61話・最終話・比翼の鳥
「友尊。行こう」
「あ。いいのか?」
「大丈夫。お母さんがなんとかしてくれるって」
母が父親を説得してくれるようだ。なんだかんだ言っても、父は母にべた惚れだ。母の言うなりになるしかない。
「叔母上はすごいな。この家の中で一番、敵に回したくないと思うぞ」
「わたしも」
母は父や友尊の住む世界のことを知っていた。最近友尊から聞いた話では、母には鬼道が効いておらず、本人は友尊の術にかかったふりをしていたらしい。もともと呪術といったものにはかかりにくい体質らしく、それを良いことに父に連絡をとり、友尊が甥と分かると、これ幸いと同居へと持ち込んでしまったそうだ。
讃良たちが母に隠していると思ってたことは、全てばれていたらしい。
「でも心強くもあるな」
「そうね。わたしたちの一番の理解者である所はね」
讃良が相好を崩すと、いきなり唇が奪われた。小鳥がついばむような軽いキスが降ってくる。三回も。讃良がうっとりとしてると、背後から声が飛んできた。
「おい。そこ。チュウは駄目だ。チュウはまだ早い!」
「お父さんったら。もお。いい年して子供なんだから。ふたりともいってらっしゃ~い。こっちは気にしなくていいわよぉ」
「讃良。行こう」
「うん」
友尊が讃良の腕を引いて駆け出し、讃良が振り返ると、父が涙目になりながら母に取りすがるのが見えた。
「母さあああああん」
「はい。はい」
母が宥める声が聞えてきて、讃良は可笑しくなった。向こうの世界では武勇に優れ、勇将と思われている凛々しい父が、小柄で華奢な母にあやされているのを見ると、駄々っ子か大きな赤ちゃんのようだ。
「もう。お父さんたら。だらしない」
「あれでも、我が国最強の武人なんだが」
「母には甘えっ子のようよ。母の前ではだらしなくなるんだから」
「それだけ叔母上を惚れ抜いているんだろう。気持ちは分かるというか羨ましい」
「ええ? どのあたりが?」
「余もそなたを傍に置きたくて、うずうずしているのだ。余が用意した館はまだ空の巣状態で、ある特別な雌鳥の訪れを待っているのだ。一緒に子育てをする用意は出来ているというのに、淋しいものだ」
「あ……」
友尊の言葉に、讃良の頭の中にある光景が浮かんできた。初春に渡り鳥がやってきて、館の裏手の軒先に、燕が巣を作った時のこと。当時七つだった讃良は、九つの友尊とそれを見あげていた。
視線の先では、巣の中からヒナたちが黄色い嘴を開けて、ピイピイと声を上げ、親鳥に餌を強請っている。雛鳥を構う親鳥に目を留めた友尊は、讃良に言ったのだ。
『燕は番で子育てするのだな。余はまだまだ未熟だが、そなたとなら翼を重ね合わせても良いと思ってる。そなたは余の大事な方翼だからな。余が成長したら、そなたは余と妹背の契りを結んでくれるか?』
友尊の言葉は難しすぎて、讃良に意味は分からなかった。でも真っ赤になって言う友尊を見ていたら、うん。と答えていた。その後は、燕の巣に興味本位に近付いて雛に手を伸ばしたら、木から落ちて転落し、友尊共々、乳母から叱られたのだった。讃良が思い出し笑いをしていると、どうしたのかと友尊がいぶかる。
「何がおかしい?」
「ううん。なにも可笑しくはないの」
「それならどうして笑ってるんだ?」
「ちょっとね。嬉しすぎて……」
あの燕の巣を見つけた時の友尊の面影が、いまの友尊と重なった。
(この人もまた孤独だったのだ)
友尊は幼い頃に母を亡くしていた。父親はこの国の先帝。市井の子供のように、親に甘えることは出来なかった。生まれながらにして皇太子だった彼が、産まれてから乳母や、養育係りの大人たちに囲まれて育って来た所は、讃良と同じだ。
(あの頃の自分達は、親の愛を欲してきた)
『そなたは余の大事な片翼だ……』
鳥は片翼だけでは飛べない。あの頃の友尊が、そなたとは翼を重ねてもいいと言ったのは、比翼の鳥に自分達を重ねたのだろう。
比翼の鳥は幻の鳥。雌雄ともに目や翼が一つしかなく、お互いを頼りに常に一体となって飛ぶと言う。比翼の鳥とは、仲のよい夫婦の例えで使うこともあるのだと、その後、母に聞いて教えてもらった。そのことまで忘れてしまっていた。
あの頃から、友尊は讃良を見ていてくれた。彼の自分への想いの深さが伝わってきて、讃良は、友尊に照れながら言った。
「燕は毎年決められた季節に到来し、子育てする環境を整えるように、私たちもその時が来たら、空の館を賑わすことになるわ。そう遠くないうちに。だってわたし達は比翼の仲なのだから」
それを聞いた友尊は喜びを露にした。
「待ち遠しいな。その日が来るのが。燕のように沢山の子供たちに囲まれて、傍らでそなたが微笑んでくれていたらそれでいい」
友尊の願いは讃良の願いだ。讃良は背伸びして、友尊の頬にキスをした。
「………………!」
「これからもよろしくね」
ピイピイ。聞き覚えのある鳥の声がした。新緑の風に乗って背中と翼が黒く、お腹が白い小鳥たちが二人の頭上を飛び交ってゆく。
「燕が今年もやって来たのね」
讃良は友尊と手を繋ぎ、青い空の上を飛んでゆく燕の姿をいつまでも見送った。その耳元を、涼風がすり抜けてゆく。
またあの夏の暑い日が来るのだろう。そしたら川面に蜉蝣もやってくるだろうか。その時にあの言葉を何度も思い返すに違いない。
『わたしたちは誰かの犠牲になる為に生かされてるわけじゃない。自分の為に生きてもいいんだよ』
讃良には青空の向こうの世界で、彼女と同じ顔の少女が、そういって微笑んでるような気がした。




