フリー・クリミナル・ゲーム
――あなたの借金、今すぐゼロにしませんか?
帯田イサオの借金は既に百万円を超えていた。
何か特別な理由があったわけではない。強いて言うなら「惰性」だ。一度、うっかりクレジットカードのリボ払いを使ってしまった後は早かった。それでも「何となくいけてしまった」という成功体験を得たことが、帯田からなんとかしようという気力を奪った。もちろんそれはだらしない人間の言い訳であるが、とにかく彼は「今この瞬間は何とかなる」という状況に甘んじて、解決を後に伸ばし続けたのだ。
そして、借金のストレスから現実逃避するためにさらに金を無駄遣いし、借金を増やすという悪循環……。
せめてゲームのように無数のセーブポイントがあって、借金を作る前からやり直せればよかったのだが。残念ながらこの現実というクソゲーは、セーブやロードどころか一時停止さえ許されない。初期環境は一人ひとり違うくせに全て運で決まるという、何よりも理不尽なゲームだ。
そんな中で見つけたのが、このサイト。
――あなたの借金、今すぐゼロにしませんか?
先頭に書かれた文字を、胡散臭いな、と思いながらも気になって内容を読む帯田。
その内容は、よくある借金減額診断のそれではなく、新しいゲーム「ブランド・セクト・オートVR」のベータテスター募集案件だった。要約すると、このゲームをベータテスターとしてプレイすると、自分の借金を企業が代わりに返済してくれるらしい。しかも、ベータテスト中のゲームプレイでの高得点者には、さらに追加で賞金がもらえるということだ。
ではなぜ、ただのベータテスターがそこまで高い報酬を得ることができるのか? その理由は、このゲームが完全没入型のゲームである、ということに理由がある。
完全没入型ゲームは、RSG社が開発した新技術であり、人間の五感すべてを現実から切り離し、ゲーム内に没入させるものである。簡単に言えば、本当にゲームの世界に入り込むことができるのだ。
ただこの方式は、人間の五感に直接干渉し「肉体からの感覚を遮断する」ということをする以上――既にたくさんの先行実験が行われているとはいえ――どうしても一定のリスクが存在する。そのリスクを考慮し、ベータテスターには高い報酬が支払われるということらしい。
(なるほどな……)
帯田はこれを見て乗り気になった。
言わば、このベータテストはいわば『治験』なのだ。確かにリスクはあるが、既に他の実験である程度安全性が確認された上でのリスクだ。それでもわざわざ人間を集めてテストするのは「念のため」に過ぎないのだろう。それで借金がチャラになるなら――ましてや、それ以上の賞金が手に入るなら、これほど安いものはない。
(汗水垂らして働いて借金返すなんて、馬鹿らしくてやってられないしな)
帯田は迷わず、このテストに参加することを決めた。
* * *
「ようこそ、みなさん。BSAのベータテストにおこしくださり、ありがとうございます」
|ブランド・セクト・オート《BSA》のベータテストに申し込んだ帯田がメールで案内された通りの場所に行くと、そこは企業ビルの中の広いホールで、自分以外にも約百名ほどの人間が集められていた。
「さっそくですが、みなさんには弊社が新しく開発したVRマシン<ミストギア>を装着していただききます。前方から一人ずつお渡ししますので――」
司会者の説明とともに、前からヘッドギアのようなマシンが配られる。これが<ミストギア>らしい。それは機械的なヘッドギアという雰囲気で、思ったよりもゴテゴテした外見だった。完全没入型ゲームというからには、それくらいの大きさは必要なのかもしれない。
指示された通りに電源を入れると、何も目を塞いでいるものはないはずなのに、いきなり目が見えなくなる……その直後、帯田は光の格子でできた空間に立っていた。
「慌てないでください。これは、皆さんの『視覚』だけが、ゲームの世界に切り替わっているのです。続いて、聴覚、三半規管と運動伝達系――」
司会者の言う通り、次々と五感がゲームの世界に切り替わっていく。
そこで一瞬、フッと意識が途切れ――
* * *
「……お?」
気が付くと、帯田は広い砂地の上に立っていた。周囲には同じように呆然と立っている人間が多数。おそらく自分と同じベータテスターだ。
『おめでとうごさいます。これであなたたちは、完全にゲームの世界に入り込みました』
司会の声だけがどこからともなく聞こえる。天の声といったところか。さすが、ゲームの世界。
それにしてもリアルな世界だ。現実の感触に限りなく近い。砂を踏む感触、砂塵にぼやける太陽。
(だけどやっぱりゲームの世界だな)
帯田は改めて確信する。というのも、よく見ると見ているもの全てが高精細なポリゴン映像なのだ。特に足元の砂の表面をじっくり見ると、それがわかりやすい。
『さて、皆様にはここからゲームをしてもらいます』
司会は言う。
『今回のお題はずばり「デスゲーム」!』
ザワ……とベータテスターたちの雰囲気に緊張が走る。
『おっと! それほど身構えなくても大丈夫です。今回のデスゲーム、その死の対象はあなた方ではなく、街の住民! なぜならここは、|ブランド・セクト・オート《BSA》ですからね!』
なるほど、と帯田は納得する。それはいかにもBSAらしい。過去作でも街の中で犯罪をやりまくるようなゲームだったのだから。
『ルールは簡単! 今から30分、皆様には死体を稼いでもらいます。そしてスコア一位の方には……借金代理返済とは別に、賞金一千万円が用意されております! ぜひ狙ってみてくださいね!』
「そしてさらに! 今回は運営からのサービスです!」
すると、各自の足元に箱が出現する。開けて中を見てみると、ハンドガン二丁にアサルトライフル一丁があった。ご丁寧に銃を納めるためのホルスターも用意されている。
「これは運営からのプレゼントです! ぜひ有効活用してくださいね!」
運営からのアナウンスに、帯田だけでなく参加者全員が沸き立つ空気を感じる。
そして、
「それでは――ゲームスタートぉ!」
開始の合図と同時にまた一瞬意識が途切れる。
* * *
気がつくと、帯田はどこかの外国のような街の中にいた。
街、といっても2階以上の建物は一切ない。
土造りの粗末な平屋が所狭しと並んでいて、道路は舗装されておらず剥き出しの土、さらに道幅もバイクが2台並べるかどうかという狭さだ。
住民の服装は割と普通……とは言えない。着ているもの自体は日本人などが着る服とそう変わらないが、いかんせん薄汚れてかなり使い込まれているという感じだ。いうならばこれは難民……のような感じだろうか。
と、その住民の一人が頭から血を吹き出して倒れる。他のプレイヤーも一緒に移動してきていて、その一人が発砲したのだ。
(俺もこうしちゃいられないな――!)
帯田もまた銃を構え、勢いよく走り出した。
* * *
結論から言って、帯田は早々にトップ争いを諦めた。というのも、うまく銃を扱えなかったからだ。
(走りながら片手で撃つなんて、到底できたもんじゃない)
今までやっていたFPSのゲームとはまるで勝手が違う。銃の反動は想像以上にリアルで、手に衝撃がビリビリと伝わり、銃身は跳ね上がる。そして銃口を飛び出した弾はなかなか思った場所に当たってくれない。
だから帯田は最初、物陰に隠れ至近距離で拳銃弾を撃ち込もうと考えていたのだが、遠距離からのアサルトライフルでの狙撃に切り替えた。相手に気づかれていない状態で伏せ撃ちの姿勢で落ち着いて撃てば、そこそこ当たるのだと気がついたのだ。アクションゲームのように一瞬で狙いをつけて拳銃で動いている敵に向かって発砲して当てる。そんな芸当はフィクションの中だけだと気がついた。いざ実際に自分の手で撃ってみると想像以上に厳しい。
……という、非常にリアルなゲーム性だ。さすがに最新型の完全没入型と言うだけである。
「ん……?」
帯田が早いうちに「それ」に気づいたのは幸運だった。
物陰からチマチマと何人か射殺した帯田は、二人のプレイヤーが何か話しながら歩いてきたのを見た。そのプレイヤーは二人ともカービン銃を持っている。
(ん……? あいつら協力し合っているのか……?)
確かに死体の数を競う競合とはいえ、情報交換などは行うかもしれない。
(そっちの方がソロより効率が良かったりするか? とはいえ、他人のプレイヤーを信用できるもんかな……)
と、そのうちの一人がカービン銃のマガジンをもうひとりに手渡した。何かの取引だろうか。そして、おもむろに拳銃を一丁取り出し、もう一人に見せ――
――パン
ごくあっさりとした挙動だった。乾いた音とともに、拳銃がもう一人の頭に撃ち込まれ、もう一人は地面にくずれ落ちる。
(……マジか! 競合のプレイヤーも死体にカウントされるのかよ!)
帯田は不意打ちで競合プレイヤーを殺したそいつに見つからないよう、急いで身を隠す。帯田の目の前でプレイヤーを撃ち殺した人間は、帯田には気付かずにそのまま別の方向に歩いていく。
つまりこのゲームはPKがアリだったというわけだ。思い返せば、このことについて運営は明言していなかった。最初の説明で死体を稼ぐとしか言っていない。
おそらく、敢えてボカしていたのだ。このルールに気付けるか、プレイヤーはそこまで試されていたのかもしれない。
(てことは、とにかく隠れて目立たないようにするしかない。バトルロイヤルなんてやってられるか!)
発砲も自分の場所を悟られるので極力控えるべきだ。自機が殺された後のルールはよくわからないが、様子を見るにおそらく復活は無いと見て良いだろう。
これは欲を出した方が負ける。帯田はしばらくの間、身を潜めることに専念しようと決意した。
* * *
「え……勝った?」
帯田は呆然と呟いた。
それは帯田が背後からこっそり五人目のPKを決めた直後のことだった。
突如、彼の目の前に『You Win!!』の文字が現れたのである。果てしなく現実世界に近いこのゲーム世界の中で、その画面だけはいかにもゲームの画面、といった感じだった。
帯田が殺したプレイヤーは合計でたった五人、一般人含めても十数人といったところか。他の人間が積極的に殺しあっているのを尻目に、ひたすら身を隠し先手を打って身を守る最低限の殺しだけを行うことに専念してきた、いわば臆病で卑怯なプレイスタイルが上手くハマった。
結局、ゲームの中でさえその臆病な性格が功を奏したということか。
帯田は臆病だからこそ、借金を重ねても現実を直視することができず逃避を続け、臆病だからこそ働くことにトラウマを持って実家の自室へ引きこもるようになった。
しかし、ここにきてその臆病さ、いざ自分が危ないとなるとひたすら逃げ回るだけのヘタレさが彼を勝たせる方向にはたらいたのである。
「やった……やったぞ」
――パチ、パチ、パチ
背後からゆったりした拍手が鳴る。
振り返ると、白衣を着た男が立っていた。
「いやあ、素晴らしい。君が優勝者だ」
どうも、この男がゲームの主催者らしいと帯田は見当をつける。白衣の男は長身痩躯で、落ち窪んだ目と高い鼻が印象的だった。流暢な日本語を喋っているようだが、彼は――おそらく日本人ではない。
「……それで賞金は?」
「ああ、もちろんあるとも。何なら今渡そうか?」
「……ああ」
帯田は一瞬躊躇いを感じるが、すぐに頷く。こういうことは後伸ばしにされたくない。相手の気分次第で約束を反故にされる可能性だってゼロではないのだから、それに比べれば現金をここで所持するリスクなど……
「ふむ」
白衣の男は、懐から何かを取り出すと、紙一枚のそれを帯田の掌に押し付けた。
「え……?」
「小切手だ。現金は重いだろう?」
確かに、受け取ったのは小切手だった。確かに、小切手と書いてあるし、金額もきちんと1000万円と記入されている。
と、
「ふふ、ふふふ……」
白衣の男が、おかしそうに笑い始めた。
「……なんだ?」
その笑い方が気持ち悪くて、何か不穏なものを感じて、帯田は思わず問いかける。
「いやね、渡しておいてなんだけど、その小切手はたぶん持っていても役に立たないのではないかと思ってね」
「……は?」
「だって、君は大量殺人犯だよ? 果たして無事に帰って、今まで通りの生活を送れるかな?」
「は…………?」
帯田は男が何を言っているのかわからなかった。
「おい、何を言ってるんだ白衣野郎。ゲームと現実の区別がつかなくなったか?」
「そう! まさにそれだよ!」
白衣の男は嬉しそうに言った。その様子がさらに不気味で、帯田は顔を引きつらせる。
「君はまだ、ゲームと現実の区別がついていないね? いやあ、ということは私の作品は大成功だったというわけだ。ついに『現実の壁』を突破したのだから!」
「お前、何を言って……」
「今から君の魔法を解いてあげよう。なに、心配しなくても、君が見ているものはほとんど変わらないよ。3、2……」
「おい、一体何を――」
「1……ログアウト」
白衣の男がそう言った瞬間、
帯田は――感覚を取り戻した。
「……あれ?」
白衣の男が言った通り、目の前の景色に何か大きな変化があったわけではない。だが――明らかに明確な変化があった。
まず、全身の感覚が鮮明になった。音がクリアに聞こえ、砂塵の匂いがリアルに感じられ、大地を踏みしめる重力を明確に意識できる。まるで、今まで自分が透明の膜で覆われていて、五感すべてがその膜を通して感じていた――そして今その膜を脱ぎ去った――そんな感覚だ。今は、五感全てがリアルだ――
そして視界は――透明のゴーグル越しに見ていることに気が付いた。
「……なんだこれ」
帯田はゴーグルをむしり取る。
……ゴーグルの前面はただのプラスチックの透明な板だったが、それを固定するゴムバンド……その後頭部にあたる部分に何か妙な機械がついている。それが何か、帯田にはわからなかった。
「なんだこれ……」
帯田はその機械に不気味さを感じ、思わず一歩後ずさる――と、その踵に何かが触れた。
「……?」
反射的にそれを確認しようと後ろを振り向くと――そこには男の死体が転がっていた。
「――ひっ!?」
(いや……落ち着け、さっき俺が撃ち殺した奴だ)
死体を見て思わず声が出てしまったが、どうにか自分を落ち着かせる。それにしても、彼の死体はあまりにもリアルだ。見開かれた目、広がった瞳孔、苦悶の表情……
「……あれ?」
死体がある。そりゃそうだ、さっき撃ち殺したのだから……あれ? ということは、ここはまだゲームの世界で、でもやけに感覚がクリアで…………あれ?
「気づいたかい?」
再び白衣の男からの声、いや……振り返ると、そこにあったのは、
「……ふざけんな、なんだよこれ……」
白衣の男……が立っていた場所にあったのは、ニタニタと笑う白衣の男――の写真が印刷されてある、等身大のパネル。
そしてその裏には、無線機が括り付けられてあり、そこから声が聞こえている。
じゃあ……今まで自分が見ていたものは?
頭がおかしくなりそうだ。
「そう、ここは現実さ。まぎれもない現実」
「なんだよ、それ……」
「君は現実の世界で、十七人の人間を殺した。5人は同じゲームの参加者。そして十二人は……この土地の何の罪もない住人だね」
「ふざけんな、俺たちは東京にいたはずだろ! それに、ゲーム中でもふざけたエフェクトとか――」
「ああ、それは君たちをここに輸送するために眠ってもらったり、記憶を消してもらったりしたからねえ」
その声色は、写真のニヤニヤ笑いを向こう側で浮かべているのであろうという笑い混じりの声だった。
「そして、私が開発したのはVRマシンというよりARマシンなのさ。そう――実に簡単な話なのだが、ゲームを現実のように見せることができるなら、現実をゲームのように見せることができる。まあVRマシンを作る技術があれば、エフェクトを足すくらいはちょちょいとね」
「そして、これがゲームだと思い込んでいた時の君たちの動きぶりは! 素晴らしいものだったとも! 躊躇なく人間を射殺できるし、銃の扱い方も、慣れてくればかなり堂に入ったものだったね。やっぱり邪魔をする潜在意識がないからかな。いやはや、思い込みの力というのも侮れないものだと改めて学んだよ」
「ふざけんな、じゃあ俺は……俺たちは、……知らない間に殺人犯に仕立てあげられてたってことか!? そんなことをして何の意味があるんだよ!」
「意味? 最初に説明しただろう? 君たちはベータテスターだと。この通り、私の作った最新技術のテストプレイヤーだったわけさ」
「ふざけんな、じゃあ賞金も結局ただの狂言――」
言ったところで、帯田は小切手の存在を思い出し、慌ててポケットからそれを出す。しかし、帯田の手に握られていたのは、真っ白の紙切れだった。
「くそが……!」
「おもしろいだろう?」
「何がだよ!」
「いやはや、感謝してほしいものだよ。私は君の代わりに、こうして気持ちよく人間を殺せる舞台を用意してあげたというのに。それが一時の快楽だったとしても、最高の瞬間だったんじゃないのか?」
「ふざけんな、それはゲームだから楽しめたんだ。現実ならこんな――」
「――これが現実だとわかっていたなら、こんなことはしなかったかね?」
「……っ」
男の声に、帯田は当たり前だと言い返そうとして、なぜか言葉に詰まってしまった。
「では、何をしたかね? 現実だとわかっていたなら、もっと真剣に考え、真剣に行動したかね? もっと真剣に生きたかね?」
「……」
「いやはや、面白いことを言うね。今までの君が現実をどう生きてきたか、今の現実を見れば明らかだろうに」
「……黙れよ」
「君は自分の借金を見て、これが現実ではなかったら良かったのにと思っただろう? 全部ゲームになれば良いのにと思っただろう? だから、私がそうしてあげたのだよ」
帯田は無言で白衣の男のパネルに銃弾を撃ち込んだ。現実のそれは銃弾によって貫かれ、裏の無線機がバラバラに吹き飛んだ。