茨の楽園の少年
小さな頃からずっと
聞かされていた物語があった。
それは、どこかに茨の楽園があって、
私達の一族は そこで最初生まれたんだと
なんども なんども 聞いてきた。
いま、そこに 僕は立っている。
言い聞かせていた 大人たちは
もう 誰もいないけど、
やっと見つけた 茨の楽園。
そこは、誰も入ったことがないはずなのに
誰も場所を知らないはずなのに
古びた白いピアノがあって、
僕はそこで
懐かしい唄を 奏でたんだ。
柔らかい茨たちが すこしずつやってきて
慰めるように 僕を撫でる。
泣きながら僕は 一族の唄を歌う。
やっと見つけた 茨の園
森の奥深くにあるそれは
人の気配も動物の気配もしない
箱庭のようで
木漏れ日が 柔らかくピアノを照らしていた。
古びた音が鳴って
僕しか聞いていないのに
凛と響いて 森を染めた。
大昔からあるそこは
瓦礫が散乱して
でも それでも 美しかった。
植物と僕だけが息をする。
誰も 僕以外は もういない。
散々 聞かせてくれた大人たちはもう
一足先に 向こうへと行ってしまった。
できれば皆で来たかったけれど
それはもう 叶わない。
だからせめて 奏でよう
この古びたピアノで
木漏れ日の中 過去の自分へ
お便りを書くように。
拝啓 君は 生きてますか?
姉さんは元気ですか
皆は元気ですか
もっと 大事な言葉を
今のうちに 伝えておいてほしい。
照れたり 恥ずかしがったりしないで。
母さんの作ってくれた料理を 味わって よく食べて
お皿洗いくらい やりなさい。
そして ごちそうさまと美味しかったよと 伝えてほしい。
そのうち できなくなるから
したくなったこと全部、できなくなるから
父さんと今のうちに 釣りでもなんでもして
早すぎるお酒を飲んで 語り合えばいい。
どうかその時は
父さんのようになりたいって
ちゃんと伝えておいで。
もう二度と 会えなくなるから。
布団で寝たら 早起きして
風を吸って 陽を浴びて 羊たちを撫でて。
何もかも 消えるから
ある日突然 なくなるから
悲しまないでほしい なんて言っても
無理だろうけど
どうか 君は
すべてを憎まないで
明日を生きることを 選んでほしい。
大人になって みんなに会いたかったけれど
それはもう 叶わない。
大人になった僕を 親に見てほしかったけど
それはもう 叶わない。
もう あのときの姉さんより
僕は歳が上になった。
あのとき ただ笑って
毎日 旅して 生きてただけの 子どもの僕へ
今はもう ベッドで苦しんで
毎日 窓から同じ景色ばかり見ているよ。
笑って、泣いて、怒って、
幸せそうにしていた僕はもういない。
でもせめて この唄は 歌わせてほしいんだ。
小さいころ なんどもなんども
聞かせてくれた この唄を。
それが鎮魂歌になるのなら
僕は何度だって ピアノを奏でるから。
小さな君へ、今の僕より。
そうして 僕は なんどもなんども 歌って弾いたんだ。
何もかも突然に来て すべてを奪われることがある。
ある日急に 景色が真っ赤に燃えることがある。
それは自然だったり 人の手だったりもする。
もしかしたら 楽園に来たら
みんなに会えるかもって 思ったけど
ここには何もいなかった。
でも、僕は久しぶりに泣けたんだ。
ずっとずっと、あの時から泣けなかった 意味を
僕はわからなかったけど、
ここにきたら わかったよ。
凍らせていたんだ あの時から。
今 それが少し 溶けて涙が出てきたんだよ。
過去の思い出が
心の奥底からどっと溢れてきて止まらない。
ずっと忘れていたんだよ。
思い出さないようにしていたんだよ。
茨まみれの楽園の中、
やせ細った少年は
古びたピアノを 奏でてる。
一筋の 美しい涙を流しながら、
ありし日の思い出を
重ねて 重ねて 歌ってる。
何度も 愛し 愛された 日々を。
もう二度と 叶わない
愛おしい ありきたりの日々を……………………。