空気清浄機2.0
「今回のプロジェクトの概要はこれで以上となります」
プロジェクトの責任者である山田は緊張した様子で会議室の面々を見つめる。
社運を賭けた一大プロジェクトのため、出席者の中には企業の上層部の人間も見られた。
「それで? 以上かね?」
役員の男が発言する。この会議室の中で一番立場が上の人間であり、醸し出す雰囲気は威圧感に満ち溢れている。
「はい。以上になります」
威圧感の込められた一言に対して、プロジェクト責任者の山田は次に何を言われるのかビクビクした様子で返答する。
「今回のプロジェクトに我が社の命運がかかっていることを君は本当に理解しているのかね?」
「はい。それは重々承知しております」
「君の提案内容では予算がかかりすぎるのではないか?もしこのプロジェクトが失敗に終わった場合、我が社は過去最高の赤字を叩き出すことになる」
「それは私も理解しております。しかし、私どものチームでは数々の実地調査によるデータ収集と、問題点に対して何度も意見を出し合った上で計画の練り直しを数えきれないほどやってまいりました」
そこへ水を差すように一人の男が声を発する。
「山田君。この場で過程の話をしても意味はないのではないかな?」
その声の主は山田の先輩社員である太田だ。
彼は、本来であれば自分がこのプロジェクトの責任者になるはずだった思っていた。
しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いで功績をあげ、一気に主任の地位まで上り詰めた山田にその役割を奪われていた。
「太田主任のご意見ももっともです。しかし…」
「結果が全てだ!」
太田は威圧を込めて続ける。
「山田君の案には奇抜性はあるのかもしれないが確実性を欠いているところが見受けられる。失敗を許されないこの状況下においては望ましくないと思うのだが?」
「君のここ最近の成績は理解しているよ。十分目を見張る成果を上げているとも思う。しかし、今回に限ってはプロジェクトの規模が君の今まで担当してきた案件とは違うということを考慮できていないように見えるが?」
山田もそれは理解していた。今回のプロジェクトは正に社運を賭けた規模のものであり、自分には手に余るのではないかと考えもした。
しかし、十分に理解し、できる限りのことはやりとげていた。プロジェクトの成功を確信したうえでこの会議に臨んでいるのである。
あらゆる質問や意見に対する回答をチームで寝る間を惜しんで協議し合い、十二分に説得できる材料を用意していた。
用意した回答を自信をもって堂々と言おうとした矢先…
「確かに。太田君の意見に私も同意だ」
その声は太くしわがれ、なんとも厳つい雰囲気を醸し出し、熱狂を帯びだしていた会議室に静寂をもたらす。
この空気を作り出したのは常務取締役である武田だ。
会議の始まりから、今のいままで黙していたこの場の最高権力者である。
思わぬ援護を受けた太田は山田にだけわかるようにニヤリと笑った。
対する山田はそのあまりにも重たい一言によって完全に勢いを失ってしまった。
いかに優秀とはいえ、この場においてはまだまだ若輩者である山田は威圧を含んだ空気を払しょくするほどの力はなく、ただただ圧に負けて黙ることしかできなかった。
山田だけではない。この場にいる全員、いや、この会議室自体が重く、緊張感を孕んだ空気に侵食されていた。
山田はなんとか声を出そうと思うにも、この空気を前にして声を発することができなかった。
そこに
「あのぉ…」
この場で一番の若手社員である若田が恐る恐る声をだす。
「すみません…ちょっと気になったんですが…」
「空気清浄機の電源入ってるっスかね?」
若田の発言は間違いなくこの場には不適切であった。
「若田!」
若田の直属の上司である山田は語気を強めて言った。
「すぐにこの部屋の空気清浄機を確認してきてくれ!」
若田は急ぎ空気清浄機の確認に向かう。
「主任! 空気清浄機のコンセントが抜けてます!」
その様子を太田がチッと舌打ちをしながら睨んでいた。
そうしてコンセントが刺された空気清浄機がウィーンと音をたてて作動する。
程なくして武田常務取締役がついに口を開く。
「なにかおかしいと思ったら空気清浄機が点いてなかったのかぁ」
その顔には先ほどの有無を言わさぬばかりの厳つい表情とは裏腹に、なんとも茶目っ気のある笑みが浮かんでいた。
「いやぁ、すまん。すまん。山田君。少々強めに言ってしまったな」
「みんなも緊張しないでどんどん意見を出し合ってくれていいんだよ?」
その笑顔を見て山田はいつもの調子を取り戻す。
「ですよねぇw?常務の威圧感ハンパないっすよ~w」
「ちゃんとご意見に対しての回答も用意してましたけど、圧ヤバくて言葉出てこなかったっス」
「そう? いやぁごめんねw」
そう言って少し恥ずかしそうな、申し訳ないような表情を浮かべながら顔の前で手を合わせヒョコっと肩をすくめ謝る武田常務。
いいですよと軽く返しながら山田が応える。
「このプロジェクト、確かに予算が大きくなってしまうのがネックなんですが、我々チーム一丸となって計画を練ってまいりました。自信をもって提案させていただいております」
「しかし、このまま実現させるのが難しいことも事実です。つきましてはこの場にいるみなさんの意見を頂戴したいと思います」
ニコニコ満足げな笑みを浮かべながら武田が一言。
「この場にいる全員で意見を出し合ってこのプロジェクトをいいものに仕上げていこうじゃないか!」
空気清浄機のおかげで会議室に蔓延していた空気がきれいになり、会議は全員が意見を出し合い、軽快に、有意義に進行していった」
「ただいま」
会社から帰宅した山田は靴下をその辺に脱ぎ捨て、疲れた様子でソファーに腰掛ける。
「おかえりなさい。ずいぶんおつかれのようね?」
山田の妻は優しい表情で話しかけながら脱ぎ捨てられた靴下を拾い上げる。
「ああ、今日の会議で空気清浄機のコンセントが抜けていてな」
そういって妻に今日の会議の出来事を話し出す。
そんな愚痴を笑顔で聞きながら、妻はコンビニの弁当を温めたものを皿に盛りつけていく。
「それは大変だったわね。夕飯で来ているから食べる?」
「そうだな」
テーブルに並んだ食事がコンビニ弁当だと知りながらも気にせず手をつける。
「今日の飯も美味いな。いつもありがとう」
「そう言ってくれてうれしいわ」
そうしてたわいもない会話をニコニコと続けるいつもの風景。
晩酌で程よく酔ったころ。
ピー、ピー、ピー
『フィルターの点検時期デス。十分ご注意の上フィルターの交換をシテクダサイ』
それまで静かに音を立てて稼働していた空気清浄機が定期点検の音声を報せて停止する。
「もうそんな時期か?最近早い気もするが、こいつのおかげで今日もうまく話がまとまったし!今日は俺が感謝の気持ちを込めてフィルター交換させていただこう!」
そう言ってほろ酔い状態で立ち上がり空気清浄機に向かう。
「気を付けてね」
たかが空気清浄機のフィルター交換に心配そうな声で妻が声をかける。
「わかってますよ~」
上機嫌に空気清浄機の裏側のふたを開けてフィルターを取り外し、持ち上げた瞬間。
ゴトッ…
手から滑り落ちたフィルターは床にぶつかるとホコリとともになにかが空気中に舞う。
先程までほろ酔い状態で上機嫌だった山田は焦った様子で妻の顔を見る。
「離婚しましょう」
冷めきった表情で妻はそう言った。
ここまで読んでくれる人がいるかはわかりませんが。
読んでくれた方、ありがとうございます。
久しぶりに投稿してみました。
昔書いた短編作品もあるのでついでに見ていただけると幸いです。
究極の飽き性なので続くかわかりませんが今後も短編をちょくちょく書いていこうと思います。
長編に挑戦しようと奮戦している最中。
長考に丁度いい超甘いハイチュウ。
あとがきの端書きまで読む君にセンキュー。