0010 『孤軍奮闘』
仮面の悪魔と、二〇〇体の悪魔との戦闘は一昼夜に渡って続いた。
開戦から一時間で病院に入院していた病人・老人・怪我人を含めた全ての村人が港に辿り着き、漁船にて沖に避難を開始。
衛兵の青年が予想した通り、空中型、水中型の悪魔は殆ど見られず、二日間に起きた戦闘は三回。
どれも危なげなく勝利した。
途中、時化に見舞われるという異常事態もあったが、幸運なことに死者・重傷者の類は出ず、避難した村人の全員が無事と言える。
一方、仮面の悪魔はただ一人、援軍の望めない中で戦い続けていた。
村人の全員が遠洋船に乗ったことを確認した後、ニンショウ村の北半分にも火を放つ。
これによって、南方から回り込んでくる悪魔の大群に背後を取られることはなく、南方への警戒は完全に必要なくなった。
高火力の炎を凝縮し、中級魔法〝紅炎の剣〟を発動。
精製した赤熱する剣を両手に一本ずつ握り、襲い掛かる下位悪魔を次々に切り捨て、焼き殺し、北方から侵攻していた悪魔の数が半数を切る。
仮面の悪魔の攻勢が崩れたのは、戦闘が始まってから五時間が経過したころ。
南方から侵攻していた一〇〇体の悪魔の大群が燃える村を回り込み、北方に残った三〇体と合流したのだ。
相手の戦力は三〇体から一三〇体へ、四倍以上に膨れ上がり、仮面の悪魔の戦力は疲労により半減。
仮面の悪魔は空中に逃れようとするも、地中から生えた土竜の獣魔に両足を掴まれ地面に縛り付けられる。
ゴブリンと呼ばれる緑の肌をした小鬼。
ゴーレムと呼ばれる動く土塊。
レッサーデビルと呼ばれるコウモリの羽を持った単眼の幼児。
六本足の鼠のような獣魔。
行動を阻害されたことで生まれた一瞬の隙に、視界が埋め尽くされる程の下級悪魔が殺到する。
仮面の悪魔を中心に、半球状に集下位悪魔、その中心に閉じ込められた仮面の悪魔に間隙なく、爪が、牙が、嘴が、拳が、迫る。
それらが仮面の悪魔に傷を負わせることはない。
正確には戦闘が始まって以降、仮面の悪魔は一切の傷を負っていない。
存在としての強度が違いすぎる。
〝強化〟さえ必要ない。
しかし、数が多い。
一体ずつ切り殺し、焼き殺すのは億劫だ。
「消し飛べェ!」
手に握った剣を砕く。
通常、解くことで炎に還るが、炎を閉じ込めていた剣の外殻が砕けたことで、その炎は爆炎となって解放される。
爆炎は数十体の下級悪魔で構成された半球の内部で荒れ狂い、命を焼き尽くされた下級悪魔は炭化した肉塊となって乾いた音をたてて地面に崩れ落ちる。
〝紅炎の槍〟を地面に突き刺すことで地中に潜んでいた土竜の獣魔が絶命。掴まれていた脚が解放される。
数多の同胞の死を悔やみもせず、再び下級悪魔な集団が迫る。取り囲もうと迫る下級悪魔を躱すため、中空に逃れようとした仮面の悪魔は、
「がッ、は!」
空中で待ち伏せていた中位悪魔に背後から殴られ、地面に叩き付けられた。
下位悪魔とは比較にならない骨格を軋ませるような重撃。
仮面の悪魔は持ち前の頑強な肉体に助けられ戦闘不能に陥ることは避けられたが、戦闘が始まって以降初めて明確なダメージを負い、大きな隙を生む。
その隙に、再び下位悪魔の半球が完成、再び閉じ込められてしまう。
先ほどと同様に炎で作られた武器を爆破させて逃れようとするも、左右から下級悪魔の半球ごと隙間なく岩の棘が敷き詰められた地盤に押し潰される。
今回の半球の目的はダメージを負わせることではなく、視界を奪うこと。一瞬でも動きを鈍らせ、生じた間隙に仮面の悪魔にダメージを負わせられる中級悪魔が魔法を発動させることだったのだ。
目潰しの為だけに利用され、消耗され、散ってゆく数十体の下級悪魔。
その断末魔の中心、岩盤に挟まれ下位悪魔の血肉に塗れる仮面の悪魔に、目立ったダメージはない。
ただでさえ中位悪魔を上回っていた筋力と、皮膚の硬度を〝強化〟したのだ。
その守備力は堅牢と呼ぶに相応しく、魔力的強化もされていない岩の棘程度では傷一つ付かない。
挟みこむ岩盤を容易く砕き、下空に飛び出す。
「クソッ、またかよッ!」
側面からの衝撃に弾き飛ばされる。
人外の脚力を誇る大型の馬の首から筋骨隆々の男性の上半身が生えた獣魔。ケンタウロスと呼ばれる中位悪魔の突進。〝強化〟によってダメージこそ殆どないが、空中で喰らったのがマズい。踏ん張りがきかない。
そして、弾き飛ばされる先で拳を構えて待つ、一体の人魔。先ほど、空中に逃れようとした仮面の悪魔を地面に殴り付けた中位悪魔だ。
「ワンパターンなんだよ! クソ共がッ‼」
〝紅炎の剣〟を右手に握り、弾き飛ばされた速度に黒翼の加速を掛け合わせた突きを放つ。
紅い一閃となった突きが届く直前、人魔に口端が三日月状に吊り上がり、まずい、という危険信号に肉体が反応するより早く、突きの勢いが殺された。
「もう一体いやがったのか、土竜野郎」
多数対一の戦場にて一個体に固執する。
そのツケが払われる。
地中から伸びた土竜型獣魔の手に脚を掴まれ、減速し、人型悪魔の鼻先まで数セチルという位置で完全に停止。
格好の的となった仮面の悪魔に雷を纏った人魔の拳が振るわれ、横面に直撃。
「ぎィ、……っガぁ‼」
感覚神経に過電流が流され、視界が明滅、意識が遠退く。
それに伴い、〝強化〟が解けかけ守備力の低下した状態に二撃、三撃と拳が振るわれ、四撃目が腹部を捕らえる直前で迫る拳に〝剣〟を突き刺し、肉を内側から焼かれる痛みに悶絶、人魔は攻撃の手を止める。
その隙に、脚を掴む獣魔の腕を切り落とし、空中に逃れ、
「ようやく、見渡せる。お返しだ、雑魚共。じっくり味わってくれ」
仮面の悪魔になる前に比べ、魔法適正が向上、高位の魔法が使えるようになった。身体能力が飛躍的に向上した。翼を用いた飛行により〝空壁〟を用いた以前より高度な空中戦闘が可能となった。
考え得る殆どの戦闘に必要とされる要素が向上したのに対し、唯一、魔力制御だけが変化しなかった。
その結果として、同時に使うことができる魔法は三つが限界。〝強化〟と二本の〝剣〟を使用していた先ほどまでは、〝感知〟を使用できず、悪魔の正確な位置関係を把握できなかったため、何度も不意打ちを受けていた。
(目視できる範囲に中級が十二体、下級が六〇体か……)
しかし、上空から悪魔の大群の全体を見渡すことで悪魔の位置関係を把握。
「〝突き上げる灼熱〟‼」
把握できた中級悪魔の内、ケンタウロス、大型のゴーレム、雷拳の人魔の三体を中心に直径二メル程の魔法陣が展開され、仮面の悪魔の詠唱に応じて魔法陣の刻まれた地面が赤熱。
次の瞬間、それぞれの魔法陣に火山の噴火を思わせる高さ一〇メルを超える巨炎の柱が顕現し、柱の中心にいた中位悪魔と、運悪く魔法陣の上を飛んでいた数体の下位悪魔、範囲内に存在するあらゆる生命が断末魔を上げることすら叶わず、瞬きの間に蒸発する。
明らかに炎で武具を創成する中級魔法より高威力の魔法。
人間、悪魔が使用可能な中で最高位である超魔法に次ぎ、絶大な魔法適正と魔力を必要とする魔法。
上級魔法。
本来であれば、一生を費やしても使用できなかった超常の力が爆発的に増加した魔法適正によって具現する。
上級魔法の圧倒的火力を前に逃げ惑う下位悪魔に中位魔法〝紅炎の球〟を落とし殲滅、数体の飛行型の下位悪魔を〝紅炎の剣〟で切り捨てる。
残る悪魔は九体の中級悪魔と数体の下級悪魔のみ。
〝突き上げる炎柱〟は警戒され、上空から魔法を撃っても躱されるだけと判断し、地上に降りるが、
「……ぇ……」
地上に脚が触れた瞬間、視界がぶれ、横転する。
魔力こそ有り余っているが、致命的なダメージこそないが、長時間の戦闘によって直立することすらままならない程に疲労が蓄積していたのだ。
(クッソ……、立てねぇ)
体力の限界と共に、気力の限界に気づき、心身ともに地面に縛り付けられる。
その様子に逃げ惑っていた下位悪魔と中位悪魔が仮面の悪魔に止めを刺そうと迫る。それを見上げることすら出来ず、仮面の悪魔は「自分なりによくやった」と瞼を閉じ――
左腕に着けられた金色の輝きが瞳に突き刺さり、心地の良い諦念を焼き払う。
「ま、……だッ、まだぁッ‼」
砕けんばかりに歯を食い縛り、流血するほどに拳を握り、腑抜けた精神に喝を入れ、鉄塊のように重い身体を持ち上げる。
「遠慮してねぇで、掛かってこいよ。寂しくないように纏めて消炭にしてやる」
警戒して足を止めた悪魔を臆病者と嘲るように傲岸な笑みを張り付け、満身創痍のガタつく体に鞭を打ち、靄の掛かった視界に映る複数の影に言い放つ。
言葉こそ通じないが、砕けた仮面から覗く笑みに、嘲りを理解した複数体の悪魔は今にも消え兼ねない仮面の悪魔の灯火を吹き消そうと、黒々とした瞳に血色に染め、殺到。
「さぁ、第二ラウンドといこうか」
同じような局面が五度繰り返され、開戦から八時間が経過しようとしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
戦闘開始から十時間が経ち、日が昇り始めた頃。
目に見える全ての悪魔を屠った仮面の悪魔は、炎の中、一体の悪魔によって殴られ、蹴られ、嬲られていた。
全身を炎に包まれた人の形をしたその悪魔はフレミーと呼ばれ、「比較的高い炎耐性」と「纏う炎の大きさが個体の生命力に比例する」の二つ以外に特筆する点を持たない下位悪魔だ。
通常であれば、十体以上の中位悪魔を同時に相手取れる仮面の悪魔が嬲られることは愚か、苦戦することすら考えられない相手だ。
だが、現状仮面の悪魔は一方的に嬲られるのみで、抵抗の素振りすら見られない。
理由は単純にして明快。
戦い続け、仮面の悪魔の体力が底をついたのだ。
戦闘が開始された直後、フレミーは燃え盛るニンショウ村に潜み、仮面の悪魔が指一本動かす力すら使い果たした瞬間、自身のテリトリーと化した火の海に引き擦り込んだ。その後一時間以上に渡って仮面の悪魔を嬲り続けている。
体力を使い果たし、霞の掛かった視界では炎に溶け込むフレミーの姿を捕らえることすら出来ず、魔法の標準が合わない。
〝感知〟で次の攻撃を予測できても、攻撃を躱す体力はない。
故に、この一時間、仮面の悪魔は切れかけの意識を気力で繋ぎ止め、残された全魔力を耐久の〝強化〟に注ぎ、ひたすらに耐え続けた。
フレミーは飽きることなく嬲り続け、更に数時間が経過。
家屋を燃やし尽くしたのか、村を覆う炎の殆どが静まりつつある。
中位悪魔の攻撃を受けても傷を負うことのなかった身体を下位悪魔の脆弱な攻撃で傷付けられるはずがない。
それが十や二十であれば。
どんなに小さな負荷であろうと、何十回、何百回、何千回、何万回と繰り返されることで、蓄積され、明確なダメージとして浮き彫りになる。
仮面の悪魔の全身は青黒い痣と煤に塗れ、透き通るような黒曜石の双角は罅割れ、絶え間なく鈍痛を加えられ続けた痛覚は久しく機能していない。
そして、
「か、っふ…………」
一段と強く蹴られ、数メルほど転がり、硬質な何かにぶつかり仰向けで止まった。
炭化した村人の焼死体が仮面の悪魔とぶつかった衝撃で砕け、崩れ落ちる。
動けない者を含めても、ニンショウ村に逃げ遅れた人間はいない。
しかし、非難した人間が村人の全てではない。
ハース・メルクが犠牲になったことで、第一波ともいえる数十体の悪魔による被害は最小限に抑えられた。
最小限に抑えられただけであって、被害者が、死者がいないはずがない。
仮面の悪魔が誕生した時には既に死んでいた誰か、救いようのない誰か。
そんな誰かの遺体が仮面の悪魔が放った炎に焼かれ、炭化したのだ。
男か女か、子供か大人か、焼き焦げ、砕けた今となって分からない。
「……ご……、ふぇ…ぅ……あ、ざぃ…………」
死んだことを悔やまれる。
そんな万人に与えられるべき機会すら奪ってしまったことを、呻くように詫びる。
次の一撃で確実に命を落とすだろう。
命の危機が迫ったからか、霞の掛かった視界が陰り、頬に一筋の雫が伝う。
(暗い……、つめ…た、い…………)
炎の中にいるとは思えない暗く、冷たい。
当然だ。
視界が陰るのは、正午の太陽が暗雲に埋もれたから。
頬を伝う雫は、熱い涙ではなく冷たい雨粒なのだから。
(攻撃が、…止んだ?)
フレミーは何処かへ立ち去り、数時間止むことのなかった嬲りが止まる。
皮肉なことに、太陽を目指すと決意し、力を手に入れた仮面の悪魔は、太陽が陰り、降り頻る雨に、その命が救われたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「■ッ‼ ■■ィー■ェッ‼」
村人たちの避難先の沖で発生した時化、その雨雲が海風に流されニンショウ村上空で再び雨を降らせている。
雨の勢いはさして強くはないが、傘が欲しくなる程度には強く、消えかかっていた村を覆う炎を完全に鎮火する。
当然、村に侵攻しているフレミーも等しく雨に晒された。
自身の纏う炎が生命に直結するフレミーにとって、鎮火は文字通りに自身の命の灯火が消えることを示し、雨によって炎が弱まり消えゆくことは拷問に等しい。
焼け落ちたニンショウ村に雨を凌げる家屋は無く、フレミーは命が削られてゆく喪失感に絶叫し、逃げ惑うことしかできない。
村を出て直ぐの高さ五メル程の木の下に逃げ込む。
一時間、二時間、三時間、……
八時間が経っても雨は止まず、フレミーは重なり合う無数の葉の隙間を縫って落ちて来る雨粒に怯えながら雨が止むのを待ち続け、
「お前だって、死にたくはないよな……でも、ごめん」
一体の下位悪魔に止めを刺せる程度の体力が回復した仮面の悪魔に背後から心臓を貫かれ、絶命した。
炎の消えた身体は灰塵となって崩れ去り、それと同時に、僅かに回復した体力を使い果たした仮面の悪魔も糸の切れた人形のよう灰塵の上に倒れ伏す。
「勝ったんだな」
何時の間にか、仮面の悪魔の隣には男が立っていた。
男を見上げるために仰向けになり、返事をしようとするが、消耗しきっているため声が出ない。
「……ぇ…う…………」
「答える力も残っていないだろ? 無理しなくてもいい」
男の言葉に甘え口を噤み、代わりに抗議の視線を向ける。
「一緒に戦えなかったことは悪かったと思っているよ。でも、これ以上は俺が関わっちゃいけなかったんだ。本当に、ごめんな……、代わりと言ったらなんだが、彼女を連れてきた」
そう言って、男はボロ布を継ぎ合わせたローブの内からハース・メルクの左腕を取り出し、仮面の悪魔の胸に置く。
「あうぃ……あ…おぅ……、あ…り……はほ…ぅ………」
「だから、無理して喋るなって。貴方に死なれると色々と困るからさ」
仮面の悪魔は、地面に縛り付けられたかのように重たい両腕で恋人の左腕を抱き、泣きながら「ありがとう」と繰り返す。
「魔法を掛けて腐らないようにしてある。
ここから西の森に入って真っ直ぐ進むと灰色の崖があって、その崖の上から見た海がすげぇ綺麗なんだ。しかも、地盤が固いのか、そう簡単には崩れない。
動けるようになったら、そこに埋めてやるといい」
体力、気力、魔力ともに底をつき、恋人の左腕が無事だったことが分かり、張り詰めていた緊張の糸も緩む。
「どうか、俺に辿り着いてくれ」
その言葉を最後に男の姿が霞んで消え、仮面の悪魔は意識を手放した。
ニンショウ村は二〇〇体の悪魔による侵攻が嘘だったかのような静寂に包まれ、焼け焦げた瓦礫の山が絶望的な災厄を物語る。
こうして、一昼夜にも渡る仮面の悪魔の奮闘は幕を閉じた。