35話・死人の館
多嶋の皇子に教えられ牛車でたどり着いた場所は、都の外れにあり、館の辺りを竹林が取り巻いていた。夜の清風に吹かれ、さらさらと笹の葉が擦れた。この館に噂の姫が住むのだと言う。友尊の元許婚と同じ名の姫。ここに住む姫はそれはそれは美しい姫で、その美しい輝きが着ている着物からも滲み出てくるのだそうだ。
友尊は知らなかったが、この館に住む姫が美しいと聞きつけた若者たちが、夜中集っていたのだと言う。皆この姫の姿を見たさに夜陰に紛れて、竹垣に隠れて覗いていたので、竹垣の一部が壊れ、そのことを憂いたこの館の主が、伝手を頼りに警備隊に相談し、警備の者を配備してもらって、若者を散らしていたが、それでも四人の若者が残った。
それが、車持の皇子、大伴の吹負、石上の麻呂、多嶋の真人で、皆が互いに牽制しあい、鵜野姫をめぐって争い、求婚した結果、姫が彼らにある条件をつき付けた。
自分の望む物を用意出来た者に、嫁ごうというのだ。そして彼らを見張っていたのが、阿部の御行だった。
「ここは……?」
初めて訪れた場所だというのに、見覚えがあるような。と思った友尊は、ある場所に酷似してることに気がついた。
「讃良の家の竹藪に似てる」
さらさらさらさらと風に吹かれる笹が耳に心地よい。竹林をこえると大きな門構えが見えてきた。館に近付くと、ひと気がないようにひっそりしている。静寂に包まれた館を、物言わぬ満月が煌々と照らし出していた。
「友尊さま。だれもいないようですが……」
「いや。何者かがいる」
不破が辺りを見回した。友尊が注意を促がす。館の奥からこちらを伺っている気配がある。
「だれだ?」
館の奥に白いものが漂っていた。それが段々とこちらに近付いてくるに従って、友尊と不破は驚きの声を上げた。
「鵜野……?」
「姫? まさか……」
友尊は相手の正体を見極めようと近付いて、さらに驚いた。
「讃良……?」
館の奥から進み出て、月光の明かりに照らされた姫は、友尊がよく知る娘の容貌をしており、とても儚く揺らぐような雰囲気を露にしていた。
(違う。これはまるで……)
「そなたは何者だ? なぜ讃良と同じ姿をしている」
友尊の問いに姫は困ったように、後ろを振り返った。
「お父さま」
「姫どうしたのだ? またいつぞやの若……」
この館の主が姿を現し、友尊の存在に気がついて瞠目した。友尊も突然のことに驚きを隠せなかった。父の御世に謀反の意思ありと判断されて、吉野に追いやられたはずの叔父がそこにいた。本人にしては傷心しきった感じてやつれて見えるが。
「叔父上。どうしてここに? 吉野にいらしたのではなかったのですか? こちらの姫は一体どなたなのです?」
叔父は含み笑いをした。月の青白い光りが叔父の顔の陰影を濃く露にする。武芸に優れていた叔父は、こんな笑い方をする人だっただろうか?
「……聖上よ。お忘れか? ここは姫のいた館。かつてあなたさまが足げく通われていた場所」
「そんな馬鹿な。姫の住んでいた館は火事で全焼し、寝入っていた姫は、逃げ遅れて亡くなったと……」
「その通りです。あの日、姫は燃え盛る館の中で助けを求めていました。あなたさまが助けに来るのを信じて。ですがあなたさまは来て下さらなかった。お恨み申し上げます。聖上。ですが、あの子は生き返ったのです。こうしてわたしのもとへ帰って来てくれた」
「叔父上」
叔父は死んだ娘が甦ったのだと、何かに浮かされたように語った。現実にはあり得ない事だ。だとしたら目の前の鵜野姫は死人だと言うことになる。
「でもこれで再び、あなたさまと添い遂げる為に姫は蘇ったのです。どうかこの姫のいじらしいまでの気持ちにお応え下さりませ。そしたらわたしはあなたさま方の間に産まれた皇子さまの外祖父となって、再び政治の場に戻りましょうや」
叔父の目は、何かにとりつかれているようで、常軌を逸脱しているように見えた。とても本人には思えない。叔父によく似た誰かがそこにいた。衝撃を受けている友尊に死人の姫がそろりと近付く。
鬼道を重んじる友尊にとって、死人が生き返るということは、自然の摂理に反した非道な振る舞いであり、決して認めることの出来ないものだ。
友尊は汚らわしい存在が側に寄るのを良しとせず、着物の袖を引いてかわした。
「よさぬか」
「ひどい。お兄さま。わらわのことを忘れたの?」
友尊に腕を払われたことで姫は転倒し、友尊を見上げた。雛鳥が甘えるような声音に友尊は驚愕した。
「まさか。本当に鵜野なのか?」
「友尊さま。惑わせられてはなりませぬ」
友尊にとって不利な流れになるのを感じた不破が、ふたりの間に割って入る。
「一度、黄泉津比良坂を通って黄泉の国へ行った者は、二度と現世には戻っては来れません。例え姫が鵜野姫だったとしても、生前の姫とは違う者なのです。けして心をお許しになりませんように」
「分かっている」
友尊は、不破を脇に押しやると、鵜野姫に向きなおった。鵜野姫には、はっきりと自分の気持ちを伝えるべきだろうと思ったのだ。
「姫。そなたがいるべき場所に戻るのだ。このままこの現世に気を許してはならぬ」
「いや。嫌。どうしてそんな冷たいことをおっしゃるの? あの頃のお兄さまは、わらわに優しかった。春先に鶯の声を聞いて、そなたは大事な私の片翼だ、成人したら妹背の契りを結ぼうと、おっしゃってくれたわ」
「……あれはよく分かっていなかったのだ。そなたのことは妹のように思っていた。今もそなたの事は妹以上には思えない。済まぬ。そなたの求めには応えてやれぬ」




