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ビアンカはしばらく空き教室でうっとりとしていたが、空中に王太子の名前を指で書き念話を繋げた。
(失礼いたします。ビアンカでございます。つい先程メリーアン様から明日の昼休みに中庭に来るよう申しつけられましたこと、報告いたします。ではこれにて失礼いたします)
この魔法は魔力量の高い者へしか使えないのが難点だが、ビアンカが生み出した非常に便利な魔法である。
王太子に使えることは話していたが、実際に使用したのは初めてだった。
空き教室から出ようと足を動かすと鋭い痛みが走り、ビアンカは口角が上がってしまう。
なんとか抑えながらも治癒魔法は決して使わず教室に戻ったのであった。
「ビアンカ様、顔色がよろしくありませんわ。…やっぱりあの女のせいですのね!」
1人が目敏くビアンカの様子に気が付き勘違いをすると、それはざわざわと教室中に広まって行った。
ビアンカの自称取り巻き以外は、自業自得だと笑う者が多い。
(ああ、これだから悪役令嬢は堪りませんわ…。皆さんもこそこそしていらっしゃらないで、メリーアン様のように物理的にも詰ってくださらないかしら)
公爵令嬢であるビアンカにそのようなことをできる者はここには存在しないのだが、ビアンカはメリーアンから貰った痛みで夢現な状態であった。
「ビアンカ様、今日はもう家でお大事になさってはいかがでしょうか?」
そんなビアンカを本気でおかしいと感じ始めた取り巻きが、眉を下げて進言する。
表向きは完璧な令嬢であるビアンカは、快楽よりもその言葉に従うことにして屋敷へと戻った。
楽なドレスに着替えてからアルに会いに池へと向かう。
家の中にはビアンカを心配する人はいない為、取り繕うことなく足を引きずり歩いていた。
今日のメリーアンとのやりとりを思い返すと、ビアンカは堪らない気持ちになった。
「アル」
「…ああ」
音もなく現れたアルは、その姿が王太子に変わっていた。
「えっ…?あ、そっか…」
(ハインツ様より、ウォルシュタイン様の方があれだけ素敵だったのだもの、アルの姿も当然よね)
アルもビアンカの感情を読み取っており、なにより自身の姿形には興味がないのもあって何も言わなかった。
ビアンカは心の中で今朝の王太子を思い出し、恍惚とした表情を浮かべていた。
(でも、確かにハインツ様はメリーアン様をお慕いしているようすだったわ…あの時のあの眼差しは、やっぱり眼鏡越しだからこそ成せる技ですわ…)
ほう、とビアンカがあたたかい息をついた瞬間、アルの姿はハインツに変わる。
「どういうこと?」
アルの姿の変化と、後ろから突然聞こえた声に二重に驚くビアンカ。
そのまま固まって動けずにいると、声の主、王太子が笑みを浮かべたままゆっくりと近付いてビアンカの隣に立った。
「君が体調を崩して帰宅したと聞いて、お見舞いに来たつもりだったんだけど」
「っ…ウォルシュタイン様」
慌てて頭を下げようとするビアンカを手で制止し、説明するよう目で訴えてくる。
2人の間に暫しの沈黙が訪れたが、アルはいつの間にか姿を消していた。
(アルってば、どこに行っちゃったの?!絶対ウォルシュタイン様が居たことに気がついていたはずですわ!次に会ったら絶対気が済むまで罵って貰いますわ…!!)
「ビアンカ、私の目を見て。嘘を吐くことは許さないよ。説明してごらん」
王太子の濃紺の瞳はビアンカをただジッと見つめていた。
ビアンカはゆっくりと息を吐き出し、口を開いた。