11.のんびりしてない
ヴェネルは何かしくじって、鏡の中へ封じられてしまった。エストレが考えている方法だと、バンシュもヴェネルと同じ目に遭うかも知れない。
でも、今は俺達がいる。事情をわかってる。ヴェネルは助けてくれる魔法使いが近くにいなかったけど、今はそうじゃないんだ。
俺は急いで「要確認」の袋を取り出し、中身を出した。自分のほしい物だけを取り出せればいいんだけど、それができない。ここのところも、早急な改良が必要な部分だ。
よりによって、袋に入れた数が一番多い奴だよ。「再利用可能」の袋が一番少なかったのに、そこには鏡がない。つくづく残念だ。
「くっ……」
エストレの声にそちらを向くと、カエルが舌を伸ばして攻撃しようとしていた。
身体全体は動かなくても、動かせる部分を使ってるんだ。よりによって、舌かよ。人間をハエ扱いしやがって。
それをアルケスが太い前脚で弾き、エストレを守っている。やっぱり魔獣は頼もしい。
そのエストレの表情は、かなりつらそうだ。影とは言っても、カエルは見た目にも大きい。その身体が大きい分、抵抗しようとする力が強くなっているんだろう。
「ロイオン、アルケスと一緒にエストレを守ってくれ」
「わかった」
術者へ舌攻撃し、何とか拘束を解かせようとする魔物。舌はまだ「かろうじて伸ばせる」という程度だから、魔獣達も対応できている。でも、エストレがいつまで拘束を続けられるかだ。
俺は急いで鏡を見付け出す。数面あったが、どれもまともな状態じゃない。ひびが入っていたり、一部が割れていたり。これじゃ、あの魔物を封じるなんて無理だ。
「使える物なんてないですよっ」
「復元をかけてください」
復元の魔法。壊れた物を元の状態に戻す魔法だ。もちろん、限界はあるけど、腕がよければかなりの部分を修復できる。
破れた紙くらいならすぐに戻るけど……これ、魔法道具の鏡だぞ。普通は落ち着いた状態で、色々確認しつつ……って言ってる場合じゃない。
俺は状態が一番ましだと思える鏡を選んだ。人間の頭より少し大きい鏡で、一部に人差し指分くらいの長さのひびが入っている。
そこに復元の魔法をかけた。ひびが、少し短くなる。
これが普通の鏡であれば、今のでちゃんと全部が復元できたはずなんだ。でも、これは魔法道具。色々な力が絡み合ってるから、余程の上級魔法使いでもなければ、一回で復元完了とはならない。
残念ながら俺は凄腕じゃないから、そこまでは無理。だったら、複数回かけるまでだ。
俺はもう一度、呪文を詠唱する。
「まだかっ」
アルケスが怒鳴る。どうやら、カエルの舌攻撃の速度が上がってきたようだ。エストレの魔物を抑える力が、それだけ弱まってきたってこと。
「もうちょい」
鏡のひびは、人差し指の半分より少し長く残ってる。普通の鏡なら、ちょっとしたひびだ。だけど、この状態で無理に魔物を封じようとしても、すぐに破られるだろう。
せめて、これのもう半分くらいまでにしないと。こんなひびくらい……くそっ、直れよ。
急いで詠唱する。急ぎすぎたのか、さっきより復元具合が少ない。ああ、もうっ。魔法道具の復元ってのは、時間がかかるし魔法をかける回数も多いんだよ。
「スペルオ」
エストレが、魔物と向き合ったまま呼びかける。
「大変でしょうが、急いでください。このままでは、少なくとも人間は全滅です」
「う……」
怒鳴られるより、こうして淡々と言われる方が何倍も怖い。
エストレが抑えられなくなったら、バンシュは完全に取り込まれる。そして、すぐ前にいるエストレが襲われ、次にあの舌が俺に向かって来るんだ。
俺ははっきりと、でもできる限り急いで詠唱した。まだひびが残ってる。すぐにもう一度。
ったく、こういう魔物の相手をしたくないから、退治班は避けたのに。回収係の初仕事で、これはないだろ。
ヴェネル、魔法道具を研究してたのなら、もっとちゃんとした道具を作れよっ。腕が悪いのか、いい加減なのか。
魔石にひびが入らないようにするくらいの処理、やっておけっての。あと、まともな鏡が残るように、整理しておけよっ。
絶対、腕がよくないことを自覚してただろ。だから、こんな人がいない島で魔法道具を研究してたに違いないんだ。人に見られたら恥ずかしいとか、何か言われるのがいやだから、とかって理由で。
精神的重圧を感じながら復元魔法をかけ続け、ようやく鏡の面がまともな状態に戻った。
その途端、ばりんっという音が大きく響き、俺は肩をすくめる。
一瞬、魔法が失敗して鏡が割れたのかと思ったが、違う。エストレの拘束魔法が力尽き、破られた音だ。
動けるようになったカエルは、さっきまでは影のように真っ黒だったのに、少し緑がかって見える。時間が経つことで、さらにバンシュを取り込むことで、力が本来のものに近付いてきたんだ。それと同時に、身体も。
肩で息をするエストレに、それまでとは比べものにならない程の速度で魔物の舌が伸びて来た。そのままなら真正面からその攻撃を受けて吹っ飛ばされただろうエストレを、それより速くアルケスが彼女の襟首を加えて回避させる。
勢いで、高く結い上げていたエストレの髪がほどけた。
「んもうっ、さっきからうっとうしいのよっ」
その直後、ロイオンがロック鳥の姿に戻り、その頑丈な脚で伸びた舌を掴んだ。
カエルはびっくりしたように引っ込めようとするが、若鳥とは言え、ロック鳥の力には簡単に抗えない。
今まで弾かれるだけだったから、まさか掴まれる、とは思っていなかったんだろうな。
「スペルオ、今のうちに」
エストレの声にはっとして、俺は復元したばかりの鏡を持って魔物に向けた。
「お前の本体はここにはないんだ。おとなしくこの中へ入れっ」
俺、ちゃんと勉強しておいてよかった、とつくづく思う。
万が一にも、魔法道具に封じられた魔物が現れるかも知れない。ということで、封じるための呪文を覚えるようにって言われてたんだ。
退治班じゃないのに、とは思ったけど、回収係に入る前に勉強はしておいた。もちろん、やっておくのが当たり前だけど……さぼらずに勉強した俺、えらいぞっ。
俺の呪文に反応を示した鏡は、目の前にいる魔物を吸い込み始める。煙が吸われ、それまでも歪んでいたカエルの形がどんどん崩れていった。軽かった鏡が、一気に重くなって腕が震える。
「もういいぞ、ロイオン」
俺の声に応じてロイオンが掴んでいた魔物の舌を離し、鏡の力の影響力がない所へ逃げる。
その途端、魔物は細くねじれながら完全に鏡へ吸い込まれた。
☆☆☆
窓から入る光に照らされ、ほこりが舞っているのが見える。
きれいなものではないはずなのに、やけにきらきらしてるなっていつも思う。ちょっと夢の中にいるみたいな感じだ。
俺はいつの間にか座り込んでいた。何があったんだっけ、と記憶が少しあいまいになっているような。
ぼんやりとそれを眺めていたけど、ほこりのせいか三度もくしゃみが出て、現実に引き戻された。
あ、そうだ。ついさっき、魔物を封じたんだっけ。即席とも言える、復元したばかりの魔法道具で。よく間に合ったよなぁ。鏡にひびが入って、また出て来ないかな。
不安になって確認したけど、鏡の面はきれいだ。それを見て、心底ほっとする。
「遅いです」
またしても淡々と言われ、びくっとする。
そちらを見ると、胸まである真っ直ぐの金髪をかき上げながらエストレがそばに立っていた。
髪を結い上げてる姿しか見たことがないので、いつもと違う雰囲気にちょっとどきっとする。乱れてはいるけど、やっぱりきれいだ。うん、やっぱり美人って得だなぁ。
……いや、そういう場合じゃないことは、一応わかってるけどさ。
「お前、もう少し早くエストレの力が破られていたら、どうするんだ。あんな状況では、新人だからって言い訳は通じないぞ」
「魔法道具の復元は時間がかかるものなんだから……すみません」
アルケスの言葉に反論しようとしたけど、エストレに静かな目で見られたら「言い訳だ」と気付いて謝った。
アルケスも言ったけど、新人だろうがベテランだろうが、あの状況では関係ないんだ。失敗すれば、みんながケガをする。最悪だと、エストレも言ってたけど、全滅。
「回収係はのんびりした部署だ、と誤解している人もいるようですが、そんなことはありませんからね」
「あ、はい……そうですね」
入る前に「万が一」の話は聞いていたはずだけど、そうそう起きないだろうと高をくくってた。確かにのんびりした部署だと思い込んでいたし、自分で自覚する以上に回収係をなめてたんだ。
「あ、そうだ。バンシュは」
鏡に吸い込まれたのは、見ていた限りではあの黒い煙のカエル野郎だけだったけど。
「道連れにできるだけの力はなかったようです」
エストレが差す方を見ると、バンシュが仰向けに倒れている。
よかった。完全には乗っ取られていなかったってことだ。
エストレが言うように、魔物の悪あがきでバンシュが道連れにされる可能性もあったけど、そこまではできなかった。ひっくり返ってるけど、鏡に吸い込まれなかっただけでも不幸中の幸いって奴だ。
ロイオンがまた少女の姿になり、バンシュの頬を指でつついた。うめく声が聞こえたので、生きているのはわかる。
身体の状態はまだわからないけど、目を覚ました時にメンタルがやられてるかもな。当分、悪夢の日々が続くだろう。
エストレがバンシュに近付いて確認したが、ケガはないようだ。今は無理に起こさないでおく。
「あの……この鏡はどうします?」





