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空の鏡と聖上の恋人  作者: 朝比奈 呈
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58話・許婚との対面の日

 十年前の友尊は、自分は大人になったら大天の叔父上の娘と夫婦になるのだと、周囲の大人に言われて育ってきた。それに対してなんの疑問ももたず、許婚にも初め感心がなかった。

 ある日のこと、父の用事に付き合って、叔父の館を訪れた時、許婚を紹介されたが、その姫は変わっていた。女房の案内で姫の部屋を訪れると、なにやら姫がうずくまって何かしてる。それを確認する前に女房の甲高い悲鳴が上がった。


「きゃあああ。姫さま。何をなさっておいでなのです?」

「なにってお絵かきよ。いま、闇夜の烏を描いてる途中なの」


 振り返った少女の頭はぼさぼさで、手や顔は黒く汚れ、まるで野鼠のような装いで、これが自分の許婚なのかと呆れた。部屋の辺り一面、足の踏み場もなく、墨の海になっていた。床はもちろんのこと、几帳や柱にまで、墨の走り書きがあり、姫の着ている紅色の小桂までもが墨で滲んでいる。女房はなんてことをしてくれたのだ。と、言わんばかりに、目を吊り上げそうになったが、当の本人は堪えてはいないようだ。


「姫さまっ」

「あら。お客さまなの?」


 少女はわざと、女房の連れて来た友尊に気がついたふりをして言う。


「ごめんなさい。今日はお部屋はこの通り汚してしまったから、お通しすることは叶わないの。今度いらしてね」


 にんまりと微笑んだ少女を見て、友尊にはこの少女の意図が分かった気がした。彼女は今日、許婚と顔合わせがあることを女房から聞いていたはずなのだ。少女は自分同様に、この大人たちの都合で決められた婚姻をよくは思っていない。そればかりか潰す気でいる。だからわざと女房を怒らせ、許婚の自分に嫌われようとしている。

 それがありありと分かって、友尊は意趣返しがしたくなってきた。自分もこの親が勝手気に決めた婚姻を良くは思ってはいない。だが、周囲の者の意を汲んで、大人しく従っているのだ。相手もてっきりそうだと思っていたのに、こんな形で破談に持ち込もうとされてるのが、しゃくに障った。


「構わぬ。部屋が整うまで、余は外で待つとしよう」

「ご無礼致しました。申し訳ありません。皇太子さま……」


 女房が詫びようとするのを(さえぎ)って、友尊は姫に言った。


「よいのだ。姫の都合も考えずに出向いた余も悪かった。姫。庭を案内してくれぬか? そなたも闇夜のカラスを描くのには、飽きたころではないのか?」


 それだけの墨をぶちまけておいて、もう墨を塗れそうな部分はないではないか。と、言えば、不服そうに少女は立ち上がった。



「分かりました。案内すればいいんでしょう? ではさっそくご案内致します」

「お待ち下さい姫さま。御髪も乱れております。そのような身なりで、皇太子さまを御案内するなど失礼でございます。申し訳ありませんが、皇太子さま。隣のお部屋でしばしお待ちを……」

「いいわよ。このままで。着がえだなんて面倒くさい。嫌よぉ。嫌っ」

「なりません。姫さま。おいで下さい」

「嫌だぁ」



 女房は嫌がる姫を引きずるように連れて、友尊の前を辞すると、しばらくしてぶすくれた姫を連れて現れた。



「さあ。姫さま。皇太子さまに失礼のないように、お庭をご案内して差し上げるのですよ」


 襖の向こうから押し出されるようにして、先ほどの姫が現れた。髪はよく梳かれていて艶やかなこげ茶の髪をしていた。眉は細く弓なりに反り、くりっとした瞳は蜜色をしていて、雀のような愛らしさが醸し出されている。鬢には紅色の組紐が結ばれていた。

 少女は表が白地で、裏が赤花色の唐衣を纏っていたが、白梅のように可憐で、彼女によく似あっている。



(白梅の花の精のようだ…………!)



 先ほどの野鼠とは別人のような変わり様に驚き、垢抜けて美しい少女の容色に、友尊は興味を示した。


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