0017 『名前』
数十分ほど前の戦闘でダイスは「合格」と言って、悪魔にしか見えない俺に止めを刺さず生き永らえさせた。
その後、ここ数日での出来事と俺自身の体に起きた変化について説明を受けている。
「入隊試験なんて受けた覚えはねぇぞ?」
「言ってないからな、抜き打ちテストってヤツだ」
その説明の最後が俺を殺さなかった理由である『合格』が何に合格したかについて。
端的に言えば、ダイスの所属するガーディアンという多国籍地上防衛機関の入隊試験に合格したらしい。
「そういう話じゃねぇ、何で悪魔になった俺を地上を守る組織にスカウトしたんだって話だ」
「それもさっき説明したろ? 数日前の二十万を超える悪魔の大群による大侵攻、ガーディアンは総力を挙げて対応したが、てんで足りなかった」
「それは聞いた。それがどう関係するっていうんだよ」
「まんまだよ。総力を挙げても足りなかったなら、足すしかないだろう? んで、目の前に二〇〇体の悪魔をたった一人で討伐してみせた人材がいる。スカウトしないわけにはいかねぇだろ?」
「……わかんねぇ、俺は数日前に地上全土に悲劇と絶望を振り撒いた悪魔と同じ―――」
「違う、人間だ」
強く断定する言葉。
強く否定する言葉。
ダイス・ブルーバードは、俺が人間だと断定し、悪魔であることを否定する。
「――ッ、何を言ってやがる。テメェも言っただろ、俺の身体に起こった変化は先祖返りによる〝悪魔化〟だって!!」
「ああ、言ったさ、オマエの身体に起こった変化はビーストの〝獣人化・巨獣化〟と同じだって、オレもオマエと同じで〝先祖返り〟をした、とも言った」
「それがどうしたって言いやがる!!」
「わかるだろ? オレとオマエは大して変わらないって言ってんだよ。だから、そんなに怯えるなよ」
怯える?
どうして、何に、何時、誰に、何処で、誰が、怯えた?
わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない。
俺が怯えている?
わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない。
俺は人間、ヒューマンで、悪魔じゃなかった。でも、力を望み、〝悪魔化〟を得た。今は人間の姿をしている。でも、髪は悪魔で。だと言うのに、ダイスは俺のことを人間だと言う。なら、どうして、先祖返りで悪魔になんて。悪魔の血がこの身体に流れているからだ。なら、俺は悪魔ではないのか。そもそも、数日前、〝悪魔化〟が使えなかった俺と今の俺は同一人物なのか、別人なのか。俺は人間なのか、悪魔なのか、俺が誰だったのか、俺は誰なのか、…………
自分の感情が、自分の存在が、わからない。
自分が誰なのか、わからない。
自分を定義する根幹が揺らぎ、自分自身の存在を支える支柱が、魂が、緩やかに倒壊してゆく。
「自分に怯えるな。オマエは故郷を救った英雄だ」
「■■が、■ぁ」
「地上に悲劇と絶望を振り撒いた悪魔じゃない」
「■ぁが、■ぁ」
「オマエは強くなっただけで、何も変わっていない」
「ぁぁが、■ぁ」
「オマエの名前は、レンヤ・アルーフ。いい加減、思い出せ」
レンヤ、アルーフ?
名前?
レンヤ・アルーフ、だ。
俺の名前はレンヤ・アルーフ。
そうか……そうだ、思い出した。
ビレアン家でユアズさんとマインさんに育てられ、義妹のアイ、マイ、ミーに叩き起こされ、魔法学校で親友のユウと下らない話に花を咲かせ、妖精のように可憐な一人の少女に憧れ、結ばれた。
全てが俺の掛け替えのない大切なモノで、失われてしまった。
それでも、確かに存在していた。
左の手首に着けられた金色の腕輪が、〝太陽〟を思わせるほどに眩い輝きが。
ハース・メルクの、恋人の遺志が。
崩れゆく魂を優しく抱き止め、俺がレンヤ・アルーフであると教えてくれる。
「ぁぁが、あぁ、……がっ、はぁ……俺は、レンヤ、アルーフ」
「そうだ、オマエの名前はレンヤ・アルーフ。ニンショウ村の行方不明者の一人で、オマエの帰りを待つ人か大勢いる」
自分の存在が不確かになり、正気を失いかけていた。
いや、数日前、悪魔に親友と恋人を奪われ、人を殺し、〝悪魔化〟の力を得たときに失った正気を取り戻した。そう言った方が正しい。
正気であったのなら、例え考え得る最善手だったとしても、自分の育った故郷に火を放つことなんて出来るはずがない。
「落ち着いたみたいだな」
「ああ、もう大丈夫。ちょっと、自分探しの道中で迷子になったけど、何とか帰って来れたから」
「わりぃな。まさか、ここまで大きな反応が起こるとは思ってなかった」
「反応?」
「たまにあるんだよ。先祖返りした直後、これまでなかった種族や動物の特徴が残ることで精神的に不安定になることが」
「んじゃ、さっきのはわざとってことか? だとしたら、趣味が悪いなんてもんじゃ済まねぇぞ」
「わざとって言ったら、わざとなんだが。
不安定になっているとは限らないし、なっているなら誰も居ない状態で抱え込んで精神を病むよりは、少なくともオレが居るこの場でどうにかした方がマシだと思ったんだ。
とはいえ、軽率だった。本当に悪かった」
ダイスは腰を折り、自身より遥かに矮小で脆弱な存在である俺に頭を下げる。
自身の非を認め、腰を曲げ、背を丸め、真摯に、愚直なまでに謝意を証明してみせる。
「チッ、謝るなよ。理由はわかったし、アンタが居ない所で、一人きりの時にさっきみたいになっていたら危なかった。たぶん、狂っていたと思う。その点では、感謝してやってもいいくらいだ」
「ありがとう」
「……チッ、いいから話を戻しやがれ。どうして、地上の害敵って言われる悪魔……が混じった俺を地上の守護者とまで言われるガーディアンに入隊させようとするんだ?」
あまりにも真っ直ぐなダイスに調子が狂う。
「ありがとう」と先に言われたことで、子供が拗ねるような態度しか取ることが出来ない自分が何とも不甲斐ない。
小恥ずかしくて話を急かすあたり、本当に子供そのものだ。
「それもさっき言った通りだ。今のガーディアンは弱い、数日前と同じことが起これば、より大きな悲劇と絶望を繰り返すだけだ」
「だから、形振り構ってられないってか」
「悪意のある言い方だが、大方はその通りだ。
ただ間違えないで欲しい、オレは戦力が必要だから仕方がなくオマエをスカウトした訳じゃない。拳を交えて、オマエの強さと人柄を認め、ガーディアンに必要だと思った。だから、スカウトした」
「そうか……」
「それにオマエみたいなヤツもガーディアンには数人はいる。両親の片方が悪魔だったり、先祖返りで悪魔の特徴があったり」
もしかしたら、その人たちは俺以上に自分の存在について悩んだのかもしれない。だから、自分以外にも居たんだなんて思うのは好ましくない。
それでも、仄暗い安心を覚えずにはいられない。
それくらいには、俺は自分自身に怯えている。
先ほどのような半狂乱の状態になるようなことこそないが、未だに地上の害敵である悪魔の力を宿した自分自身に対する恐怖や嫌悪感が残っているのだ。
「ここからが本題だ」
「まだ、何かあるのか? 数日前の悪魔の大侵攻『死の夜』の全貌と顛末、ニンショウ村の状況、俺の身に起きた変化の正体、アンタの言った『合格』の内容。俺が訊いたことには全部答えてくれたじゃねぇか」
「ああ、オレは答えた。でも、オマエが答えてないだろ」
「?」
「マジでわかってないって顔だな。『合格』だよ、『合格』。オレは『合格』って言ったけど、オマエは答えてないだろ? ガーディアンに入隊するかどうか」
「なんだ、そんなことか」
「いやいや、そんなことじゃないだろ。オマエの人生を左右する選択なんだからよ」
いいや、そんなことだ。
既に答えは決まっているんだから。
自覚は無かったとはいえ、ダイスと戦った直後、いや、『死の夜』に己が無力を突き付けられた時に答えは出ていた。
「ガーディアンに入隊するってことはレンヤ・アルーフって名前を捨てることになるんだからよ」
覚悟は決まっていた。
しかし、ダイスの言葉に思考が鈍る。
凍る、といった方が正しいかもしれない。
その一言は『死の夜』を生き抜いた少年への否定に聞こえ、脳内に静かな怒りがゆっくりと満ちていく。
「どういうことだ?」
「簡単だよ、ニンショウ村の人達はオマエの、レンヤ・アルーフの帰りを待っている。死んだと思っていた人間が生きていたんだ、大切にしたいのが人間ってもんだ。本人の意思を無視してでもな。
だから、レンヤ・アルーフは死んだことにして、別の名前を名乗ってもらう。そうすれば、村人達はオマエがガーディアンになることを止めることはない。ガーディアンとして活躍しまくって名が売れても村人達は気にしない」
「それは……そうか………、でも」
「そこまでする必要があるのかって? あるさ、あるに決まっている。
オマエがガーディアンとして活動すれば〝悪魔化〟の力に頼らざる得ない時が必ずやって来る。その時のことがニンショウ村に知られてみろ。村を焼いた悪魔が死んだと思っていた村人の一人だって知られてみろ。村に残ったオマエの家族はどうなる」
残される人のことなんて、考えてもいなかった。
ただ、考えてみれば簡単だ。
ニンショウ村の人達がいかに善良であると言っても限度がある。俺がガーディアンとして活躍して『〝悪魔化〟を使う滅魔士、レンヤ・アルーフ』として村人たちに認知されたら、『死の夜』にニンショウ村を焼いた悪魔の正体が俺だと気づく人が出て来るかもしれない。
そうなれば、俺を育ててくれた義理の両親と、共に育った三つ子の義妹は『村を焼いた悪魔を育てた一家』と見なされ、迫害を受けることだろう。
「一家丸ごとガーディアンの世話になろうって考えるくらいなら、ニンショウ村のレンヤ・アルーフとして生きればいい。わざわざ、ガーディアンに入隊する必要はない」
「そう、だな」
「『合格』って言っといてなんだが、ガーディアンに入隊することはオススメしない。『死の夜』と同等の地獄を見るハメになるかもしれないんだからな。
今のオマエなら日常に帰れる。その機会を棒に振ることはない。念のため『自らの意志で地上を害さない』って〝契約〟を結んでもらうけどな」
〝契約〟。
地上と魔界、世界を創造した神が定めた『一定の理性を持つ生物が決められた手順に則って約束を結んだ際、対象は約束を守るように努める』というルール。
このルールは、人間と悪魔、互いが同意した上で結ばれた〝契約〟は自らの意思で反故することが出来なくなるっといったもので、ルールを破るとどうなるのかについて知る者はいない。
人間、悪魔問わず、ルールに逆らえた生き物は果てしなく永い世界の歴史上に一切存在しないのだから。
先祖返りで〝悪魔化〟が使えるようになっただけの俺が悪魔に見なされるのか、一瞬だけ疑問に思ったが、ダイスの『オマエみたいなヤツもガーディアンには数人はいる』という言葉を思い出し、既に〝契約〟が成立することは自称済みなのだろうと納得した。
これを利用すれば、ダイスは自分に有利な〝契約〟を一方的に結べたはずだ。
それをしない当たり、このダイスという男は相当な間抜けか、あるいは、…………
「そうだな、分かった。分かったよ」
「ああ、それでいい。そうと決まれば、まずは染髪料だな。値は張るが、一度使ったら一生髪の色を固定するのがある。それで髪を元の白色にすれば、元通りのレンヤ・アルーフが完成だ。確か本部の自室にあったはずだから、取りに帰るかぁ。ちょっと半日くらい此処で待って、……連れて行った方がいいか、念のため。目の色の方は、ちっと面倒だけどカラコンで何とかするかぁ」
「何言ってんだ?」
「いや、オマエを信頼してないわけじゃないんだけどよぉ、染髪料を取りに行っている間に、もしものことがあったら大変だしな」
「ちげーよ。なんで、俺がレンヤ・アルーフに戻るってことになってんだ? てか、やっぱり目も黒くなってんのか」
「いや、ついさっき分かったって言っただろ? 日常に戻るってことじゃねぇのか?」
「俺が分かったって言ったのはアンタがお人好しってことだ」
ダイスという男は、お人好しが過ぎる。
戦力が必要でこんな大陸の端なんて言う辺境地に来ているんだ、本当なら戦力となり得る俺をガーディアンに入隊させたいだろう。
だというのに、俺を『数日前の日常に帰る』という安全で平穏とした選択肢に誘導していく。意識的に、ガーディアンに入隊することで得られるものを意識させないようにしている。
これをお人好しと言わず、何という。
「アンタの言う通り、村には俺の帰りを待ってくれている人達がいる。〝悪魔化〟の魔法を使えることや、村を焼いたことも俺が口を滑らせなかったらいいだけだし、髪色も目の色も何とかなる」
「だから、ガーディアンに入隊する必要は―――」
「でも、それじゃダメだ。
ニンショウ村のレンヤ・アルーフじゃ、〝太陽〟になれない」
『死の夜』自体は、俺じゃどうしようも無かった。
でも、『死の夜』で体験した絶望と悲劇は別だ。
俺の無力が原因。
「恋人が居たんだ。
妖精みたいに綺麗なエルフの女の子で、凄く強くて、悲しいくらいに眩しくて」
何もない。
暗く、冷たく、寂しい。
そんな俺を照らしてくれた。
「俺にとって、彼女は〝太陽〟だった。
彼女みたいに、俺みたいな人を救える〝太陽〟になりたいと思っている」
ダイスとの戦闘の直後、答えた内容と変わりない。
「いいや、俺は〝太陽〟になるしかない。そうしないと、俺は自分を救えない」
正しくは、覚悟が決まったという点で異なる。
死を目前とした、懺悔じみた告白ではなく、平穏を捨てて自身の救済を選択した。
そこには、確かな覚悟がある。
「ガーディアンに入隊したら、〝太陽〟に近づけるんだろ?
だから、アンタは『合格』なんて余計なことを言ったんだろ?」
ダイスは強く、聡い。
そして、何よりお人好しだ。
俺を殺すにしても、ガーディアンに入隊させるにしても、村に帰すにしても、『合格』と言う必要は無かった。ダイス自身が選ばせたい道のみを告げればいい。
それでも『合格』と口にした理由は、自身の願いを俺に自覚させた上で、進む道を選択させるため。
まぁ、選択させようとしたくせに心配だからって『村に帰る』を勧めていたが。
「レンヤ・アルーフ、この名前は実の両親が遺してくれた唯一の遺品だ。
それに代わる名前、最高にカッコいいのを頼むぜ?」
ダイスは、いいや、これからは上司で名付け親になるんだから呼び捨ては失礼か。最低限、さん付け。
あるいは……
「パパって呼びましょうか?」
「それは勘弁してくれ。年下の男にパパって呼ばせてる、なんて噂になったら洒落にならねえ」
「じゃあ、ダイスさんで」
ダイスさんは、気にした様子の見られない俺に呆れて大きく溜息を吐いて、「これなら、どうだ?」と俺の新しい名前を言うのだった。