0018 『太陽への道』
ダイスさんに新しい名前を貰ったのが『死の夜』から四日後のこと。
それから二日が経った現在、俺はダイスさんと共にニンショウ村に戻って来ていた。
「はぁ、予想はしてたけど結構きついもんだな」
六日前に起きた『死の夜』、俺は〝先祖返り〟によって〝悪魔化〟の魔法を得て、ニンショウ村に迫る二〇〇体を越える悪魔の大群と対峙した。
その際に、悪魔の姿で村を焼いた。
他の選択肢を模索する余裕が無かった。
それでも、村人たちに事情を説明するくらいは出来たはず。
「それを怠った、俺が悪い……自業自得ってやつだな」
義理の妹達は悪魔の姿をした俺を見て怯え、その表情を向けられることに耐えられず何も言わずに火を放ち、村を救った英雄ではなく、村を焼き払った悪魔になった。
その後の村人達は再び悪魔に襲われることを恐れ、気が気でなかったらしい。
そして、その恐怖を治めるためには悪魔の亡骸が必要となる。
「俺の代わりになってもらった兎には悪いけど、俺はまだ死ぬわけにはいかねぇんだ。ごめんな」
ニンショウ村に戻る途中で一羽の兎を狩って、悪魔の生首に偽装した。
生首が偽物だとバレないように炎にくべるように村人たちを誘導し、俺自身はダイスさんから借りたローブを着て素性を隠している。ローブには〝認識阻害〟の魔法陣が刻まれているため、村人たちに俺の正体は気づかれていない。
『死の夜』、恋人の左腕の前、悲劇と絶望に動けなかった俺に〝悪魔化〟を授けてくれた謎の男。彼がくれた仮面にも同じ魔法陣が刻まれていたらしいが、所々砕けて〝認識阻害〟は発動できないそうだ。
「ダイスさんに訊いてみたけど、あの人のことは分かんないみたいだったし。あと、これからは兎を大切にしよう」
焼き尽くされ炭化した兎の亡骸。
それが悪魔への憎悪を吐き出し切れていない村人によって踏み砕かれる光景に酷く胸が痛む。
なんせ、憎悪の全ては罪なき一羽の兎に向けてではなく、俺に向けられたものなのだから。
「さて、そろそろ村長とダイスさんの話も終わった頃だろうし―――」
「―――きゃっ!」
「すみません! 大丈夫ですか」
立ち上がり、村の出入口に向かおうとしたところで女性とぶつかり、女性に尻餅をつかせてしまった。
感傷に浸っていたせいか、注意力が散漫としていたみたいだ。
〝認識阻害〟のローブがあるとはいえ、素顔を見られたら俺の正体に気付かれるかもしれない。念のため、口調も普段より丁寧にしてるのに、バレたら意味がない。気を付けないと。
「いいえ、こちらこそ。ぼーっとしていたみたいで」
「村を焼き払った悪魔が討たれたんです、気が抜けるて当然ですよ。それより、怪我はありませんか?」
「ええ、私は大丈夫です」
「それは良かった。では、僕はそろそろ」
「はい、この度は村を焼いた悪魔を討って頂き、ありがとうございました」
女性に怪我がないことを確認して再び村の出入口へと向かう。
故郷の村の現状と知り合いの安否は確認できた。
自身に向けられた憎悪と自身の犯した罪を胸に刻んだ。
この村に、故郷に、未練は山のようにあるが、これ以上できることもやるべきことも残されていない。
だというのに、
「待ってください!」
俺を呼び止める女性の声に、普段の格好良さが鳴りを潜めたマイン・ビレアンの声に、足を止めてしまった。
◆◇◆◇◆◇◆
「お呼び止めしてしまって、すみません」
「いえ、別に構いませんが。どうかなされましたか? やはり、どこか痛むのでしょうか?」
マイン・ビレアン。
魔法学校の教師にして、レンヤ・アルーフの義理の母親。
今の俺にとっては、赤の他人だ。
「そいうわけではないのですが……その、貴方を見ていると何故だか」
見知った顔、聞きなれた声。
しかし、俺は知らない。これほどまでに弱った姿は見たことがなかった。
全部が全部、既に一方的なものだ。
変わらないマインさんの全てが、変わり果てた俺の心を抉る。変わってしまったマインさんの全てが、平穏を壊し、変えてしまった俺の心を切り裂く。
それでも、耳を塞がない、目を逸らさない。おそらく、これが今生最後の母との会話となるのだから。
「息子を思い出して」
「その言い方、息子さんは既に……到着が遅れてしまい、申し訳ありません。僕らの至らなさのせいで……」
「いいえ、滅魔士の方々のせいではありません。息子は私が殺したも同然なのですから」
マインさんは語る。
顔を覆い、崩れ落ち、懺悔するように語る。
遺体が見つかっていないため行方不明扱いとなっている者もいるが、生存は絶望的。レンヤ・アルーフもその一人で、マインさんはレンヤだった俺を校舎に残してしまったことを悔いているのだ。
確かに、校舎に残っていたことで俺は悲劇と絶望に直面し、自身の無力を実感した。
「貴女のせいじゃないですよ。『死の夜』、そんなものが起こるなんて誰一人として予見できませんよ」
「ありがとうございます」
レンヤでなくなった俺が何を言おうと響かない。
赤の他人からの言葉なんて気休めにもならないだろう。
「でも、きっと息子は私のことを恨んででいますよ」
「だから、そんなことはない―――」
「だって、私、悲しんでしまったんです」
「? なぜ、それが恨まれる理由になるんですか? 自分が失われたことを悲しむ人がいる、それは失われた人々にとって最も幸福なことのはずです」
「そうですよね。なら、やっぱり私は恨まれていますね」
マインさんの言っていることが分からない。
俺は、マインさんがレンヤの死を悲しんだと聞いて嬉しかった。
レンヤではなくなってしまったが、『死の夜』を生き残って良かったと思えた。
伝えることはできない。
今の俺はレンヤ・アルーフではないのだから。
「私が悲しんだのは、息子の死ではないんです」
「え?」
マインさんは目尻に溜まった涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がり広場の方へと向き直る。
「もちろん、息子が死んだかもしれないことは悲しい。胸が引き裂かれるほど、喜びが感じられなくなるほど………、でも、私、息子のことと同じくらい悲しんでしまったんです。………この村を焼いた悪魔の死を………」
「……」
「おかしいですよね。ここ数日で色んなことが起きて、起きすぎて、おかしくなちゃったのかもしれません。私と娘の命を救ってくれたとはいえ、悪魔は悪魔。現に村は焼かれ、私たちは多くの大切なモノを奪われました」
「……」
「あの悪魔、魔法学校の方角から飛んで来たんです。もしかしたら、息子はあの悪魔に殺されたのかもしれません。なのに、私は……」
ああ、酷い。
酷すぎる。
もう戻らないと決めたのに、弱かった自分を此処に置いていくと決めたのに、いまさら覚悟の揺らぐようなことを言うなんて。
「あの悪魔が私たちを守ってくれたように思えて……、泣いているように見えてしまって」
なんで、気づいてしまうんだ。
他の村人は誰一人として、妹達ですら、悪魔の姿となった俺を恐れ、拒絶した。
なのに、この人は……
今の俺は、無事も、感謝も、別れすら、伝えられないというのに。
「ごめんなさい、地上を守るために悪魔と戦ってくださっている滅魔士様に話すようなことではありませんよね」
「確かに、酷い話だ。俺達は日々、地上のために戦っているってのに、それを全否定された気分だ。俺以外の滅魔士に同じようなこと言ったら首を跳ねられても可笑しくないし、一般人に言おうものなら気が狂ったと思われるぜ? 気を付けな」
「そ、そう、ですよね……ごめんなさい。私、本当にどうかしちゃってたみたい」
「でも、ありがとう」
はぁ、本当に嫌になる。
滅魔士になる、ガーディアンに入隊する、茨の道を歩む。
そう覚悟を決めた。
俺がレンヤだったと知られるわけにはいかない。
そのためにレンヤ・アルーフの名まで捨てたというのに。
どうやら、信念までは捨てられなかったらしい。
「息子さんは感謝こそすれど、貴女のことを恨んでなんていませんよ。絶対です、言い切れます。まぁ、めそめそ泣いている姿を見て「らしくないな」くらいのことは思ってるかもですけど」
「……え」
「あとは、まぁ、珈琲を奢る約束が遅くなりそうなことを「悪いなぁ」とは思ってるかも」
「貴方は、もしかして……レン―――」
「俺の名前は、グレン。
グレン・サンロード、ガーディアンの新人滅魔士です」
レンヤ・アルーフという人間は、既にいない。
彼だった人間は悪魔の力を手にした灰色の存在となり、自身の憧れである〝太陽〟に至るため茨の道を歩む。
それらは既に決定事項だ。
無力な少年レンヤ・アルーフを誰かが許したとしても、俺自身が無力なままでいることを許せないのだから。
「全部が終わるまでは何も話せない……でも、もし帰ってこれたらなら、格好良く「遅かったわね、寄り道でもしてたの」って笑顔で出迎えて欲しい。その方が、マインさんらしいって思っているはずですよ」
「何も話せないのに、なんで?」
「なんでだろう? ただ、伝えるべきだって想ったんだ」
「……!?」
「本当は正体をバラちゃいけないから、誰にも言わないでくださいね」
村の出入り口と広場は逆方向。マインさんが広場の方を向いて以降、俺は一度もマインさんを見ていない。
今さら、向き直るわけにもいかない。
頬を伝う涙に気付かれてしまうから。
「滅魔士になろうと、悪魔になろうと、変わらないモノがある。
変わり果てた俺を見つけてくれる人がいる。
それだけで十分、救われた。
本当にありがとう」
俺の背へと伸ばされた手が退かれる。
そんな気配がした。
きっと、マインさんは俺を止めようとしたのだろう。でも、直前で止めた。
「いってらっしゃい。珈琲の約束、破ったら許さないからな」
十年間、聞き慣れた溌剌とした声。
十年間、聞いたことのなかった涙を堪えた声。
マイン・ビレアンらしくて、マイン・ビレアンらしくない。
憧憬に向かう息子の背中を力強く押してくれる母親の声。
「いってきます」
本当に良い母親に恵まれた。
心の底から、そう思う。