数は半分くらいになるな〜。今の攻撃をもっと早く打ってみると、お前の周りからの評価は180度変わるぜ?」
「よし、また人形の修復が終わったら続けていくか!」
「がんばってみる」
*
アリアは、少し離れた位置からセダンたちを見ていた。
同じ床に立ちながら、一定の距離を保つ。
干渉はしない。ただ観察するための距離。
観客席からでは分からなかったものを、今度こそ確かめるために。
まず動いたのはスンズだった。
人形が突撃する。
振り下ろされる拳。
だが彼は慌てない。
半歩。
ほんのわずかに軸をずらすだけで攻撃を外す。
続く動作は滑らかだった。
銃口が急所へ吸い込まれるように向けられる。
発砲。
一撃で沈黙。
(うん。あの子も悪くない)
力を誇示する戦い方ではない。
長引かせもしない。
勝つための動き。
生き残るための判断。
戦闘で何を優先すべきか、理解している者の選択。
派手さはない。
だが、無駄がない。
やがて、スンズはセダンと何かを話す。
言葉は聞こえない。
だが、視線と頷きで十分だった。
そして、交代。
セダンが人形と向き合う。
構えは自然体。
力みがない。
人形が動く。
真っ直ぐな突撃。
振り抜かれる右拳。
セダンは動く。
――いや、動いていないようにすら見える。
頬をかすめる寸前で、わずかに重心を外す。
拳が空を切る。
次の蹴り。
回転する胴体。
左足が弧を描く。
セダンは半歩だけ滑るように移動する。
蹴りの軌道の外へ。
最小限の移動で、最適な距離を保つ。
(本当に……紙一重)
観客席からでは分からなかった精度。
避けているのではない。
“通さない位置に立っている”。
それが正しい。
無駄な跳躍も、誇示する動きもない。
(やはり戦闘技術は高い……)
そう確信した直後。
スンズが何かを告げる。
セダンが小さく頷く。
空気が、わずかに変わる。
次の瞬間――
人形の攻撃が空振った刹那。
その隙へ、右拳が放たれる。
轟音。
空気が裂ける。
頭部が粉砕され、破片が床を転がる。
周囲が静まり返る。
(……すごい音。なんて威力……)
だが、アリアの視線は破壊された頭部には向かなかった。
視線は、拳へ。
青い光。
神素は拳の周囲だけに留まり、
指先から肘へと、必要最小限に凝縮されている。
(……あれを無意識でやっているの?)
加護の段階では、神素は全身を巡るのが普通だ。
制御しきれず、身体の表面から漏れ出す。だからこそ、オーラが生まれる。
一点へ収束できるのは、神力に昇華した後の領域のはず。
それを、あの少年は当然のようにやっている。
(それがどれだけ異常なことか、まだ誰も気づいていないみたいね)
周囲の視線は“威力”に向いている。
だが本当に恐ろしいのは、そこではない。
あの神素の制御精度。
計算されたような距離感。
そして、ためらいを知らない迷いのなさ。
アリアは静かに息を吐いた。
興味は、確信へと変わりつつあった。
この少年は、まだ自分の価値を理解していない。
――それが、一番厄介だ。




