5話・彼との出会い
讃良の住む家は集合住宅地から少し離れた場所にあり、ゆるやかな河川を挟んだ坂道を上った先にある。この辺りは昔から豪族達が居ついてきた土地で、その名残りなのか石垣が所々に残されている。その石垣の上には竹林が広がっていて、夕風にさらわれた笹の葉がさらさらと涼しげな音を奏でていく。
真知と別れて、坂道を上ってきた讃良は、夕刻の風にひらひらと吹かれている紙面の上で目を留めた。石垣に貼られている紙は大学祭のポスターだ。毎年十月の初めの三日間、近くの大学で大学祭が開催される。
貼り出されたポスターが、石垣の上で風に煽られているのを目にしながら、坂道を中ほどまで上った所で、讃良は振り返った。何かが落ちてきたような音を聞いたような気がしたからだ。
ズザザザザザザザ…
かあ。かあ。カラスが鳴きながら頭の上を通り過ぎた。
「かみなり落ちた? 嫌だ。心臓に悪い」
もう雷に震える年頃でもないが、落雷の音はお腹の底に響くような轟音で、恐れを抱かせる。早くこの場から立ち去りたいと気持ちが急くなか、竹林に何気なく目をやれば、青紫色のものが映った。誰かうずくまっているようにも見える。興味に駆られて近付いて見れば、着物の丸めた背中が見えてきた。讃良は声をかけてみた。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫だ…」
近付いて見てから、相手の声で若い男性と知れた。胸もとを押えながら顔を上げた若者は、きりりとした端整な顔立ちをしており、髪の色と同色の黒橡色の双眸をこちらに向けた。その瞬間、讃良はこの若者に会ったのは初めてだというのに、以前どこかで出会ったことがあるような奇妙な懐かしさを覚えた。
「あなたは……」
「私の顔に何かついてるか?」
「あの… いいえ。何も。その… この辺りで撮影か何かですか?」
讃良が自分の顔を見てどこか驚いたように見るのを、若者は怪訝そうに見た。讃良がじろじろと見ていたせいだろう。若者の身なりは通常とは変わっていた。現代のものではない。頭の髪の毛はすっきりと一つに纏められていて、冠はなかったものの、明らかに歴史ドラマとかで登場しそうな、平安貴族がそこにいた。
「撮影?」
「違うの?」
若者は聞きとがめるように讃良を見た。
「ここはどこだ?」
「ここは日和町ですけど?」
不可解そうに辺りを見回す。その若者の行動にも心当たりがある。これもどこかで見た場面だ。以前誰かにも彼と似たような態度を取られたような気がする。と、思いながらも、若者が着ている青紫の着物の胸元に、目をやった讃良は、そこに血らしきものがうっすらと浮かんでいるのに気が付いて慌てた。
「大変。怪我してる? いま救急車呼びますねっ」
携帯を取り出した讃良の腕を若者が止めた。
「待て。騒ぐな。これはなんでもない。しばらくすればおさまる」
「えっ? だって怪我してるんでしょう? 血が…」
讃良の目の前で、若者は大丈夫だというが、顔を顰めている。辛そうだ。
「構わぬ。放っておいてくれ」
「そんなこと言われても…」
若者には自分には構わないでくれと頼まれたが、讃良としては目の前の怪我人を見て見ぬふりは出来なかった。
「じゃあ、わたしの家に来る? わたしの家で手当てすればいいわ」
初対面の若者を全面的に信頼するほど、讃良は自分は甘ちゃんではないと思っていたが、そのまま放置するような神経も持ち合わせていなかった。
「お… そなたの家とは?」
「すぐそこよ。この坂を上りきったところにあるから。もう少し頑張って…」
若者の手を引いて歩き出そうとすると、相手は腰を上げようともしなかった。
「すまぬ。気持ちはありがたいが、ここからは動けぬ」
「はあ?」
讃良は憤慨しそうになったが、相手が青白い顔をしてるのに気が付いて考え直した。
「分かったわ。じゃ、あなたここにいて。わたし家の者を連れてくるから。必ずここにいてね」
念を押すと、若者は渋々認めたように手を離した。お香だろうか? 離した袖から甘くも辛いような匂いが伝わってきた。他人に媚びるような甘さがなくて、讃良は好感が持てた。