37話・不破と鵜野姫
辺りはもとの静けさに包まれ、叔父がうな垂れているのを見届けた友尊は、黙ってその場を後にした。帰りの牛車のなかで、不破はいつも以上に言葉が少なく、何か思い煩ってるようだ。貴族の子弟たちが、この世にはあり得ない物を求めて、求婚しようとした美しい姫の正体が、すでに亡くなっていた者だったと知り、思うところがあるのだろう。
鵜野姫は七つの時に、住んでいた館が全焼し亡くなった。当時、未来の聖上の后となる姫に教養をつける為、叔父上の懇願で不破がその教師として通っていたこともある。彼が複雑な思いに駆られるのは当然のことのように思われた。
「鵜野姫はどこで『仏の御石の鉢』や『蓬莱の玉の枝』や『龍の首の玉』といった言葉を知ったんだろうな? 当時七つの子供には考えつかない物だと思うが?」
「……わたくしです。わたくしが教えました」
「そうか」
やっぱりか。と、いう思いが飛来する。友尊の勉強も見てきた彼がいかに物知りなのかは知っている。全ての書物を読破してきた友尊が、知らないことがあるということは、不破だけしか知りえないことでもある。
「当時、わたくしは先代の帝の命により、鵜野姫に漢詩をお教えするために、あの方の館に通っておりました。叔父上さまが吉野に追われる前で、あなたさま方が許婚の頃です。その時、息抜きにわたくしが書いた作り話を、姫にせがまれて読んだ覚えがあります」
「では姫はそなたの作り話を覚えていて、求婚者たちにそれを理由に断わろうとした……と? だからそなたはある夢想家が作った話と言っていたのか? どうりでそなたが詳しく知っている訳だ。作者ならば知っていて当然だからな。余は読んでもらったことはないが?」
「あれは子供だから出来た事。現在はあなたさまのお守りで精一杯ですから」
友尊がそんな趣味があるとは知らなかった。と、告げれば、不破は今は仕事で忙しくて書く暇もないと言った。
「これで一応、解決ですね。都の外れの館の美人の怪は。叔父上さまのことは如何致しますか?」
「そうだな。叔父上さまには今回のことはとても衝撃が大きかったことだろうしな。吉野に速やかにお戻り願おう」
「では今回のことには目を瞑ると?」
吉野に隠遁を命じられている叔父上が、勝手に都に帰ってきたとなれば、罪に問われてもおかしくないのに。あなたさまは甘いですね。と、言いたげな不破に友尊は言った。
「ただし、今回だけだ。あの鵜野姫の顔をたててな」
「でも先ほどの鵜野姫ですが、よく似てはいましたが、果たしてご本人だったのでしょうか?」
「それは余も感じた。記憶にある姫は、あのような振る舞いはしなかった。破天荒でいつも余を振り回してくれたものだ」
友尊は鵜野姫に、少しの間、思いを寄せた。
「しかし、あの伝言は果たして、叔父上へのものだったのか?」
あの状態の叔父上に、感謝する鵜野姫の本意が分からないでいた。
「あ~。どうしよう。やっちゃったぁ」
讃良は、学校に忘れ物をしてきたことに気がついて頭を抱えた。家庭科の実習でワンピースを制作してるのだが、来週の水曜日までに仕上げなくてはならない。今日を含めてもあと五日しかないのに間に合うだろうか? と、悩んだ上、讃良は学校に取りに戻ろうと思い立った。明日は日曜日だし、今から取りに戻ればなんとかなるだろう。
「あら。讃良ちゃん。どうしたの?」
「学校に忘れ物したから取りに行って来る」
玄関で靴をはいている讃良を見つけて、母が訊ねた。この時間は皆、下校していないが、守衛さんに事情を話して、校舎に入れてもらおうと讃良は考えていた。
「もう遅いからやめなさい。それかそろそろ友尊さんが帰って来ると思うから、友尊さんについて行ってもらったら? 今晩はお母さん、これから町内会の会合に出かけて留守にするし、昨日の今日でお母さ………………」
「大丈夫。大丈夫。鍵は持って出るし、もう身体は平気だから」
昨日は校門前で倒れたのだし、無理しないでという母の制止を振り切り、讃良は家を後にした。




