36話・昇天
駄々をこねる姫はまるで聞き分けのない子供のようだ。友尊からいい応えを引き出せなかった姫はわああ。と泣き崩れた。
「そんな…… そんなはずない。お兄さまはわらわと添い遂げると言ったわ。あれは嘘だったの? その言葉を信じてきたのに……」
「おお。なんと可哀相な姫よ。聖上。姫の気持ちをくんでは下さらぬか? お頼み申しまします」
叔父が友尊の前で、膝をついて頭を垂れた。
「叔父上。おやめ下さい。お気を確かに。この姫は鵜野姫ではありませぬ。異形の者なのです」
「なんと聖上。姫の気持ちをくんでは下さらないばかりか、姫を異形などと言って愚弄なさるおつもりか? なんという非情……!」
叔父が友尊を取り押さえる。いきなりの事で友尊は油断した。目の焦点があっていない。死人の姫に操られているのやもしれなかった。
「ここで姫の気持ちに応えるのが、許婚としての役目ではありませんか」
「何をなさる。叔父上」
「友尊さまっ」
叔父の取り押さえる力は強く、止めに入った不破が振り払われて飛ばされた。
「不破っ」
「尋常でない……」
不破は投げ飛ばされた勢いで、切った頬から流れる血を手の甲で拭った。
「お父さま。ご協力ありがとう。お兄さまがわらわの気持ちに応えてくれないと言うのならば、ともに黄泉の国に参りましょう。この国にお兄さまを残してなんかいけるものですか。わらわ以外の女人と共に生きていくなんて許せない。あの世で夫婦になりましょう」
叔父に取り押さえられた友尊に不破が駆け寄り、姫は一歩、一歩近付いて来る。
「お兄さま。熱いの。お兄さま。助けて。熱くてたまらないのよ……」
「ひぃ…………!」
突如、姫の全身が炎に包まれた。髪が焼き尽くされていき、白い肌がじりじりと焼かれてゆく。瞬く間に眼窩が窪み顔が焼けただれる。姫の容色が潰れていくさまを目にした叔父は、我に返ったように友尊から離れ、後退りした。それと反対に不破が友尊を庇うように前に出た。
「聖上っ」
「うわあ。こちらに来るなっ。化け物!」
叔父は腰を抜かしながら、姫から距離をとろうとずっているが、なかなか恐怖のままり身体がいうことをきかず、先には進めないようだ。友尊と姫の様子を伺いながら歯をがたがたさせていた。そんな父親の様子を物ともせず、姫は友尊と不破に救いを求めた。
「お兄さま。熱い…… 熱い……」
手や足も炎に包まれ、炎の中を喘ぐようにかいた手を伸ばし、姫は不破を招いた。歪んだ顔の頬に、一滴の涙が流れ顎を伝わり、焼けた足下に落ちた。
「お兄さま。どうして…… どうして助けてくれなかったの?」
声もなく立ち尽くす不破の前に七歳の姫が立っていた。七つの時に鵜野姫は焼死したのだ。友尊は不破の前に出た。
「わらわは、お兄さまが必ず助けてくれるって信じてた」
「鵜野姫。済まぬ。あの時、私は父上と視察に出ていて、姫のことを聞いたのは、視察から戻ってきた日だった。すでに館は焼け落ちていて、姫は弔われていた」
友尊は屈んで炎のなかの小さな鵜野姫に手を伸ばし、抱きしめた。炎の熱さが姫の心の中の葛藤を、表してるかのように友尊の体に押し寄せてきた。
「助けにいけなくて済まなかった。七つのお前には怖かっただろう。痛かっただろう。辛かっただろう。悲しかっただろう。私のことを相当恨んだだろうな。私のことを許せとは言わぬ。幾らでも恨め」
「お兄さま。もういいの。お兄さまが気がついてくれたからそれでいい」
鵜野姫はぽろぽろ涙をこぼした。
「姫よ。済まなかった。でもよく頑張ったな。もうここに留まっているのは良くない。さあ、そなたの進むべき道を開いてやろう」
友尊は鵜野姫の頭を撫でてやり、呪言を唱え始めた。
「ナキサワメカミ、ナキサワメカミ、この者の魂を清めたまえ。招来!っ」
印を結びそれを鵜野姫に向けると、焼け爛れていた顔が、元の愛らしい顔へと戻って行った。天井から天蓋から降りる絹の帳のように、光が降りてきた。
「さあ。鵜野姫。道は開いた。行くが良い」
「うん。ありがとう。お兄さま」
手を引いて光りの方へ導くと、鵜野姫はぱっと友尊の手を離し、光りの帯へと駆け出そうとしたが、何かを思い出したかのように友尊の方を振り返った。
「どうした? 鵜野姫?」
「…………兄さまにありがとう。と、ごめんなさいを……」
心残りなことでもあるのかと問いかけた友尊に、鵜野姫は手を合わせて謝罪した。
散々愚図ってきた様子とはうって変わって、落ち着いた様子を見せた。七歳の外見をしているのに、先ほどとは別人のように穏やかな瞳だ。今までの彼女は演じてたかのように変化していた。
「あとお父さまに伝えて欲しいの。ありがとうって」
鵜野姫は伝言を残すと、天の光りに導かれるように昇天していった。




