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婚約者に没落させられる可哀想な令嬢に転生したけれど

作者: 春日井

この世に落ちて十三年、何でもないいつもの朝。

ベッドの上でいつも通りに起き上がった私は、今までの私とはちょっと違っていた。


「……私、死んだの……?」


目が覚めたら、何故か急に前世を思い出した。


柔らかいふかふかのベッドに、肌触りの良いネグリジェ。緩く波打つ淡い桃色の長い髪に、白く瑞々しいほっそりとした腕と手。慌ててベッドから駆け降りて覗いた鏡に映るのは、くりくりの丸いマリンブルーの瞳をした、まるで人形のような少女。

これが自分だとしっかり認識出来る。

認識出来るくせに、人形のようだなんて今まで全く感じた事のない感想が浮かんでくる。


「……夢じゃ、ない」


今の私の名前は、ノエル・ヴァルツァー。ヴァルツァー侯爵家の娘で、父親は財務大臣を務めている。母親は元々公爵令嬢で、政略結婚ではあったが両親の仲は良い。五歳下の弟が一人居て普通に平和な家族だ。

入学したばかりの学園では成績も良いし特に問題児と言う訳でもない。婚約者も居て、順当に行けば学園卒業後に結婚の予定。

順風満帆、これから先も穏やかで幸せな道が続いていく筈。

なのだが。


前世の記憶が蘇り、私は気が付いてしまったのだ。


「私、婚約者に没落させられる、可哀想なヴァルツァー嬢だ……!」




前世の自分は葉月斗羽(はづきとわ)と言う名の就職したばかりの書店員だった。

本を読むのが昔から大好きで活字なら割と何でも読む本オタク。

同棲中で「もっと稼げるようになったら結婚しようね」と婚約指輪をくれた最愛の恋人も居たし、特に際立った何かがある訳ではないが平和で幸せな毎日を過ごしていた筈なのだが。


「……死んだ記憶がない……」


どうして死んだのか全く覚えていない。

もしかしてこれは夢だろうか、と思いつつも今のノエルとしての記憶はしっかりとあるので恐らく死んだのだろう。

最愛の恋人を残して、死んでしまったのか。


「……(ゆず)くん……」


ごめん、死んじゃってごめん。結婚しようってずっと言ってくれていたのに、結婚出来なくてごめん。

思わず左手を眺めて、指輪も嵌まっていない小さな手に胸がつきんと痛んだ。


暫くベッドの上で落ち込んだものの、今のところどうしようもない事だ。落ち込むしか出来ないので、とことん落ち込んでから頭を切り替える。

とりあえず今思い出してしまったこの人生の、未来の話を纏めよう、と深呼吸をする。


さて、ここはそんな前世で流行ったライトノベル、長かったのでタイトルは忘れてしまったが断片的に内容は覚えている。

主人公のマロンは市井で育てられた町娘。可愛らしいマロンはいつも明るく優しいみんなの人気者だったが、ある日両親から「本当は私達の子ではない」と告げられる。

本当の親が実は今の王弟であると告げられた翌日、マロンは王弟一派の貴族の元へと引き取られ、生活は一変。今まで忙しくも楽しく自由に動き回っていたマロンに課せられたのは、貴族のマナーや立ち振る舞いを完璧に習得する事。

来る日も来る日も厳しい授業にぼろぼろと涙を零し、とうとう逃げ出そうと決意をして屋敷を飛び出した先で、マロンは運命の出会いを果たす。

そこで出会った男の子に親切にしてもらったマロンは名も知らぬ彼に一目惚れ。名前も分からずに別れてしまったが立ち振る舞いから貴族だろうと察した彼女は、彼に釣り合う女になるべく、今まで泣き崩れるだけだった授業に真剣に取り組むようになる。

二年後、何処に出しても恥ずかしくない淑女となった彼女はとうとう貴族の通う学校へと中途入学し、そして運命の彼と再会する——

と言うのがあらすじである。

その後再会して淑女なりにアピールを続けた結果、無事彼と恋仲になるのだが、二人には大きな問題があった。


その彼には、幼い頃からの婚約者が居るのだ。

しかもその婚約者は品行方正、周りの人間からの信頼も厚く、何より美しい女性だ。マロンと恋仲になるまで彼も特に婚約者への不満はなかった為二人の仲は良好で、鴛鴦夫婦なんて揶揄されるくらいだった。

余程の事がない限り二人の婚約解消は有り得ない。

だがマロンを愛してしまった彼は、どうにか婚約を解消する方法を探す。


そして結果、彼は婚約者の信頼を利用して様々な細工をし、彼女の家を没落に追い込むのであった。


いやいやいややりすぎじゃない?! まず話し合いとかしようよ!

と当時読んでいて思ったものである。

最後の後書きに『ヴァルツァー嬢みたいな可哀想な女の子が闇に堕ちて魔王化してラスボスになる話もいいかなって没落させたけど書ききれなかった』とあったのでヴァルツァー嬢は何にも悪く無かった訳である。

悪いのはクソみたいな婚約者と作者だ。


なんでこんなラノベが流行ったのかと言うと作者が元々売れっ子だった事と、絵がめちゃくちゃ綺麗だった事が挙げられるだろう。

因みにこの後二人の話は王国を巻き込む冒険譚になり五巻くらいまで続いたが、結局ヴァルツァー嬢は一度も出てこなかった。冒険の部分は普通に面白かった。


と言う訳で、そのあんまりにも可哀想なヴァルツァー嬢に私は生まれ変わってしまった訳である。

私はともかく、あんなに素晴らしい両親や弟を巻き込むのは許せない。

何より婚約者であるセス・ベッカー公爵令息含めベッカー公爵家は我がヴァルツァー家とは公私共に非常に懇意にしている。それなのに簡単に切り捨てるなんてあんまりではないか。


「セス……」


今の現状を理解して暗澹たる思いになる。

二つ年上の彼には大事にされていると思う。

ただそれが恋情かと問われれば、そうではないのかもしれない。

彼はいつだって私に優しく丁寧に接してくれた。

私はそんな彼にちゃんと恋をしていた。

でも、いずれマロンと恋仲になりあんな無様に切り捨てられるくらいなら。

事業の関係もあるから簡単に婚約を解消出来はしないかもしれないけれど、一家全員没落するくらいなら破棄してやる。

セスは好きだけれど、好きだったけれど、あんな事するような男と家族を比べたら家族の方が間違いなく大切だ。


それに前世で恋人にそれはそれは大事にされた記憶を思い出したから、尚更愛のない結婚は嫌だ。

本当は柚くん以外嫌だけれど、この世界の常識が頭に入っている以上高位貴族としての自覚もあるから我儘を通せない事も知っている。

なら私を好きで、大事にしてくれる人の方が良い。


「よし」


とりあえずいつ婚約解消しても良いですよアピールから始めよう。





「ノエル、君の好きなケーキを買ってきたよ」

「まぁ、有難う御座います」


前世の記憶を思い出してから二日後、今日は月に二度のお茶会の日だ。

セスは毎回手土産に私が好きなお菓子を持ってきてくれる。

今日は前世でも大好きだったオペラケーキ、思わず顔がにやけそうになる。

ちゃんと食前のお祈りを済ませ、フォークを片手にちまちまとケーキを切り分けては口に運ぶ。口の中に広がるガナッシュを舌でゆっくり味わうと幸せな気持ちになれる。


「ノエルはそのケーキ、本当に好きだね」


彼はテーブルに頬杖をついてくすくすと笑いながらこちらを眺めてくる。全く手をつけられていないケーキは、私に譲るという意思表示。

そういうところ優しいよな、と思いながら私は手を止めてセスを見詰めた。

柔らかい表情を浮かべる彼の瞳は、家族に向けるような慈愛の色を浮かべている。そこに決して恋情は無い。前世を、柚くんからの恋い焦がれるあの瞳を、思い出さなければ気付かなかったかもしれない。


「セスも一緒に食べましょう」

「おや、君が欲しがると思ったんだけど」


揶揄うように意地悪く笑われて、私は頬を膨らませる。そこまでがめつくない、と不貞腐れれば笑われる。

まるで兄妹のような関係だ。


「一緒に食べるともっと美味しいんです」


前世の恋人も私が食べるのを見て満足するだけだったからこう言って食べさせたものだ。一人で食べるより二人で一緒に食べた方が美味しいって、そう伝えると彼は笑いながらようやく食事をする。

嬉しそうに微笑んで、私を膝に乗せてケーキを食べさせてくれた事もある。彼の腕の中に居れば幸せだって分かるから、私もそこに座るのが大好きだった。

逢いたいなぁ……。


「ノエル?」


つい昔の事を思い出して感傷に浸っていると、セスに声を掛けられたのではっとする。

いけないいけない、こうも恋人に引っ張られてしまったら迷惑を掛けてしまう。


「どうした? 顔色が悪いよ」

「い、いえ。昨日ちょっと遅くまで本を読んでいたもので……」


咄嗟に嘘を吐いて笑えば、セスはイスから立ち上がって私の傍にしゃがみこむ。優しく手を取られ、下から覗くように顔色を窺われて思わず視線を逸らして俯いてしまった。

こういう優しいところが、ずっとずっと好きだった。

今なら分かる、彼とおんなじなんだ……。


それでも、セスの瞳に恋情は全く見えない。

どんなに彼に似ていても、セスは彼ではない。

私を見て愛おしげに微笑む彼とは、違うのだ。

仕舞い込もうと必死に抑えている彼との記憶が、セスに重なって溢れてしまう。

思わず込み上げてくる涙を何とか留めて、俯いていた顔を上げる。


「ちょっと熱っぽそうかな、今日はゆっくりお休み」

「……はい」


あやすように優しく髪を撫でられて、思わず目を閉じる。

彼もよくこうして頭を撫でてくれた。少し高めの体温が心地良くてすぐにうとうとしてしまって、仕方ないなと抱き上げられてベッドに運んでもらったものだ。そのまま一緒にシーツの中に引き摺り込んで抱き締めあって眠るのだ。


ゆったりとした微睡みの中、優しく抱き上げられた気がした。

抱き上げられる瞬間、彼の腕の中がとても好きだったのに。ふわりと香るのは彼からするおひさまみたいな優しい匂いではなくて、貴族の嗜みとしてのコロンの香り。

その現実があまりにも悲しくて思わず涙が溢れてしまった。


「ノエル? 大丈夫、怖くないよ」


意識が落ちる寸前、そんな優しい声がしたけれど私は何も応えられなかった。

彼に逢いたい。



あれから頑張って気持ちを整理しようと思ったが、今までのセスを思い返せば思い返すほど、柚くんを思い出してしまって駄目だった。

行動から、仕草から、些細な事柄から彼を見つけてしまう。そのくらいセスは彼に似ていて「もしかしたら彼も生まれ変わったのかな」なんて期待してしまうくらいだ。

でも本当にそうなのだとしたら、彼は亡くなってしまったと言う事だし、その彼に愛されていないのだと思うと、とても辛くて心が痛い。

もし彼が、私が死んだ後に他の人を好きになって、幸せな結婚をして、そうして私を忘れていたのだとしたら。なんてどうしようもない事を考えてしまう。


目の前にセスが居ると、彼を思い出して他に何も考えられなくなってしまう。

この状態で今まで通りに上手く喋れる気がしなくて、初めてお茶会を断った。代わりに送られてきた花束とこちらを気遣ってくれる直筆の手紙にさえ情緒不安定で、親に心配されて休息を取るように言われてしまった。

こんなぐちゃぐちゃになるくらいなら思い出したくなかった。

今までずっと幸せだったのに、これから先の未来も、セスへの恋も、全部滅茶苦茶になるのだ。


一人きりの部屋の中、ソファで丸くなってあれこれ考えていたら頭がパンクしてしまったようで気が付いたら気を失っていたらしい。

目が覚めたらベッドに寝かされていて、頭は痛いしとっても寒いし視界はぼんやりしているし、熱だなと気が付いた。


「姉さま!」


声が聞こえた方を向くと、弟のエリオットが心配そうにこちらを覗き込んでいた。

大丈夫だと伝えるために重い腕で彼の頭を撫でてやると嬉しそうに笑ってくれる。

そのままチェストに乗せられた水差しから、ゆっくりと水を注いでくれて、身体を起こした私へと差し出してくれた。


「有難う、エリオット」

「どういたしまして、父さまと母さま呼んでくるね!」


にっこりと笑ったエリオットは、そう告げると部屋を後にした。

部屋の隅で見守ってくれていた侍女のサーヤが代わりにこちらへと近付いてきて、私の身体を軽く拭いて整えてくれる。


「ごめんなさい、気絶していた?」

「心臓が止まるかと思いました! 全く御返事が無かったのでお休みになられているのかと思えばソファに倒れ込んでいて……。お嬢様、苦しい時は我慢せず我々を呼んでください」

「ごめんなさい……」


でもこの痛みと苦しみはどうにも出来ない。

ぎゅっ、と心臓の辺りをネグリジェの上から握り締めるとサーヤに心配そうな顔をされた。

コンコン、とノックをされて顔を上げると、開かれた扉からエリオットが駆け込んできた。


「姉さま、戻りました!」

「おかえりなさいエリオット」


よいしょ、とベッドに潜り込んでくるエリオットを受け止めて頭を撫でると笑ってくれる。

エリオットの後から部屋に入ってきた両親が、その姿を見て優しく微笑んでこちらに近付いてきた。


「ノエル、体は大丈夫そうかな」

「大丈夫です。ごめんなさい、お父さま……」

「いいんだよ、謝らなくて。無事ならそれで良い」


父にエリオットごと抱き締められて、父が離れると母にも抱き締められた。

家族の事はちゃんとノエルとして受け止められるのに。


「何か困った事があったら私に言ってごらん、私が何とかしてあげるからね」


その優しい笑顔に小さく頷くと、大きな手のひらで頭を撫でられた。

その後ベッドに身を預けたまま軽くご飯を食べてお喋りをしてから「姉さまと寝る!」と高らかに宣言したエリオットを残して両親は部屋を後にした。


腕の中で眠るエリオットを抱き締めて私も目を閉じる。

頭が熱くて今は何も考えられないから、眠ってしまおう。




翌日、本格的に熱が出た。

エリオットが心配して傍に居ようとしてくれたが、家庭教師が来たようなので見送った。「終わったらすぐ来るからね!」と泣きそうになりながら部屋を出る弟はやはり可愛い。


そう言えば前世ではよく季節の変わり目に体調を崩して寝込んだ。

そんな時は柚くんがハチミツとちょっぴり生姜を入れたホットミルクを作ってくれて、大きな手で頭や頬を撫でてくれた。猫舌でも飲めるくらいの適温のミルクをちまちま飲みながら彼にあやされると、心地良くてすぐ寝落ちる。目が覚めれば柚くんが幸せそうに笑う顔が一番に視界に入るし、偶に一緒に眠ってしまった柚くんの寝顔も見られるし、そこまで含めて幸せだったから寝込んでも嫌じゃなかったな。

なんて思いながら重くなった瞼に逆らわずにうとうとする。


どのくらい時間が経ったのだろうか。

まだ自分が眠っているのか起きているのかも分からない微睡みの中、ゆっくりと頭を撫でられて髪を梳かれた気がした。


「ゆず、くん……」


思わず声に出してしまったけれど、夢ならいいかな、とその熱を享受する。

何の返答もない筈の問いかけに、くすくすと笑い声がした。


「なぁに斗羽」

「……ゆずくん……?」


夢だろうか、懐かしい彼の優しい声が聞こえた気がする。頭を撫でてくれる手の動きも、汗で乱れた髪を直してくれる指先の動きも、全部懐かしい。

心地良くてこのままずっと微睡んでいたい。

でも夢ならせめて一目だけでも見たいな……、と張り付きそうな瞼を持ち上げた。


「どうしたの、眠っていいんだよ」


視界に入ったのは、くすくすと楽しそうに笑いながらベッドに腰掛けて私の頭を撫でているセスの姿だった。


「……セス……?」


どうして彼が。


呆然として眠気が吹き飛んだ。辺りを見回せば間違いなくここはノエルの、私の部屋で、ベッドの縁に腰掛けているのは柚くんではなくセスで、今までのはやはり夢だったのかと落胆してしまう。

涙腺が緩んでいるのかぼろぼろと涙が溢れてしまったのは仕方がないと思う。

だって全く整理がつかないのに、こんな追い討ちをかけられたら感情が追いつくわけがない。


「ふ、ぅ……、ぅえ……、やだ、やだぁ……!」


もう嫌だ、全部嫌だ。制御出来ない感情が爆発して、意味を成さない言葉になって溢れ出す。

やだやだと駄々っ子のように泣き喚いていると、急に泣き出した私に混乱していたセスに頬を挟み込まれた。

ぐい、と涙でぐしゃぐしゃの真っ赤な顔を無理やり上げさせられた。

滲みまくった視界が捉えたのは、セスの端正な顔。

その筈なのに、その顔にあるまじき色を見付けて、思わず息を止めた。


「俺を見て、斗羽」


そう迷いなく告げる名前は、私の名前で。

何より彼の瞳には、間違いなく恋情が浮かんでいた。

前世で私を見つめる柚くんと同じ、全く同じの瞳。


「っ、ゆず、くん……っ!」


止まっていた息を吐き出して、思い切り彼の腕の中へと飛び込んだ。背中に腕を回して胸に顔を埋めると、力強く包み込まれる。柚くんと同じ抱き締め方。

わんわん泣き喚く私の背中を優しくさすり、旋毛に何度かキスを落とした。「大丈夫、大丈夫だよ」と甘やかしてくる声に逆らわずにめちゃくちゃに感情を吐き出して、その度に彼によしよしと撫でられる。


「ゆずくん、ゆずくん」

「うん、なぁに」

「すき、だいすき」

「俺も大好きだよ斗羽。愛してる」

「ん、うん……。よかった……」


愛している、と言われてようやく落ち着いた。

好きでいてくれて良かった。

好きなままでいてくれて、良かった。


ほっとしたら身体が重くなってきた。

瞼をこすると、彼は笑いながら「こら」と私の手を掴んで止める。


「眠いならちゃんとおやすみ」

「……うん」


このまま引っ付いていれば彼は逃げられないだろうし、もう動きたくない。

記憶を思い出してからようやく安心出来て、幸せな気持ちのまま眠りに落ちた。



あの後目が覚めたら「おはよ」と美少年が微笑んでいた。柚くんの顔面には慣れているが、セスのドアップには全く耐性がなかったので思わず固まってしまった。

カーテンから差し込む陽の光は、明らかに午前中の爽やかな日差し。昨日お昼は過ぎていたので、どうやら私は半日以上爆睡をしていたらしい。


「斗羽は勿論可愛かったけれど、ノエルの寝顔でも可愛いね」


なんてさらりと告げられたが、この世界で十を過ぎた男女が、いくら婚約者同士とは言え同じベッドで一夜を共にする事の重大性が分かっているのだろうか。

瑕疵にもなるし醜聞にもなる、と呆然としていると彼は優しく私の髪に触れて指を通した。


「言わなきゃバレないし、結婚するんだからいいよね?」

「で、でも」

「因みに君の御両親から許しは得ているよ、なら誰が反対するって言うのさ」


親公認だった……!

まぁ十三と十五の男女だし、そこまで心配する事ではないと思うけれど……。


「って、結婚するの……?」

「…………は…………?」


地の底から響くように低い声を出されて、地雷を踏んだ事を悟った。逃げようとベッドから降りようとするが、それよりも早くセスに捕まりベッドに縫い付けられた。

押し倒されている形だが、色気も何もない。美少年は怒り顔も綺麗なんだなぁ、と思考を飛ばそうとしたら片手で器用に私を抑え込んだ彼は、もう片手で優しく目尻を撫でる。あんまりに優しいからついそちらを向くと暗く澱んだ瞳と目が合った。

思っていた事洗いざらい吐け、と言われて、でもだってと言い訳をしながら愛してくれていないセスとなんて嫌だ、柚くん以外嫌だったと漏らせばようやく腕が緩んだ。


「俺じゃなきゃ嫌、か。まぁ許そう」

「柚くんいつから記憶があったの……? お見舞い来てくれた日?」

「俺は元々セスだし柚だよ」


腕を組んでむす、と拗ねる彼に思わずぽかんとしてしまう。


「つまりセスは最初から記憶があったって事?」

「そうだよ」

「え、じゃあ……」


私は無駄な事を考えて頭ぐちゃぐちゃになって熱までだしたというのか。

えぇ……、と思っているとセスがこちらに向かって両腕を広げたので反射でその腕の中に飛び込んだ。

がっちりと抱き締められるそれは、柚くんが私を慰める為にしてくれる動作。


「セスは、ノエルの事好きじゃなかったじゃん……」


ぐす、と鼻を啜ると優しく頭をぽんぽんとされた。ぎゅっ、と服の裾を握り締めて顔を埋める。香るのはコロンも何もない彼の匂い。


「ちゃんと好きだよ」

「うそ」

「嘘じゃないよ、ノエル以外と結婚する気なんてない」

「うそだぁ」

「嘘じゃない。ただ、愛してはいなかっただけだよ」


顔上げて、と言われておずおずと顔を上げると彼は破顔した。

多分赤くなっているであろう目尻と鼻先にキスをされて、少し落ち着く。


「ノエルが斗羽だとは思ったよ」

「うん……」

「本当に好きだよ。記憶もないくせに全然変わらないし可愛いし、一生大切にしようって宝物だと思っているし、セスを好きでいてくれたし」

「ん……」


ふわふわと髪を楽しそうに弄られて、そう言えば髪梳かしてないから爆発しているんじゃ。なんて今頃気付いた。それでも愛おしげに見つめられて体に触れられると堪らないので、そっと身を寄せる。

はは、と楽しげな笑い声に安堵する。


「でも俺はね、俺と一緒に時間を重ねた斗羽を愛しちゃってるから。だから、やっぱりどうしたって記憶の無いノエルと斗羽を重ねて差はつけたよ」

「柚くん……」


ぎゅっと抱き締めると力強く抱き締め返される。

そうか、柚くんは今までずっと、記憶を思い出してからの私のような思いをしていたのか。

好きな人なのに愛した筈の人になり切れない存在として、それでもノエルを慈しんでくれたのか。

またぼろぼろ涙が溢れてくるから、セスが困ったように笑って拭ってくれる。


「はは、お前は本当に泣き虫だね」

「ゆずく、ごめ……ごめんね……! わすれて、忘れちゃって、ごめ……」

「いいんだよ、もう大丈夫だから。斗羽」


ぐちゃぐちゃの顔もやっぱり可愛いねぇ、とのんびりとキスしてくれるからもうずっと涙が止まらない。

頭が痛くなるくらい泣いたのなんて久々すぎて、朝から体力を削られてしまった。

ふらふらだけど起きないと、と思い体を起こそうとしたら彼に引き寄せられてベッドへと戻される。上からシーツをかけられて胸元をぽんぽんと叩かれると睡魔に襲われてしまいどうしようもない。


「柚くん……」

「ほら、眠いなら寝ちゃえ」

「自堕落……」

「今はまだ子供だからいいんだよ」

「……夢じゃない……?」


小さく不安を漏らせば、彼は目を丸くしてから、くしゃりと笑った。


「起きてもちゃんと、お前の傍にいるよ」




起きたらちゃんと彼が居た。

私が寝ている間にお父さまと一悶着あったらしいが誠心誠意伝えて結婚の許可を得ただの、死因を覚えていない話をしたらなるほどねと何故か納得されたり、エリオットが私を泣かせたと勘違いしてセスに勝負を挑んだりと色々あったが。


「そういえばここ、ラノベの世界だって知ってた?」

「斗羽が読んでたやつでしょ、セスがクズって事しか記憶にないけど知ってるよ。まぁ俺がセスになってるし、ヒロインも見てないし、何かあってもノエルだけは守るから安心して」


この先の私の未来は没落もせずどうやら明るいらしい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 原作のヒーローは酷いやつですね。 ヒロイン出てからの二人も読みたいです。
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