03.廃屋の中に
「へぇー、仕事で遠出かぁ」
俺の前に現れた砂色の羽を持つ鳥が、どことなく楽しそうに言った。
そこにいるのは、メスのロック鳥。頭のてっぺんが平均的な二階建ての家の屋根より高い。
でも、こいつはまだ若鳥だ。人間なら、俺と同世代か少し下くらいかな。
名前はロイオン。俺が修学部にいた時、魔獣契約の授業で呼び出して契約した。ロック鳥の飛行速度はすごいし、長距離を移動するにはもってこいの魔獣だ。
もちろん、仕事で協力を依頼するのは、今回が初めて。当然、ロイオンにとっても初仕事って訳だ。
楽しそうに見えるのは、それが嬉しいからかも知れない。よかった、ぐうたらなタイプでなくて。仕事の度にいちいちなだめすかすの、大変だからな。
いつもの出勤より少し早い時間。魔法使い協会シャングでエストレと待ち合わせ、出発するべくお互いの魔獣を呼び出したところだ。
基本的に魔獣の呼び出しは、協会の敷地内ですることになっている。街の中で呼び出したりしたら、魔獣を見慣れない一般人が騒ぐからだ。
騒ぐくらいならいいけど、興奮のしすぎで石でも投げてきたら困る。たまーに、恐怖で混乱した奴がおかしな行動をしたりするからな。
魔獣にだって色々な性格があるし、自分が何もしてないのに攻撃をされたら腹も立つだろう。で、面倒な奴を相手にしないタイプならいいけど、吠えたり、威嚇したりしたら……ますます大混乱。それは協会としても避けたいところ。
だから、緊急性がない限り、魔法使いが街で魔獣を呼ぶことはしない。特に罰則はないけど、お互いのためだし。
この問題がなかったら、自分の家で呼び出して、適当な所で合流できるんだけどなぁ。
エストレが呼び出した魔獣は、翼のある獅子だった。堂々とした飛びっぷりから、天翔王なんて言われ方もする魔獣だ。
アルケスって名前らしい。金色のたてがみが格好いいなぁ。体付きも申し分ない。すっごく頼りになりそう。人間なら、エストレより少し上の男性ってところか。
エストレが呼び出すなら、たてがみが燃えてる炎馬かなぁ、なんて勝手に思ってたんだけど。金の獅子にまたがる金髪の美女ってのも、絵になる。……美人って得だな。
「スペルオ、準備はいいですか」
「はい。万端です」
準備と言っても、今日の昼飯と回収した道具を持ち帰る時に使う袋くらい。あとは汚れた物を持ってもいいような手袋とか、包む布。
魔法で動かせばこんな物はいらないけど、どこで何があるかはわからない。魔力温存のために、簡単な作業は地道に自分の手を使う。
今から向かうのは完全な廃屋ってことだから、布は少し多めに持って来た。一般人が作業するよりはずっと準備物は少ないけど、魔法使いと言っても結局は人力な部分がある。完全な手ぶらって訳にはいかないんだよな。
「では、出発しましょう」
エストレの合図で、獅子が地面を蹴る。一拍遅れて、ロイオンも空へ向かって羽ばたいた。
あっという間に建物はおもちゃの家より小さくなり、かろうじて建物だってことがわかるサイズになる。人間の姿なんて、わずかな点ですらない。
魔法使いでなきゃ、こんな光景はまず見られないよな。
この景色が怖くて、飛行系の魔獣に乗るのが苦手って人もいる。俺は非日常を感じられて、好きなんだけどな。
馬なら恐らく一日かそれ以上かかる距離だけど、俺達は魔獣のおかげで一時間もかからずに目的地へ着いた。本当に、魔獣の協力はありがたい。
晩春の海は、とても穏やかだ。今日は天気もいいから、その光景を見ているだけでも気分がよくなる。
もちろん、遊びに来たんじゃないってことはわかってるけど、思わず笑みがこぼれるのは仕方ないよな。
街で暮らしていると、そう頻繁に見る景色じゃない。だから「おー、海だぁ」なんて思って楽しくなる。海に来るなんて、いつ以来かな。
海に近い場所に集落が見え、小舟が何艘も砂浜に上げられているのが見えた。あそこが、依頼してきたイセルの村だ。
そこからまっすぐ……えーと、方角としては南へ向かうと、小さな島があった。あれがサンザの島だな。周辺には他に島はなく、まさに孤島だ。
大きさとしては、うちの協会がすっぽり入るくらいかな。
協会と簡単に言っても、修学部の校舎と職務部の棟があり、講堂があり、中庭があり、割と大きな図書館がある。配置や建物の大きさは多少違っても、どこの魔法使い協会でもこういう造りと聞いた。
とにかく、そこそこ広い敷地で、端から端まで歩いたらたぶん十分くらいはかかるんじゃないかな。
そういう施設が全部入りそうな広さだけど、島の半分以上が密林状態だ。その一部を切り開いて、例の別荘を建てたらしい。
その建物は、上空から見ても荒れ果ててるなっていうのがわかる。リアルなお化け屋敷みたいだ。正直言って、あまり近付きたくない雰囲気。もちろん、そういう訳にはいかないんだけど。
「大丈夫ですか、スペルオ?」
横を飛んでいるエストレが、確認するように聞いてくる。
もしかして、行きたくないって気持ちがわかったんだろうか。いや、決して怖い訳じゃないから。気持ち悪い、とは思うけど。
「は、はい。問題ないです」
声がうわずってなかったかな。気持ちを見透かされた気がしてびっくりしたから、変な声になってたかも。
「では、行きましょう」
んー、すっごく冷静な口調。
回収係に入ってから、まだ四日しか経ってない。だから、まだまだ知らない部分があるんだろうけど……エストレって感情の起伏が少ないみたいだ。
敬語で話すから、余計に棒読みみたいな口調に聞こえる。もっと付き合いが長くなれば、多少は打ち解けた感じになるのかな。
先にエストレが廃屋へ向かい、俺もその後を追った。
廃屋になる前は本当にきれいな庭だったのかな、と思えるくらい雑草生えまくりの場所に、魔獣達が着地する。
目の前にある平屋建ての建物は、元々貴族の持ち物だったんだからそれなりにいい材料が使われてるはず。だけど、今は見る影もない。
塗装は全て剥げ落ちて、全体が汚い灰色。壁は石造りのようだけど、木だったんであろう扉は腐ってるようだ。窓も枠がかろうじて残ってるだけ。これ、木造だったら完全に崩れ落ちてるよな。
部屋にあるカーテンがぼろ布になって、風に揺られている。その端っこが、時々外へ出たりするのが見えた。
正面入口であろう前に立っているだけでそれらが見て取れるんだから、中もきっと俺の想像通りの状態だろう。
絶対、夜に来たくない場所だ。これ、別荘だったんだよな?
「何、これ。こんな所に、人間が住んでるの?」
ロイオンが廃屋を見て、首をかしげる。
「まさか。昔はともかく、今はこんな所に住めないよ。ここには、水も食料もないんだから」
水は海水を濾過して、食料は魚を捕まえれば何とかなるだろうけど……かなり原始的な生活になるよな。それ以前に、この廃屋で雨風がちゃんとしのげるとは思えない。
「だが、人の気配がするぞ」
「え?」
アルケスの言葉に、エストレと俺は同時に聞き返した。
退治班から話が回って来た時は、ここは無人だったはずだ。さすがにエストレも、自分の相棒の言葉に驚いたらしい。
「何人いるか、わかる?」
「恐らく、一人」
アルケスが、ロイオンをちらりと見る。
「そうね。たくさんいるようには感じないわ」
やはりロイオンも、人の気配を感じているらしい。だから、人が住んでいるのか、と言ってたのか。てっきり、冗談で言ったのかと思ってた。
「まさか、ここの持ち主の魔法使い……とか?」
「生きていれば、百をとうに超えています。退治班の話では、中も荒れているということでしたから、魔法使いが住んでいるとは思えませんね」
そうだよな。ここの最終的な持ち主のヴェネルは、確か百二十五歳くらいになってるはず、なんだっけ。死んでいるかはわからないけど、生きてここに住んでいるなら退治班と顔を合わせていてもおかしくない。
「魔法の気配はない。魔法使いではないだろう」
ということは、少なくともヴェネルではない。魔法を使わなくなったとしても、魔獣には魔法使い独特の気配を感じられるらしいから。
「それじゃ……」
誰なんだよ、それ。こんな所にいるなんて、普通じゃないぞ。
「ここで考えを巡らせても、仕方ありません。スペルオ、中へ入りましょう」
「は、はい……」
ここで「いやです」とは言えないよなぁ。
相手が魔物や魔法使いなら「応援を呼ぼう」という話にならなくもないけど。一般人一人に対し、こちらは魔法使い二人。どんな武器を持っていたとしても、こちらが有利だ。何を尻込みしてるんだ、と言われるだけ。
エストレは中へ入る前に、別荘に……と言うか、廃屋に強化の魔法をかけた。
俺達が中へ入り、何かしらの動き(それもうんと激しいやつ)をした時に屋根や壁が崩れたりしないための防御策だ。
こうすることで中にいる一般人に襲われ、壁にどんっと突き飛ばされても、屋根が落ちてつぶされることはなくなる。
「注意してください」
「はい」
言われなくても。