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 いま、

 まさに、

 あるひとつの時代――

 いな、ひとつの世界が、

 赫々(かっかく)と燃えさかるほむらのただなかで終焉のときを迎えようとしている。


 夜の国を統べる〈しろがねの大君主〉リリスは、

 ひとり、

 十二世紀にわたって彼女の座所であった白い処女(おとめ)を模した玉座に深々と座り、

 もの憂げなけしきでひじを突きながら、

 幾重もの守備を突き破った敵兵がこの謁見の間へ攻め込んでくるそのときを待ちつづけていた。


 すでに、

 とざされたとびらの向こうからは遠く、剣戟と怒号の音がひびいてくる。

 まもなくその瞬間は来ることだろう。

 それはすなわち彼女の最期をも意味しているわけだが、べつだん、恐怖を感じはしない。

 ただ、かるい疲労にも似たけだるさを覚えるだけであった。


 国が傾きはじめてからいまに至る百年のあいだ、この展開を防ぐため、ありとあらゆる手立てを打ってきた。

 しかし、

 そのすべては激しくきしみながら回転する歴史の歯車を止めることはできず、ついに叛乱軍はこの宮殿まで達したのだ。


 悔いはない。

 いや、いっさいないといえば虚言になるかもしれぬ。

 だが、為すべきことは為した。

 そのうえで人間たちが呪わしくもべつの名で呼ぶ、彼女たち〈冷血〉の黄金時代は終焉を見たのである。

 あらたにどのような時代が訪れるのかはわからぬ。

 いずれにせよ、リリスにその世紀を生きる意思はない。

 国がほろぶのだ。

 皇帝たる者も供に没するべきであろう。

 冷血による統治を忌み嫌った人間たちがどのような新世界を築き上げるにしろ、そのようなものは彼女の関心のはるか外であった。


 いったい、いままでこの広間でどれほどの政策を立案し命を下してきたことだろう。

 最後には傲慢な大貴族たちの反対を押し切って、人間たちとの共存政策をさえこころみたのである。

 一ときはそういった努力が実を結ぶかと見えたこともあった。

 だが、結局はその夢も戦火のなかに潰えた。

 いまはもう、彼女に為すべきことは何ものこされていない。

 逃がすべき者たちは他国へと逃がしたし、

 決して人間どもの手にわたしてはならぬ宝は眷属(けんぞく)たちに任せて封印させた。

 あとはただ、

 一千二百年に及んだ生の最後のひと幕をゆるりと楽しみ尽くすだけだ。

 あまりにもわかり切った予定調和の展開がいっそたいくつなほどだった。


 ちいさくため息を吐き、美麗な銀杯に注がれた最後の赤い液体をのみほす。

 口中に、

 どのような美酒とすらくらべものにならぬ芳醇な生命の味わいがひろがり、

 からだじゅうが燃え立つような陶酔とともにそれまでの倦怠感がいっきに消え去る。

 長い節制の日々のなかで衰えかけていた生命力が恢復したのだ。


 彼女はほろ苦い微笑をうかべた。

 やはり、どれほど否定しようとしてもこの悦楽だけは否み切れぬ。

 彼女たちの種族が生きるにあたって欠かすことができないその至高の液体、

 それはほかならず、

 生きた人間から絞り取った血液なのであった。


 この習慣ゆえに、人間たちはリリスの種族のことをあの忌まわしい名で呼ぶ――

 ()()()、と。


 室外からひびいてくるたたかいの音をなにか沈鬱な音楽のように聴きながら、

 ゆっくりと目をつむる。

 あたたかい血をもつ人間たちがどれほど口汚く非難しようと、

 彼女たち冷血が生きていくためにはどうしても人の生き血を乾すことが欠かせない。

 その意味では、そもそも冷血と人間、

 捕食者と被食者であるふたつの種族の平和な共存は不可能なのだ。

 その不可能を成立させようとする滑稽なほどむなしい努力の数々を、

 いま、思いだし、リリスは首をふる。

 ふたつの絶対的に異質な種族のあいだに橋をかけられると、本心から信じたこともあったのだ。

 いまとなっては、愚かな発想であったと思うしかないが。


 ともかく、最後のときは来た。

 どうせ滅びるのだとしたら、せいぜい人間たちの記憶に呪われた伝説と受け継がれるような凄愴な最期を遂げてやろうではないか……。


 ところが、運命は最後に予想を裏切った。

 初めにそのへやのとびらを開いて入ってきたのは、

 白い甲冑に神聖青十字の紋章をきざんだ叛乱軍の兵士ではなかったのだ。


 それは、

 その長身を赤黒いかえり血でぬらし、修羅の形相をうかべた、ひとりの精悍な貌立ちの若者であった。

 なぜか白いその髪も血にぬれ、琥珀いろをした双のひとみは爛々と煌めき、

 あらい呼吸をととのえようとする口もともやはり血をあびて赤に染まり、

 いまのいままですさまじい死闘を続けていたせいだろう、

 その肉体から青白い鬼気を立ちのぼらせているようすら見える。


 むろん、リリスはその貌を知っていた。

 知っているどころではなかった。

 かれこそは彼女の長い生涯でたった三人のみ生み出した眷属のひとりだったのである。


「モナサッド」


 その青年の名を呟く。

 〈第三の眷属〉モナサッドはひとつふうっと重たい息を吐き出すと、

 無言のまま剣をひと振りしてその血を払い、赤いじゅうたんをリリスのほうへ歩み寄ってきた。

 その剽悍(ひょうかん)な姿はあたかも一匹の豹のよう。

 たたかうためにこそ生まれ、たたかいのなかでこそ輝く孤高の生きもの。


 そのまま白亜の広間をゆっくりと縦断し、リリスの足もとでひざまずく。

 このたけだけしい人食いの豹がただひとり絶対の忠誠を誓う大君主こそリリスなのであった。

 彼女はその白皙に優にやさしい微笑をうかべ、この最後の忠臣の功をねぎらった。


「よく帰ってきた。立つが良い」


 なぜ帰ってきた、授けた命はどうしたなどと訊ねはせぬ。

 かれがこの広間へ帰還してきたからには、その任は果たしたに違いないとわかっていた。

 それだけの信頼を抱いているからこそ、かれとほかふたりの眷属たちに〈秘宝〉を任せたのだ。

 それらだけは決して叛乱軍に、いや、人間たちにあたえてはならないものであった。

 かれらにはその力は使いこなせない。その真価を理解することさえできないだろう。


「はい」


 モナサッドはそのままの格好で貌を上げ、立ち上がった。

 その黄色いひとみが正面からリリスの美貌を映しだす。

 それは、

 一見すると芳紀(ほうき)十五六の、

 深紅の双眸と白銀の髪をあわせ持つ絶世の美少女としか見えぬ姿である。

 この世の美の結晶、

 あまりにも完璧に整っているためにかえって非人間的で冷淡な印象をかもしだすといわれる青褪めた白皙は、

 しかしいま、

 とじられた花がわずかにほころぶように窈窕(ようちょう)たる微笑をたたえている。

 右腕はひじ掛けに投げだされ、

 左腕には世界最大の碧玉(サファイア)を嵌めこんだ黄金の王杓(おうしゃく)


 〈しろがねの大君主〉の令名こそひろく知られているものの、

 その、むしろきゃしゃにしか見えない痩身にダークブルーのドレスをまとったこの可憐な娘が

 白薔薇の千年帝国を統べる偉大な皇帝であるとは、たいていの人間は思わぬことであろう。

 わずかに柔らかくふくらんだ胸もとには皇帝のみ使用できる白薔薇の紋章がきざみこまれているが、見逃せばそれまでのことだ。

 あるいは、

 この一室に入りこんできた敵兵たちはまさかこの人物がめざす宿敵であるとは思わず、一とき困惑するかもしれなかった。

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