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空の鏡と聖上の恋人  作者: 朝比奈 呈
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39話・ここは余の世界だ


 家に帰ってきた讃良は息も荒く、慌しくバスルームへと駆け込んだ。幸い母は町内会の会合に出かけてしまい留守だ。一刻も早くシャワーを浴びてすっきりしてしまいたかった。ほの暗い感情が心の中を蹂躙(じゅうりん)しようとする。気持ち悪いほど湧き出てくる不安を全て洗い流してしまいたい。シャワーを浴びて少し気分が落ち着くと、(みそぎ)するような気持ちで浴槽につかった。


「はあ」


 先ほどのふたりが気にかかる。讃良は始めから話をきいていたわけじゃない。話の流れはよく分からなかったが、それでもふたりの会話から真知が、友尊の側にいると言ったことや、友尊が讃良を忘れろと言うのか? と、言う言葉は聞こえて来た。どうやら真知は、讃良と友尊を引き離したいようだった。


 なぜなのか分からなかったが、長年讃良の友人として一緒にいた真知のことだ。そこには何か深い何か理由があったのではないかと思えてきた。

 しばらく考え事をしていた讃良は、喉の渇きを覚え、かなりの汗が額や頬から吹きだしてるのに気がついた。長風呂になってしまったらしい。


「ふう……」


 浴槽から上がると、体がふら付く。頭がくらくらする。浴室から出るとバスタオルを体に巻きつけ、椅子に腰掛けて……と、思い手をかけたところで、椅子が倒れ大きな衝撃音を上げた。座る事の出来なかった讃良は床に転がった。

 視界が真っ暗になる。身体からは汗がほとばしり、心臓が激しく脈打つ。耳の奥に何かが突き抜けるような風圧を感じて、讃良は助けを求めようとした。


(助けて……!)


「讃良。どうした? 何があった?」


 讃良が転倒した時に上げた音に反応して、友尊が駆け込んできた。讃良を抱き起こす。讃良はうまく機能の働いていない頭で、バスタオル姿を友尊に見られたのは恥ずかしかったが、身体が思うように動かない今は何も出来ず、口だけを動かした。


「お水…… お水頂戴(ちょうだい)

「今持ってくる。待ってろ」


 キッチンの方から蛇口を(ひね)る音がして、すぐに友尊が戻ってきた。


「飲めるか?」


 手を出したらグラスは渡されず、直接口に水が注ぎ込まれた。生温かな感触とともに冷たい水が流し込まれる。それは何度も繰り返され、受身でいるしか出来ない讃良は、何度も応じた。


「う…… うん…………」

「しっかりしろ。讃良」


 強く自分を抱きしめてくる友尊の肩に、顎を乗せて脱力した讃良は、このまま目を閉じてしまいたくなった。




 心地よい風が頬を撫でてゆく感覚に、目を覚ました讃良は、すぐ側に友尊がいるのに気がついた。木綿のひとえを着た友尊は、寝入る讃良の脇にいて扇子をあおいでくれていた。友尊の着物姿は何度か見ているが、ひとえ姿の友尊は、お風呂上りらしく、湿り気を帯びた前髪を上げた彼は、別人のようで艶っぽかった。後ろの髪は一つに縛っている。


「……讃良。気がついたか? 逆上(のぼ)せたそうだ。具合はどうだ?」

「もう大丈夫みたい」


 身を起こそうとした讃良は、自分が友尊と寝間着を着ていることに気がついた。確か気を失う前はバスタオルを巻いたままで、友尊に水を求め、唇越しに水を与えられた…… 

 友尊の唇に目を這わせた讃良は、その時のことを鮮明に思い出し、恥かしくて顔を上げられなくなった。それでもどうにか助けてもらったお礼だけは、言おうと顔を上げた。


「面倒かけてごめんなさい」

「そなたが倒れているのを見たときは、肝が縮んだぞ」


 顔から火が出そうなくらい恥かしく思っている讃良は、友尊の言葉に布団を被ってしまいたい衝動に駆られて、布団をつかみ違和感を感じた。


「違う……」


 自分の部屋の羽毛布団ではない。それよりも質感があって重みも感じられる。よく見れば布団と思っていた物は、大きな着物の形をしていた。讃良の疑問に友尊が応えた。


「ここは余の世界だ。そなたが倒れて…… 思わずこちらに連れ帰ってしまった。幸い医師の()たては、湯あたりでしばらくしたら気がつくと言われた」

「えっ?」


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