0013 『死の感触』
恋人の墓を作り終え、彼女の死後が安楽であることを祈っている内に数時間が経ち、いい加減これからの方針を考えようと、自分に意識を向ける。
羽が無くなっていた。
ニンショウ村に押し寄せた悪魔の掃討以降、ハースさんのことばかり考えていたせいか、この時になって初めて自分の身体に起きた変化に気が付いた。
「角もない……」
悪魔の大群との戦闘前、男に力を貰ったこときっかけに生えてきた黒翼と黒曜石の角がなくなっている。髪色は……
「イテっ……、戻ってない……そんなに都合良くはいかないか」
プチリと髪を抜いたが、黒髪のまま、元の白髪に戻っていない。
瞳の色も確認したいところだが、生憎顔を写せる物がない。
「先ずは、水辺を探すか。そういえば、あの雨から水も飲んでないし」
悪魔との戦闘の最終日に降った雨。
フレミーに一方的に嬲られるしかなかった状況の打開に繋がり、あの雨がなければフレミーに嬲り殺されていたかもしれない。そう考えると、恵の雨どころか救いの雨、散々な目に遭い続けたここ数日での数少ない救いの一つだ。感謝しないと。
「そのうち、また来るよ」
「ちょいと、待ちな」
恋人の墓に背を向け、崖を降りようとする直前、気軽な調子の声が掛けられる。
「―――ぇ」
振り返るより早く、首筋に殺意に凍てつく刃を感じた。
◆◇◆◇◆◇◆
落ちる。
降りようとしていた崖で、落下を強要される。
「クソッ! いきなり、何だってんだ!」
刃が首筋に触れ、致命的な血管に切り込もうした瞬間。
崖淵の先端が砕け、振り返ろうとしていたこともあり、そのまま横向きに倒れながら崖へと落下したのだ。
「羽はない、手足を掛けることも出来ない……!」
横倒れになった向きが偶然にも刃を躱す方向と重なったため、刃による致命は避けられたが、この高さから落下すれば〝強化〟を使っても命が危うい。
「いや、違う……」
翼が無くなったと思っていたが、違う。
必要ないから無意識的に、畳んで、仕舞っていたのだ。
だから、
「出て来いッ‼」
地面まで二メルといったところで、自身の内に仕舞われていた一対の黒翼を引っ張り出す。
即座に羽搏き、落下経路を調整。
樹海に突っ込み、翼を畳んで木々の合間を縫い地面スレスレを滑空、空気抵抗で落下の勢いを完全に殺して着―――
「はぁ、ツイてねぇ」
着地の寸前、死角から迫る大剣が左翼に触れる。切り落とされるより、一瞬早く左翼が霧散。バランスを崩し、左肩を削りながら地面を転がる。
「グっ、…ぎィ!」
「へぇ、これを躱すとはなぁ」
俺の着地点は崖から数メル離れた樹海の中。崖の上からでは木々が邪魔をして俺の正確な位置は見えないはず。
驚愕と疑問。それらは、戦いにおいて致命的な隙以外の何物でもなく。
「行くぜっ!」
男は崖の側面を蹴り、砲弾のような速度で俺へと迫る。
鋼鉄並みの硬度を誇る岩盤に罅が走る程の強力な跳躍力で、一直線に。
「ぎィッ!」
「思ったより耐えるな」
砲弾を思わせる速度、砲弾を超える質量・硬度の鎖が巻き付けられた拳。二つが掛け合わされた男の突撃を受け、〝強化〟した左腕が悲鳴を上げる。
〝空壁〟を即座に張り、その上で吹き飛ばされないように踏ん張るのが精一杯、反撃する余裕はない。
(おいおい、二日間悪魔共と戦い続けてもこうはならなかったぞ!)
男は突撃を受け切った俺を見て、一言「勘弁してくれよ」と言って〝空壁〟で足場を作り、左腕を振りかぶる。先ほどの突撃以上の威力ではないと思うが、骨折した左腕では受け切れず、右腕を防御に回していては間に合わず、防御なしに直撃すれば無事とはいかないだろう。
「〝爆〟!」
自らの足場に小規模の爆発を起こし、爆風を利用して男の拳の射程圏外に逃れる。勢いのまま中空へと逃避。爆発で多少のダメージを期待し、視線を向けるも男は傷一つなく健在。その際、視界に捉えた右拳は爆炎の灯りを反射し、キシリという音が聞こえた。
「〝強化〟を掛けた義手、アレを喰らったらミンチじゃすまねぇ」
男との距離は一〇メル以上。翼を持たない男がこの距離を詰める方法は二つ。
一つは、空中に数枚の〝空壁〟を作り、小さな跳躍を繰り返す方法。もう一つは、現在足場に使っている〝空壁〟を踏み砕く程の跳躍で一気に距離を詰める方法。
どちらを選択したとしても、一瞬は掛かる。
(勝てねぇ……)
戦闘開始から十秒とせず、目の前の男が自身より遥かに強いことを理解した。男の纏う闘気は轟然とした地鳴りを思わせる迫力と、名匠の鍛えた刀剣を思わせる冴えた冷気を併せ持ち、その重圧は二〇〇の悪魔を前にしたときを遥かに上回る。
しかし、一瞬でも猶予あれば対処可能。致命は避けられる。
「ギっ、ッ!」
「油断大敵、〝感知〟は常時発動させておかないと、っと」
直後、「対処可能な距離」が生み出したのは、「致命を避ける、一瞬の猶予」ではなく、「致命に至る、一瞬の油断」であると思い知らされた。
男が左腕を振り上げ、振り下ろす。その一挙を見逃してしまったのだ。
油断の代償として、片翼を切り落とされる。
砲弾を思わせる突撃と、次いで繰り出された追撃の拳。致命になり兼ねない二撃に上書きされていた。
男の武器は鎖が巻き付けられた拳ではなく、柄が鎖で繋がれた大剣。
十メルは、あくまで「対処可能な距離」、「拳の射程」から外れただけであって、「男の攻撃射程」からは逃れられていない。呑気に思考している余裕も猶予もない。
大剣は背後に回り、男の左拳に繋がれた鎖が引かれる動きに連動し、戦闘中に集中を欠いた愚か者の片翼を切り落としたのだ。
「いダぁく、ねぇ!!」
灼けるような激痛と身体の一部を切り離された喪失感を感じたのは一瞬。切断された片翼は黒い靄となって霧散し、背中からも片翼の感覚が消えていた。
痛みも喪失感も、一瞬で済んだことには安堵するが、翼を欠いた状態で空中には留まれない。
制御を失った落下中では、男の攻撃を躱すのは不可能。
「〝紅炎の短剣〟」
「この程度の魔法が届くわけねぇだろ?」
空中での平衡感覚を失い、墜落する最中、炎で編んだ短剣を男に投げつける。上下は逆転、足場はなく、咄嗟のことで〝強化〟を掛けそびれたため投擲速度も一般人が投げたものと変わりない。
そんな状態で投擲した短剣、圧倒的強者である男どころか、魔法の使えない人間でも対応可能だろう。
そのままなら、
「〝爆進〟!」
短剣の刃だけを残し、柄と束を炎に還して噴出・加速、残った刃を男の眼前で爆発させる。人間の頭部程度であれば一瞬にして蒸発させられる火力。耐熱の〝強化〟を掛けても無事では済まないだろう。
男がまともなら、の話だが。
「げっほ、ごっほ」
爆炎を受けた男は咳き込むだけで僅かな火傷すら見られない。
「だろうな!」
「あふねぇは」
爆炎を突き抜け、短剣に使われた火力を髪一本ほどに凝縮された〝灼熱の針〟が迫る。針は細く、爆炎に同化し、加速した〝紅炎の短剣〟以上の速度、肉眼で補足するのは困難を極める。
それを、男は軽々と、楽々と、歯で受け止め、〝針〟を噛み砕き、不敵に笑って見せる。
(おいおい、そりゃねぇだろ)
この男は強すぎる。
人間の頭部を消し飛ばす火力を凝縮した灼熱の結晶である〝針〟。それに耐えうる〝強化〟に加え、完全に周囲と同化した髪一本ほどの太さしかない〝針〟を知覚する〝感知〟。
その精度は人間のモノとは思えない。
それでも、明らかに手を抜いている。
この男の本気は、神話上の英雄・怪物、数十万体の悪魔の頂点である魔王、そういった埒外の存在と並び立つことだろう。
「あれ? いねぇ。いい判断だ」
だから、戦わない。逃げに徹する。
男が爆炎と〝針〟に気を取られている隙に再び樹海に潜る。追撃されたときとは違って樹海に入る瞬間は見られていないし、〝感知〟されないように魔力の一切も完全に切ってい
「見ぃーつけた」
「っ‼⁉」
「おー、驚いているなぁ。でも、まぁ、難しいことじゃねぇよ。オレの〝感知〟は大陸中で何人が溜息を吐いているかも分かっちまうってだけのことだっと!」
「――化け物、っがァ!!」
男の蹴りが腹部を捕らえ、ゴム毬の如く吹き飛ぶ。二本、三本と激突する度に木々が折れ、八本目の大木でようやく止まる。
〝強化〟が間に合わなければ、胴が真二つになっていたことだろう。
「勘弁してくれよ……、これでも死なねぇのか。けど、このままじゃ勝てねぇぞ?」
「んなこと……はぁ、……わかってんだよ」
「このままじゃ、死んじまうぞ?」
「…………チッ」
明確な死が歩み寄る。
一歩、一歩、確実に歩み寄る。
「俺じゃ、アンタに勝てない…………でも、まだ、……まだッ、死ぬわけにはいかねェんだよッ‼」
死に抗う叫び。魔力も何も込められていない。正真正銘、感情を爆発させただけの叫び。
よって、次いで引き起こされた事象には何一つとして作用していない。
歩み寄る男の足元に潜んでいた爆弾虫という虫魔が爆発、爆弾虫は群れを成し、一匹目の爆発に伴って周囲に潜む数匹が爆発。
「はぁ、ツイてねぇ」
男の視界は飛び散った土に覆われ、爆発に巻き込まれ根本から折れた男に数本の木々が殺到。
(今しか、ないッ……!)
爆弾虫の爆発、殺到する木々。
一般人ならば死を覚悟し、魔法を使える人間でも助かるかは五分を切り、戦い慣れした滅魔士でも対処を誤れば戦闘続行が困難となる。その程度では目の前の男は蚊に刺されたほどのダメージも与えられないことはわかっている。
しかし、この瞬間を予想することは不可能。
ここ数日の絶望と理不尽を帳消しにするかのように起こる幸福の連鎖によって作られた最後の機会。今を逃せば、死は確定的。
男の〝感知〟からは逃れられない。
「〝灼熱の顎〟‼」
全霊を込めた上級魔法。
最高火力を凝縮させた五メルを超える、巨龍を思わせる炎の顎。喰らえば、否、喰らわれたなら、血肉の一片すらも一瞬で蒸発するであろう、人を一人殺すには過ぎた火力。
〝顎〟は殺到する木々諸とも男を喰らい、咀嚼し、焼き尽くす。
「まだまだァ!!」
残った魔力を〝顎〟に注ぎ続ける。
〝顎〟の規模に変化はなく、代わりに閉ざされた口内の熱量を増加させ続け、呑んだ大気すら灰塵と帰すほどの灼熱の奔流と化す。
やがて、〝顎〟の外殻の強度は許容限度を超え、圧縮された灼熱が爆ぜた。
あまりに強大な熱量の解放に、樹海は爆風に揺れ、爆心地を中心とした直径十メルの半球型の陥没と五〇メルに及ぶ更地を生み出す。
あまりの威力に、魔法を使った俺自身まで吹き飛ばされ、数十メル離れた大木に叩きつけられた。小規模とはいえ、地形を変え、自身すらも巻き込む全霊を懸けた魔法。
その中央で―――、
「勘弁してくれよ、〝金剛〟まで使わせるなんて……にしても、ツイてねぇ」
「化け物、がぁ………」
男は汗に濡れる焦茶の髪を掻き上げ、所々焦げた服に顔を顰めていた。
何事も無かったかのように歩み寄り、大木に背を預けて動けずにいる俺の首筋に大剣が迫る。
悪魔の大群との戦闘時に感じた死の気配ではない。
もっと冷たく、もっと鋭く、もっと重く、もっと確かな、実体を持った死の感触。
(ここで終わるんだな――)
死に際に生存を願ってくれた親友、生き残るために殺した少年、遺志を継ぐと誓った最愛の少女、育ててくれた義理の両親、共に育った義妹達、毎朝挨拶を交わした村人たち、ぼんやりと霞む実の両親……、親しい人の顔、殺した人の顔、愛した人の顔、知っただけの顔、思い出せない顔……、次々と浮かんでは消えていく、無数の顔……
きっと、これが走馬灯と呼ばれるものなのだろう。
(ごめんな)
大切な人たちに生かされ、生きるために大切なものを犠牲にし、悪魔となり、人道を踏み外した。
だというのに、俺は何かを成せただろうか?
(最後くらい、人間らしく死のう…………)
生かしてくれた人達、犠牲にしてしまった人達の安らかな眠りを、生き残った大切な人達の幸福を心から願い、祈るように目を閉じ、意識して安らかな表情を作る。
涙は流れなかった。
めちゃくちゃ先に、どうしても書きたいシーンが出来たので、この話数から0025まで書き直しました。辻褄は合うようになったはずです。ここから先の話数も同様の理由で細部の書き直しがあると思いますが、温かく見守って頂けるとありがたいです。
このままの更新ペースがキープできても書きたいシーンまでは一年以上かかると思います。その頃には、どこを書き直したのか、作者自身も覚えていないかもしれませんが、それまで読み続けてくれる人が一人でもいれば作者は泣いて喜びます。