0016 『死の夜』
俺とダイスが戦った崖から歩いて十五分ほど離れた小川。その小川に、ダイスは後頭部に付いた鳥の糞を落とすために頭を突っ込んでいる。
「さて、サッパリしたことだし、いい加減本題に入るとしよう」
「そうだな、訊きたいことが山ほどある」
「おう、何でも訊いてくれ。答えられる範囲でなら何でも答えるぜ」
ここ数日で俺の周囲で起きた多くの悲劇と絶望、その全貌と顛末を知り得るにはダイスから話を訊くしかない。
その点に於いてダイスは信頼できる。
彼自身が知らない、俺の訊きたいことが答えられる範囲でない、といった場合でなければ必ず答えてくれる、俺を騙すようなことはない。
知り合って一時間も経っていないが、その短い時間でもダイスの善性は理解できた。
だからといって、だからこそ、遠慮はしない。
「単刀直入に訊く、……なんで、助けに来なかった」
四日前、俺の故郷は二〇〇を超える悪魔の大群に蹂躙され、俺は親友と恋人を喪い、人を殺し、故郷に帰れなくなった。
それらは俺が選択を誤った結果だ。
救い難いほどに無力だった俺も、二〇〇の悪魔を討伐できるだけの力を得た俺も、選択を誤り、自ら取り返しのつかない状況へと転げ落ちていったのだ、誰かのせいにするつもりは無い。
それでも、考えずにはいられない。
「アンタ等が、ガーディアンが来てくれれば……っ」
地上をあらゆる脅威から守護する多国籍組織、ガーディアン。
その総戦力は、各大陸を統治する四大国家をも凌ぐ。
もし、ガーディアンの滅魔士が間に合っていたなら。
もし、俺を圧倒してみせたダイスがニンショウ村にいたのなら。
「俺は親友を見捨てずに済んだかもしれない、人を殺さずに済んだかもしれない、ハースさんは死なずに済んだかもしれない、こんな姿にならなかったかもしれない、故郷を焼き払うこともなかったかもしれない」
「……」
「痛かった、苦しかった、悲しかった、辛かった、……死にたくなるほど」
「……」
「ガーディアンは俺達を守るためにあるんだろ?」
「……」
「なんで、助けに来なかった」
涙は流れない。
既に枯れ果てた。
ただ、臓腑を焼くような怒りがあるだけ。
元凶たる悪魔に対する怒り、惨状に居合わせなかったガーディアンに対する怒り、何も出来ず、選択を誤り続けた無力で愚かな自身に対する怒り。
自身の内で業々と燃え盛る怒り。
その熱が抱えきれぬ程に重い憎しみへと変換され、無意識に目の前の男へとぶつけられる。
「なぁ、答えろよ。滅魔士」
悪魔という生物全体、ガーディアンという組織、俺自身。それらに向けられるべき憎しみを、たった一人に背負わせる。
ダイスからしたら酷い言い掛かりだ。
それでも、ダイスは憎しみを受け止め、受け入れ、答える。
「二十万」
「っ!」
絶望と悲劇。
その全貌が語られる。
「オマエが訊きたいのは数日前の悪魔の大群による侵攻のことだろ? 世間では『死の夜』なんて呼ばれていて、地上全土に二十万を超える悪魔が出現したんだ。ガーディアンの戦力は訓練生を含めた五万の滅魔士。圧倒的に手が足りない」
「……それで、優先順位を着けた」
「察しがいいな」
「そうでもないだろ。辺境の漁村より各国の主要都市が優先される……、少し考えれば誰でも分かる」
納得したくはないが、理解はできる。
自分自身、人命を優先して故郷の村を焼いたのだから、他人のことを強く責められない。
「ガーディアンが来れなかった事情は分かった。被害はどれくらいだったんだ? ガーディアンの最高戦力のアンタが此処に居るってことは、二十万の悪魔はどうにかなったんだろ?」
「決着はまだだが、キリはついた。被害は少なく見積もっても、一〇〇の町と村が壊滅、十万以上の人間が死んでいる。ニンショウ村の周囲に関しては、良くて半壊、殆どが全滅。ガーディアンも、約九〇〇人の滅魔士が犠牲になっている。悪魔は半数、約十万は討伐できたが、残りの大半が魔界に逃げ帰ったって状況だ」
「……ッ、そうか」
「へぇ、意外とあっさり信じてくれるんだな。もうちっと疑われると思っていたぜ」
「本当は疑いたかったさ。でも、アンタを見たら嫌でも事実だって分かっちまう」
正面の切り株に座るダイスは表情こそ穏やかであるが、左の義手は軋み、固く握られた右の拳からは血が滴っている。
平静を装っているが、全身が自身の無力を悔い、責め立てている。
『恋人の最期』、その場に居合うことすら出来なかった無力な少年と同じように。
「嫌なこと訊いて、悪かった」
「いいさ、答えられる範囲でなら何でも答えるって言ったのはオレだし、被害の全貌が気になるのは仕方のないことだ。それに」
「……?」
「もう、切り替えている。自分の無力が作った地獄を見て、何時までも嘆いているわけにもいかない。ガキみたいに蹲る前に、蹲っているガキに手を差し伸べなくちゃいけない」
俺は一言、「強いな」と呟き、ダイスは「いいや、弱いさ。オレが強かったら、もっと救えていた」と返した。
暫く沈黙が続き、そよ風が髪を揺らす。
それを合図にダイスが「他に訊きたいことはないのか?」と優しい声音で訊ねる。
「そうだな、あと三つある」
「何でも訊いてくれ。ニンショウ村の安否でも、オマエの体に起きた変化の正体でも、一体何に合格したのかでも、答えられる範囲で嘘偽りなく答えるぜ」
「訊きたいことが四つに増えた。アンタはどうやって、俺が訊こうと思ったことを当てたんだ? 的中率が高すぎて、正直キモイ」
「キモイは酷いな。ただの当てずっぽうだって」
素で引いて見せる俺を見て、ダイスは悪戯に成功した子供のように笑う。
「まずは、ニンショウ村の安否からだな。まぁ、想像通りに無事だよ」
「俺の想像では、魔法学校以外の建築物が全焼して、約一〇〇人の死者と行方不明者が居るはずなんですけど。それって、無事とは言わねぇよな?」
「いいや、無事だ。周囲の村や町が残さず全滅してるのに、村人の九割以上が生きているんだから、俺の基準では無事の部類だ。
次に、体に起きた変化の正体について。これは所謂、先祖返りってやつだな。学校で習ったろ」
「血の薄い種族の特徴が現れることだよな?」
「そうそう、実はオレのも先祖返りで、両親はヒューマンなんだけど、見ての通りのドワーフとして生を受けた口だ。オマエ、両親のどっちかに悪魔の血が流れていたとか聞いてない?」
「知らねぇ、実の両親は物心つく前に悪魔に殺されてるから」
「そりゃ、悪いこと訊いたな」
「気にしなくていい、その辺は自分なりに決着がついてるから。それより、先祖返りって急に現れるものなのか? 俺、つい数日前までヒューマンだったんだけど」
通常、先祖返りで現れる種族の特徴は先天的なもの。後天的に別種族の特徴が現れることはないはずだ。少なくとも、魔法学校の授業では習っていない。
それに、仮に先祖返りだとしても、背中に生えていた黒翼と頭から生えていた双角が無くなっている。これはおかしい。だって、エルフの尖った耳が急に丸まったり、ムキムキのドワーフの体が急に萎むなんて聞いたことがない。
「たまにあるんだよ、死を目前とした状況での先祖返り。先祖返りでなくても、魔力量や魔法適正が爆発的に向上することもあるらしい。総じて〝覚醒〟って呼ばれているな。
確か、生き残るために魔力が異常なほど活発になって、自身のあらゆる潜在能力を目覚めさせるとか、何とか。要するに、火事場の馬鹿力ってやつ。
あくまで予想だが、オマエは『死の夜』に命の危機に直面し、〝覚醒〟に至った。結果、悪魔に変身する魔法を使えるようになったってことだ。翼や角はビーストの〝獣人化・巨獣化〟みたいに魔法を解けば消えて元の人間らしい姿に戻るって感じだな」
ビースト特有の〝獣人化・巨獣化〟という自身の姿を動物に変え、解除すると元の人間の姿に戻る魔法がある。
これと同じことが起きていたなら、俺の体から消えた翼や角は説明ができる。
「いや、ビーストは魔法を解いても体の何処かに動物の特徴が残ってるだろ? 鱗とか耳とか、尻尾とか、初めて〝獣人化・巨獣化〟を使って、解除した時に残った動物の特徴は一生消えないって習ったし、俺の知ってるビーストは皆、そうだった。俺は特に、悪魔の特徴なんて残ってないし、ビーストとは違うんじゃ」
「ん? 残ってるだろ、その髪」
「あ!」
確かに、元々白かった髪が今は黒色。
翼や角に比べたら印象に薄かったから忘れていた。
「悪魔の髪」
「あぁ、その髪を形成するのは悪魔の魔力だ」
「分かるのか?」
「さっきも言っただろ、オレの〝感知〟は普通じゃないって。逆に言えば、オレくらい特別な〝感知〟じゃないと髪が悪魔のものなんて気づかないから心配はいらねぇだろうけど」
「髪ってことは、切り落とすことも出来るのか?」
「いいや、髪を切ってもまた生えてくるのが関の山だ。仮に毛根ごと焼き払ったとしても、次に悪魔の姿になった時に新しく他の何処かが悪魔に置き換わるだけだろう。そう考えれば、残ったのが翼や角なんていう目立って仕方ない特徴じゃなかったことは運が良かったんじゃないか」
「運が良かった、ねぇ」
地上全土で同時多発的に起きた悪魔の大群による侵攻、十万の人間が死んだという絶望の全貌。
それを知った今、親友を見捨て、人を殺し、恋人を喪い、故郷を焼く、……自身の無力によって降りかかった多くの悲劇、その顛末で悪魔となったとしても、生きているだけ幸運かもしれない。
幸運に思わなくてはならない。
俺を生かそうしてくれた人、俺自身が生き残るために殺した人がいるのだから。
「最後に、何に合格したのかについてだったよな」
「……そうだな。てか、それを最初に訊いたよな? なのに、応えるのは最後かよ」
「まぁ、勘弁してくれよ。最初には訊かなかったけど、オマエが訊きたかったこと優先して応えたんだからよ」
「ほんと、アンタはサトリかなんかなの? 見透かすなんてもんじゃないんだけど」
東方大陸に生息する悪魔の亜種、妖怪。
その中にサトリという人の心を読んで悪戯をする妖怪がいる。ダイスの洞察能力はサトリを彷彿とさせる程に高い。
妖怪と違っているのは、悲劇と絶望を繰り返して磨り減った俺の心を気遣うために自身の洞察能力を用いていること。
「自分も組織も手一杯なのに、歩き疲れて膝を抱える子供の世話までする。大人の余裕ってやつか?」
「余裕って言うより、常識だな。ちょっと忙しいからって、膝を抱えて泣いてる子供を見捨てるほど冷たい人間じゃねぇつもりだし、そんな人間になりたくはないからな」
「流石はA級滅魔士、立派なもんですねぇ。ところで、いい加減に俺が何に合格したのか教えてくれませんかね」
「悪い、いっつもアーネラにも注意されてんだけど、ついつい脱線しちまう」
気になるから、このタイミングで新しい名前を出さないで欲しい。訊きたいことが増えてしまった。
とはいえ、ここでアーネラなる人が何者かを訊けば脱線するのは明らか。堪えないと。
「オマエはガーディアンの入隊試験に合格した、おめでとう」
「え? 今、何て?」
「おめでとう」
「そっちは聞こえてんだよ! 俺が訊きてぇのはそれの前、俺が・何に・合格したかだ!!」
「おいおい、それこそオマエが訊きたがってたことだろ? 聞き逃すなよ、大事なことだから一度しか言わないなんて奴も世の中にはいるんだからよ」
「説教はいいから、さっさと応えろ!!」
俺が声を荒げて怒鳴り散らかす様子を見て、「そう睨むなよ、こわいこわい」と愚痴りながらもダイスは答える。
「おめでとう、オマエはガーディアンの入隊試験に合格した」