0014 『おめでとう』
万策尽き、死を受け入れ、瞼を閉じ、刃が首筋に触れた。
それらは間違えようのない死の信号。
だというのに、
「殺さないのか?」
首を跳ねるはずだった男の大剣は、薄皮を僅かに咲いたところで止まっていた。
「いくつか聞きたいことがあるんだが、いいか?」
男の纏う闘気に変化はなく、大剣に掛かる力が増し、肉に切り込み、頸動脈に触れる。全てが「返答次第で殺す」と語っている。
散々命を脅かされた相手に従うのは癪だが、命には代えられない。
「答えられることなら……」
「なら、さっそく。村を焼いた仮面の悪魔はオマエで間違えないな?」
数日前、俺は村を焼いた。
最善だったとは思えないが、他の選択肢を模索する余裕すらなかった。ただ、人であるかも定かじゃない俺でも、それが罪である自覚はある。
自分の故郷を焼いたのだ。自分の半生、十年を自分の手で燃やしたのだ。
何も感じないはずがない。
目の前の男は俺の抱える罪悪の根源に光を当て、罪悪感のあまり砕けんばかりに奥歯を噛み締める俺を見て「やっぱりな」なんて言ってやがる。
「あぁ、ニンショウ村を焼いたのは、俺だ」
「そっか、んじゃ、二つ目」
闘気に変化はない。
それが異常だ。
本人の素性を聞いたわけではないが、この男はニンショウ村を焼いた悪魔を討伐しにきたガーディアンの滅魔士だろう。対して俺は、自分が村を焼いた悪魔だと自白したのだ。
その瞬間に首を跳ねられてもおかしくない。
訊くことがあって殺せないにしても、闘気が殺意に転じるはず。
「ニンショウ村で行方不明者が数名出ているんだが、心当たりはねぇか?」
「…………知らねえ」
「ほんとか?」
「…………」
「オマエの人相が行方不明者の一人に似てんだけどなぁ」
ニンショウ村の行方不明者。
考えられるのは、俺の目の前で死んだ友人、自分が生き残るために俺が殺した少年、今の俺になる前に悪魔に殺された人達。
そして、村を守るために戦い、左腕を遺して命を散らした恋人。
「仮に俺が行方不明者の一人だとしたら、どうすんだ? 助けてくれるのか?」
「いいや、訊いてみただけ。悪魔が人間を攫うのはよくある話だ。オマエが知らないなら、そういうことだろ」
「だろーな。訊きたいことはもうねぇのか?」
「次で最後の予定だ」
「予定?」
「あぁ、この質問の答え次第で聞きたいことが増えるかもしれねぇ」
声が変わった。闘気と警戒を孕んだ声音に、別の感情が宿る。
分かり易い。
この感情が愛しい人に向けられているのを、四年間見てきた。愛しい人に纏わり付くその感情を振り払いたいと思い続けて来たのだから。
愛しい人を、想い続けていたから。
今も、想い続けているから。
間違えようがない。
「俺に、何を期待していやがる」
「やっぱ、わかる? オマエの言う通り、次の質問にどう答えるか期待しているよ。まぁ、何を期待しているのかを教えちゃ意味ねぇから、これ以上は教えられないけどな」
「そりゃ、そうだ」
「訊きたいことは単純だ。お前が村を焼いた理由、それを知りたい」
村を焼いた理由を教えろ。
単純にして明確な問い掛け。
男は、この問いかけの答えに何かを期待している。悪魔となった俺に何かを期待している。
「それを知ってどうする?」
「どうもしねぇさ。何となく訊いてみたいだけ」
口調や声音こそ変化してないが、俺を見下ろす瞳に強い意志を感じる。
どうでもいい風を装ってはいるが、問い掛けを取り下げるつもりはないらしい。
この問い掛けによって、目の前の男は俺を殺す、俺を生かす。
自らの生死を左右する選択。
「そうするしかなかった……、俺は弱いから、そうする以外に大切な人達を救えなかった………」
下手な答えを返せば即座に殺されかねないというのに、俺は考えなしに、馬鹿正直に、自身の無力を口走っていた。
村を焼き払っておいて、平穏を踏み躙っておいて、救いたかった。
俺の背景を知らない人間からすれば、意味不明な妄言、戯言、狂言の類にしか聞こえないだろう。
ただ、取り繕うことは出来なかった。
『〝伝えるべき想い〟は必ず伝えなければならない』
それが、一人の少年が十六年という短い人生で構成し、貫いた唯一の信念。
今の俺は、人間かどうかも定かじゃない。
今の俺が、平穏を生きていた自分と同一の存在であるかも怪しい。
「命しか救えなかった………」
それでも、曲げられない。
馬鹿で、無知で、無能で、救い難いほどに無力だった少年の〝想い〟を………
ただ、純粋に最愛の少女が報われて欲しいという〝願い〟を………
だから、伝える。
「無力な俺は、掛け替えのないモノを守れなかった」
目の前の男にではない。
これは、自分自身に伝えるべき〝想い〟だ。
「俺は、彼女に………、〝太陽〟に憧れた。
でも、結局足りなかった……、力が、頭が……、何もかもが足りなかった」
何一つ救えなかった無力な過去の俺が抱いた憧憬を、力を手に入れても全てを救いきることが出来なかった今の俺に伝えるために、言葉にする。
力を求めた過去の俺に、足りなかった現実を伝える。
憧憬と無力感。
どちらも、自分で自分に伝えるべき〝想い〟だ。
それらまで曲げてしまえば、俺は…………
「二つ、訊きたいことが増えた」
「どうぞ、どうぞ。好きなだけ訊いてくださいな」
「やけに素直だな」
「〝太陽〟憧れた、なんて恥ずかしいこと言ったあとだ、何でも答えますよーだ」
「なら、遠慮なく」
村を焼いた理由を教えろ、という問い掛けに対する答えが男の期待を満たしたかは分からないが、俺の首が繋がっているということは期待を掠めてはいるのだろう。
首筋から大剣が退かされたわけではないため未だに窮地にあることは間違いないが、一先ず、死地は脱したようだ。
「なんで、村人たちに説明しなかった」
「……チッ…………」
「おいおい、さっきまでの素直な態度は何処にいったよ」
「ここ数日は思い出したくないことだらけなんだよ」
男は「そうだな」と同意しながらも「で、どうなんだ?」と先を促す。
その声が何処か済まなそうに聞こえる自分に腹が立つ。
たとえ腹が立っても、答えないわけにはいかない。状況は変わらず、未だ俺の首には大剣が当てられ、命を握られたままなのだから。
「助けた女の子たちが俺を見てたんだ」
数日前、力を手に入れた直後のことだ。
手に入れたばかりの力を使って、十歳の三つ子姉妹を救った。
「その時、女の子たちの瞳に映っていた変わり果てた自分の姿には不思議と何も思わなかった。
たださ、アイツ等の怯えた表情が思った以上に堪えたんだ……、
これまで一度も見たこと無いくらい怯えていて…………、それが自分に向けられているって自覚したら、本当に堪えられなくなった」
自分が同じ立場なら、同じように怯えていただろう。
だから、救ってやったのになんて不義理な奴等だ、なんて恩着せがましいことは思わなかった。
ただ、これ以上ない形で現実を見せつけられて、思い知らされて、その事実が重すぎて……
「逃げたんだ」
「そっか」
「さっき、頭と力が足りなかったって言ったけど、一番足りなかったのは心だったんだろうな」
「……」
「俺が悪魔になったのは、あの瞬間だった」
互いに黙り込み、重たい沈黙が漂う。
数秒か、数分か、数十分かが経ち、このままでは進展がないと「なぁ、訊きたいことはもうないのか?」と尋ねてみる。
「もう一つ、次で最後だ」
期待、とは違う。
男の声には、もっと強く、硬く、重たい感情が込められている。
「もし、平穏に戻るための道と、オマエの言う〝太陽〟ってやつに続く道が目の前にあったら、オマエは何方を選ぶ」
「はぁ……?」
男の言っている意味が分からず、間抜けた声が漏れる。
自分では見ることが出来ないが、声と同じような間抜けた表情をしていることだろう。
「……何の話だ?」
「オマエは、力が欲しかった。よくわからんが、〝太陽〟になりたかった、そのために悪魔になった、ってことだろ? でも、聞いている限りだと後悔を感じられる。それでも、全部、オマエが選択したことだ、なかったことには出来ない」
「ッ! そんなこと、わかって――」
「それでも、見ないようにすることは出来るし、隠すことも出来る」
「んなッ!」
「真実を知ってんのは、オレとオマエだけ。
特徴的な仮面は捨てちまえばいいし、村を焼いた悪魔の特徴と一致する黒髪だって、染めちまえばどうとでもなる。何年か保護されておけば背丈だって誤魔化せる。
ちょうどいいことに、行方不明になった村人の一人は背格好がオマエにそっくりだ」
「……でも、俺と行方不明になった誰かは別人だ。自分じゃない誰かに成り代わって一生を過ごすなんて不可能だ」
見た目が瓜二つだとしても、記憶が違う、心が違う。
直ぐにボロが出て、誰かの偽物だと気づかれる。
「本当に、自分じゃない誰かに成り代わるって言うなら、無理だろうな」
「何が言いたい」
「いいや、何でもないさ。ただ、成り代わるのなんて案外簡単なもんだと思うぜ? 歴史を見渡せば、大国の長に成り代わった蛮族なんてのも実在するんだ、村人の一人にくらい結構簡単に成り代われるさ。
人格面も、テキトーに『死の夜』でショックのあまり記憶喪失になった、とでも言えば誤魔化せる」
「……」
「まぁ、オマエの場合はそんなことする必要もないだろうけどな」
「テメェ、何処まで知っていやがる」
「知っているわけじゃない、オマエが言ってたことと村の状況を纏めて、何となく、そういうことかなー?、って当たりをつけただけだ。脱線しちまったけど、要するに、オマエが村の行方不明者の一人に成り代わることは可能ってことだ」
男の言っていることは理解できる。
実現もできるだろう。
もし、誰かと成り代わったなら、その誰かはどうなる。
誰かの家族は、友人は、知人は、どうなる。
「オマエの帰りを待っている人達もいる」
たぶん、心の底から喜んでくれる。
俺以外なら、そうはならないかもしれない。
俺だけが例外。
変わり果ててしまった今の俺は誰かじゃないが、数日前の俺は誰かの一人なのだ。
(もどっても、いいのか……?)
勝手に置いてきただけ。
置いたまま、こんなところにまで来てしまった。
「もう一度訊く。平穏へと続く道と、〝太陽〟に続く道、オマエはどっちを選ぶ?」
意味が分からない。
『問い掛けの内容の意味』ではなく、『問い掛けをする意味』が分からない。
分からないが、想像してしまった。
平穏な日々を生きる自分を想像してしまった。
悪魔になったことを隠して、親友と恋人を亡くした喪失感を家族に癒され、毎日欠かさずに自分が生き残るために少年を殺したこと懺悔し、この手で焼き払った故郷の復興作業に勤しみ、生き残った人々と生きている喜びと、喪った悲しみを分かち合う。
いつの日か、親友と恋人のいない生活が当たり前になり、人を殺した感覚を忘れ、新しい友人ができ、死んでしまった恋人じゃない誰かのことを好きになって、その人に新しい恋をして、愛して、長い時間を掛けて家庭を持つ。
新しい家族のために毎日汗だくになって働いて、帰って、「ただいま」と言って、家族の笑顔と「おかえり」に報われる。
子は孫を成し、愛する女性と共に老いて、自分のことを大切に思ってくれる誰かに見守られて、静かに息を引き取る。
(なんて、幸せな人生だろう)
平穏の道から外れてしまったからこそ、その価値を理解する。
平穏な未来を切望する。
故郷で過ごした十年の続き、日溜まりような日々を生きる自分を夢想する。
俺の生存を願ってくれた親友も、村を守るために命を落とした恋人も、無力で罪深い俺が幸せになることを祝福してくれるだろう。
殺した少年は俺のこと許さないだろうし、呪うかもしれない。
でも、身勝手と罵られるだろうが、俺は殺した少年の分まで幸せになる義務がある。
遺された者たちは、喪われた人々のためにも幸せにならなければならない。
だというのに、
「俺は〝太陽〟を目指す」
その言葉を紡ぐことに、一切の躊躇いはなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
『俺は〝太陽〟を目指す』
それが自身の幸福を手放すに等しい選択であることは分かっている。
それでも、誰かの日溜まりを守りたいという〝想い〟を、誰かに日溜まり与える〝太陽〟になりたいという〝想い〟を、曲げられなかった。
無力だった数日前の俺が望み、力を手に入れ変わり果てた俺が目指し、窮地にある今も諦めきれずにいる憧憬である〝太陽〟。
「〝太陽〟に至る。それだけは捨てられない」
実の両親を喪い、老夫婦に育てられた七年、義理の両親に引き取られてからの十年、俺は日溜まりの中に居た。
知人、家族、親友、恋人、……本当に、本当にたくさんの大切なモノができた。
それを、手放した。
もう充分、満足した。
なんて思わないし、思えない。
取り戻したいモノはたくさんあって、欲しいモノはもっとたくさんある。
「俺と同じで、無力で、何も持っていない、そのくせ平穏な日々を後悔がないよう全力で生きる、……そんな人達に日溜まりを与える〝太陽〟になりたい」
でも、このまま、無力なまま、取り戻しても、手に入れても、
また失い、喪う。
日溜まりを壊され、何もない地獄に還るだけだ。
結局、救われない。
「俺に似た誰かの〝太陽〟になることで、自分を救いたい」
〝太陽〟なりたい。
願いの根幹は、救われたいと願う自分と、自分が救った誰かを重ねて救われた気になりたいという、酷く身勝手な感情だ。
その理想形が最愛の少女、今は亡き恋人の在り方だっただけかもしれない。
この感情は誰かの期待に沿える類ではない。
「そうかい」
しかし、男は俺の首筋に当てられた大剣を引き、闘気を僅かだが和らげる。
そして、
「おめでとう、合格だ」
そう告げて、柔らかな笑みを浮かべた。