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青葉先生の講義

作者: 伍拾梳愧暴論

「他人は君が聞きたい事だけを話すモノではないし、努めてそうあるべきモノでもない

君が聞きたくない事であれば君は聞かなければいい、他人であるならばそれが簡単に出来るはずだ

間違っても君が聞きたい事だけを話して欲しいとは思わない事だ、そして間違ってもそれを聞かせてはいけない

それはその人間にとって聞きたい事ではないかもしれない

そういった思慮のない行為が君の望まない環境を形成する一つの偶因にもなっていると、頭の片隅にでも置いておくといい」


「嫌いなものを好きになれとはいえない、勿論好きになれた方がいいのかもしれない

それでも好きと嫌いが同時にあり人それぞれに違う価値観があるからこそ面白味があり

世界全体がより複雑化していく事が可能となる

君は嫌いなものを見て、嫌いだと言うか?

思考や発言にはある程度の自由がある、君の思いや言動は殆どが正当なものであるだろう

然しより人間である為には、言動の原動力が何であるかを明確に考慮するべきだ

例えば嫌いなものを嫌いだと主張する行為には、そのモノとの決別という目的だったり、同じモノを嫌う者と共感したい、同じモノを嫌いになってほしい、自分が嫌いなモノが好かれるのは面白くない、等の理由がある

好きな人に嫌いな部分があり、どうしても直して欲しいという場合もあるか

その場合は本人に直接言うしかない、人が人を好きでいたくて嫌いだと言うのならそれは正当な行為だと思う」


「生物は生物的欲求が満たされないと怒りを覚える事がある

それは研鑽の為には欠かせない本能であるが、人間の作り出した社会ではそういった動物的な本能は本来の意義を成さない場合も多い

現環境に於いて人間は人間的進化を要求され、人間自身それを望んでいるとすれば、動物的欲求は制御し道具や部品として扱うべきだ

具体的には我慢が必要だ、それも褒美を伴わない我慢に耐える事だ

間違っても搾取する側にあってはならない、動物的勝利は人間にとって毒にしかなりえない

この世界は多くの無自覚と僅かな故意によって形成されている

どんなに小さな存在であっても、この環境がこうあるのは君のせいでもあると言う事ができるものだ

ならば自分の所為にした方がいい、それは功績でもあり、それに大小はない、他人を余程他人と思わなければいいだけだ」


「さて、これは貴方が聞きたい話であっただろうか

であるならば聞き取ると言い、然し鵜呑みにしてはならない

他人の考えは飽くまで他人の考えであり、それは独自の視点と観点から生まれえる個人的な思考だ、それは個性であり存在の証明

貴方はそれを観測したなら、次は思考を巡らせるべきである、その時生まれた思考が貴方の個を形成し存在として進歩させるだろう」

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